さざなみ
──戦いなんて、おこがましい。
なにひとつ、彼に敵うものはない。
それでも、鷲尾のまなざしは、歌えと言っている。
今持てる力のぜんぶで、おまえはおまえに今歌える歌を、歌えと──
現状を、言い訳になんてせずに。
まだ、一歩踏み出しただけの場所で、止まっていてどうする、と。
恐ろしいほどの力で、手を引かれている気がした。
引きずられていく……
声が、溢れ出る。
感情とともに。
負けたくない。
今のままで、いたくない。
もっと上手くなりたい。
もっといい歌が歌えるボーカルになりたい。
誰かの心を、奪えるくらいに。
誰かの胸に、留まるくらいに。
もっと、もっと、もっと────
誰かに、必要とされるボーカルに……なるために!
「後奏!」
すぐそばで聞こえた声に、はっとした。
とっさにマイクを鷲尾に押しつけ、キーボードの元に駆け戻る。
間一髪で、玲のギターソロの後を引き継ぐことができた。
ピアノパートを弾く手は、勝手に動く。
こうも、易々と。
弾くことを選べば、楽だったのに。
なぜだか……歌月は、歌うことを選んでしまった。
手を止めて、鷲尾を見る。
高みで、不敵に笑う男──
くやしかった。
でも、下りてきてはくれない男だから、憧れたにちがいない。
憧れる価値のある、先輩だ。
くやしいけれど。
空手をしている彼はどうだか知らないが、歌っている彼は、まちがいなく、かっこいい。
歯が立たないのさえ、うれしいほど、憧れる。
鷲尾が、来い、と手招いている。
そういえばマイクを持たせたままだったと、歌月はあわてて受け取りに行く。
その手をがっしと掴まれ、掲げられた。
わけがわからなかった。
鷲尾が観客に向かって頭を下げるのを見て、アリーナ席で起きていることに気がついた。
見渡す限り、さざなみのように揺れている。
それは、頭上での拍手だ。
アリーナの観客ははじめからスタンディングだが、ただの拍手には見えない、まさにスタンディングオベーションだった。
指笛までも聞こえる。
歌月は、鷲尾の顔を見上げた。
挙げられたままの腕を、離してもらえない。
その拍手に応えるべきは自分ひとりではないと言われていることに、歌月はさらに二拍おいて、気がついた。
あわてて、観客に一礼をする。
鷲尾の歌だけでなく、演奏全体に対する拍手なら、リーダーである歌月が謝意を返すのは当然のことだ──
そう自分に言い聞かせなければ、頭を上げることができなかったかもしれない。
手を離してくれた鷲尾が、マイクを差し出してくる。
「さ、次だ」
「ハイ」
応じた歌月を、鷲尾が凝視した。
なぜかはわからない。
が、無言のまま、右肩をぎゅっと掴まれる。




