王太子様との婚約を断ったらなぜかヤンデレに豹変しました(ヤンデるあなたは、嘘がお嫌い)
私は十歳の頃、石につまずいてスッ転んだあげくに、頭を強く打って思い出した。所謂、前世と言うものを。
生まれ変わったのは、剣も魔法もある異世界。 それだけ……なら、よかったんだけれども。
人にはそれぞれ役割がある。よく、前世の先生がいっていた。
けれど、今世の私、オリビアに与えられた役割。それは。 ──ロマンス小説のライバル令嬢でした。私の婚約者がヒーローだ。
ヒーローがヤンデレ。それは、まだいい。問題はヒーローにヒロインへの愛の証明として、殺されてしまうのだ!
やだやだやだ! 死にたくない!! 死にたくないよ。
幸いまだ婚約まで時間がある。これは、なんとしてでも婚約をしない方向性で動こう!!
「いいかい、オリビア。くれぐれも失礼のないようにするんだよ」
お父様、何度も言い聞かされて、耳にタコができそう。
今日は、私の婚約者(仮)殿との顔合わせの日。でもね、お父様。娘の命とこの婚約どっちが大事? そう聞きたいわ。
私は申し訳ないけれど、家のためよりも、私の命の方が大事。だから残念だけれど、失礼なことしちゃうと思う。失礼なことをしちゃえば、この婚約はなくなると思うから。
なーんて、正直に言えないので、私はうんざりしながら頷いた。
私の現在の身分は、公爵令嬢だ。つまり必然的に婚約相手の身分も高くなる。それはもう高貴なお方だ。なんと言っても、この国の第一王子様であらせられる。
だから、私と彼の婚約がもしこのまま結ばれるとしたら、ゆくゆく私は王太子妃となるわけだ。でも、そんなの荷が重いし。ご遠慮願いたい。死にたくないしね!
というわけで。王城にやってきた。
両親と陛下や王妃様は何言か話したあと、別室に消えた。後は、お若い二人で、ということらしい。
私はじっと、目の前の第一王子様を観察する。さらさらの銀色の髪に、ルビーを嵌め込んだかのような赤い瞳。まぎれもなく、美少年だ。
「私の名前は、アイザック。君は?」
「オリビアと申します。アイザック殿下」
「素敵な名前だ。オリビアと呼んでも?」
私が頷くと、アイザック殿下は微笑んだ。
「私は、君と婚約を結びたいと思ってる。君は?」
ええー。いきなりその話を持ち出すのか。まぁ、そのほうがこちらとしても話が早い。今そういうってことは、私の家柄だけで、婚約者に丁度いいと判断したということ、だよね? なんか、それは。
「嫌です」
い、言っちゃったー!!!
もうちょっと、こう、オブラートに包もうと思ってたのに。失礼なことをして婚約を破談にさせようとは思ってたけれど、これは失礼すぎる。普通に不敬で斬首刑にされたりしないよね?
おそるおそる、アイザック殿下の方をうかがうと、アイザック殿下は、驚いた顔をしていた。
「驚いた。君は、ずいぶんはっきりものを言うんだね」
それはそうだよね。そんなに、きっぱりはっきり王子である彼に言う人ってなかなかいないだろう。
「それに、嘘じゃない」
? それはもちろんだ。私は死にたくないので、婚約したくないのは本心だ。私が首をかしげると、アイザック殿下は楽しそうに微笑んだ。
「私は、なんとしてでも君を婚約者にしたくなった」
え、えええー!
