課題料理と極上の食材
ともかく今は、『Quartetto』のアレンジを考えなければ、とおもう。
しかし、あまりにもちがうふたつの『サマータイム』を、じっくり聴き比べたい気もあった。
理論は知っていても、基本は楽譜どおりを求められるクラシックピアノで育った歌月には、ふたつの楽曲の差異はかなりふしぎだ。
ただ、百人に訊けば九十八人くらいはジャニス版の方がかっこいいと言うだろう。
好き嫌いは別れても、アイデアへの評価はおおむね変わらないはず。
その差は、要はアレンジ力の差だ。
これからの『六区バトル』は、楽曲をよりかっこよく聞かせるアイデア勝負になる、と言っても過言ではない。
もちろん演奏力もものを言うが、少々難があってもアレンジが見事で個性が響けば心を捕らえるのだと、あのジャニス版が証明していた。
歌詞にメロディがついただけの楽曲は、どう料理するかできっといかようにも変わってくる。
気分は、課題料理を告げられたコンテスト前のコックに似ているかもしれない。
極上の食材に、目処はついている。
けれど、自分にそれを提供してもらえないことには、なにも始まらなかった。
そのためには、まず、どんな料理を作ろうとしているのか、極上の食材を使うに値すると、納得してもらう必要がある。
イメージは、すでにできていた。
メロディの美しさを生かしつつ、彼らにしかできない演奏を、引き出すアレンジ──
例えば、玲の突き抜けるようなギターソロ。
踊るような、都のベース。
そして、迫力のある鷲尾のボーカル。
その三つが、戦い、絡んで、ときに寄り添い合う、そんなパートを持った楽曲に仕立て上げられたらとおもう。
考えるだに、ゾクゾクした。
そんな演奏は歌月にはできないけれど、使いこなせたらどんなにか誇らしく、きもちいいだろうか。
みてろ!
──そう言いたい。
自分にか、『六区』住人にか、兄にか、それとも蒼太にかは、わからない。
でも、きっと、かっこいいと言わせてみせる────そう、おもう。
兄たちのバンドを見ておもったように。
玲のギターを聞いておもったように。
鷲尾の歌を聞いておもったように。
今日、玲からおそわった楽曲を聞いておもったように。
「かっこいい」と言わせてこそロックだ、と歌月はおもう。
いくら楽しくても、すごくても、かっこよくなければ、それはロックではないだろう。
かっこいい音楽を生み出すシステムのことを、きっと“ロックバンド”と呼ぶのにちがいない。
ひとりではできないものも、バンドなら生み出せる。
想像した以上のものさえ、生み出せるはず──
歌月はキーボードの前から立ち上がると、パソコンに歩み寄り、画面上のプレイヤーを操作した。
曲を戻して、兄いわくのゾンビーズ版『サマータイム』を、改めて再生する。
ノートのページをくってシャーペンを当てはしたものの、歌月は目を閉じて、曲に聞き入ることを選んだ。
たしかに、歌詞やメロディはジャニス版と、おなじではある。
三拍子のリズムも、おなじ。
テンポもほぼおなじくらいだろうか。
しかし、尺は倍と、すばらしくちがう楽曲──
これが、アレンジの可能性だ、そうおもうとワクワクした。
その夜、歌月はキーボードとパソコンの前を行ったり来たりして過ごし、最後はリビングのソファに倒れ込んだ。
睡眠時間は、たったの一時間半。
それでも、音を重ねたデモを引っ提げて登校する足取りは、いつもよりずっと軽く感じた。




