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百合子の青い空  作者: 九里瑛太
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激戦の予感

 夜が明けた六時半、戦艦大和は後部格納庫に唯一搭載されていた艦載機、零式水上偵察機を本土へ向け帰還させる。

 呉五式二号射出機から射出され飛び立った零式水偵は、最後の別れを惜しむかのように大和上空を二度、三度と旋回した後、本土へ向けて飛び去った。


 豊後水道をさらに進み、第二艦隊は大隅海峡へと差し掛かる。海峡を抜けたその先は、いよいよ広大な太平洋が、そして沖縄へと続く東シナ海が待っている。

 外洋を目前にして、ここで第三一戦隊の花月、榧、槇の駆逐艦三隻は呉へと帰投して行く。無理を押してここまで随伴して来たのだが、とうとう積載燃料の限界に達したようだ。

 三隻は、大和との別れを惜しみつつ回頭し呉へと戻って行く。


 豊後水道を抜け、大隅半島を通過した第二艦隊は対空警戒の為に大和を中心とした半径千五百メートルの輪形陣を敷き、速力二十ノットで佐世保への偽装進路を西に執った。

 間もなくして、十機程の零式艦上戦闘機が現れ第二艦隊の直上を飛び始めた。艦隊上空を悠々と飛び交う零戦の小編隊、どうやら艦隊の警護を引き受けてくれるらしい。

 鹿屋に出向中の第五航空艦隊司令長官、宇垣纏中将の配慮であった。

 宇垣中将は、連合艦隊参謀長、第一戦隊司令長官と歴任し、大和新造時から最も馴染みの深い人物の一人でもある。今回の護衛も、宇垣中将の独断によるものだ。

 大和への思い入れが人一倍強い彼だけに、せめてもの思いがそうさせずにはいられなかったに違いない。

 それからしばらくの間、零戦の小編隊が代わる代わる交代で第二艦隊の直掩に就いた。僅かばかりとは言え、何とも心強い味方機の護衛である。

 大和の乗組員は勿論の事、第二艦隊全艦艇の各員もその小編隊に勇気付けられる思いであった。

 皆、それぞれに思い思いの気持ちを込め、上空の編隊に手を振り返した。


 だが、ここで予期せぬ事態が生じる。

 午前七時、護衛の第二一駆逐隊旗艦である駆逐艦朝霜の機関部にトラブルが発生した。台湾での待機中に、爆撃を受けて以来、機関部が時折不調を来していた。

 おそらく、それがトラブルの原因であろう。朝霜は、みるみる内に速力が低下し、僅か一二ノットの速度を保つのが限界となってしまった。

 それでも、何とか懸命に艦隊に随行するべく、朝霜は航行を続けるが、速力の差は歴然である。輪形陣の輪から次第に遅れ始め、艦隊から引き離されて行く。

 その後、八時四○分に大和の対空電探が哨戒中のF6Fヘルキャット七機を感知するが、目立った戦闘には発展せず、第二艦隊はそのまま航行を続ける。


 一○時を過ぎると、早朝から交代で艦隊の直掩に付いてくれていた零戦の小編隊が、その後に行われる特攻作戦の為に鹿屋基地へと引き返して行った。

 ここから先は、航空機の護衛や支援もない状況下で、第二艦隊は沖縄を目指す事になる。

 零戦の直掩がなくなってしばらく経った頃、まるでそのタイミングを見計らったかのように敵マーチン飛行艇が二機、後方の雲間から突如として姿を現した。

 大和は、即座に対空砲弾である三式焼散弾を後部第三主砲へと装填し、攻撃体勢を整える。

 後部射撃指揮所の上部に装備されている十メートル測距儀が、マーチン飛行艇との相対距離と方位の測定を開始し、主砲塔が旋回すると、砲身の仰角が上がり敵へと狙いを定めた。