「はい、オリビア」
口許にフォークを持っていかれ、仕方なく口を開ける。
「! 美味しい……」
思わず感嘆の声をあげると、アイザック殿下は嬉しそうに笑った。
「それは良かった」
あの顔合わせ以降、私たちは頻繁に会っていた。もっと正確に言うと、頻繁にアイザック殿下に私が呼び出されていた。
今日もお茶会だ。ぐぬぬ。このままでは、私たちの仲は順調だと勘違いしたお父様たちによって、婚約が結ばれてしまうじゃないか。
「そういえば、オリビア」
「なんでしょう?」
アイザック殿下は、私を見つめた。
「私は、嘘が嫌いなんだ」
そりゃあ、そうでしょ。嘘が好きな人なんていないと思う。
「だから、嘘。つかないでね」
ってことはー!? 嘘をついたら、こいつ嫌いだ! と思われて、婚約を結ばずにすむ? 私の考えを読み取ったのか、アイザック殿下は笑った。
「オリビア、君の考えてることはわかるよ。でもね、君が私に嘘をついたら──」
アイザック殿下は、ケーキにフォークを突き刺して、口にいれた。
「君のこと、食べちゃうかも」
ひええええ。ヤンデレどころか、ヤンヤンじゃん!! ヒロインはまだなの? 早くこのヤンデる王子をカウンセリングしてあげて!
「なーんてね。冗談だよ。そこまではしないけど、嘘つかないでね」
「……ハイ」
その後もアイザック殿下は、フォークにケーキの欠片をさして、私の口許にもっていくという、所謂あーんをしていたんだけれども。私は命の危機を感じて全くケーキの味を味わえなかったのだった。
「なぁ、オリビア。話があるんだ」
お父様がにこにこしながら、話を切り出した。なんだかとってもとっても嫌な予感がする。
「聞きたくないです。お父様」
では、これで。お父様の書斎を後にしようとすると、お父様に止められた。
「ふざけないで。大切な、話なんだ」
大切だからこそ、聞きたくないのだけれど。私はいやいやお父様の方へ体を向ける。
「お前とアイザック殿下の婚約が決まった」
やっぱりー!!!
「どうしてですか、お父様! 私はあれだけ嫌だって──」
「アイザック殿下の強い望みでね」
アイザック殿下の望みだって、あれでしょ? 初対面で嫌ですってきっぱり言ったのが面白かったとかいうあれでしょ? そんなすぐに消えるような興味のせいで、最終的に殺されでもしたら、たまったもんじゃない。
「それにほら、アイザック殿下は素敵な人じゃないか」
顔がいいのは認める。ええ、彼はとても格好いいですとも。でも、でも。性格はかなり闇属性。この前なんか命の危機を感じたもの。私は光属性のパートナーが欲しい!
「……わかりました、お父様」
「わかってくれたか!」
こうなったら、婚約を破棄したくなるように仕向けてやる!
「気分はどう、オリビア」
今日は私たちの婚約が発表された後初めて行われるお茶会だ。
「……良くはないです」
私がつん、と横を向いて言ってもアイザック殿下は堪えた様子が全くない。 「そっか」
むしろいっそう機嫌がよさそうににこにこしている。
「私は君を気に入っている」
ヒロインが現れたらさっくり殺されちゃうようなうっすーい、興味だけどね! 「……左様ですか」
「そこで嬉しいとか言わないところが、君の魅力だね」
しまった! 嬉しいですって言えば良かったのか。でも、嘘ついたら殺されそうだし。
「先にいっておくけれど、私は君を手放す気はないから。教育の手を抜いても、嫌いにならない」
「!」
私の一番の作戦、王太子妃教育に手を抜く。が、先回りして封じられた! どうする? どうしよう? どうしたら、私は殺されずにすむ? ぐるぐると、思案している私にアイザック殿下は、囁いた。
「ふふ、かわいいね。オリビア」
可愛いですって!? 周りの人に気づかれないように、アイザック殿下を睨む。アイザック殿下のかわいいは、肉食獣が草食動物に対するような危険な色を秘めていた。
「そういうところが、可愛いんだよ。はー、可愛い。膝にのせたいぐらいだ」 膝にのせる。冗談よね? でも、冗談だと言い切れないところが、アイザック殿下の恐ろしいところだ。
「とにかく、私から逃げられると思わないで」
──いつか、私を裏切るのはあなたのくせに。絶対絶対逃げてやるんだから!
