狼は獲物を罠に掛ける
何が来ても平気という方と察しがよくて大丈夫だという方だけどうぞ。
「好きなんだ、お前のこと」
愛の告白、というにはあまりにもフラットな様子で言い渡された言葉のやりどころを決めかねて、私は困ってしまった。
大学に入ってから出会ったその男、敦賀大和は一言で表現するなら「おおらか」という言葉がもっとも似合うだろう。年相応以上に落ち着きを持ち、緊急事態にも慌てず対処できるスキルを持ち、尚且つ人を安心させる言葉と笑顔を持った男。
「お前はまだ俺のことそんなに好きじゃないだろ? だから、先に告白だけしとくけど、好きになりそうもなかったらいつでも振ってくれ」
「はあ」
相手の好意を否定するという新しすぎる告白の仕方に私は戸惑いを隠せないまま頷く。
「俺のこと好きになった場合も、いつでも言ってくれな」
花が咲いたみたいに笑うのはいつも通りの敦賀くんで、今告白をしたとは思えないほど平坦で普通だった。彼は本当に私が好きなのだろうか、なんて思ってしまうくらい。
「あ、でも、忘れたって返事はナシだから」
困ったみたいな顔をしてその実、目は真剣だ。答えはちゃんと言えと。冗談で流したりするのは許されそうになかった。
私が敦賀くんのことをどう思っているか、それは簡単だ。
とてもいい人、だと思ってる。
それは友人や女性誌いわく恋愛から最も遠い相手だという。そういうものなのだろうか。生まれてこの方彼氏などいた事のない私には少しわかりにくい。嫌いな人とは付き合おうと思わないだろうに。世の中には嫌いから始まる恋愛もあることなど知らない私はひとり首を傾げていた。
とはいえ確かに恋愛対象として敦賀くんのことを意識したことはなかった。いつも親切で誰にでも優しい彼。ともすれば貧乏くじを引きがちな苦労性でもある。そんなところを見かける度に、いい人だな、手伝えることあるかな、と思うくらいには好意はあるのだ。恋かはともかくとして。
告白を受けてから数日。彼を観察してわかったことはやっぱりとてもいい人だということと、彼の周りには人がよく集まるということ。明らかに強面のヤンキーみたいな人たちから、お年寄りに元気なキッズたち、それから可愛い女の子たち。彼は面倒見が良くて世話焼きな上に爽やかイケメンだから、そうなる理由もわかるものだ。私のようにどこにでもいるような女に粉をかけるなんて普通に変だと思った。
「よりどりみどりなのにどうして?」
主語のない私の質問に、目をぱちくりとさせた敦賀くんはやっぱり爽やかに笑う。
「誰の何をすきになるかは、俺の自由だろ?」
その通りですね。ぐうの音も出ないほどの正論だ。だからこそその上で何故選ばれたのか気になる。そんな顔をしていたのだろう私に苦笑する敦賀くんは「答えをくれたら教えてもいい」と悪戯な顔で笑う。
「まだ、見つかってない」
私は自分が少しずるいなと思いつつも答えた。彼を好きになれそうにないこともない。それが今の正直な気持ちである。好きか嫌いか、ではなく、恋かは興味かは、まだわからない。
「どうしてこうなった?」
恋とはなんぞやと友人に尋ねたところ、なんやかんやで合コンというものに参加する流れになってしまった。告白の返事を待たせている身の上でそんなこと出来ないと言ったのだが、キープしている間はフリーという横暴に勝てなかった。実際少しだけ好奇心もあった。世に聞く合コンとやらに。
友人いわく「当たり」の合コンらしいが、よくわからない。顔のイケメンさとかは誰を見ても同じに感じる。ひとつわかるとするならみんなどことなく場慣れしていて、こういったことが初めてなのは私くらいなようだった。
「君かわいーね!」
なんとテンプレな、そんなつまらない感想を抱きながらカシオレを飲む。甘いカクテルは美味しいけど、お腹いっぱいになるな、と思いトイレに抜けると伝えると相手の男性はひどく残念そうな声を上げた。うーんリップサービスまであるとは。さすがと言うべきか否か。
「あれ、こんなとこで会うなんて」
トイレを済ませ出てみれば目の前には驚いた顔の敦賀くん。ちょっと気まずい思いをしながら、キープをしている悪い女の私はニヤリと笑ってみた。
「敦賀くんも合コン?」
墓穴だった。
「も、ってそっちは合コンなの?」
「えへへ……誘われて、つい」
一方的に気まずさが増した空気の中、彼はからっと笑う。
「そっか、俺はゼミの飲み会なんだ。もう帰るの?」
