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CODEシリーズ

ASTRAL CODE

作者: ひすいゆめ

この話は全ての生ける人形シリーズの今までの秘密が解明される話です。

過去に何があって悪魔の人形が出来て、何故、それに対抗できる力を持つ者が生まれたか。

さらに、新たな戦いが始まろうとしています。

               プロローグ ~隠された歴史~

 時は中世初期の頃。シルクロードを東に向かう馬車があった。乗っているのは中国人の商人の()()(しょう)と日本の僧の我神真佳(あがみしんか)、そして、イギリスの歴史の影に隠れた職、ウェールズ出身の宮廷人形師、アラン・スチュワートであった。 

 彼らはエジプトからローマ帝国軍により、発掘されて行方不明になっていたある石版を探していた。それにはヒエログリフ(聖刻文字)と言われる、古代エジプトの代表的な象形文字が描かれた碑文が載っている。内容は魔術についてと言われているが、定かではなかった。キリスト教には異教徒のそれを何故、ローマ軍は発見して密かに隠してしまったのかは、誰も知ることはなかった。

 ロゼッタストーンが発見されたのは、ナポレオン軍の遠征の時である。アレキサンドリア近郊のロゼッタ村で兵士が城塞修築中に泥の中より発見した。1794年のことである。デモスティック文字、ギリシャ文字とともに描かれたヒエログリフはその文字の対比により、シャンオリオンによって解読されることになった。つまり、その碑文により、ヒエログリフの解明に大きな役割を果たしたのだ。

 つまり、李維将達の時代には、そのヒエログリフが解読されることはないはずである。しかし、その魔術について記述されている、という話がすでに発生していることは不可思議なことであった。

 彼らがそれを求める理由はそれぞれ別に持っていた。李は叔父がある隠れ里で見たという話を信じて、それを見てみたいという好奇心から、我神はその石碑がある伝説の村には寺院があり、そこにはありがたい大乗仏教の古い経典が収められているという噂から、そして、スチュワートは、その石碑の魔術によって、自分の創造する人形達に魂を入れたいという欲求から、それぞれが石碑を求めて旅立った。

 元々、魔術の原点は古代エジプトの魔術書が由来していると言われている。それの派生が、その碑文であるのかもしれない。ただ、それは魔術というよりは、シャーマン信仰に近いものがあった。その碑文はエジプトの神官により神の声を記したと言われている。

 どちらにしても、これら碑文の逸話は伝説の村で唱えられているもので、その真偽はまさに神のみぞ知るのである。

 ローマ帝国軍の密偵部隊がこの現在の中国の西の果ての山奥、名もなき村にその価値も未知の碑文を隠した経緯は、どの文献にも残されていない。全ては運命に操られた者達の行動としか言いようがなかった。


 その事実は本来ならば、そのまま表に出ることもないはずであった。それが李の叔父の偶然の目撃により、『伝説の村』・『伝説の寺院』・『伝説の石碑』の情報が漏れることになる。

 しかし、彼がその山脈の中に隠されている伝説の村に辿り着いたのには、いくつもの偶然と遭難、騎馬盗賊の襲撃からの逃避の連続からであり、奇跡的に帰還したときにはその道を覚えているはずもなかった。その話を甥にした彼は、すぐに謎の死を遂げた。

 李維将はその叔父の話を信じて、そこへ向かうことを決意する。それは好奇心だけでは済まされないのかもしれない。運命に導かれたと言うべきではないか。―――そう、メビウスの帯のような歪められた運命に。

 そして、その過酷な旅に向かうために仲間を募ることにしたのだった。


 「で、その隠れ里の名前は何ていうんだ?」

 アランがふと、そう維将に尋ねた。馬車はシルクロードからゆっくり北に向かい始めてしばらくたっていた。やけに馬車の中が揺れた。

 「叔父は『(ごう)(せつ)』と言っていたよ。何でも、夏王朝よりも前に文化を育んでいたところで、黄河文明でもインダス文明でもチグリス・ユーフラテス文明とも違った独自の文明の派生だと言われているらしい。そこは心穏やかで優しい者しか住んでいなく、桃源郷のモデルと言われるほどのユートピアだそうだ。仏教などの外の文明が徐々に入り込んできたのは、ここ数百年前からだそうだ」

