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百合子の青い空  作者: 九里瑛太
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水上特攻

 連合艦隊は、直属となる第一艦隊の編成を解体して以後、独立旗艦である二等巡洋艦『大淀』をその任から解き、横浜日吉台にある慶應義塾大学(日吉キャンパス)の構内に築いていた地下壕へと司令部を移していた。

 その司令部より(きた)るべき沖縄戦指導の為、九州へ出張中の連合艦隊参謀長草鹿龍之介中将の下に通達があった。

 発令されたまま、未だ継続中の『天一号作戦』の概要変更、それを三田尻沖で待機中の第二艦隊へ改めて伝えに行って欲しいとの内容である。

 出張を切り上げ、草鹿中将はさっそく現地へと飛ぶ。

 三田尻に向かう二式大型飛行挺の中、草鹿中将は終始浮かぬ顔で考え込んでいた。

 実は、草鹿中将にはもう一つの仕事があった。第二艦隊司令長官伊藤整一中将の説得である。

「こんな時の参謀長とは、全く損な役回りだな…」

 そうつぶやくと、草鹿中将は窓からのぞく景色を眺めながら、大きな溜め息を一つついてみせる。

 彼を憂鬱な気分にさせたのは、伊藤中将の説得よりも、むしろ変更された作戦の内容にあった。

 草鹿中将が、九州へ出張に出てから程なくして、第二艦隊の水上特攻作戦が連合艦隊司令部で正式に決議されたのだ。

 連合艦隊主席参謀を務める神重徳大佐の立案であり、彼によるゴリ押しに近い形での作戦決定であった。

 草鹿中将は、その作戦を第二艦隊司令部へと伝え、艦隊司令である伊藤中将の説得まで任されたのだ。

 自らの不在時に作戦を決定し、その作戦を伝える役目だけを押し付ける連合艦隊の参謀達に内心、草鹿中将も不満はあった。

「神め、今更、大和を沖縄に向かわせたところで、戦局が打開できるものか!」

 本音ではそう思っていても、軍人である以上、命令は絶対だ。

 しかし、伊藤中将は以前から特攻作戦自体に否定的な立場を取っていた。

 伊藤中将は、元々軍令部勤めの長い軍政家タイプの軍人であり、海軍リベラル派三羽烏と呼ばれた米内光政、山本五十六、井上成美と同じく日米開戦には反対し、今は亡き山本五十六からも信頼されていた人物である。

 駐米武官時代、アメリカとの国力差を知り、彼我兵力の差を痛感していただけに、日米開戦にもずっと反対の姿勢を取り続けていたのだ。

 だからこそ、開戦当初の連勝に酔いしれる上層部に対しても憤慨した事があった。

 無論、理論派の伊藤長官にとって、特攻と言う場当たり的な作戦は生産性の見出だせない、理解し難いものだったに違いない。

 草鹿中将は、そんな伊藤中将の説得を任されたのである。気が重くもなるのも無理はなかろう。

「さて、伊藤さんをどう説き伏せたものか…」

 考え事をしている間に搭乗機が三田尻に到着したらしい。草鹿中将は、二式大艇から用意されていた内火艇へと乗り移る。

 程なくして、内火艇がゆっくりと動き出し、水面に白い波を残しながら第二艦隊司令部が置かれ、艦隊旗艦でもある戦艦大和へと向かって行く。

 大和に到着すると、草鹿中将はそのまま会議室へと案内された。そこには当然、艦隊司令である伊藤中将と第二艦隊の幕僚達の姿があった。

「沖縄戦を控えた大事なこの時期に連合艦隊参謀長直々のご足労とは誠に痛み入ります」

 言葉尻とは違い、伊藤中将の顔付きは厳しいものである。

「連合艦隊司令部より、第二艦隊への新たなる作戦を通達に参りました」

 草鹿中将は、さっそくとばかりに用件を切り出す。

「大和以下第二艦隊は、一路沖縄を目指し、敵艦隊の懐深く突入、沖縄本島に全艦乗り上げた後は固定砲台と化し、砲弾が尽きるまで撃ち続けるべし。その後は、乗員全て陸戦隊となりて敵に突撃するものなり──」

