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百合子の青い空  作者: 九里瑛太
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思わぬ出逢い

 娘二人を送り出し、菊江は赤飯の下拵えに取り掛かっていた。

 四月六日のこの日、櫻子が広島県立第一高等女学校に入学する。そんな娘を祝う為の下準備と言う訳だ。

 第一県女は、県下有数の女学校として、全ての女性の規範となるべく女学生の高等教育に力を注いでいた。

『高等女学校規定』が昭和十八年に制定され、元々五年だった就業期間は四年に短縮されはしたが、それでもその教育理念は変わる事なく、芯の強い女性の錬磨育成はより一層と昇華されて行った。

 そうした中でも、女子小学生や保護者の第一県女に対する憧憬の思いは変わらず、学区外や県外から通う者が跡を絶たない程の人気を誇った。

 無論、櫻子もその一人だ。彼女も第一県女に憧れ、今日ようやく四十五期生としてその第一歩を踏み出す。

 娘の並々ならぬ思いは、当然、菊江もよく知っている。だからこそ、入学式を迎えた櫻子を母として精一杯、心を込めて祝福したいと考えていた。

 台所の窓、その格子からのぞく抜けるような青空を見上げ、菊江は娘に思いを馳せる。

 ある程度の下拵えを終え、菊江は一旦調理を中断し、出掛ける準備に取り掛かった。無論、櫻子の入学式に駆け付ける為だ。


 さて、その頃である。櫻子は下中町(現在の中区小町付近)にある第一県女へと向かう途中にあった。

 櫻子の家がある舟入幸町から、第一県女までは時間にしておよそ三十分、距離にして2㎞程の道程を歩く事になる。

 彼女の場合、まずは住吉橋を使って太田川を渡り、そのまま中島地区を横切るように通る幹線道路に沿って進む。

 そして、通りの先にある明治橋を使い元安川を渡ると、さらに直進し、鷹野橋交差点で広島電鉄宇品線が通る鯉城通り(電車通り)を北に折れるのだ。

 鯉城通りを広島城に向かって六百メートル程進むと、白神社前の交差点がある。

 今度はその交差点を東に曲がって、防火帯に指定されている疎開道路(現在の平和大通り)を二百メートルばかり進むと、ようやく第一県女の正門が見えて来ると言う訳だ。

 櫻子は今、住吉橋を渡り、中島地区の水主町(現在の加古町と住吉町の一部)と住吉町の間を通る幹線道路を歩いていた。

 道なりに真っ直ぐと進めば、もう間もなく明治橋の西詰が見えて来るはず。往来を進む櫻子の行く手、その雑踏の中で同じ第一県女の制服に身を包む少女が一人、何やら辺りをキョロキョロと見回しているのが目に留まった。

「どうしたんじゃろう…?」

 同じ制服を着ているだけに妙に気に掛かる。少女は尚も右往左往を繰り返し、うろたえた表情で雑踏を見詰めていた。その様子は、あきらかに普通ではない。

 もしやと思い、櫻子はその少女に近付き声を掛けてみる。

「あんたぁ、道に迷うてじゃないんかね?」

 その声に少女は、ピクリと反応し振り返った。

 そして、声の主が櫻子だと判ると、三つ編みに結い上げられた髪を振り乱しながら、こちらへと駆け寄って来るのだった。

「そ、そそ、その制服ぅ…一女の人ですよねぇ?」

 若干、喋り急ぐような口ぶりで尋ねると、少女は鬼気迫る顔付きでにじり寄る。距離感を掴めていないのか、三十㎝と離れぬ距離で櫻子の前に立ちはだかった。

「ほ、ほうじゃけんど…」

 櫻子が、一瞬たじろぎながらもそう答えると、少女は全身の力が抜け切ったように安堵の吐息を漏らす。

「えかったぁ!うちなぁ、道に迷うてしもうて…」

 案の定、少女は道に迷い困っていたらしい。まさに櫻子の予感は的中したと言える。

「もしかして、あんたぁ新入生かね?」

 道に迷うと言う事は、学校へと通い馴れていない証し。ともすれば、新入生であろう事は櫻子にも容易に想像が付く。

「ほうよ!あんたぁ、よう分かってじゃねぇ。うち、友達や家族らぁと入学式に向こうとったんじゃが、みんなとはぐれてしもうて…ここらぁの土地勘もないけぇ、ぶち困っとったんよ」

 などと言う割りに、そんな事を全く感じさせない、何とも饒舌で快活な少女の話しぶりだ。

「ほ、ほうね?うちも今年から一女に通う事になってじゃ!えかったら一緒に行く?」

 櫻子がニコリと笑顔で問い掛けると、少女は安心したのか、崩れるようにその場へドッと尻餅を付いた。

「いやぁ、ほんまにえかったぁ!うちは、どうなる事かと思うて…これで安心ようねぇ」

 強張った顔付きが、みるみると和らいで行き、ふにゃっと力の抜けた表情で少女は再び安堵の吐息を漏らす。

「うちは長谷川櫻子よ。あんたぁは?」

 櫻子が、自身の名前を名乗って手を差し伸べると、少女はその手を取って立ち上がり、満面の笑みで答えた。

「うちは、佐々木遙子!遙子の遙は“遙か”って書くんよ!!えぇ名前じゃろ?」

 ──と、遙子は人懐こそうな笑顔を浮かべ、櫻子に対してウィンクしてみせる。

 笑顔を絶やさない明るい雰囲気の少女。それが櫻子の抱いた、遙子に対する第一印象であった。

「あんたぁ、ほんまえぇ娘じゃ、ほんまえぇ子じゃねぇ!」

 感極まった様子で櫻子の手を取り、何度も何度も繰り返し、その手を握り締めた。

「ほいじゃあ佐々木さん、そろそろ行こうかねぇ?」

 こうして、櫻子は遙子を伴い、これから自分達の学舎となる第一県女へと向かう事になった。




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