表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/236

1話 血染めの薔薇



セイルス王国、王都ローザリア。薔薇の都と称されるその中心たる王宮で今、大いなる政変が起きていた。


「急げ!時をかけてはならん!」


 先頭に立つ騎士に導かれるように200名の騎士団がそれに続く。普段は走ることなどあり得ない王宮の廊下に鎧がこすれる金属音が響く。きらびやかな王宮の中においては異質な音だった。


「いいか、道を阻む者だけを排除せよ。それ以外は手出しをするな!」


 先頭をゆく壮年の騎士は配下にそう厳命していた。その騎士の前に、持ち場を守る二名の兵が互いに槍を交差させ立ちふさがった。


「ジェラルド将軍、これは一体何事ですか!?この先は畏れ多くも国王陛下の私室でありますぞ!ここは武器を携帯してはならぬ場所。軍を束ねる将軍ともあろうお方が、知らぬ訳ではありますまい!?」


「王宮内に賊が侵入した。即座に捕縛せよ、とのめいを受けている。この先に賊がいる。命が欲しくば道を開けよ」


 誰何すいかする衛兵に対し、鷹揚なく答えるジェラルド。

 

「賊、でありますか?しかし、ここにはそのようなものは来ておりませぬ。一体誰がそのような……」


「もう一度だけ言う。速やかに道を開けよ」


「この奥に本当に賊が入り込んでいるのですか?」


 衛兵の問いには答えず鋭い眼差しを返すジェラルド。セイルス軍を率い幾多の戦いを勝ち抜いた歴戦の猛者の威圧感に耐えられなくなったのか、構えていた槍を引きあげる。


「……分かりました。しばしお待ちを。取り次ぎしてまいります」


 そう言って衛兵が踵を返したその時だった。衛兵の後方で白刃はくじんひらめき、それと同時に槍が突き出された。


「ガハッ!?」


 憐れにも身体を貫かれた衛兵達は、なすすべなくその場に崩れ落ちる。


「将軍、お急ぎを」

  

 槍を引き抜いた騎士が低い声でジェラルドを促す。


「うむ。皆の者、相手は無礼にも陛下をたぶらかし、王位を簒奪しようと企む不埒者。遠慮はいらん。ゆくぞ!」


「ははっ!」

 

 息絶えた衛兵に心の中ですまぬ、と詫びながら騎士団は王の私室に踏み込んだ。




 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




「……これはどういう事です!?国王陛下の御前おんまえに血まみれの武器を携えて現れるなど、万死に値します。恥を知りなさい!」


 王の寝室の前室には、全身に怒りをたたえたイザベルとお付きの侍女達が、行く手を阻むように立ちふさがっていた。しかし、それを全く意に介すことなくジェラルド麾下きかの騎士達は次々に部屋の奥に踏み込んでいく。


「非常事態ゆえお許しいただきたい、イザベル妃。恐れながら陛下の周囲にて陛下を操り、陛下の意に沿わぬ命を発する不忠のやからが居る、との報告を受けました。我々はその蛮族の身柄を確保するために参上した次第」


「そのような者は、ここにはおりません!即刻退去なさい!」 


おそれながらそうはいかぬのです。次の謁見えっけんにおいて次期皇太子を発表する、との真偽不明の噂が上がっておりましてな。その際、陛下の名を偽り、その名を騙って皇太子に収まろうとする輩が居る、とも情報が上がっております」


「そのような事は初耳です。全ては陛下がお決めになられる事。わらわがそのような事、知りようがない」


「なるほど。それで今、陛下はどちらに?」


「陛下はお休みになられておられます。」


「ほぅ。こんな陽の高いうちからお休みとは余程、体調がお悪いのですかな?」


「そのような事はありません。しかし、陛下は常に激務をこなされています。ゆえに疲れが溜まり、休まれる事もありましょう。臣下の分際で陛下の心情を推しはかるのは無礼極まりない!」


 イザベルがそう言った時だった。


「ほう、激務?王は近頃、臣民や臣下の前にも全く姿を見せないではないか。その激務とやらはどういうものかお教えいただけるかな?義母上イザベル


 騎士団の中から発せられた尊大な発言に対し、イザベルの表情が固まった。


「アーサー皇子!?」


「久しいですな。イザベル妃」


 声の主はアーサーだった。彼は穏やかな表情でイザベルの前に進み出る。


「何故、あなたがここにいるのです!?あなたは拘束された身。このような所にいて良いはずがありません!誰の許可でここにいるのです!?立場も弁えず、挙げ句に兵をもって陛下の私室にまで押しかけるとは……誰ぞこの者を取り押さえなさい!」