 作戦の概要書を伊藤中将へと手渡し、草鹿中将は今作戦の内容を口頭で伝える。

 とたん、何とも重苦しい空気が作戦室を包み込む。第二艦隊の幕僚達は、それぞれに厳しい表情を浮かべていた。

 その静寂を、打ち消すかのように伊藤中将が口を開く。

「連合艦隊参謀長におうかがいする!今作戦における我が艦隊への航空機の支援、無論、出して頂けるのでしょうな?」

 一瞬、草鹿中将は言葉を失う。まるで、全てを見透かされたような伊藤中将の鋭い質問だった。

 だが、それでも敢えて答えねばならない。草鹿中将は意を決して口を開き始める。

「──誠に残念ながら、その後に行われる特攻作戦がある為、直掩に回せる航空兵力は一機たりともありません!それが、我が帝国海軍の現状なのです…」

 今回の作戦は、陸海軍の総力を結集したものであり、第二艦隊の出撃は、あくまでもその一環にすぎなかった。

 天号作戦や菊水作戦など、様々な作戦が連動し、陸上基地の航空兵力も随時、投入しての大規模な特攻作戦が展開される。護衛の航空機も、特攻隊の直掩に回すだけで手一杯なのだ。

 当然、伊藤中将は、この返答に対して納得などしていない。

「護衛が一機も出せない?航空支援もなく、しかも僅かな艦艇だけで、この作戦が勝算ありと、連合艦隊司令部はお考えなのか!?」

 今や、戦闘の主役は航空兵力へと推移していた。戦艦同士が砲撃を交える時代はとっくに終わりを告げていたのである。

 まして、第二艦隊の艦艇だけで敵の航空機に抗う術などほとんどない。

 そんな状況下で作戦を強行したとしても、成功の確率などないに等しいものだ。

 まさしく、草鹿中将は返す言葉もなく沈黙する。

「私は、この大和だけでも約三千人、第二艦隊全体で七千人もの命を預かっている。その七千人を九死に一生もなく、ただ無駄死させるだけの作戦と分かっていて出撃させる訳には行かない!艦隊を預かる者として、今作戦は到底、承服し兼ねるものである!!」

 確かに、今回の作戦は生還の可能性が全くない、無謀なものだと言えた。

 人の命を蔑ろにした作戦など、到底あってはならない。そうした組織の末路は、もはや破滅の道を辿る以外にはないのだろう。

 しかし、それでも尚、草鹿中将は伊藤中将や第二艦隊の幕僚達を説得しなければならなかった。

「陛下が、軍令部にお尋ねになったそうです。海軍には、もう戦える艦はないのか?と…」

 草鹿中将は、作戦通達の折りに聞き及んでいたと言う天皇と及川古志郎軍令部総長とのやり取りを引き合いに出した。

 一瞬の事だ。凍り付いたようにその場が静まり返った。

 誰もが皆、天皇と聞いて口を噤んでしまう。それ程、この当時の人間は、天皇に対して尊敬の念が強かったのだと言えよう。

 静寂に包まれた会議室、その静けさの中を草鹿中将はさらに続けて行く。

「──陛下のご質問に対し、及川軍令部総長は『海軍の全力を投じて作戦を行う』と、返答されたそうです」

 海軍上層部たる軍令部、その軍令部総長を務める及川大将の意向とは言え、第二艦隊に対し死地に赴けと言わなければならない。

 草鹿中将も、今回の作戦があまりにも無茶で無謀なものだと重々承知の上である。だが、それでも尚、軍人としての立場から、心を鬼にして作戦を伝えねばならないのだ。

「──大和以下、第二艦隊には一億総特攻の先駆けとなって頂きたい!」

 後年、草鹿中将は、この時の事を人生で一番つらい瞬間だったと述懐している。

 再び、静寂が支配した。長く、長く重苦しい沈黙だけがそこにあった。一体、どれだけの時が流れたのだろうか。

 今にも押し潰されそうな重い沈黙を、まるで吹き飛ばすかのように伊藤中将が言い放つ。

「我々は、死に場所を得た!これこそ、男子の本懐である!!」

 身震いするような言葉だった。この一言により、第二艦隊の幕僚達は皆、覚悟を決めた。


 出撃は、翌四月六日の一六〇〇と決まった──




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