 「どういう字なんだ?『号雪』って」

 アランが変化球の質問を続ける。それに真面目に維将は答えようとしたが、そこを真佳が割って入った。

 「記号の号に雪だ」

 「記号、CODEに雪、SNOWか。イングリッシュではさしずめ、SNOWCODEと言ったところかな?」

 アランのその言葉が後に大きな意味を生み出すことになることは、この時は誰も想像もしていなかった。


 彼らが何故、出会い、共にその号雪に向かうことになったのか、偶然の積み重ねであった。アランは魔術を求めてグレートブリテン島より大陸に渡り、イタリアのフィレンツェに辿り着き、情報収集をしているところに、ローマ帝国密偵部隊の子孫と言われる風変わりな老人に出会った。

 彼は見事な彫刻のある噴水の縁に腰を下ろして空をぼんやり眺めていた。その隣に座りアランはじっくり彼の横顔を眺めた。彼は視線を前方に向けたまま穏やかに言葉を綴った。

 「君は不思議な風をまとっているね。気に入った」

 そして、アランの顔を確認した。アランは慎重に言葉を選んで重い口を開いた。

 「貴方はここで何をしているのですか?」

 彼は微笑んだだけで、その質問には答えなかった。

 「イギリス人だね。いい話をしてあげよう。私の先祖はローマ帝国の密偵部隊の中でも特殊な任務についていたんだ。そして、そのときにエジプトで発見された石版を本国に持って帰った。それは魔術書だということは何故だか分かった当時の地区参謀は、それを上に報告せずに秘密裏にある場所に運ばせた。人が全く足を踏み入れることのできない、通称、黄泉の谷に」

 アランは何故かその話に惹きつけられていった。

 「何故、命を懸けてそんなことを」

 彼は噴水に手を浸しながら囁く。

 「その内容を彼が理解(・・)できた(・・・)からさ」

 「理解できた?未だ、解明されていない古代エジプト文字を?」

 「そうだ。勿論、解読できた訳ではないが。それは言葉とともに『ある力』が刻まれていたと、先祖は 言っていた。その言葉には『CODE(コード)』という不思議な力が込められていて、その力を理解することで読みこなすことができるそうだ」

 CODE。その言葉を耳にしてアランは全身に衝撃が走った。

 「その内容は奇妙なものだったんだ。エジプトの神官の中に神の声を聞くことができるものがいた。その言葉を石版に書き写したと始めに記されていた。次に、メビウスという運命を司る(ロー)混沌(カオス)の両極に属する上界の存在が、それの意思を行動に移す使徒の魂を使って世界を大きく変える、という話に入る。そして、そのメビウスの力を借りる魔術が数多く並び始めるらしい」

 それから、その石版が運ばれたところにいた原住民にそれを託してローマ軍の兵士達は来た道を戻っていったということである。彼らがそこに石版を運ばせたのも、その碑文に石版をその場所に運ぶべし、と記されていたからであった。それから、その村にメビウス信仰が根付いたそうだ。

 彼の話でてくる魔術、それは正しくアランが追い求めていたものであった。その村を求めて彼はシルクロードを目指した。そこで、馬車で仲間を探す維将に出会ったのであった。そこで、得意の眼力で人となりを探っていて、アランの姿に何か感じるものがあった。

 2人はお互いに歩み寄り何気ない会話から2人とも伝説の村を探していることが分かった。しかも、同じ目的地らしきことも何となく理解できた。

 そして、シルクロードから北上始めた頃に、3人目の仲間、真佳に出会うことになった。彼はインドに向かい様々な仏教の教えを学んだ後、釈迦の弟子の1人が素晴らしい経典、釈迦が彼にしか説かなかった言葉が詰まっているものを抱いて北に向かったことを、ある文献から偶然知ることができた。

そのありかを求めて北を目指していた真佳は、何もない、人が足を踏み入れることのない荒野で馬車を見つけた。乗っていた駿馬を活かしてそれに近付き食料を分けてもらう傍ら、話をしている内に真佳が2人の心を開いて伝説の村の話を聞きだして、一緒に向かうことになった。