絶対絶対逃げてやるんだから! と決めてみたはいいものの。
「……はぁ」
「どうされました、お嬢様?」
髪を結ってくれている侍女のアイリーが不思議そうな顔をした。
「憂鬱なの」
「王太子殿下との婚約発表の夜会なのにですか?」
だからこそ嫌なのよ! なんて言ったら、不敬かしら。むすっとした顔の私にアイリーは笑った。
「大丈夫ですよ、お嬢様は世界一お綺麗です」
別に、アイザック殿下が他の子にとられるかは心配していない。私が心配しているのは、アイザック殿下がヒロインと運命的な恋に落ちて、その愛の証明にさっくりと殺されてしまうこと。
いえ、でも。そうね。ヒロイン以外とくっつけば、私を殺すほど愛が燃え上がらないのかも。そうよ、別の子とくっつけてしまえばいいんだわ!
「ありがとう、アイリー!」
「? ええ。どういたしまして?」
私たちの婚約を祝ってくれる人たちの挨拶が一通り終わったところで、アイザック殿下に話しかけられた。
「今日は機嫌が良さそうだね、オリビア」
「ええ、とっても」
エスコートしてくれるアイザック殿下に、答える。
「私たちの婚約発表の場だから、だったら、嬉しいんだけど」
「違います」
反射的に言ってしまって、しまったと思う。他の人の目があるところでこんなにきっぱりいうべきではなかった。
「私の婚約者は、照れ屋だからね」
そういって、アイザック殿下が微笑む。フォローされてしまった! 有難いけれどなんか悔しい。
「ところで、殿下」
ようやく、二人きりになれた。
「どうしたの?」
「殿下はどういった女性がお好みですか?」
「嘘をつかない可愛いオリビアが好きだよ」
私が聞いているのはそんな具体例ではないのだけれど。この人、わかっていて言っているわよね。
「……だから心配しなくても、他の子に目移りしないよ」
「! ……左様ですか」
ば、ばれてるー!!! 他の子を推薦しようとしたのばれてる!!
「どうして、っていう顔してるね。わかるよ、君のことだもの」
「私には、殿下のお考えがわかりかねますが」
「だって、君、私のこと好きじゃないからね。でも、そのうち好きになるよ」
どっからわいてくるのよ、その自信! 王太子だから? 王太子だからなの? なんか、すごく負けた気がして悔しいわ。私は、歯軋りをしそうになりながら、何とか微笑みを浮かべ続けていた。
「なーにが、『だって、君、私のこと好きじゃないからね。でも、そのうち好きになるよ』よ!」
夜会が終わり、家に帰ると自室で、クッションにぼふぼふと八つ当たりする。あり得ない。あり得ないわ。確かに顔は少しだけいいかは知らないけれど、あんな狂気を孕んだ男のことなんて、絶対絶対好きにならないんだから!
それに、なんとしてでもあの男から逃げきらなくてはならない。私は愛の証明にさっくり殺されるなんて絶対いや。
「……はぁ」
クッションに八つ当たりするのはやめて、仰向けになる。
「でも、どうすればいいのかしら?」
どうすればいいの。教育に手を抜くのもだめ。他の子とくっつけるのもだめ。もう、いっそ諦める?
「そんなの、絶対いや──」
ん? まてよ。そうだ、諦めるのだ。この際婚約者になってしまったものは仕方ない。けれど、私たちが学園に入ってから現れるヒロインと仲良くすれば、殺されないのでは?
