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後悔

作者: 天樛 真

 私としては、ひとまず一人になりたかった。

 それが、酒臭い喧騒をかいくぐりベランダに出た理由。


 友人が主催するホームパーティに出席しておきながら、私は一時間と経たずに後悔していた。来なければよかったな、と。ベランダで一人、なにも見当たらない夜の景色を眺めながらひどく後悔していた。その後悔の理由は三つあった。


 まず一つ。私はお酒があまり好きじゃない、というか一口飲んだだけで首筋がどくどくといって苦しくなる。テーブルの上に所狭しと並べられたワインボトルや酒瓶は、一目見ただけで鼻をすすりたくなった。ジュースの類は冷蔵庫の中を開けても入っていなかったのだ。喉が渇いてもどうすることもできないとそのとき悟った。

 まずい事にパーティ会場である友人の家は辺鄙な場所に建っており、外の騒音は全く無いのだがコンビニや自販機も全く無いのだ。


 二つ。私は交友関係が広くない。友人の数は両手で数え切れるほど限られていて、しかしそれで満足している。友人の友人と関わろうとしたことなどは無い。だと言うのに、家の中には友人の友人どころかそのまた友人といった見知らぬ顔ぶれがひどく多かった。ざっと見ただけで三十人ほどいるであろうか。

 そんな人たちと話など出来ない。人見知りなのだ私は。見知らぬ顔が、見知らぬ瞳が私の目に入るたびに、顔を背けてしまう。顔を背けたところで、相手はまだ私を見ているかもしれない。どう思われているだろう、友人の友人の、そのまた友人である私のことをどう見ているのだろう。無意識にそんなことを考えてしまい、つらくなる。


 三つ。スマートフォンを家に置き忘れてきた。いや、これは私の自業自得なのだが、そもそも今日、家を出なければ置き忘れるという事もなかったわけで。

 別にスマートフォンを使って何かしたいわけではない。パーティに来ているのに一人だけ首をかしげてスマートフォンと睨めあっているのも印象が悪いだろうから、持っていても多分ずっとポケットにしまいこんでいるだろう。

 それでも、持っていないという事がひどく落ち着かない。どうして落ち着かないのか自分でもよくわからない。でも、とにかく、落ち着かないのだ。


 後悔というものは読んで字の如く、先に感じることは無い。後から悔やむから後悔なのだ。

 先に悔やむなんて聞いたことは無いし、感じたことも無い。どれだけ数秒先であろうが未来のことを考えて悔やむなんて、無い。だからこそ私は自分の家の玄関を開け、少し曇った空を見上げたときに何も感じなかった。このパーティ会場に足を踏み入れるまでは、不安も後悔も無かったのだ。

 後悔が先に立てばどれだけ幸せな事だろうか。背中に喧騒と、その中に紛れる流行りの音楽を浴びながら、私は一人になって後悔していた。


「どうしたんだい、ひとりぼっちで」


 ふいに、すぐ後ろから声を掛けられた。

 驚いた私は肩をびくりとさせてしまい、そろりそろりと振り返る。私の前に立っていたのは長身痩躯の女性だった。首が痛くなるほど上を向かないと頭の先が見えないくらいに背が高い。私の友人ではなさそうだ、そもそもこんなに背が高い人、家の中に居ただろうか。

 部屋の中から溢れる光が邪魔をして、目の前の女性の顔はよく見えない。ただ、濡れたように光る薄緑色の瞳が二つ、私のことを見つめている。


「君はパーティを楽しまなくていいのかい」

「いえ、あの。あまり楽しめないので」

「ふむ。パーティは楽しいものだと思うのだけどね」


 女性にしては低い声。よく通る、というか、胸に響くような低い声は、部屋の中から溢れる喧騒を押しのけて私の鼓膜を震わせる。

 私は見上げていた首を下ろし、俯いて黙り込んだ。私なりの、一人にしておいてほしいという意思表示だ。この女性が私に話しかけてきた理由は、たぶん、おせっかいの一言に尽きる。コミュニケーション能力が高いがゆえに、だれかれ構わず声をかける性格なのだろう。

