純粋な愛を貫く由美
由美は時計を見、宗郎の体の皮膚を観察してリンゲル液注入の効果を調べた。
「僕が解放された後もきみが時々僕に会うことを希望するなら、それにも応じてあげよう。毎日会うのは無理だけどね。僕には妻がいるからな。一週間に一度会うのはきついな。一ヶ月に一回会うのがいい。」
由美は、宗郎の血の流れをよくするためにマッサージを始めた。宗郎の血圧は上がり血行がよくなってきた。由美に触れられても感じなかった皮膚の感覚が、次第に由美の指に触れられ揉まれていることを知覚できるようになってきた。
「僕がこの部屋のこのベッドの上に横たわってからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。一ヶ月ということはない。一ヶ月はゆうに過ぎただろう。六ヶ月は過ぎただろうか、それとも一年を過ぎただろうか。三ヶ月なら家に帰り仕事にも復帰できる可能性はある。しかし、一年以上も過ぎていたら妻は僕を迎え入れてはくれないだろうな。会社も僕を迎えてはくれないだろう。しかし、それはそれでいい。不自由な身から解放されて自由の身になれるならなにも言うことはない。自由な身になれるのなら不自由にされたのも恨むまい。」
「僕は僕には分からない罪を背負わされたと考えることにする。僕は僕には分からない犯罪をきみに犯してしまったと想定することにする。罪をつぐなうために犯罪者は刑務所に入る。僕はきみに犯した罪のために君の刑務所に入っていたと解釈することにする。」
宗郎は、解放される喜びで饒舌になっていた。
由美は入院患者のたわ言を軽く聞き流しながら淡々と手馴れた作業をやる看護士のように、宗郎の甲高い金属音の声の饒舌に反応しないで、無言で宗郎の肉体をマッサージしながら、宗郎の血圧と体温と脈拍を調べた。
「警察に訴えることはしないから。安心しなさい。」
リンゲル液の袋は空になり、由美は宗郎の腕から注入針を抜いた。
死んだように静かだった宗郎の心臓が、ドクンドクンと自分の存在を誇示するように高鳴った。
宗郎は希望が湧いてきた。由美の気持ちを害することがなければ、一週間以内には歩けるようになり、この部屋から出て行けるだろう。
宗郎の由美への悪態に由美は耐えられなくなって、宗郎を解放することに決めたのだろうと宗郎は推測した。どうやら、宗郎の作戦は成功したようだ。宗郎はそう思った。
「きみが僕を解放することを決心したことに僕は感謝する。僕はきみを恨まない。こうなったのはきみの性ではなく僕の運命だったと思うことにする。
こうなったのは僕の運命なのだからきみに罪はない。だから僕が警察に訴える理由はない。きみ、そういうことだからね。きみは僕に謝る必要はないからね。」
宗郎は、宗郎を解放するという由美の気持ちが変わらないように気を配り、あれこれと由美の罪悪感を軽くする言葉を並べた。宗郎が、由美にあれこれと言葉を並べ続けているうちに、由美の手で愛撫されていた宗郎の股間のそれは大きくなっていた。宗郎の大きくなった股間のそれは宗郎の上に乗った由美の濡れた壷の中に納まった。
「き、きみ。なにをしているのだ。」
由美はゆっくりと腰を動かし、上下運動を始めた。
「き、きみは僕を解放すると言ったのではなかったのか。これでは話が違う。」
「由美は由美から宗郎を解放することに決めた。由美にはとても辛いことなの。由美から宗郎を解放することは由美にはとても悲しいことなの。身を切られる思い。でも宗郎は悪魔に憑依されて、由美が会いたい真実の宗郎は、永遠に由美の前に現れない。真実の宗郎に会えるのは永遠に絶望的なの。認めたくない。由美は認めたくない。でも認めなければならない。現実を認めなければならない。」
由美の上下運動は次第に激しくなっていった。
「由美は真実の宗郎と一緒に人生を歩くことができない。それが悲しい現実。由美は真実の宗郎に会うのに絶望するしかないわ。
真実の宗郎に会えないのなら。由美は、真実の宗郎の遺伝子をもらう。それしか由美が選択する道はないわ。宗郎に巣くう悪魔でも宗郎の精子の遺伝子までは憑依していないと思う。そうでしょう、宗郎。由美は宗郎と一緒の人生を生きたかった。でも、宗郎と一緒の人生を生きることができない。宗郎に由美の愛を捧げても、宗郎の愛を由美は享受することができない。それは由美の不幸。由美は、不幸と分かりきっている人生をいつまでも生きることはできない。由美は幸せに生きていきたい。