いや、だめだ! 相手はなにせ、ヤンデレだ。自分以外に親しい相手がいるのが気に入らないといって、殺されかけかねない。
どうしよう? どうする。
私が悩んでいるうちにあっという間に、数年が過ぎた。そして、ヒロインとアイザック殿下が出会う年がやって来た。
今日は、貴族ときどき平民が通う学園の入学式だ。そして、ヒロインとアイザック殿下が出会う日でもある。入学式を終え、アイザック殿下と講堂から教室へ移動する。
すると、アイザック殿下めがけて、一人の少女がかけてきた。そして、思いっきりぶつかる。
アイザック殿下は、少しよろめいただけだったけれど、少女は尻餅をついた。 「大丈夫?」
そういって、手を差し出してはっとする。淡い水色の髪に、琥珀色の瞳。この子──、ヒロインだわ。
ヒロインは私の手を借りずに起き上がると、アイザック殿下に向かって微笑んだ。
「ごめんなさい、前をちゃんと見ていなくて」
「……行くよ、オリビア」
けれど、ヒロインを一瞥すると、アイザック殿下は私の手を引いた。 「え、ええ」
アイザック殿下もにこやかに話しかける場面じゃなかっただろうか。私は戸惑いながら、アイザック殿下に手を引かれるまま進む。
ある程度進んだところで、アイザック殿下に話しかけられた。
「もしかして、あの子が君の恐怖の正体?」
「どうして、」
「君が何かに怯えていたのは気づいてた。だから、少し探らせていたのだけれど。何も出てこないから不思議だった。まさか、あんな何の変哲もない子だったなんてね」
なんの、変哲もない?
「彼女を見て、何も感じなかったのですか?」
彼女にアイザック殿下は一目で恋に落ちるはずだ。
「私が、彼女に特別な感情を抱くと?」
そう、そのはず。
「そうだな……、わざと王族にぶつかるその野心は評価できるかな」
「いえ、そういうことではなくって」
もっと、こう恋愛的な。
「私には君がいるのに、目移りすると? ……へぇ」
ひいっ! 今のへぇめちゃくちゃ低かったんですけど。気のせいよね? 気のせいよね? けれど、アイザック殿下はにっこりと笑った。
「私の浮気を疑うなんて、いい度胸じゃない。それとも、悋気かな?」
「そ、そんなこと──!」
「ふぅん。その割には、顔が赤いけれど」
じっ、と赤の瞳に見下ろされ思わずたじろぐ。私が嫉妬ですって!? そんなこと、そんなこと……あり得ないのに。私はただ、殺されるのが嫌なだけで。
「……可愛いね、オリビア」
なぜかアイザック殿下は楽しそうだ。私は全く楽しくないけれど。
「でも、心配はいらないよ。私は、目移りなんて絶対にしないから」
──この世に絶対なんてない。もし、ヒロインにひかれなくても、他に愛する人が現れれば、私は殺されるかもしれない。
「……まだ、君の不安は消えない?」
「……はい」
素直に頷くとアイザック殿下は、表情を変えた。
「君の不安は、どうしたら消えるんだろう」
「それは……」
あなたが心変わりして、私を殺さない保証。
「いっそ、籍でも入れようか?」
「えっ!?」
せ、籍!? つまり、結婚するってこと!? 王太子が学生結婚って、どうなんだろう。私たちは婚約者ではあるけれど、焦った結婚は余計な腹をさぐられかねないんじゃないかな。
「別にそんなに驚くことでもないよ。結婚式は私たちが卒業して落ち着いてからすればいい。籍を入れるといっても、教会に登録するだけだし」
そう、なのかしら。籍を入れて。でも、そんなことしたら、余計私は新たに恋をしたアイザック殿下にとって邪魔な存在になるんじゃないかな。
「それでも、不安が消えないなら……」
アイザック殿下は、止まるとなにかを首から外して、私に渡した。そういえば、アイザック殿下いつも首に何かをかけていたのよね。何だろう。
「これ、私が第一王子である証。私が私である証明みたいなものだね。それを、君に預けよう」
アイザック殿下が、王太子である証。そんなものを私に──?
「う、受け取れません!!」
そんな重たいもの。気持ち的に、渡された手が地面にめり込みそうだわ!