 そうでなければ、わざわざベランダに出て一人うなだれている私のような人に、話しかけてきたりしない。気にはなっても、接しようなんて思わないだろう。


「君、名前は?」

「あの。すみません、一人でいたいんです」

「私と話したくない?」

「一人でいたいんです。ただ、独りで」


 背の高い女性の足元をじっと見つめていても、全く動く気配が無い。私がこれだけ拒絶の態度を示しているというのに、この人は離れてくれない。

 息が詰まりそうな気分だ。胸の奥から何かがせり上がるような感覚に、息を吸う音が震える。


「一人で過ごしていたら、きっと後悔するよ」

「もう後悔しています」

「なら、今からでも楽しめばいいじゃないか」

「そうじゃなくて。ここに、来たことに、です」

「じゃあどうしてまだ居るんだい」


 帰るなんて選択肢は私の頭に無い。理由は、これまた三つある。

 一つ、ここまで来た交通費が無駄になるのが嫌だから。パーティを楽しむことは出来そうにないけれど、とんぼ返りは損した気分が大きすぎてしたくない。

 二つ、ここには私の友人もいるから。部屋で騒いでいるほとんどは初対面の相手だが、私の数少ない友人も居るには居る。帰っては失礼になるんじゃないかと、そう思う。

 三つ、一人だけ帰ったら何か言われそうだから。これが理由として一番大きい。パーティに来たことをどれだけ後悔しようが、最後までいなきゃいけないと思っている。こんな大勢に、悪く思われるのは嫌だ。途中で帰って、印象を悪くしたくない。たとえもう会わないとしても。


 帰らない理由はこれだけあるけど、その一つ一つをわざわざ目の前の女性に説明する必要も無いだろう。そう思って、私は短く答えた。


「まだ始まったばかりなのに、帰ったら変でしょう」

「そんなことを言ったら、ベランダで一人なのも十分変だよ」

「変、ですか。それもそうですね」


 あまり長い時間、ベランダにいても確かに不自然だ。言われるまで気づかなかった。

 煙草を吸うにしても、部屋の中の至る所に灰皿は置いてある。テーブルの上、キッチンの流し台、床に直で置いてあるものもある。ベランダにわざわざ出る理由にはならない。それどころか、私は煙草を吸わないのだから。

 仕方が無い。周りの雰囲気に溶け込むことは出来そうにないけれど、そろそろ部屋の中に戻ろうかとしたとき。


「でも、こうして私もいれば、変じゃないね」

「え……」


 長身痩躯の女性の足がそっと動き、黒色のパンプスが私の隣に並ぶ。

 さっきまで私がそうしていたように、彼女は何も見当たらないような暗闇の景色に目を向けていた。薄い微笑みを浮かべたその横顔は痩せていて、真っ白な肌は暗がりの中でも光っているように見えた。


「私も君と一緒にいるよ」

「あの、なんで」

「大丈夫。話したくないならそれでいいよ、私はただ、君と一緒にここにいるだけ」


 彼女はそれから、本当に私の隣に居るだけだった。

 一言も喋らず、私の方に目くばせもせず、左手に持ったワイングラスを時おり口に運んでは、か細いため息を吐くだけ。

 五分経ち、十分経ち、三十分が経ち、一時間が経ったと腕時計を見て確かめる。私もそのあいだ、隣に立つ彼女と同じようにぼうっと外を眺めていた。一言も会話をせず、背中に喧騒を浴びながら、二人きりの時間を過ごした。


 どういうつもりなのか、わからなかった。

 どうして彼女は、私の隣にずっといてくれるのだろう。どうして一言も喋らないくせに、楽し気に微笑んでいるのだろう。この一時間、ずっと気になっていた。

 どうしても理由が聞きたかった。だから私は、何もない景色を眺めながら、唇を尖らせて一時間ぶりに声を出した。


「あの、どうして私に付き合ってくれるんですか」

「君が後悔しているから。そして、孤独だから」


 即座に返事が返ってきたことに驚いた。

 私は、少し間を置いてから続ける。


「どういう意味です」

「孤独は心を痩せ細らせる。孤独でいると、心が餓死してしまうから」

「どういう、意味です」

「そのままの意味」

「わからないです」

「一人ぼっちでいたら、君はきっと死んでしまうから。私みたいなのでも、いるだけマシになるだろう?」


 ふと彼女の顔を見上げてみた。薄緑色の瞳が私を見つめ返している。

 彼女の細腕が、私の頭へ伸びてくる。細くて長い指先が、そっと触れるように私の髪を撫でた。

 優し気に私に微笑むと、彼女は視線をまた外に向けた。それ以上は何も言わずに、ワイングラスを揺らして、それを口に運ぶ。


 それから二人で、パーティが終わるまでずっとベランダで過ごした。

 彼女も私も、何とも言わずに夜を眺めて。

 後悔は取り消すことが出来ないけれど、彼女のおかげで、孤独では無かった。

 名前も訊いてないけれど、今ではすごく、感謝している。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文体から古めかしさを感じつつも、それがえぐ味ではなく旨味となっていて、物語の内容も読み解く程に幅があり大変面白いです。 まるで映画を見ているような句読点の使い方でのテンポのコントロールには…
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