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百合子の青い空  作者: 九里瑛太
9/13

櫻子の入学式

 櫻子は、偶然にも道に迷い困り果てていた遙子を見付け、彼女も広島県立第一高等女学校の新入生である事を知る。

 こうして、学校までの道を共にする事となった二人。遙子はすっかりと安心したのだろう。道すがら、まるで饒舌さに拍車が掛かったように賑やかに話し続けた。

「──可愛い猫がおってな、ほいで追い掛けとったら、みんなぁとはぐれてしもうたんよ」

 遙子は、迷子になった当時の様子を身ぶり手ぶりを交えて、つらつらと櫻子へ話して聞かせる。

「ほうね!佐々木さんは、猫が好きなんじゃねぇ」

「うん!うちはなぁ、猫だけじゃのうて可愛い動物、みんなぁ好きなんよ!!」

 ニコリと、嬉しそうにほほえみながら答える遙子を見て、彼女が猫を追い掛けて迷子になったと言う話も、あながち冗談ではないのだろうと櫻子は苦笑する。


 鷹野橋の交差点から鯉城通りを北に進み、白神社前の交差点まで行くと、家屋疎開の進んだ大きく開けた道路へと辿り着く。避難経路確保の為、防火帯に指定された疎開道路と呼ばれる道だ。

