9話 エリス
「リン!」
瓶が地面に落下し、薬もろとも砕け散ろうとするその瞬間、黒い小さな影が飛んだ。黒い小さな影は瓶が地面に到達する前に、受け止めて守るように抱え込む。
俺はリンに、ヴィランが薬の瓶を落とそうとしたら受け止めてくれ、と念話で伝えていた。気配探知と危機探知のスキルを使ってもらい、飛び出して間に合うギリギリの位置にリンを降ろした。
リンは俺の顔を見て、やったよ!という顔で笑った。
ヴィランは何が起きたのか一瞬分からないようだった、しかし事態を把握したのだろう、すぐに顔色が変わり激高した。
「この……糞ゴブリンが!!」
「ギャン!」
あろうことかヴィランは、目の前にいるリンを蹴り上げたのだ。ふっ飛ばされたリンは瓶を抱えたまま転がり5mほど先で止まった。
「リン!!」
慌ててリンに駆け寄り傷を確かめる。蹴られたのは背中だったが、それ以外にも、転がったせいであちこちにすり傷をつけてしまっていた
『リンハ大丈夫。薬も無事……ダヨ……』
けなげにも痛みをこらえて笑顔を見せる。蹴られる寸前に瓶をかばってくれたのだ
おのれ、ヴィランめ、お前の血は何色だ!!絶対に許さない!!
ためらうことなくポーションを取り出し飲ませる。リンの体が光に包まれ、傷がみるみる治っていく
『ミナト、モウ痛クナイヨ。アリガトウ』
ごめんよ、リン。こんなに痛い思いをさせてしまってすまない……。リンが回復したのを確認してヴィランに向き直る。
「薬の瓶をなぜ落としたんですか」
かろうじて残った理性を絞り出し。問いただす。
「あっはっはっ。おかしいなコイツ、ゴブリンごときにポーション使うなんて、本当に頭が沸いてるんだな!なぜ、薬の瓶を落としたか?だと。お前がしっかり受け取らなかったから、瓶が落ちたんだろうが!」
俺の怒りに気が付かないのか、ヴィランがしゃあしゃあと答えた。
「そうですか、それではあなたが落としたキュアポーションの代金、金貨30枚分弁償していただきましょうか。約束は果たしてもらいますよ」
「はあ?何言ってやがる。薬はそのゴブリンが持っているだろうが」
「ええ、そうです。リンが持っています。つまり薬はもう俺の所有物ではなくリンの物になってしまったのですよ」
ヴィランは、何を言っているんだ?という顔をしている。
「俺はあんたに「絶対返してください」と言い、あんたは「もちろんだ」と言った。にもかかわらず俺は薬を返してもらっていない。明確な約束破りだ」
「それは、そのゴブリンが持っていったからだろうが」
「じゃあもしリンが受け止めなかった場合、落とした薬をどうやって返すつもりだったんだ?俺は薬の瓶に一度も触れていない。つまり、渡す前に手を離したあんたの過失だろう」
「何を言っているんだ、そのゴブリンから取り上げれば済むことだろうが!お前がマスターならアイツの物はお前のものじゃないか!」
俺は首を左右に振りながらリンを抱き上げた。
「俺とリンは従魔契約を結んではいるけれど、所有物に関しては勝手にできないんですよ~。リン、その薬をくれるかい?」
瓶を抱えたリンは首を振り、NOと意思表示した。
「じゃあ金貨20枚では?」
また首を振る。
「え~、じゃあ金貨30枚では?」
リンは少し考え込んでいたが、しょうがないと言った感じで頷いた。
「あ~あ、金貨30枚ですって。まぁ、それはヴィランさんの借金ですけどね。でも良かったですよね、50枚とか言われなくて」
「ふざけるな!こんな茶番つきあっていられるか!!だいたい偽物の薬なんかに、金貨30枚も払う馬鹿がどこにいるっていうんだ!」
ヴィランはなお、わめきたてる。俺の話が無理筋だという事くらい分かっている。しかしヴィランの言うこともまた村長という権力と暴力をかさに着た理不尽なものだ。俺はそれに屁理屈で対抗しているにすぎない。相手が無理筋ならこちらも無理筋で戦うだけだ。とにかくこちらのペースに巻き込み、相手に主導権を与えないよう立ち回らなければ。
「ほ~。言いますね、ではこの薬を母さんに飲んでもらいます。そうすれば嫌でもわかりますよね?そのかわり、これがもし本物の薬であった場合、金貨30枚分、借金を帳消しにしてもらいますよ?」
リンはオスカーの手に薬を渡し、母さんの寝室を指さす。薬を受け取ったオスカーが俺の方を見る。
俺は笑って
「俺とリンが必死に守った薬です。信じてください。そしてグラントさん、こいつらが変な動きをしたら頼みます」
そう言ってグラントさんに俺の相棒の木刀を渡す。グラントさんは木刀を受け取った瞬間、うっ、というわずかなうめき声と共に木刀を取り落としそうになった。
俺が声をかけると問題ない、と言い木刀を握り直しかまえた。そしてヴィラン達に向かって言い放つ。
「お前ら、少しでもオスカーの邪魔をしたら、手加減はしないからな?」
「なっ……」
ヴィラン達はグラントさんが牽制していて動くことができない。
オスカーが急いで家の中に入っていく。