「重たいのは、当然でしょう。私の命同然なのだから。重くないと、困る」
そういって、アイザック殿下は、ふ、と笑った。私が突き返そうとしても、一向に受けとる気配がない。
「私が、君を裏切ったら、それ。壊していいから」
む、むりむりむりむり! そんなことできるはずがない。私が顔を真っ青にさせると、アイザック殿下は、また楽しげに笑って、証を手に取った。良かった。やっぱり冗談だったのね。
けれど、アイザック殿下は、証がついた鎖を私にかけた。そして、それを服のなかに隠す。
「これでよし。これで、私たちは運命共同体だね」
ひええええええ。いますぐ! いますぐ、はずさないと!!! けれど、手が震えて、うまく鎖が外せない。
「魔法をかけたから、私が君に返してもらうと決めないと、外れないよ。心配しなくても、私の戴冠式のときには返してもらうから。それが終わればまた、預かってもらうけど」
いや、だから。こんな重いものもっていられるわけがないわ。殺される前にストレスで死にそう。真っ青になりながら、だらだらと冷や汗を流す私の頬にアイザック殿下は口づけた。
「私が君以外に目移りしないこと、一生かけて証明してあげる」
ヒロインはその後、何度もアイザック殿下にぶつかったけれど、アイザック殿下はヒロインにいっさいなびかなかった。
「本当に、王族に突進してくる野心は買うけれど。それ以外は、平凡だよね」 というのが、相変わらずのアイザック殿下のヒロインに対する評価だった。 「可愛いとか、思いませんか?」
「可愛い? ううん、全然。世間一般ではそれなりに魅力的に映るのかもしれないけれど、私の趣味じゃないな」
そういって、私を見つめるアイザック殿下のなんて愉しそうなことか。 「私がそういう意味で興味があるのは君だけだから。学園を卒業して結婚したら、もっと君にそう思い知らせることができるのだけれど。いっそ、飛び級でもする?」
耳元でうっとりと囁かれ、慌てて首を振る。
「……しません」
「そう、残念」
し、心臓に悪いー。心臓があり得ない速度でドッドッドッと脈打っている。結婚したら、どうなっちゃうんだろう。この学園は猶予期間だ。この肉食獣から逃れるための。
でも、どうする? アイザック殿下が他に目移りしたら、私は殺される可能性がある。反対に、私が目移りなんてしようものなら、それこそ殺されそう。いっそ、ヒロインに目移りしてもらって、王太子の証と交換条件に生き延びることがもっともいい道な気がしてきた。
「……なに考えてるの?」
ひいっ。声が低い。低すぎるよー。
「……アイザック殿下のことを」
嘘じゃない。正確にはアイザック殿下から逃げる方法というだけで。私が冷や汗を流しながら、そういうと、アイザック殿下は微笑んだ。
「ふふ、可愛いねオリビア」
そういって私の頬に口づける。
「アイザック殿下、人目があるようなところで、そのようなことは──」
「人目がなかったら、もっとしていいの?」
しまった、墓穴を掘った!
じりじりと、後退する私との距離をアイザック殿下に一気に詰められる。そして、そのまま空き教室に連れ込まれた。至るところに口づけを落とされる。頑なに唇にしないのは、何かこだわりがあるのかしらと溶けた頭で考えながら、私は、鼓動がはやまる理由が恐怖なのか、そうじゃないのかわからなくなっていた。
「寝不足だわ……」
寝不足はお肌の大敵だというのに。クマはできていないものの、目が赤くなっている。その理由はただひとつ。ついうっかり、私ってもしかしてひょっとすると? いや、あり得ないけど。1%くらいは? アイザック殿下のことが好きなのかしら。なーんて、かなり血迷ったことを考えていたせいだ。
だって、キスされて恐怖なのかそれ以外なのかわからないけれど、ドキドキした。もしかして、これって恋!? だとか勘違いしても仕方ないと思うの。結果をいうと、誰でもキスをされればドキドキする。というのが、私の導いた結論だった。