 一瞬の間を置いて、空気を揺るがすような発射音と共に、大和の第三主砲塔から四十六サンチ砲三門が火を吹いた。

 撃ち出された砲弾、三式焼散弾は、風を切って目にも止まらぬ速さでマーチン飛行艇目掛けまっしぐらに飛んで行く。

 次の瞬間、けたたましい程の轟音が鳴り響き、空の彼方に無数の爆煙が広がる。時限式の信管により、砲弾が炸裂したのだ。

 ところがである。敵機は、それをあらかじめ予測して、三式焼散弾の爆発圏外へと逃れていた。

 敵は知っていたのだ。日本軍の対空砲弾は、時限式で一定の時間と距離で炸裂する事を──

 仕掛けさえ知れてしまえば、回避する事など造作もない。マーチン飛行艇は、こちらの攻撃を嘲笑(あざわら)うかのように悠々と飛び去って行った。

 次いで、昨夜から第二艦隊を追尾していた敵潜水艦の発信電文を大和の電探室が傍受した。

 沖縄周辺の敵本隊へ送信されたらしく、その内容は驚くべき事に暗号など一切使われてはおらず、全て平文での送信であった。

 こちらは十隻の小艦隊、かたや敵は空母や戦艦など、小型艦艇も合わせると何百隻もの一大艦隊である。

 彼我兵力の差が歴然とは言え、あまりにも舐められたものだ。

 だが、これでこちら側の行動が昨夜から筒抜けである事は明白となった。

 伊藤中将は、もはやこれ以上の偽装行動は無駄と判断し、佐世保への偽装進路を捨て沖縄への転進を第二艦隊の全艦艇に命じた。

 大和以下、九隻の艦艇は速やかに南に転進し、速度を二五ノットへと上げて一路、沖縄を目指し舵を取った。


 一一時、ここまで何とか航行を続けていた駆逐艦朝霜は、遂に艦隊から完全に落伍した形となり、遥か遠くに置き去りとなってしまう。

「やむを得ん…」

 伊藤中将は、厳しい顔付きでそうつぶいた。

 朝霜の無事を祈りつつ、第二艦隊は予定の航路をそのまま突き進んで行く。

 時を同じくして、大和の対空電探が再び敵機を捉える。

 今度は、沖縄周辺の敵機動部隊より発艦した艦載機らしく、多数の機影が確認できた。第二艦隊司令部に緊迫した空気が流れる。

 艦長の有賀大佐は、防空指揮所へと上がり、大和の戦闘指揮を執る事にした。

「これより、防空指揮所に上がります」

「うむ、大和をよろしく頼む」

 有賀大佐は、伊藤中将と敬礼を交わし、そのまま防空指揮所へと上がった。

 防空指揮所に上がると、有賀大佐は来るべき敵機の襲来に備え、さっそく対空戦闘用意の指示を出す。

 艦長の指示により、各員は速やかに各々の戦闘配置へと就く。

 梅太郎達が担当する左舷二番機銃座でも、機銃座を旋回させる右座席に小島二兵曹が、仰角を決める左座席に大石二兵曹が、そして松本一水、佐竹一水、香川一水、三人の少年兵達は弾倉装填の為に機銃の後ろで待機し、各人それぞれの持ち場に就いた。


 一二時一○分、機関の故障が原因で、艦隊から脱落してしまった朝霜より「ワレ敵機ト交戦中」との連絡が入る。

 艦内の緊張は一気に高まりをみせ、今まさに極限状態に達するところまで来ていた。

 すると、そんな張り詰めた緊張感の中、有賀大佐は胸元からおもむろに煙草を取り出し火を点けて燻らせ始めた。

「艦長、こんな時にまで煙草でありますか?」

 艦長付きの将校の一人が、苦笑まじりに有賀大佐へと尋ねた。

「俺は、大の煙草好きだ!これが俺流の戦闘体勢さ!!」

 そう言って、ニヤリと不敵に笑いながら有賀大佐は煙草を燻らせ続け将校を見やった。

 彼の剛胆さは、艦内でも知らぬ者はいない。今まで数々の戦場にあって、その豪勇ぶりを轟かせて来た男である。

 その勇ましさが、部下達に勇気を与え続けて来たのだ。


 それから間もなく、主計科から大和の全乗組員に急いで弁当の握り飯が配給された。戦闘前に配られる最後の食事と言う訳だ。

 もしかすると、これが人生最期の食事になるのかも知れない。そう考えると、緊張のあまり飯が喉を通らない者もいた。

「お前ら、どうした?」

 梅太郎の機銃座でも、松本、佐竹、香川ら三人の少年兵達が、握り飯を食べられずに、うつむいたままであった。

「お前ら、ゆっくりと深呼吸をしてみろ」

 梅太郎に言われるまま、三人は何度か深呼吸を繰り返す。

 呼吸を整える内、どうにか気持ちも落ち着きを取り戻す。

「どうじゃ、少しは落ち着いたじゃろうが?今の内しっかり飯を食うて置かんと、肝心な時に力が出んぞ」

「はい!!」

 少年兵達は、ようやく弁当の握り飯を頬張り始めた。


 その後、一二時二一分に敵機と交戦中の朝霜から「九十度方向ヨリ敵機三十数機探知ス」の連絡が入った。

 だが、朝霜はその連絡を最後に音信不通となり、そのまま消息が途絶えてしまう。その知らせを聞き、有賀大佐が檄を飛ばす。

「対空監視を厳にせよ!!」

 対空監視員達は、その檄を受けさらに集中する。きっと、もう間もなく敵の大編隊はこの第二艦隊にも襲い掛かって来るだろう。

 敵の発見が遅れないように、対空監視員達は監視用の双眼鏡で遥か遠方まで警戒して行く。


 ──と、その時である。前方より小型艦艇三隻による小規模の艦隊が、こちらへ向かってやって来るのが見えた。

 すでに、大和の電探でも確認済みだったその艦隊は、輸送艦第一四六号、駆潜艇四九号、第一七号駆潜艇の三隻で編成された大島輸送隊である。

 奄美大島への強行輸送任務を成功させ、今は本土への帰還の途中にあった。

 大島輸送隊から激励の電文を受け取ると、大和は「有り難ウ、ワレ期待ニ応エントス」と返礼し、双方の艦隊は互いに健闘を称え合って別れた。

 同時刻、第二艦隊は佐世保への帰還途中であった海防艦屋代とも擦れ違う。


 四隻に見送られる形で、第二艦隊は尚も大海原を進み、敵機の襲来に備えるのだった──




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