『ベース』交渉
スマホに保存してきたデモ音源を、アンプに挿したヘッドホンで聞き終えた都は、伏せていた長いまつげをパッと持ちあげた。
ごく、と歌月は息をのむ。
美少女の視線に緊張するのは、なにも男だけではないらしい。
都が、ゆっくりとヘッドホンを外す。
「いいわよ」
ほんのり微笑を浮かべた顔は、いつにもまして美しかった。
歌月は、手汗のにじんだ両手をぎゅっと握る。
「ほ、ほんとですか?」
「リズムキープじゃなく、こーんなベースライン振ってくるなんて、さすが太陽先輩の妹。おもしろいわ──やってやろうじゃないの」
「あっ、ありがとうございます!」
椅子に座る都の前で頭を下げたら、でもさ、とつぶやきが聞こえた。
「……は、イ?」
「これってすこしくらい、いじってもいいの? カンペキ、このまま? まあ、悪くないとはおもうんだけど」
「──もっと、かっこよくなりますか?」
ははっ、と都が笑う。
おもわず周囲を見回せば、理科室の入口近くで、すでに来ていた蒼太があぜんとこちらを見ていた。
無理もない。
歌月だって、都が笑うところなど初めて見たのだから。
「あの?」
「そこなのね。わかった、ぜったいに、太陽先輩よりかっこいいベースを弾いてみせる」
「……お兄ちゃんより?」
「できないっておもってる?」
「いえ──お兄ちゃんが相手だと、火がつくのかーとおもって」
「そうよ。憧れだし、目標だし、認めさせたい相手だもの。あなたは?」
「私?」
「太陽先輩と戦って勝ちたいんでしょう? それで、何を認めさせたいの?」
「…………!」
戦いたいのは、勝ちたいおもいがあるからなのかもしれない。
けれど、何を認めさせたいのか──?
そんなものがあるのかどうかさえ、歌月は考えたこともなかった。
でも、ドクドクし出した心臓は、「ある」と言っているようにしかおもえない。
「ま、いいわ。でもね……このギターパートってあの俺様小早川に弾かせる気でしょ?」
「な──なにか、問題が?」
と、恐る恐る問えば、変な顔をされた。
「大有りじゃない? ふたつ返事で引き受けるとおもってるの? それとも、色仕掛けでもやってみる気かしら。私はそこまでしないわよ」
真顔で、色仕掛けがどうとか──
聞いている歌月の方が、恥ずかしくなってしまう。
あわてて、ぶんぶんと首を振った。
「しませんよっ! というか、私がやってもバカにされるのがオチです」
「そうかしら。やってみたら? あ──ダメだわ、今のなし。そんなこと言ったって知れたら、太陽先輩に怒られちゃう」
ひらひらと白い手が振られる。
この女性らしい手でベースをプレイしているなんて、いまいち信じられない。
都は、スカートから伸びた美脚を組み替えた。
こういうのを、世間では色仕掛けとか呼ぶんではないのだろうか、と歌月はおもう。




