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百合子の青い空  作者: 九里瑛太
7/13

赤飯

≪赤飯≫



 今日、四月六日は、櫻子が心待ちにしていた広島県立第一高等女学校の入学式当日である。

 当時の一般的な女性教育は、六年間の初等科教育と現代の中学、高校に当たる高等教育などが存在した。

 広島県立第一高等女学校は、その高等教育を担う県下でも有数の歴史ある女学校で、その為にわざわざ遠くの学区から通う生徒がいる程、人気の名門校なのだ。

「そのセーラー服、えぇねぇ!うちも着てみたいようねぇ」

 モンペを履き、真新しい制服に袖を通して行く櫻子、セーラー服の左胸には第一県女の校章が光り輝く。当時の女学生の一般的なスタイルだ。

 その装いが、まるで別人のように櫻子を少し大人びた雰囲気にさせる。

 百合子は、姉の姿を素直に羨ましく思い、ついつい感嘆の溜め息を漏らした。

 第一県女のセーラー服は、櫻子のような多感な年頃の女子にとって、まさに憧れの制服だった。

 特に夏服は、まぶしい程の白を基調とした純白のセーラー服で人気があったのだ。

「この制服は、一女に入らんと着れんのよ!百合子に入れるんかねぇ?」

 などと、からかうような口調で櫻子は少し意地悪く、ほほえみ掛ける。

「あぁん!はあ(もう)お姉ちゃんの意地悪ぅ…」

 頬を紅く染め、百合子が大きな瞳を潤ませ、脹れてみせた。

「ふふふ…冗談ようねぇ」

 そう言って、櫻子は百合子の弾けそうな程に柔らかい頬へと手を添え、そっと優しく愛撫する。

 櫻子にとっての百合子は、堪らなくいとおしい、そんな存在なのだろう。

「櫻子、あんたぁ、はあ支度は済んだんね?」

 姉妹でじゃれ合っていると、母の菊江が心配そうに台所からやって来た。

「入学式に遅れるけぇ、早よう支度をせんといけんようねぇ」

 母の言葉に「てへっ」と舌を出して照れ笑いを浮かべると、櫻子は速やかに荷物をまとめて玄関へと向かう。

「あぁ、お姉ちゃん行ってらっしゃい!」

 姉の後ろ姿を追って、百合子が声を掛ける。

「ふふ…行って来ます」

 妹の見送りに櫻子は振り返って笑顔で応えると、颯爽と玄関を後にして表へ飛び出して行く。

 春色のそよ風が、ふわりと舞うように櫻子の三つ編みとセーラー服の襟を優しくなびかせた。何とも心地よい風の中、程よい高揚感が自然と櫻子を凛々しく振る舞わせる。

 百合子は、姉の姿に益々羨ましい思いを募らせつつ、その後ろ姿を見送るのだった。

「さぁ、百合子!あんたも、そろそろ学校に行く時間でしょ?早よう支度を済ませんさいよ」

 この四月から、百合子も神崎国民学校の五年生に進級した。

「百合ちゃあん、早よう学校へ行くよぉ!」

 百合子が学校へ行く支度を整えていると、玄関から弾むような明るい声が聞こえて来る。向かいの家の夏美が、百合子を迎えに来たのだ。

「夏ちゃん、待ってぇね!今行くけぇ…」

 慌てて支度を終え、百合子は玄関で待つ夏美の元へと急ぐ。

 小さい頃から体が弱く、少々甘えん坊な百合子を、夏美は昔から色々と気に掛けてくれていた。

 くされ縁と言えばそれまでかも知れないが、二人は幼い頃から一緒に行動する互いになくてはならない程の仲であった。

 親同士が、学生時代から付き合いのある親しい間柄である。娘達にも、それが連綿と受け継がれている証しと言えよう。

「夏ちゃん、お早よう!ごめんねぇ、待たせてしもうて」

「えぇけぇ、えぇけぇ!まいたんびの事じゃけぇ、気にしとりゃあせんよ」

 申し訳なさそうな百合子に対して、夏美は全く気にも留めていない様子だ。

「夏ちゃんはほんま、たいがたい(有り難い)ねぇ!」

 ──と、百合子はおもむろに夏美へ両手を合わせ、冗談めかしに拝む素振りをしてみせた。

「あぁ、それよりさっき、櫻ちゃん見たよ!」

 突如、思い出したように夏美が櫻子の話題を口にする。

「一女の制服姿、ぶち(とても)凛々しかったねぇ〜」

 夏美は堪らず口許をニンマリゆるませると、満面の笑みを浮かべ悦に浸った。

「うん!」

 百合子も、思わず夏美に同調するようにうなずく。姉を誉めて貰えたのが、まるで自分の事のように嬉しくて堪らないのだ。