「あんなどこで手に入れたかも分からないような薬が効くわけがない!偽物だ……!!」
ヴィランが負け惜しみのように言うが、数分後……。
「母さん!母さん、治ったんだね!良かった!うん、分かってる。トーマ、トーマ!!」
家の中で声がして、オスカーが転がるように飛び出てきた。そのまま俺を抱きしめて、泣き出す。その顔を見れば結果は一目瞭然だ。どうやらキュアポーションは期待通りの働きをしてくれたらしい。
それが皆にも分かったんだろう。「やったな」「よくやったな、トーマ」「すごいぞ!」と周りの観衆から声が聞こえ拍手がまきおこった。
オスカーをなだめながら、これで俺はパナケイアさんとトーマの約束を果たせたと思った。
さて、あとは目の前のごみ屑の掃除をするだけだな。
「……と、言うわけで本物でしたから、金貨30枚お願いしますね。どうもすみませんね~」
と言ってヴィランに声をかけた。これで残りの借金は金貨20枚だ。
ヴィランがプルプルと震えだす。手に持っていた薬瓶も小刻みに揺れている。
「おのれぇぇぇ~このクソがああああ~!!」
突然、ヴィランは持っていた薬瓶を地面に叩きつけた。大きな音が響き瓶は粉々にくだけ、中の液体をぶちまける。
「許さんぞ!トーマ!俺の苦労を無にしやがって!お前ら!やれ、やってしまえ!」
ヴィランの命令で手下の男たちは急に襲い掛かってきた。
「死ねやあ!!」
手下の一人が突っ込んでくる。俺達の前に立ったグラントさんが、木刀で剣の切っ先を払い、そのまま前へ出ると柄で剣を持つ手首を叩きつけた。男はたまらず剣を落とす。返す刀で二人目の剣も軽々と木刀で受け止め、そのまま力任せに払いのける。
その勢いを止めきれず、男は押し出されたようにに倒れ込む。その隙をついて最初のもう一人の男が素手で殴りかかってきたが、それも軽々とかわし自らのこぶしを腹に叩きこんだ。痛みに顔をゆがめうずくまる男の顔先に木刀の切っ先を突き付ける。
圧勝だった。
「つ、強い……」
あっという間に二人をのしてしまった。
ヴィランがあっけにとられてへなへなとへたり込んでしまう。
「ところでヴィランさん、今、この割った薬瓶なんですが。実は俺のなんですよね~」
へたり込んだヴィランに話しかける。ショックを受けているところを悪いが、もっと追い詰めてやる。
「あ?何言っている?これは俺の物だ!」
「いいえ、違います。俺が薬屋で購入したものです」
「なんだ……と?貴様、記憶をなくしたと……たばかったのか?だが、証拠はあるのか?貴様の物だという証拠が!」
ヴィランは動揺している。
「この薬瓶のコルク、封をしたら触れない内側に名前を彫ってあるんです。兄さん、グラントさん調べててみてください」
と割れた瓶のところからコルクを取り、オスカーに渡す。
「ほ、本当だトーマと彫ってある」
グラントさんも確認する。
「ほ~。よくこんなことを思いついたな」
「これは、俺の知恵ではなく、薬屋の主人がしてくれたのです。高価な薬、例えば今回のようなキュアポーションのような薬ですね。これらは盗難や強奪の対象になりやすく、持ち主を証明する為にコルクの内側に名を刻んでから封を施して、盗難されても本当の持ち主が誰なのか分かるようにしているのです。またコルク栓だけ取り替えられないように薬屋ごとの印字もコルクに施す事もあるそうです」
もちろんこれはトーマの記憶だ。彼は街の薬屋でキュアポーションを手にいれた際、薬屋の店主からその説明をされている。不思議な事にその店主は「この薬で治ったら支払いに来い」と言っておりトーマはただでキュアポーションを手にいれていた。店主はなぜそうしたのかその理由は俺にもよく分からないが……。
「し、知らん、俺は知らん!この薬は商人から買い取ったんだ!」
ヴィランが叫ぶ、これだけ証拠を突きつけてもまだシラを切るつもりらしい。とことん往生際が悪い。
その時、家の中から誰かが出てきた。
ものすごい美人だった。金髪で、母性を感じさせる表情とオーラを身にまとっている。寝巻のような服に上着を羽織っているところが非常になまめかしい。何より、自己主張の強すぎる胸に目が釘付けになってしまう。
「母さん!起きて大丈夫?まだ寝ていなきゃ!」
オスカーが慌ててがかけよる。
「エリス、本当に治ったのか……」
ヴィランも呆然としている。
母さん?かあさん……?この、見た目20代のお姉さんが、母さん?うそやろ?俺の中で「母さん」という言葉がゲシュタルト崩壊をおこす。
「お姉さんじゃなく……お母さん?こ、こんなかわいい人が、俺の母さんな訳がない!」
俺はヴィランのアホ面に負けないような、阿呆な事を口走ってしまう。
「やだ~!トーマ君たら母さん、照れるじゃない!」
頬に両手を当てて恥ずかしがっている母さん、めちゃくちゃ可愛いんですけど……。
「母さんは昔から若く見えるんだよ。忘れているかもしれないけど、僕たちの母さんだからね?」
オスカーも説明してくれるが、全然耳に入っていかないわ。母さんって何だっけ?