いやあ、ないない。身の危険を感じはしても、恋に落ちるとか絶対ない……ない、わよね? 恋に落ちたあとに行き着く先はだって、破滅だ。ヒロインをいじめ、愛の証明にサクッと殺されちゃうような。
「絶対……絶対ないんだから」
本当に? この世に絶対なんてない。いや、やめやめ。これ以上考えるのやめ。これ以上はなぜか危険信号だと私の脳内が告げている。
「……ア。オリビア」
「!」
突然肩を叩かれ、びっくりして思わず飛び上がってしまう。誰かと思えば、さっきまで考えていたご本人、アイザック殿下だった。
「驚かせるつもりはなかったんだけれど。何度呼んでも君の返事がなかったから」
どうやら私が考え事をしながら、歩いていたのをアイザック殿下は見かけたらしい。
「どうしたの? 君を悩ませる何かがあった?」
「この世の可能性について、考えていました」
この人に、嘘はつけない。でも、正直にすべてを話す必要もない。アイザック殿下のことを考えて一晩悩んでいました、なんてあり得ないけれど恋する乙女みたいで、絶対言えない。
「この世の可能性……ねぇ。オリビア。今時間ある?」
今は昼休憩だ。特に予定もないので、頷くと、アイザック殿下は微笑んだ。 「じゃあ、ケーキ、食べよう」
学園にはカフェがあり、そのメニューはなかなかに充実している。私は悩んだあげくに、レモンケーキにした。アイザック殿下は、ショートケーキにするらしい。
せっかくの昼休憩だというのに、店内に客は少ない。けれど、おかげでゆっくりとした時間を過ごせそうだった。紅茶を一口含むと、アイザック殿下は、ティーカップをおき、微笑んだ。
「それで?」
「それで、とは?」
そんな問い詰められるようなことをした覚えがない。
「本当は、なに考えてたの?」
「ですから──」
「嘘じゃない。けど、本当のことでもない、よね。目を赤くしてまで悩むほどそんなに、重要なことなの?」
ひえええ。ばれてる。嘘ついてないのに。あなたの嫌いな嘘じゃないのだから、ほっといてほしい。とは、流石に言えないので。素直に、吐くしか、ないのかしら。うう。でも、なんか、悔しいわ。
「私が……かもしれなくもなくもなくもないかな、ということを考えていました」
「ふぅん。君が、私を。ねぇ」
重要なところは高速で言ったのに、なんで聞き取れるの!?
「……私を好きになればいいじゃない。どうして、否定したがるのかな」
「っ、それ、は」
だって、好きになっても仕方ない。好きになってもあなたは。私をいつか裏切るのだから。
「……そんなにあの子が怖いの? いや、違うな。そんなに私を信用できない?」
信用。目の前のアイザック殿下のことを。私はきっと私の前世の記憶というものがあるかぎり、アイザック殿下を信用できない。大事な証を預けてくれたとしても。俯いた私の手をアイザック殿下は握った。
「本当は、わかってる。私が君を手放した方が君は楽になれる」
そういったアイザック殿下の顔は今までに見たことがないような、困った顔をしていた。
「でも」
アイザック殿下は、手に込める力を強くした。
「私が君を離したくない。私以外のせいで幸せになるなんて許せない」
「どうして、ですか。私じゃなくても……」
アイザック殿下が私に執着する理由がわからない。ただ初めて会ったときに、嫌だといったのが面白かったから以外に理由が思い浮かばなかった。
「君は、私が君を好きになった理屈をいくら語っても、納得しないだろうね。……君に恋をしているから。だから、私以外のせいで幸せになられたら、困るんだ。君は私の側で幸せになってほしい」
アイザック殿下は、恋をしていると言った。愛してるではなく。私にとって、愛とは、相手を尊重することだ。だから、少しだけ納得できた。それでも。それでも、私は。
「私は……死にたく、ありません」
「君は、死なないよ。君が死ぬのは、私が死ぬ日だ」
私が死ぬのはアイザック殿下が、死ぬ、日?