「うちらも、五年生になったんじゃけぇ、もちぃとしっかりせんといけんね!」

 きっと、櫻子の制服姿に触発されたのだろう。夏美は、何とも意欲的な言葉を口にして百合子を見据えた。いわゆる“ドヤ顔”と言うヤツである。

「………」

 怪訝とした表情のまま、夏美の顔をジッと百合子がうかがう。何かを含んでいる顔付きなのは、すぐに察しが付く。

「百合ちゃん、どうしたん?うちの顔に何かぁ付いとるんかね」

 夏美が率直に尋ねる。すると、百合子は遠慮のない物言いで、その問いに答えた。

「夏ちゃんが、珍しく真面目な事を言いよるけぇ、今日はまた、いなげな(変な)事を言いよんなぁ思うとったんよ」

 言い終わると、百合子は少し意地悪く夏美にほほえみ掛けた。幼馴染みの仲だからこそ、言える冗談だ。

「何ねぇそれ?ほんま、失礼じゃねぇ!」

 ──と、言いつつ、夏美はたっぷりとおどけた素振りで百合子の笑いを誘う。

 こうした夏美の気遣いは、時として百合子の励みとなり、支えとなっていた。

 百合子にとって夏美は、まさしく、なくてはならない有り難い存在だった。

「あんたら、早よう学校に行かんね?」

 話に夢中になり過ぎた百合子達を見兼ね、菊江が呆れた様子で口を挟む。気が付けば、時計はすでに八時を回った辺りを指し示していた。

「あぁ、いけん!早よう学校に行かんと…」

 不意に沸き上がった焦燥感が、百合子を急かすように煽る。

「お母ちゃん、行って来るね」

 履き馴れた、いつもの靴に足をすべらせ百合子は表へと歩み出して行く。

「二人共、気ぃ付けて学校へ行きんさいよ」

 間髪入れず、菊江の声が百合子の背中を優しく後押しした。

「うん!」

 百合子は笑顔で頷く。

「おばちゃん、行って来ます」

 夏美の声と共に、百合子達は家の敷居を飛び出して、舟入通りの方へと歩き、そのまま学校へと向かうのだった。


 さて、二人の娘をいつものように学校へと送り出し、一息つきたいところではあったが、菊江にはやるべき事が待っていた。台所に戻ると、さっそく下拵えの途中だった赤飯の支度を再開する。

 あらかじめ、水に浸して置いた小豆を下茹でし、煮汁を作る。

 あくまでも煮込みすぎず、ゆっくりと小豆の赤い色味に煮汁が染まるまで行う。

 しばらくすると、ほのかに小豆の香りが湯気と共に台所に立ち込める。そろそろ、頃合と言ったところだろうか。

 続いて菊江は、出来上がった煮汁に糯米を浸し、一旦煮汁を冷やす。糯米が煮汁を吸い、赤い色味を付けると言う訳だ。

 その際、煮汁だけを尺ですくって、それを落とす作業を何度も繰り返す。こうして、煮汁を冷ます事により煮汁自体の成分が酸素を取り込んで、より鮮やかな色味が加わるのだ。

「さぁ、後は蒸し上げるだけじゃねぇ!」

 菊江は、櫻子の入学式である今日と言う日の為に、日々節約を続け、赤飯に必要な小豆と糯米を手に入れていた。

 無論、戦時下で物資不足のこのご時世、お金を出しても通常では中々手に入らない代物だ。

 では、どうやって菊江は小豆と糯米を手に入れたのだろうか?

 そう、入手先は闇市である。

 闇市とは、非合法で取引を行う店の寄り合い、いわゆる無許可で商いを営む店が軒を並べる商店街の事を言う。

 当時、物品の価格は『価格等統制令』により国から一定の基準で定めるように管理されていた。

 だが、極度の物資不足の為、国の手の届かないところでは闇市が横行する有り様だった。

 闇市では、公の価格の何倍もの値で取引が行われ、品物によっては百倍近い値が付けられている場合もあった。

 しかも、闇市で購入した事が警察に露見すれば、購入した物品は警察に没収されてしまう。

 それでも尚、物資や食料の不足を凌ぐ為、国民は闇市を利用せざる得ないのが実状だった。

 勿論、菊江もそうした内の一人と言えよう。

 暗く沈みがちな戦時下、満足に食べる事すらままならないこのご時世だからこそ、娘の入学祝いにはそんな事を省みず、せめて赤飯を炊いて祝って挙げたい、そう菊江は考えた。

 母親として、そう思い描くのは当然であろう。




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