 その村に仏教をもたらした人物がその人が真佳が求める経典を持っていた人物のようであった。3人の目的地は一致した訳だ。


 彼らは長い期間を掛けてまるで導かれるように迷いもせずに山脈に入り、その村に辿り着いた。そこは正しく美しい自然溢れる桃源郷であった。アランは馬車から降りると近くの花を摘んでそれを眺めた。嗅いだことのない芳しい香りを鼻にしながら、それを思い切り谷底に放り投げた。

 「何をしているんだ?花なんか投げて」

 「ただの(あだ)(ばな)、自分への手向けさ。そして(・・・)、人類(・・)の(・)」

 それが何を意図しているのかは維将も真佳も理解することはできなかった。

 その秘境に馬車を持ち込むことができたのは、崖崩れで道が開かれたからである。その道も草むらになっていて一見して分からない。

 村を囲んでいる山の中腹には巨大な寺院がそびえていた。

 その寺院を建てたのは、ゴーダマ・シッタールダ、つまり、釈迦牟仁の愛弟子の1人と言われている人物である。それを目にして真佳はアラン達と一先ず別れてその寺院に向かった。

 一方、アラン達は石版を求めてある建物を目指した。メビウス信仰の寺院、あるいは教会といった場所だ。それはこの村の中心に位置していて、浅い堀に囲まれていた。そこへ届く橋の前には緑の1枚布の服を着た青年が見張っている。彼らが操る中国語がここでも通じるか不安であったが、仏教が伝来している今、その望みに賭けることにした。

 維将が彼に近付き言葉を試しに投げかけた。

 「ここに入ることはできるかい?」

 すると、青年は冷たい眼差しをもって沈黙で答える。

 「どうやら、通じてはいるらしい」

 アランは後ろから維将を退けて前に出ると、青年に言った。

 「運命の使徒、メビウスの信仰に興味がある」

 すると、彼の目の色が変った。そして、言葉を放つことはないまま彼らを教会に案内した。そこは椅子が 一切なく、ござが一面に敷き詰められていた。その奥にはロープで隔離されて、アラン達のお目当ての石版が壁に立て掛けられていた。

 何とその碑文の石碑は10枚にもおよんでいた。しかも、驚くべきことに『文語の英文』で訳された同じような石碑が20枚その横に平積みされていた。

 それだけ確認すると、アランは維将に目配せしてその場を引き返した。


 その英訳された石碑を馬車に積んだアランは深夜3時頃に村を出発した。維将はその英文の石碑を眺めて荒い息をそのままに言葉を発した。

 「何故、英訳までされているんだ?当時は『イングリッシュ』は存在していたのか。ラテン語、ギリシャ語ならまだしも、英文とは。これはOパーツだ」

 「そして、ミッシングリングでもある。どうやって、このヒエログリフから英文が訳されたか」

 アランがそう付け加えると、

 「それは村から盗んだのだな?」

 「仕方ないさ。俺にはこれらが必要なんだ。魔術を研究して夢を叶えるために。それに原文の方は置いてきているから、村に大した被害はないさ」

 「公用語が中国語だからか?まぁ、いい。今更、だからな。それより、真佳を残してきたことは気になる」

 「あいつはこういう行為が嫌いだ。悪行を否定するタイプの人間だ。連れて来ようとしても、拒否しただろう」

 馬車がやがてシルクロードに辿り着く頃には、2人は身近な町の宿で安らかな眠りについた。


 真佳は翌日、仲間のけして許されざる悪行に攻められて、石の牢屋に幽閉されていた。それでも、彼は何も弁解せずに昨日、網膜に焼け付けた経典を復唱していた。その姿に心動かされた少女がいた。捕らわれの身の者の世話係、(しゅう)(げっ)()である。彼女はその後、毎日真佳と話をしていた。彼の純真さ、誠実さは目に見えて感じることができた。