「トーマ君とオスカー君のおかげですっかり病気が良くなっちゃった。……それはそうと、トーマ君の薬が盗まれて、それを金貨30枚で購入した話よね?ヴィラン」
母さん、話を聞いていたのか……ヴィランも俺も頷く事しかできない。
「今回のケースは、出所の分からない盗品を購入し、元の持ち主が判明しているにも関わらず、その商品を破壊し、元の状態に戻すことができないのよね。そういう場合……」
ヴィランも俺もギャラリーたちもゴクリと唾をのみ込む。
「ヴィランが全額保証するのは当たり前。場合によってはトーマから、慰謝料込みで商品金額の5割増し請求されてもおかしくないわ」
と、にっこり微笑む。
母さんの微笑みは慈愛に満ちているが、口から出る言葉は正義の鉄槌をくだす女神のようだ
「盗人も、盗品を購入した者もそれ相応の裁きがあるわ。だから、出所の分からない商品を購入するのはリスクが高いのよねぇ」
ヴィランは母さんにじっと見つめられて、わめきだす。
「俺は、エリスを助けるために薬を購入したんだ!俺は悪くない!俺に借金があるくせに……そうだ!借金を今すぐ耳をそろえて返せ!それができなければエリスが俺の妻になれ!」
もう、言っていることがめちゃくちゃだ。ため息をつきながら、俺は最後の切り札を出す。
「思い出しました……俺は、村に帰る途中、山賊に襲われました。相手は四人です。俺は薬を守ろうと必死に抵抗しましたが、あっけなく奪われてしまいました。山賊は俺一人ぐらい確実に始末できると思ったんでしょうね。顔すら隠していませんでした。」
「!」
ヴィランが固まる
「本当なの?トーマ君……!」
母さんが悲痛な顔をして俺を見る。そしてキッとヴィランを睨みつける。オスカーやグラントさんもヴィランを見た。
「俺が動けなくなった後、山賊の一人が言いました「これがキュアポーションか……これを持っていきゃあ、ヴィラン様もあの女を手に入れやすくなる……」」
「そんなのでまかせだ!!」
「ヴィランさん……割った薬代と、リンから購入した薬代で、借金は帳消しでいいですよね?それとも山賊を使って俺を襲わせた罪を償いたいですか?いくらでも証言しますよ?」
「くっ……くそ!勝手にしろ!お前らも余計な事を言いやがった上にいいようにやられやがって!役に立たん屑どもが。もういい!行くぞ!」
ヴィランは捨て台詞を吐きながら逃げるように走っていった。こき下ろされた手下達も慌ててその後を追う。
完全に姿が見えなくなったあと俺は
「皆さん、ご覧になった通り、俺たちの家族は借金がなくなりました。ご覧になった皆さんが証人です。ありがとうございました!」
と、観衆にアピールし頭を下げた。借金は金貨50枚。金貨30枚分のキュアポーションが2本だから逆に10枚分貰わないといけないがそれは武士の情け(?)で許してやろう。
グラントさんが拍手してくれる。それを見た村人たちも、合わせるように拍手してくれた。
だが、あのヴィランがこのままおとなしくしているはずもない。第二、第三の手を打ってくるだろう。その前に手を打っておかなければならない。さて、どう出てくるのか……。
だが、ヴィランには必ず、してきた事に対する報いを受けさせてやる。俺はそう決心していた。