「いやまだ、かな?」
なにせ初参戦なもので勝手がわからない。もう帰りたい気もするが、帰っていいものなんだろうか。
そんなことを考えていると敦賀くんがふと眉根を下げて申し訳なさそうに切り出した。
「あー俺、このあとやりたい課題あってさ、ちょっと抜ける言い訳になってくれない?」
渡りに船とはこのことか、とびっくりしつつも頷く。
「ちょうど私も帰ろうかと思ってたところなの」
合コンの空気はわかった。あそこで恋人を探すつもりはないのでこれ以上いても仕方ないだろう。お金だけ置いて先にお暇させてもらおう。
という旨を伝えようしたら敦賀くんがさらっと私の手を取って「じゃ、そういうことで」と一体、何が何だかわからない言葉を残しその場を後にした。
「あ、私、お金払ってない……」
店を出て十分ほどして気がついた。
「大丈夫だろ、ああいうのってだいたい男が出すもんだから」
そうなんだろうか。結局最後まで合コンの勝手がわからないままだ。とりあえず、後日友人に返すとして、今日はもう諦めよう。今更あの場に戻るのは流石に空気が読めていない。
「そういうこと知ってるってことは敦賀くんも合コンするんだね」
「え? ああ、俺? うーん幹事の仲介みたいなことはするけど合コンはしたことないな」
「おや、意外。お誘い多そうなのに」
人望も人脈も、しこたまあるイケメンに合コンの誘いがないなんて嘘だ。十回や二十回じゃすまないくらい経験があっても違和感がない。ちょっと面白くはないけど。
「……んー、そういうとこなんだよなぁ」
「え? 何か言った?」
「いーや、何も? てか忘れちゃったかな。俺、本命いるんだけど」
本命……あ、ああ。あーそっか。そうですよね。本命がいますよねって、それ私じゃないですか?
「わかってくれた?」
「……はい、おそらく」
「それ間違ってないからよーく覚えといてな」
それは笑った彼は夜には不釣り合いなほど爽やかなものだった。
「ごめんね、資料集め手伝ってもらって」
友人の都合が合わず困っているとタイミングよく現れた敦賀くんが声をかけてくれた。それにありがたく乗ると私は彼に重たい本をいくつか持ってもらうことにした。
「いーよ。気にすんな」
いつも通り、優しく親切な敦賀くんは嫌な顔ひとつしない。大学付属の図書館を出て缶コーヒーをお礼に渡す。
「ブラックでよかったよね?」
「お? おお。サンキュ」
「安いお礼でごめんね」
「全然。お礼目当てじゃないしな。むしろごちそーさんです」
「でも、ほんと困ってたから助かった。ありがとう」
「いいえ。どういたしまして」
敦賀くんはひまわりみたいにニコッと笑うと私の頭をぽんぽん撫でる。うーんお兄ちゃんみたい。私お兄ちゃんいないけど。
あ、手のひらおっきい。男の人ってこんな感じなんだなー。
なんとなくほのぼのとした気持ちになっていると敦賀くんは少し困った顔をしている。
「どうしたの?」
「うーん、いや。なんでもない。……まだ、ね」
「そう?」
よくわからなかったけど、それ以上教えてくれそうになかったので私は大人しく諦めた。まだってことはいつか教えてくれるかもしれないしね。
恋かはやっぱりまだわからないけど、最近なんだか敦賀くんの顔を見るだけで嬉しくなる。向こうも見つけてくれて声をかけてくれると幸せになれる。仲良くなり始めたからだろうか。友達が増えるのはいいことだ。
ちょっと浮かれ気分で歩いていたのがよくなかった。
私はドンっと黒い影にぶつかった。
「ああん? なんだテメーは」
いかにもな男性にぶつかってしまった。あわわわ、やばい。ここのところいいことが多かったからその反動かもしれない。財布のひとつやふたつで済めばまだいいけど……。
「なにシカトこいてんだ、舐めてんのかコラ」
ひぇええ、思考を働かせている間に相手の機嫌が悪くなっている。こっちは平和に人生送ってきたものだから怖くて口も頭も回ってないんだ勘弁して。
ガタガタ震えている私の胸倉を掴もうと男の大きな手が伸びてくる。ピンチになると視界がスローモーションなるというのは本当らしい。もはや一環の終わり、とぎゅっと目をつぶった。まぶたの裏には今一番会いたい人が映る。
「そこまでにしとけよ」
なんて都合のいい幻聴なんだろう。たった今会いたいと思った人の声がする。私は恐る恐る目を開いた。
そこにはいつになく真剣な、いやあれは怒っている? まさか、あの敦賀くんが?