 そして、ある満月の夜。眠りに沈む真佳の前に姿を現れた。真佳は目を覚まして壁に向かいながらやっと聞こえる声を出した。

 「どうしました?」

 「何故、貴方はこの状況を打破しようとしないの?貴方はこんなところに捕らわれているべきお方じゃないわ」

 「日本に仏教の教えの秘伝を伝えるのが我が使命。人々に幸福をもたらすためなら、この命を費やしても構わない。いつまでも、ここにいるつもりはない。しかし、私と一緒に来た者の悪行のせいでこの集落の民に多大な損失を与えたことも真実。その責任を果たすことも我が使命である」

 「もう、貴方はその誠実さで責務を果たしたの。私についてきて」

 彼女は象牙の飾りの付いた牢の鍵を回すとカチリと微妙な音が響いた。真佳は迷ったが、2週間もの囚人としての生活が彼の罪を拭ったのか疑問を感じながら、その少女の後についていった。

 すると、外には威圧的な青年団が彼らの行く手を塞いだ。そして、一族の長老がその人ごみを掻き分けて姿を現した。

 「私達も貴方の誠実さ、日本の僧であり、高貴な号雪の仏教の経典を求めた志は十分理解しているつもりです。しかし、掟を破る訳にはいきません。貴方は一生この村で暮らすのです。その代わり、経典の教えを別の者に日本へ伝えることを許します」

 そして、その村の1番勇敢な若者、教会の管理者の息子の(りゅう)(えん)により書典を日本に持ち帰らせることになった。彼はやがて、見事に日本に渡ることに成功して、真佳に聞いていた彼の家族に会い、その伝言を伝えることになった。

 彼が2度と日本の地に足を踏み入れることができないこと、経典を日本に伝えることを長々と話し、その志に感銘を受けた彼の妻はその彼の言動に納得するしかなかった。

 その教えは彼の寺院の総本山に伝えられ、彼の言動も同時に伝えられることになった。今も、その彼のもたらした経典の教えがその宗派に息づいているかは定かではない。

 結局、劉延が号雪にも、中国大陸にも帰ることはなかった。真佳の娘と結婚してその『号雪の血』を日本に広めていった。


 号雪にメビウス信仰が広まった当初、CODEを理解する人間も数人ほど現れることになる。しかし、長老率いる昔の伝統を重んじる人々は、古来よりのこの一族独自の地元信仰を守る者達によってそれは禁じられることになる。

 CODEという特殊な能力は人間に不幸しかもたらさないという意見は、彼らが持っている独特の感性によって本能的に感知されることになる。

 そう、どの文明にも属さない彼らは、昔から不思議な能力を持っていた。それは、血により後世まで受け継がれた『号雪の血』と呼ばれる力で、土地信仰と密接に関係していた。

 その詳細は割愛することにする。

 CODEに危機感を持った一族はそれでもメビウス信仰を許してきた。どの宗教にも珍しい、他宗教の存在に理解を示すという性質を持っていたからである。

 その均衡が崩れ始めたのは、CODEを理解した者の中にその『号雪の血』の力をCODEと融合させることに成功し、CODEという特殊能力と『号雪の血』という性質の相反する特殊能力が融合した能力、『星屑のCODE』、アストラルコードと呼ばれる力を身に付けた者達が、そのCODE、メビウスの本来の性質を石版から読み取ることに成功したからだ。

 …CODEは、メビウスは人間を滅亡させる意図を抱いている。

 彼らは、アストラルコードを手に入れた者の誕生により、メビウス信仰を禁止して古来よりの信仰、仏教がメインとなった。そして、原文の石版は歴史的に重要な資料であるにも拘らず、細かく砕かれて地中深くに葬られた。


 しかし、これだけ特殊能力を持つ民族がいるのに、それが話題になったり、外に影響を及ぼさなかったのか。それは大した力を発揮することができなかったからだ。だから、彼らもちょっとした人間の忘れた本能の感覚の能力を残していた、としか思っていなかったのだ。

 それは真実ではなかった。それは民族の精神的な性質が大きな原因であったのだ。CODE、『号雪の血』の力は精神的に心の闇を持っている、閉鎖的な島国の持つ、そして、独特の性質を持つ、日本人特有のそれが必要であった。