「君が私より先に死ぬのも、私より後に死ぬのも許さない」
つまり。アイザック殿下が死にそうになったら、殺されるってこと? そして、それまでの命は保証されると。それは、まぁ、なんというか。
「……少しだけ。安心いたしました」
でも、相当ヤンデるわ。私がついうっかり不治の病にでもなろうものなら、それこそ殺されそう。でも、死すらも一人じゃないのなら。私は。
「それまで、側にいていただけますか?」
「もちろん。私は嘘はつかないよ」
アイザック殿下は、一瞬の間も置かずに頷いた。それを見てようやく、自分の気持ちを認めることができた。私は、たぶん。ううん、絶対。アイザック殿下のことが、好きだ。絶対好きにならないと思っていたのに。
「……オリビア?」
「? はい」
アイザック殿下が目を見開いた。けれど、そんな顔をされる理由がわからない。私が首をかしげると、アイザック殿下は苦笑した。
「気づいてないんだね。……だったら、いいよ。そのままで」
「? わかりました」
どこか嬉しそうな顔をして、アイザック殿下は微笑んだ。
「死すらも私たちを阻むことはできない。私たちは、ずっと、一緒だ」
その後の学園生活は、穏やかに、過ぎた。アイザック殿下は相変わらず、ヒロインに見向きもせず、私なんかに執着しているし、至るところにキスもしてくる。けれど。
「アイザック殿下?」
「なにかな?」
「いえ、最近随分機嫌が良ろしいですね。何か良いことでも?」
アイザック殿下はよく、笑うようになった。前のような何かを含ませる笑みではなく、幸せそうな、笑み。
「うん。だって、オリビア、私のこと好きでしょ?」
ああ、ほら、また。アイザック殿下の笑みは、心臓に悪い。 「好きだよ、オリビア」
「…………私も、です」
ずるい私はまだ、口出してはっきり好きだとは言えないけれど。アイザック殿下に差し出された手をぎゅっと、握る。この手の熱からどうか、あなたに伝わるといい。そう思った。
「一つ、聞いてもいいですか?」
「どうしたの?」
「どうして、今日まで絶対唇にはキスしなかったんですか?」
私が尋ねると、アイザック殿下は目を瞬かせた。
「君から愛の言葉を聞くまでは、しないと決めてたんだ。今日は、聞けそうだけれど」
そういって、アイザック殿下が笑う。今日は神の前で愛を誓う日。でも、私たちの誓いは少しだけ他の人と違う。だって、死すら私たちを阻むことはできないから。
大勢の人の前で愛を誓う。といっても、愛してるとは、言わずにただ誓うといえばいい。でも、そんなの。ずっと、先送りにしていたけれど、このままにしていいはずはない。
「死んでも、愛しています」
そういって、アイザック殿下にキスをした。
「……アイザック、殿下?」
アイザック殿下は口をぽかん、と開けて、真っ赤な顔をしていた。こんな顔をするアイザック殿下の顔を見るのは初めてだ。けれど、そんな顔を隠すように強く抱き締められる。
「アイザック殿下!」
これじゃあ、アイザック殿下の顔が見えない。そう抗議しようとした言葉は、耳元で甘く囁かれた言葉に消えた。
「煽った君が悪いんだから、今夜は覚悟して」
「!」
煽ったつもりは、まったくこれっぽっちもないし、覚悟なんてできない。途端に真っ青になった私にアイザック殿下はいつもの表情に戻ると、楽しそうに笑った。
今日は、特別なことが何もない日だ。強いていうなら天気がいいくらい。けれど、そんな日に私たちは決めた。
「本当に、行かれるのですか。父上、母上」
後を任せてもう二十年にもなる息子が、心配そうな顔をした。私たちは頷くと、笑顔で息子に別れを告げた。
「ねぇ、オリビア」
「どうしました?」
「結婚式の日に、君が僕に言ったのを覚えてる──?」
「……はい」
私が頷くと、アイザックは微笑んだ。
「私は嘘が嫌いなんだ」
「? はい」
「だから、約束、果たしてね」
そういって、アイザックは毒を飲むと私に口づけた。
それから、私は何度も生まれ変わっても、転生したアイザックと結婚することになり、わりと大変な日々を過ごすことになるのだけれど。それは、また、別の話だ。