由美は宗郎の遺伝子をもらう。今まで由美が捧げた宗郎に対する宗郎の由美への愛の代償よ。由美にはそれしか方法はないの。由美は悪魔に勝てない。悪魔に憑依された宗郎を、悪魔から解放する術は由美にはない。真実の宗郎に会う方法を由美は知らない。由美に残された方法は、悪魔に憑依されていない宗郎の純粋な遺伝子を由美の胎内にもらうこと。」
由美は泣きながら激しく上下運動をした。
「それは困る。君と新しい因縁ができるのは非常に困る。」
宗郎はあわてふためき、宗郎の甲高い声はいっそう高くなった。
「宗郎の愛が欲しい。嘘偽りのない宗郎の愛が欲しい。」
由美は訴える目で宗郎を見、肉体の激しい上下運動を続けた。
「僕は宗郎という男ではない。僕は正和だ。宗郎ではない。宗郎とは別人だ。なぜきみはそんな単純なことを理解してくれないのだ。止めろ。動くのを止めてくれ。」
宗郎は必死に由美の行為を止めようとしても、手足を動かすことのできない宗郎は甲高い金属音を発するだけで、由美の行為を力で止めさせることはできなかった。
「欲しい欲しい。私を愛する宗雄の純粋な愛が欲しい。」
純粋な愛に飢えて、純粋な愛を求めながら、純粋な愛を得ることのできない由美の目からは、とめどもなく涙が溢れていた。
「僕は正和だ。きみは宗郎とは別人の遺伝子を取り込もうしている。そのことを理解するのだ。止めろ。止めてくれ。きみと新しい因縁ができるのは断る。止めてくれ。」
宗郎の甲高い金属音が部屋中に響いた。しかし、動くことができない宗郎は、声で必死に訴えるだけで、宗郎の動けない肉体は、由美の肉体を跳ね除けることはできずに、由美の思うがままにされるだけである。由美の行為は、宗郎の精子が由美の壷の中に放出されるまで続いた。
純粋な宗郎の愛を、由美の胎内に入れる儀式は、その日から毎夜続いた。宗郎はリンゲル液を注入され、下腹部強化剤を注入されることによって活力がじょじょに回復してきた。悪魔が憑依した宗郎が由美を襲わないように、宗郎の手足は紐で縛られた。手足をベッドに縛り付けられた宗郎は、ベッドの上で身動きができない状態にされた。
純粋な宗郎の愛を、由美の胎内に入れる儀式が始まってから三ヶ月が過ぎた頃に、宗郎の遺伝子が由美の卵子の中に侵入して、新しい生命の活動が始まったことを、由美はR産婦人科で知った。
お腹の中に、最愛の宗郎の遺伝子が宿ったことを知った瞬間に、由美は、宗郎を由美から解放し、由美を宗郎から解放した。
宗郎を解放し宗郎から解放された由美は、宗郎がベッドで横たわっている由美のアパートにはもう二度と帰らない。ベットに縛ってある、恐ろしい悪魔が憑依している宗郎に二度と会わない。
由美は、全てから解放されて、新しい愛と二人だけで生きていく。由美は新しい愛の生命と二人だけで生きていく新しい場所に行く。生まれ育った嫌いなこの街の中では新しい棲家は探さない。この街を出て行く。この街を出て、まだ見ぬ、新しい場所に行く。
由美は、愛する宗郎の遺伝子が、由美の胎内で新たな生命活動を始めた喜びを噛み締めながら、街の中を歩いた。
由美を純粋に愛してくれる愛の芽が、
由美の胎内にいる。
由美は幸せだった。
由美は幸せに浸った。
由美は幸せに浸りながら街を歩いた。
触れる街の風が心地よい。
行き交う人々が密かに由美におめでとうと言う。
ネオンがひとつひとつ灯っていきながら、
由美におめでとうと拍手をしている。
由美は夕暮れの街を歩き続けた。
歩き続けて気がつくと、
由美は、街の駅に来ていた。
由美は、招かれるように改札口を通り、
由美は、微笑みながらプラットホームに立っていた。
「さあ乗りなさい。」と誘うように、
列車が由美の前に停まった。
もう、この街にも、宗郎にも未練はない。
由美は、
胎内の新しい愛の生命と一緒に、
夕暮れの列車に乗った。
列車は、ぐんぐん駅を離れていく。
列車は、ぐんぐん街を離れていく。
由美は新しい場所に行く。
街なのか、
町なのか、
村なのか、
それは分からない。
とにかく、
新しい生活が由美を待っている。
由美が愛し、由美が愛される、新しい愛の生命が
由美の胎内で育っている。