「軽音部、楽しいって言ったじゃない」
「もう、軽音部なんてやめる!」
夜の十一時をすぎてようやく帰宅した兄に、玄関口でそう告げたら、ぽん、と頭を撫でられた。
「そういうことは、楽器のひとつも練習して、挫折してから言えっての」
ずっしりとけっこうな重さのギグバッグを歌月の膝に乗せてスニーカーの紐をほどく兄を、じっとりとにらみ上げる。
「鍵盤、弾けるもん」
「それがおまえのやりたかったことなのか?」
「──わかんない」
「自分のやりたいこともわかんねーやつ、誰だって仲間にしようがねーだろ」
「やりたいことがあったって、四人も五人も集まれば、どうせ揉めておもいどおりにはいかないんでしょ」
「がーがー揉めてやり合うのもバンド活動の一部じゃねーか。誰だって、自分の望みを抱えて本気でやってんだぜ?」
ひょい、とギグバッグを持ちあげた兄がリビングに向かうのを、歌月はあわてて追いかけた。
「そんなの嘘。ギターやりたいって言ってたやつが、バンドに入れてもらうために、かんたんにベースに持ち替えたりするじゃない」
「じゃあ、そいつのやりたいのはギターじゃなく、バンドでの演奏だったんだろ」
リビングの入口で、歌月はおもわず足を止めた。
ソファにギグバッグを置いた兄が、けげんそうに振り返る。
「歌月?」
「──だって」
歩み寄って来た兄のTシャツを、むんずと掴んだ。
「軽音部、楽しいって言ったじゃない。三年のひとたち、みんないいやつだよって。嘘ばっかり!」
「は? 一年をいじめるようなやつ、いないとおもうけどな」
「いっ、いじめられてはないよ。ないけど……」
「俺が三年のときの一年、四人ともいるんだろ? イケメン鷲尾は幽霊部員だったけど、他は毎日部活来てたし、まじめに練習してたぞ」
イケメンというなら兄もそれほど負けてはいないとおもうが、身長だけは二十センチほど負けている。
歌月の視線に気づいた兄は、眉を寄せた。
「え、おい? まさか、鷲尾に告ってふられたからやめる、とか言ってんじゃねーよな?」
「こっ、告ってなんかない! 第一、好きじゃないし! あんなっ、ア──」
アニオタホモヤロウ、と口走りそうになって、歌月はあわてて飲み込んだ。
「だよなー。おまえ、ギターのやつの話しかしねーし」
「ちっ、ちがっ! 玲先輩としか、関わりがないってだけ。でも、あのひとも、下らない雑用させようとするだけなんだもん」
「ふうん? 歌月は、そいつといっしょにやりたいわけか?」
おもいがけない問いに、歌月は息を呑んだ。
まさか、とおもったが、口をついて出たことばは別だった。
「ぜったい、ムリ──」
「無理かどうかなんて訊いてないだろ。やりたいのかって、訊いてるんだ」
「だって……あのひとたち、プロめざしてて」
「歌月。プロをめざしてる者同士だけがいっしょにやるんじゃねーよ。いっしょにやりたいから、どこまでもついて行くってやつもいる」
「……いっしょに、やりたいから?」
「やりたいのか?」
歌月は首を振った。
どこまでも玲について行く、なんて断崖絶壁の岩山登山に向かうよりおっかない。
しかも、彼は命綱をにぎって引っ張って行ってくれるどころか、仲間が転落したことにも気づかないタイプだ。




