惚れた弱み
「おい、花子。あれはセクハラじゃねーのか」
「あれに下心があるっての?」
「ねーな。ていうか、俺にもない! あってたまるか」
わめいた玲の後頭部を、ボカ、と徹が殴った。
未だに、歌月は彼と自分の頭を撫でてくれたひとが兄弟だということが、いちばん信じられない。
次に信じられないのは、やさしい譲とあの鷲尾が親友らしい、ということだが。
「浦部先輩」
「ん? 俺?」
「先輩って、鷲尾先輩とお友だちなんですよね?」
「あらためて、お友だちって言われると……何だけど。まあ、一応ね」
「あのひとって、何で、ああなんですか?」
「言ってやれ、歌子」
「ああ、って──」
苦笑してから、ぽり、と譲が頭を掻く。
「そんなにも、あのひとアニソンが好きなんですか?」
「え! いや、アニソン好きは鴻池だから。鷲尾はメタラーだよ。こう、ヘドバンとかして聞くようなやつ。ロニーなんちゃらディオは神、とか言ってるよ。玲はリッチーなんちゃらは買ってるだろ。レインボーとかやれそうなのにな、おまえら」
「なんちゃら、ばっかじゃねーか。そんで、コピーなんかやるかっつーんだ」
「これも、こうだし。あいつばっかりじゃないんだけどね」
譲が玲を見ながら肩をすくめてみせた。
「アニソンにこだわってるわけじゃないなら、あのひと、いったい何にこだわってるんですか」
「え。ええっと…………惚れた弱み、ってやつ──かな?」
歯切れ悪く言って、譲がちら、と慶といる蒼太の方に視線をやる。
歌月は、ぎょっとした。
「は? それってまさか、部長のこと?」
「だから俺が言ってんだろ、ホモヤロウって」
「事実なら、単なる差別じゃないですか。やめたげましょうよ」
「いや、事実かはわかんない。けど、他にどうも説明しようがないというか」
声を落とした譲が、人差し指を口の前に立てる。
確証はないのだろう。
が、それが理由だとすれば、あれほど都が嫌悪しているのも、納得できないではない。
歌月はそっ、と都を盗み見た。
例えば都が鷲尾を好きだったのだとしたら、これだけの美貌の持ち主よりも男を選ぶだなんて、さぞかし腹も立つだろう。
しかし──都は、兄のことが好きだったのではないのか。
歌月は、内心で首をひねった。
「何でもいいわ、放っときなさい。それよりもあなた、頭に本でも載せて歌ってみたら?」
「え、本を?」
歌月は、手にした空手の本を見た。
「下腹に重心があるとぐらぐらしないの。空手だってそうでしょ。きっと声も安定するわ」
「……なるほど」
試しに、歌月は本を頭に載せてみる。
ゆっくりと息を吸い、あー、と言い始めたとたん、ぐらりと本が傾くのがわかった。
むっ、むずかしい!
「録音までに、せいぜいガンバレ」
励ましてくれているとは到底おもえない玲のことばを、歌月は床に落とした本を拾いながら聞いた。
『レインボー』とは?
HR/HMを代表するギタリストな御大リッチー・ブラックモアのバンド、ですね。ボーカル、ロニー・ジェイムス・ディオは神、とは私でも知ってるくらいよく知られた称賛です。ちっこい体から、ものすげーボーカルが出てくるのに驚いたおぼえが。すみません、私、コージーのドラムにつられて聞いたクチで…。




