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由美は純粋なのか狂っているのか

純粋とはひたすら自分を信じること。ある人はそれを狂っているという。


由美は、宗郎の手を握り締めた。金属音のように甲高い無表情な宗郎の声は、「私を殺してくれ。」という悲痛な言葉のわりには、真実味を含んでいない響きをしていた。真実味のない宗郎の訴えを、由美は聞き入れる気にはなれないし、信じることもできない。


「由美が宗郎を殺すことは絶対にないわ。宗郎は由美と共に生きていくの。いつまでも。だから、死ぬことは諦めて。」


幼児を諭すように由美は言った。由美の言葉に怒ってしまったのか、それとも納得をしたのか、宗郎は黙った。


 部屋の天井の補助灯が、弱く光り、壁掛け時計の音だけが、カチカチと、鳴り続けている。


宗郎は、「宗郎は由美と共に生きていくの。いつまでも。だから、死ぬことは諦めて。」と由美に言われて、由美が生きている限り、宗郎も生き長らえていかなければならないことを認めて、死ぬことを諦めたのだろうか。それとも、死にたいと思う気持ちは、まだ持ち続けているのだろうか。蝋人形のような、無表情な宗郎の顔からは、宗郎の本心を窺い知ることはできなかった。


 宗郎の目が開いた。無表情な顔に、虚ろな目。宗郎の口が微かに動き、弱々しい金属音の声が発せられた。


「僕は考えを一歩進めた。僕は君に生き長らえさせられているのではないし、生き延びているのでもない。きみを下僕にして僕は生きているのだ。僕は君に養われているのじゃない。僕がきみに私を養わさせているのだ。僕は貴族で、きみは僕に飼われている奴隷なのだ。僕がきみを支配しているのだ。

きみは僕を呪縛して、僕をきみの思いの通りにしていると信じているだろうが、それは違う。

きみに肉体を束縛されても、僕の心はきみに束縛されない。僕の意識も君には触れさせない。僕が僕として存在している証である僕の意識は自由だ。つまり僕はきみに支配されない自由な存在だ。だから僕は自由だ。僕はきみに支配されない。むしろ僕はきみの幼稚で愚かな脳みそをあざ笑っているのだ。愚かな女よ。」


宗郎と由美は、永遠の愛を誓った。由美は、宗郎との永遠の愛を信じている。愛の交わりの永遠の持続を、由美は信じている。心の底から信じている。心の底から信じて疑わないから、由美が宗郎の奴隷だと宗郎に言われても、由美は甘んじて、その言葉を受け入れる。


宗郎が由美を支配しようと、由美が宗郎を支配しようと、宗郎との愛があれば、由美には支配被支配のことはどうでもいいことだ。「愚かな女。」と言われても、宗郎が由美を愛してくれるなら、由美は、「愚かな女」でも幸せだ。


「きみにはプライドがないのか。僕に愚かな女と言われても怒らないのか。」


由美は首を横に振った。


「哀れな女だ。愚かで哀れな女だ。」


宗郎は由美を愛しているのだから、由美は宗郎を愛しているのだから、宗郎が由美を侮蔑する言葉に由美は怒らないし、心の動揺もない。純粋に愛している宗郎に、どうして由美は怒ることができようか。


「愛しているわ。永遠に愛しているわ、宗郎。」


宗郎の唇がゆがんだ。苦笑いをしているのだろう。


「僕は宗郎ではない。正和というのが、僕が生まれたときから一度も変えたことのない僕の名前だ。宗郎なんて男を、僕は知らない。会ったこともない。僕の顔を見れば、僕が宗郎という男ではないことがはっきり分かるというのに。なんて目の悪い、愚かな女なのだきみは。」


目の前に横たわっている宗郎が、宗郎であるか、宗郎ではないかは、顔を見ればはっきり分かるというのは、宗郎の言う通りである。目の前の宗郎の顔を見れば、目の前の宗郎が宗郎であることは、はっきりしている。

目の前の宗郎の顔は、紛れもなく宗郎の顔である。この顔以外の宗郎の顔を、由美は見たことがない。宗郎は嘘をついている。宗郎が、宗郎の顔を宗郎の顔ではないと嘘をついていることは、由美には苦もなく分かる。永遠の愛を誓った男の顔を、由美が見誤ることはあり得ない。

宗郎が、宗郎の顔を宗郎ではないと言い張る理由を、由美は知らないが、それは、由美にとって、気になる問題ではない。宗郎が、由美と同じ空間に存在していれば、由美はそれだけでいい。それだけで幸せ。


「僕の額、目、鼻、口をちゃんと見ろ。僕の額、目、鼻、口をちゃんと見てから、写真でもいい、きみの記憶の中でもいい、宗郎と言う男の顔と見比べて見ろ。僕が宗郎ではないことは、直ぐに分かるはずだ。」


額、目、鼻、口を見たから宗郎と分かる。目の前の顔は、額、目、鼻、口が寸分違わず宗郎と同じ。由美は、目の前の顔の容貌を、宗郎という名前の男以外に見たことがない。目の前の顔が、宗郎以外の顔であるという証拠を、由美は探すことができない。由美は、宗郎の額をやさしく撫でた。


「触るな、狂った女。」


宗郎が甲高い金属音の声で、由美の手が、体に触れることを拒否した。しかし、宗郎の声は弱々しい。由美は、宗郎の声を気にも留めないで、やさしく宗郎の額を撫でた。腕の筋力が萎えた宗郎は、腕を自分の意思通りに動かすことができない。宗郎は、自分の額に触れている由美の手を、振り払うことができない。


由美は、宗郎の裸体を愛撫し始めた。由美の細くて長い敏感な指は、宗郎の裸体の上を這いずり回った。


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