純粋な愛を貫く由美は決意する。
「嘘、嘘、嘘。」
と悪魔をののしり。
「宗郎、宗郎、宗郎。」
と由美は泣き喚いた。
叫び、
泣き、
喚き、
半狂乱の由美は、
プラスティックのお椀を放り投げた。
プラスティックのコップを放り投げた。
紙製の皿を天井に放り投げた。
プラスティック製のフォークを放り投げた。
本を放り投げた。
箒を放り投げた。
掃除機を放り投げた。
テーブルをひっくり返し、
椅子を放り投げた、
タンスの引き出しを引きずり出し、
タオルや由美の衣服を放り投げた。
宗郎の洋服を放り投げた。
由美は、
部屋のありとあらゆるものを放り投げた。
部屋を戦場のようにした由美は疲れて果て、
やがて、由美のヒステリーは治まり、
由美は静かになった。
静かになった由美は、感情のない淡々とした顔になっていた。
由美は、ベッドの下から薬瓶を取り出した。薬瓶から一個のカプセルを取り、宗郎に近づいた。
「止めろ。止めてくれ。」
宗郎の甲高い金属音の声は、由美の行為を止めようとしたが、由美は宗郎の声を無視して、宗郎の顔に近づきカプセルを口に含むと宗郎の口と重ねた。
宗郎は抵抗して、口を閉じようとしたが、看護士の由美は、下あごを掴んで、難なく宗郎の口を開いた。カプセルは由美の口から宗郎の口に移っていった。宗郎の口の中に入って行ったカプセルは、宗郎の筋力を弱め、宗郎がベッドの上の生活を否応もなく続けていくための薬だ。カプセルを宗郎の口に移した由美は、宗郎の髪を撫で、宗郎に毛布を被せた。健やかに眠る子を見守るように、由美は宗郎の側で宗郎を見詰めていた。
朝が来た。由美はゆっくりと立ち上がり、宗郎のベッドから離れてシャワーを浴びた。シャワー室から出ると、淡々とした表情でバスタオルで体を拭いた。朝の由美は、部屋が荒れていることに無関心である。無表情の由美。宗郎を一度も見向かない由美。まるで部屋には由美だけが存在しているような行動をする由美。化粧をして、服を着て、由美は病院へ出かけた。
宗郎は悪魔に憑依され続けたままである。由美の切望する真実の宗郎は、いつまでも由美の前に現れてこない。
由美は、宗郎が悪魔に憑依されたまま永遠に生き続けるのではないだろうかという不安が募ってきた。
由美へ愛を注いでくれる真実の宗郎の魂は、宗郎に憑依した悪魔の恐ろしい魔の妖力によって、宗郎の奥に押し込められ、由美の前には出てこない。
由美は宗郎を愛し、宗郎に愛を注ぎ、宗郎に愛され、宗郎の愛に注がれたい。
しかし、宗郎は由美に愛を注いでくれない。永遠に愛が注がれない日々を、由美は生きていくことができようか。由美は永遠に宗郎の愛を注がれないで生きていくことは、悲しすぎてできない。
愛は、愛し愛されて幸せになる。愛を注いでも、愛を注がれない愛は不幸である。
宗郎に憑依している悪魔を宗郎から取り払うことのできない由美は、愛されない愛に見切りをつけ、新しい愛を育みたいと思うようになった。
新しい愛を育むことができたら、悪魔が憑依した宗郎から由美を解放し、悪魔が憑依した宗郎を由美から解放する。
今日も、由美はアパートに帰ると、荒れた部屋を、いつものように片付けた。荒れた部屋を片付けていく虚しさと疲労感が、いつものように看護士の仕事で疲れた由美の体と神経を覆って行く。由美は黙々と部屋の片付けをすると、シャワーを浴び、宗郎の裸体を拭いた。
ベッドに横たわる、悪魔が憑依した宗郎は、悪魔が憑依していない宗郎であるかのように、黙って由美に裸体を拭かれた。
しかし、由美が求めている、由美を愛している真実の宗郎が現れるに違いないと期待する由美はもう居ない。由美は淡々と宗郎の裸体を拭いた。宗郎の裸体を拭き終えると、椅子に座りコーヒーを飲んだ。夜の時間が淡々と過ぎていく。
コーヒーを飲み終えた由美は宗郎の側に行き、宗郎にリンゲル液の注入を始めた。看護士の由美には手馴れた作業である。
「な、なにを僕に注入するのだ。僕をもっと衰退させようとしているのか。」
宗郎は弱い金属音の声で叫んだ。由美は宗郎の声を無視して、作業を続けた。宗郎の白い肉体が赤味を帯びてきた。
「宗郎を解放するわ。」
由美は宗郎の方を見ないで、独り言のように言った。
「え、解放だって。」
宗郎には信じ難い由美の言葉だった。
「本当に僕を解放するのか。」
「本当よ。」
「そうか、僕を解放する決心をしたのか。」
宗郎の声は驚きと喜びで声が震えた。
「悪魔に永遠に憑依された宗郎は、永遠に真実の宗郎が出てこない。由美の前に真実の宗郎は現れてくれない。真実の宗郎が出てこない宗郎は由美から解放するしかないわ。」
「僕はこの部屋から出て行けるのだな。」
由美は宗郎の質問に頷く様子を見せなかったが。
「宗郎を由美から解放する。」
と独り言を言った。注入したリンゲル液の栄養が宗郎の体内で溶けてきた。
「おお、体に活力が戻ってきた。やっときみは僕を解放する気になったか。」
宗郎の甲高い金属音の喜びの声が口から漏れた。
「明日は栄養のある流動食も僕の胃に入れてくれ。」
宗郎の声が聞こえないかのように、由美は黙って作業を続けた。由美はリンゲル液の注入の進行状態を見た後に、バイアグラを混入している下腹部強化剤を宗郎のお腹に注射した。それから、宗郎の瞳孔を調べ血圧と脈拍を調べた。
「数日で僕は歩けるようになるだろうか。いや、数日では無理かもしれない。しかし、一週間の内には歩けるようになれるだろう。歩けるようになれば僕はこの部屋を出て行く。僕が拉致監禁されたことは警察には言わない。きみは僕が警察に通報しないことを条件に僕を開放する積もりに違いない。その条件を僕は喜んで飲む。警察には絶対に通報しないことを僕は君に約束する。」