 ヒステリックに叫ぶイザベル。しかし、それに応える近衛兵の姿はない。


「いくら呼んでも兵共は来ませぬよ」


「な、何と?」


「王宮内の兵士は、既にほとんどが我が統率下に入っております。王宮内の主要な施設は、我が手の者がおさえておりましてな」


「な、な、なんと言う事を!気が触れたのですか、アーサー皇子!これは陛下に対する明確な謀反じゃ!」


「とんでもありません。私にはそのような野心はありません。私の心は常に陛下の元に……。しかし、王宮内には陛下を操り王の座を奪おうと画策する、とんでもない慮外者りょがいものがおりまして。我らは陛下をお守りする為、ここに駆けつけたのですよ」


「その方らは揃いも揃って気が狂っておる!陛下の許しもなく牢を抜け出し、それだけでは飽き足らず、徒党を組み陛下の御前おんまえに現れて、強訴ごうそに至るとは……!」


「私も陛下の許しが出るまで大人しく謹慎しているつもりでした……。しかし、ある怪文書を入手しましてね。偽書とはいえ、公文書に非常によく似た代物。これは陛下の御為おためにならぬ、陛下をお護りせねば、との思いから立ち上がらざるを得なくなったのです」


 そう言いながらアーサーが胸元から取り出したのは、一通の書類だった。


「これによると「次期国王をノアとし、ノアを皇太子に指名する」とあります。しかし、陛下は皇太子について誰にも話した事はない。突然、このような物が出回るのはイザベル妃も不自然とは思われませんか?」


「このような書類、初めて見ました。しかし、わらわには、預かり知らぬこと。全ては陛下の御心次第では?」


「その通りです。この「偽書」によれば発表の日は明日。しかし、もしこれがまかり間違って真実であるならば、既に陛下の御心は決まっておるやもしれませぬ。私はその真偽を確かめる為、ここにまかしたのです」


 その時、奥の部屋から戻ってきたジェラルドがアーサーに何事か耳打ちした。


「……どうやらこの先は、のっぴきならない状況のようだな。どれ、我が陛下と対面するとしましょうか」


「そのような勝手は許しません!誰か、この慮外者を取り押さえなさい!ローガン!ローガンはおらぬか!?」


 イザベルがそう叫んだが応える声はない。もう、この王宮に彼女を助ける人間は存在しない。既に近衛兵や侍女達は騎士団に制圧されてしまっていたのだ。その事にようやっと気づいた義母イザベルの姿を見てアーサーは、冷たく見下げるように言い放った。

 

「私とて陛下の子。陛下の決定に異を唱えるつもりは毛頭ありません。ただ陛下の御尊顔を拝したいのみ」


 アーサーはイザベルをその場に残し、王の居室へと入っていく。

 

「くっ!」


 不意にイザベルの身体が匂い立つようなオーラに包まれた。その瞬間、隣に立っていた騎士がイザベルに当て身を食らわせる。彼女の顔が苦痛に歪み纏ったオーラが霧散した。


「……貴様……一介の騎士ごときが……万死に値するぞ!」


 苦悶の表情で片膝をつくイザベル。


「やれやれ、まだそんな口が利けると思っているのか?イザベルよ。それに、お主があやしげな魔法を使う事は調査済みだ」


「……わらわは何も知らぬ……!何も……」


 うろたえたように青ざめ、膝をついたイザベルを見下ろすジェラルド。そこへアーサーが戻ってきた。


「やはり王は木偶でくにされていた。おそらく精神はやられてしまっている。生きてはいるが残念ながら我々の声は届くまい。この女狐が王の側にはべりながら、気づかれぬよう少しずつ精神を支配していったのだろう」


「左様でございますか。ではやはりこの女は……」


「ああ。魔族の血を引いている。魔族の中にサキュバスなる者がいて、誘惑魔法テンプテーションを使うらしい」


「なるほど。ではこの者は最初からそれが目的で、イヴリン様の侍女になったと……」


「ああ。母上の侍女になれば父上の目にも触れやすいからな。我ら兄妹から継承権を奪い、自らの子を王に据えるつもりだったのだろう。母上が早死にしたのもおそらくこの女の仕業に違いない」