いやいやまさかな。と思いながら不良の手を掴んでいる敦賀くんを見た。本物だ。間違いなく本物の彼だ。幻覚でも勘違いでもない。
「敦賀くんだぁー」
安心感から思わず私の口からはそんな情けない嗚咽が漏れていた。
私のあまりの情けなさに毒気を抜かれたのか、それとも敦賀くんが怖かったからなのか、たぶん前者だろうけど男はスタコラサッサといなくなった。
「大丈夫か?」
「う゛ん……」
だんだん溢れてきた涙のせいでダミ声になっている。そんな物語のヒロインというには残念すぎる私をゆっくりと抱きしめる敦賀くん。
「びっくりした。怪我とかしてない?」
「う゛ん……」
「怖かったな、もう大丈夫だから」
「う゛ん……」
「よしよし」
「う゛ん……」
ダミ声で鳴くだけの機械と化した私を辛抱強く慰めてくれる敦賀くんにはちょっと申し訳ないけど、彼の服からする柔軟剤かなにかの匂いにすごくほっとしたのだった。
「落ち着きました。色々ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」
彼のいい匂いがしたシャツは私の涙が染み込んで台無しになってしまった。かくなる上は土下座も厭わない所存であります。
そんなことを早口で言えば敦賀くんは苦笑して「気にしなくていいから、無事でよかった」と笑う。その笑顔に私はもう一度ほっとして、送ってくれるという彼の好意に甘えることにした。
それから一週間が過ぎた。敦賀くんは相変わらず人気者だ。どこへなりともひっきりなしに声が掛かる。羨ましい限りだ。誰って、そりゃ。
「よ、久しぶり」
私が教室に入ると会話を中断して敦賀くんが声を掛けてくれた。それだけ特別扱いされているみたいで嬉しい。
「うん、久しぶり」
一週間なんて久しぶりの範囲に入らないだろうし、喋っていないだけでお互い姿は何度か見ているはずなのになんだろう。そわそわしてしまう。
「大和、今日こそ付き合ってくれるんでしょ?」
「あ……、あー」
敦賀くんの隣にいたとても同い年には見えないグラマラスな美人さんが何かのお誘いをしている。あれ、チクッと棘が刺さったみたいになんか痛い。
私は敦賀くんの返事が聞きたくなくて慌ててそのそばを離れた。彼がなんて返事をしようが私には関係ないのに。
なのに。
──彼の隣は私のもの、なんて。
独占欲。
あー、そっか。そうなんだ。私、嫉妬してるんだ。
グラマラスで美人な彼女に。ちっぽけでモブみたいな私が。
「話ってなに?」
敦賀くんを大学の隅に呼び出して私は緊張で震える手を握りしめた。
「答えが、出ました」
「……そっか」
すー、はー、と少し大げさに深呼吸して私は言葉を吐き出す。
「好きです!」
それから、一テンポ空いて、彼が私を抱きしめて言う。
「…………俺も」
ゼロ距離で感じる彼の心音は私に負けないくらい早くなっていて、その音を聞きながら私はこの幸せを噛み締めた。
「もう、離さないからな」
──こうして、罠に掛かった獲物は狼においしく食べられましたとさ。
すべては彼の手のひらの上。