 この道を東に進み、しばらくすると、左手に第一県女の正門が見えて来た。

 櫻子と遙子が到着すると、正門前の人だかりから、女性二人と第一県女の学生が一人、こちらに向かって歩いて来るのが見える。

「遙子、あんたぁ一体、何処行っとったん?みんなぁ心配しとったんじゃけぇね!」

 女性の内の一人が、おもむろに遙子を叱り始める。よく見ると、何処となく遙子と似た雰囲気の顔付きだ。どうやら、この女性が彼女の母親らしい。

 そうすると、キリッとした雰囲気の女学生は遙子の友達で、もう一人の女性は、その母親と言う事だろうか。

「かか、可愛い猫がおったけぇ、ついつい着いて行ってしもうて…のぉ、智恵ちゃん?」

 先程までの快活さとは打って変わり、ぎこちのない遙子、母親の前では如何せん形無しである。

 そんな状況を何とかしたい遙子は、助けを求めるように友達らしき少女へとすがり付く。

「ちょっ…ちょっくり顔が近い!あ、痛い痛い、痛いけぇ…何処掴んどるんね?」

「ご、ごめん…智恵ちゃん」

「よいよ(全く)…うちは知らんようねぇ!遙子ちゃんが勝手におらんようになったけぇ、いかんのじゃろうが?」

 キリッとした雰囲気も然る事ながら、智恵はその容姿に違わずハッキリとした物言いで、遙子にズバッと言ってのけた。

「そ、そりゃあ、あんまりじゃろうが…」

「自業自得ようねぇ」

 さらにすがる遙子を智恵は軽くあしらってみせる。長い付き合いの二人だからこそのやり取りなのだろう。

「ぷふっ…」

 笑いの琴線に触れたのか、櫻子は堪え切れず、ついつい吹き出してしまった。

「あ!ほほ、ほうじゃ!この長谷川さんのおかげで、うちは無事にここまで辿り着けたんよ」

 これを好機とばかりに遙子は、まるで取り繕うように櫻子を母親や智恵逹に紹介する。

 その様がまた、何とも滑稽に見え、櫻子の笑いをさらに誘う。

「長谷川さん、うちの娘がほんまに迷惑掛けたみたいで、許してつかぁさいね!」

 遙子の母親が、あまりにも慇懃(いんぎん)に頭を下げるので、かえって櫻子は恐縮する。

「いえいえ、うちは、たまたま通り掛かっただけですけぇ…」

 ──と、言い掛けたところで、遙子の母親がすかさず言葉を繰り出して行く。

「うちの遙子は、ほんま昔っから落ち着きがのぉて困った娘だったんよ!ほいで、ちょくちょくみんなぁに迷惑ば〜っかり掛けよってねぇ…」

 矢継ぎ早に次々と言葉を紡ぐ遙子の母親、どうやら彼女の話し好きは、この母親譲りらしい。

「佐々木さん!長谷川さんが困っとるけぇ、はあ(もう)その辺で止めにしたらどうね?」

 見兼ねた様子で、智恵の母親が止めに入る。

「ありゃりゃ、うちとした事が…長谷川さん、ほんまにごめんなさいねぇ」

 などと、おどけてみせる仕草も本当に親子そっくりだ。

「さて、そろそろ入学式が始まるじゃろ?みんなぁ校舎に行こうかねぇ」

 智恵の母親に促され、櫻子達は校門の中へ入ろうと一歩を踏み出した。

 その時である。そんな櫻子へ、不意に声が掛けられた。

「──櫻子!」

 聞き覚えのある声が、櫻子の名を呼ぶ。櫻子は、反射的に声のする方へと振り返った。

「あぁ!お母…ちゃん?」

 そこに立っていたのは、菊江であった。突然現れた母の姿に櫻子は驚きを隠し切れない。

「──にゅ、入学式…来てくれたんね?」

「ふふふ…当たり前じゃろうが!娘の晴れ舞台なんじゃけぇ、当然ようねぇ」

 櫻子の問い掛けに菊江は、優しくほほえみ答える。

「婦人会の仕事やら、色々あってじゃろ?うちは、てっきりお母ちゃん来れん思うてたけぇ…」

 近所の前川家で出征が決まり、婦人会もその壮行会で俄に忙しくなっていた。

 だからこそ、菊江が入学式に駆け付けてくれた事が、櫻子にとっては何より嬉しかった。

「バカ言いさんな。来ない訳なぁじゃろ?」

「お母ちゃん…」

 櫻子は、嬉しさの余韻に浸るように母の胸に飛び込んだ。言い知れぬ充足感が、彼女を優しく包み込む。

「あのぉ…申し訳なぁですが、長谷川さんの親御さんで?」

 ──と、遙子の母親が尋ねる。櫻子は、遙子達とのこれまでの経緯を菊江に話すと、それ以後はお互い親同士の挨拶となった。

 その間、櫻子達は校庭に貼り出されているであろう学級編成の掲示板を確認しに行く。校庭では、同じ制服をまとった少女達が大勢集まっていた。彼女達が注目するのは勿論、新入生の組割りが貼り出されている掲示板である。

「さぁて、うちらはどの組じゃろうねぇ…」

 期待に瞳を輝かせながら、遙子は編成表に視線を送る。櫻子と智恵も、それに続くように掲示板に貼り出された編成表を右から順々に追う。

 三人はそれぞれ、期待と不安に胸を高鳴らせつつ、一つ一つの組に自分の名前がないかをゆっくりと確認して行く。そして、四つ目の組を調べている途中で櫻子達の視線が同時に止まった。

 偶然の一致である。そこには、三人の名前が一緒に書き記されてあったのだ。

「あぁ、佐々木さん…」

 櫻子は、思わず感嘆の声を漏らしていた。

「うんうん!長谷川さん、うちらぁ三人とも一緒じゃ!!同じ組ようねぇ」

 三人が同じ組である喜びに遙子も嬉しさを露わにする。

「ほうね!改めて、これからもよろしくね」

 櫻子は笑顔で応えた。

 人の縁とは、つくづく不思議なものだ。ついさっき偶然に出会ったばかりの遙子と、まさか同じ組になろうとは、櫻子は奇妙な巡り合わせを感じずにはいられなかった。

「まぁた、遙子ちゃんと同じ組…ほんま、たいぎぃ(ウザイ)じゃねぇ!」

 ──と、智恵はわざとらしくも遙子に対して嫌味まじりに悪態を付いてみせる。

「なな、何ねぇ!?智恵ちゃん、そりゃ失礼じゃろうが」

「ほんま、二人は仲がえぇのじゃねぇ」

 智恵と遙子のやり取りが櫻子の笑いを誘う。彼女の中にあった新学期への不安も、二人のおかげですっかり吹き飛んでしまった。


 さぁ、いよいよ第一県女の入学式が始まる──


 戦時下の為、華やかとまでは行かないまでも、慎ましく厳かな式が始まった。

 岡校長の祝辞から始まり、教職員達の話が続く。

 どれも、第一県女の生徒としての心得を説く素晴らしいものばかりである。

 櫻子達新入生は、改めて歴史ある学校の生徒になった事を誇りに感じ、身の引き締まる思いをそれぞれ胸に刻み付けるのだった。

 これから四年間、彼女らはこの学舎で日本を支える為の女性として教育を受けるのだ。




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