 アーサーがイザベルを見る。だが、その目は唾棄すべきものとしてしかイザベルを見ていない。彼女が王国に潜り込み侍女になる前は、彼女自身よくこの眼差しを向けられた。久しぶりにそれを思い出し、イザベルは憎悪を込めた視線で彼を睨み付けた。


「して、この女をどうされますか?陛下をかような精神状態にし、挙げ句に王座を簒奪しようとするなど到底許されることではありません。このまま処刑しますか?」


「いや、ひとまず幽閉する。始末するのは全てが終わったあとでいい。元々明日には皇太子が発表される予定だった。この女は秘密裏に計画を進めていたようだが、それならばそれを利用すればよい」


「なるほど。確かに誰も陛下の存念を聞いたわけではありませぬ。ではその時にアーサー様が皇太子になると発表するという訳ですな」


「そうだ。ジェラルド、それまでに王宮内にいるイザベル派の家臣を抑えろ。我らにつけば良し、そうでなければ片付けろ。イザベルとノアは幽閉しておけ。魔法が使えんよう隷属の首輪を忘れるな」


「ははっ!」


「……!!妾の事はよい、だが、ノアは……ノアだけは助けて下され……!アーサー皇子……そなたとは血が繋がった本当の弟なのじゃ!!」


 兵士に抑えられながらイザベルは、アーサーにノアの助命を請うた。


「フッ、お前のような下等な魔族でも、自分の子は可愛いと思うのだな……だが、そんな魔族の血が入った下賤な弟など私にはいない!!……ああ、安心するが良い。しばらくはノアともども幽閉しておくだけだ。せいぜい牢屋ぐらしを楽しんでおけ。ハハハハハ……!!」


 ……こうしてアーサーによるクーデターは成功する。その翌日、アーサーが皇太子になるとの発表が王宮より大々的になされた。元よりセイルス国内でのアーサー皇子の人気は高い。国民の間にも次期国王である彼の皇太子就任を祝い、催しが各地で行われる事になった。



 


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇





「おめでとうございます!お兄様」


「おお!我が愛しの妹、グレース皇女よ、お前がいなければあの作戦を遂行する事は出来なかった!そして今日の日を迎える事もなかったであろう。感謝する!」


 そうしてグレースを抱き寄せ、頬にキスをした。


 グレースが顔を赤らめる。密やかに進めた自らの作戦で兄を救う事ができ、王宮に巣くった女狐のイザベルを排除できた事、そして最愛の兄が正式な皇太子となった事にとても高揚していた。


「ああ、ローガンも根回しご苦労だった」


「とんでも御座いません。私は自らに課された任務を全うしたのみ」


 皇太子就任の挨拶を終え、自室に戻ったアーサーを妹のグレース皇女と侍従長のローガンが出迎えた。


 王宮で家臣一同を召集した場でアーサーは正式に皇太子に着いた事を宣言した。その際の挨拶で王の為、更にセイルス国民の為に粉骨砕身し、皇太子としての使命に邁進するとの決意表明を行った。


 具体的には併合した旧ナジカの他、更なる領土拡大を目指し、王の悲願であるフォルナ大陸の覇権を取るべく、より一層の富国強兵政策を採用していく。自らはその尖兵となる覚悟である、と力強く宣言し、居並ぶ家臣達から喝采を浴びた。


 主導権を握ったアーサーの行動は迅速だった。王宮内のイザベル派の勢力を寝返らせ自らの支配下に置き、従わぬ者は躊躇なく粛清した。そうする事で反抗しようとする者の意思を鈍らせ、またそうしようと企む者には容赦の無い死が待っている、という恐怖心を植え付ける狙いもあった。


 電撃的なクーデターによりアーサーはごく少数の犠牲者は出したものの、王宮内の主要施設をほぼ完全に掌握することに成功した。イザベルに与していた家臣や諸侯もそのほとんどは旗色を変えた。


 イザベルの子であるノア皇子に皇太子の目が無くなった以上、イザベルについても出世の見込みはなく、下手をすれば粛清の憂き目にあう。それでは困る。更に今ならお咎めもないとくればこの流れも致し方のないことではあった。


「父上は既に己の意思決定が難しい。あの女がしたことは忌々(いまいま)しいが、そのおかげでこうして、自らの意思を王の意思として命令できる」


「そうです。これからはお兄様が父上に成り代わり民を治めるのですね。ああ、これでようやくお兄様が王に……。それで王にはいつなられるのですか?」


「まだしばらく時が必要だ。何せまだ世界は、このセイルスに統一されていないのだからな。それまでには様々な困難が伴う。軍を動かすにも人と金がかかる。今はまだ父上に頑張ってもらわねば」


「それはどういう……?」


「つまり、民の不満は陛下に負って頂き、全てが終わったのち、アーサー様が跡目を継ぐと言うわけですな」


 ローガンがアーサーの会話を引き取る。


「ローガンの言うとおりだ。父上には悪いが都合の悪い部分は父上に引き受けてもらう。ローガンには新たな法令の立案を命じていてな」


「はい。概要としましては旧ナジカ王国民は二等国民とし、さらに移動の制限と増税、兵役の義務化になります」


「二等国民化?そんな事をすれば、旧ナジカ王国で不満が高まる事になりませんこと?」


「これからセイルス王国のさらなる成長を見据える際に、やむを得ない措置です。軍備増強と費用の捻出の為には膨大な出費がかかります。兵隊の数も足りません。まずは旧ナジカ王国民に負担させ、その上で必要ならば……」


「セイルス国民にも、という訳ね。……分かっていた事だけど父上の目指す覇業には、痛みが伴うわね」


「それもフォルナを統一するまでの辛抱です。今は耐えてもらえねばなりません」


「しかし……」


「グレースが不満を抱くのも無理はない。しかし、覇道とはそういうものだ。ローガンもこちらについた事だしな」


 そう言ってアーサーはニヤリと笑いローガンに視線を向けた。


「……?それはどういう事ですの、お兄様?ローガンは元々我等の味方でしょう?」


 何を言っているのか分からない、と言った表情のグレース。


「フフフ、グレース。実はこの男、ローガンの成りをしているが、実は私達の知っているローガンではない。イザベルが父上の側室に入った頃に入れ替わってようなのだ」


「は……?なんですって!?ではこの男は!?」


 思わず飛び退き、剣に手をかけるグレース。


「そんな……!?お兄様は知っていたのですか!ローガンが偽物であったと!このような者を知っていて近くに置いていたのですか!?」


「ああ。知っていた。その上で泳がせていたのだ。この男は王宮内の事情に精通し、更に各地に情報網も持っていた。更に父上が進めていた転移魔法の知識もある。私は自らの役に立つのであれば、それが例え敵であろうと構わん。覇業というものはそれほどの覚悟で望まねばならぬ」


「アーサー様からは並々ならぬ決意が感じられた。私もそれに賭ける事にしたのですよ。なに、心配なさるな。少なくともアーサー様がお強い内はそれがしが裏切る事はありませんので」


 偽物だと言われたローガンは、何の構えもとらずにこやかな表情を崩さない。それが返ってグレースには不気味に映った。そして、そんな男をローガンだと思いこんでいた事、そしてアーサーが自分に何も教えてくれなかった事に大きなショックを受けていた。


「ところで、転移魔法の件だが、将来的には我が軍の切り札になりうる。進展は見込めそうか?」


「はい。実は転移魔法の創始者の所在をようやく探りあてましてな」


「ほう。そのような者がいるのか。して今どこにいる?」


「幸いな事にこの王国内におります。近々接触を図ろうと思っておりました」


「その者にならば転移魔法を完成させられるか?」


「おそらくは」


「分かった。その者を早急に連れてくるのだ」


「承りました。それでは私はこれにて」


 そう言ってローガンは二人の元から去っていった。


「お兄様……」


「グレースの言いたい事は分かる。しかし、奴は有能な男だ。少なくとも転移魔法は、セイルス王国のみが所有しているもの。もし、転移魔法のみならず召喚魔法まで使いこなすことができれば大陸の覇者にそれだけ早く到達できる。今は清濁併せ呑む事も必要なのだ。分かって欲しい」  


 熱を持った瞳で、それでもグレースに以前と変わらぬ微笑みを向けるアーサー。


 敬愛する兄にそう言われては、何も返せなくなるグレースだった。


「とにかく今は軍備を整えねばならぬ。イザベル派の残党が良からぬことを企むやもしれぬからな。さらに口うるさい親族連中が面倒な横槍を入れてくる可能性もある。グレースは将軍達以下、将兵の鍛錬に怠りはないか厳しく監視しておいてくれ」


「……分かりました。それでは兵舎に向かいます」


 そう言い残しグレースは兵舎へと向かった。しかし、グレースの心の中は平静では居られなかった。


 ローガンの事、そして兄の事……。


 乱れる心から逃れるように、歩を早めた足音が王宮の廊下に反響し木霊していた。











評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