 つまり、その能力は日本人としての性格的性質を持っていることが必要なのであった。

 日本に渡った劉延の子孫は『号雪の血』を受け継いだ、日本人としての性質を持った、完全なアストラルコードを使用できる人間が誕生した。それでも、それを理解し、しかも、行使できる者がいない以上、存在しないも同じであった。ましては、自分の血に特殊能力が使える、全く性質の異なる文明の血が流れていることなど、想像すらすることはできないだろう。

 ―――あの、メビウスの使者、魂の破壊者が現れて人類との戦いが激化するまでは。


 石版を持ち帰ったアランは後に魔術を研究して、人形に魂を召喚させる術を完成させて、2冊の書籍にまとめた。

 題名は魂の破壊者の意味を持つ、『SOUL BREAKER』と記述した。彼はすでにCODEを理解して、その人形に宿る魂がメビウスの使者、ということを知っていたのかもしれない。それで、この題名を付けただろう。その書籍は代々スチュワート家に伝わっていくことになる。ちなみに、それは天使の書と悪魔の書が記されていた。悪魔の書とは完全な魂、人間を全て葬ろうとする存在。天使とは、その召喚の手順をいくつか抜いて偶然できた不完全な魂。邪悪な心を持つ人間だけを葬り、哀れな、特に心が弱く病んだ人間を救おうとする存在。どちらにしても、回りの人間に不幸しかもたらすことができないのだが。

 その後、石版の行方は幸運にもスチュワート家の末裔、魂の破壊者に危機感と敵対視する存在、マーク・スチュワートの手に渡っていた。それは日本に持ち込まれて、研究された後に日本海の底に沈むことになる。

 敵を倒すためには敵を知る必要がある。その研究を、石版を元に進めたマークは、アストラルコードを持つ人間の存在を知る。純粋な号雪の血、『SNOWCODE』の血を受け継ぐ、つまり、劉延の直系の子孫の能力が必要だということが。

 何千年も前のエジプトの石版にそこまでの未来の予知がすでにされていたのだ。それも、上界のもの、運命を司るもののメビウスの力があったからであろう。


 話を碑文の石版から離すことにしよう。

現代、昭和中期に日本に5人の人物が現れる。1人は前述のマーク・スチュワート。若き大学の助教授の彼が来日したのは、当初は日本の大学で講師の傍ら研究を行なうためであった。後に、CODEやメビウス、スチュワート家のことを知り、魂の破壊者と対決するために知識を集め、研究を始めることになる。

彼は直にSNOWCODEの血を受け継ぐ者の存在を突き止めて、その末裔の息子達に力と知恵を貸すことになる。


 次に、エドワード・スチュワート。すでに中年だった彼は、日本で結婚して、初めて先祖の書籍によりに悪魔の人形を製作してしまう。これはラックドールという何でも願いを叶える人形として世間に大ヒットするが、持つ人間が必ず1週間で死ぬという事実から、後に呪いの噂が流れ始める。

 それはやがて、細波(さざなみ)相馬(そうま)という青年の手により殲滅される。その魂の破壊者、メビウスの使者の誕生をファーストコンタクトと後に関係者から呼ばれることになる。当時は誰もCODE、という言葉やメビウスの存在さえも知られることはなかった。

 エドワードはその後、妻を失い子供も失い老いて東北のある屋敷で一人暮らしをしていた。そこで、屋根裏に幽閉していた埃をかぶった人形達を開放する。これがセカンドコンタクトである。今度の主役は2人の若者、()(がみ)(しずく)(えんじゅ)(しゅう)(へい)である。彼らは魂の破壊者の中の重要な存在の1人、エドワードが死んだ息子のために造った花嫁人形、最も彼の思い入れの詰まった蝋人形の(あおい)との出会いから、ソウルブレーカーの存在を知り、悪魔の人形との戦いを決心して始める。同時に彼らは自分が夢の力に打ち勝つ者であることを知り、人形達の精神攻撃に耐えた。

 そして、その青年達により、息子の死を受け入れられないエドワードは、無理矢理現実を見せつけられて、精神的にショックを与えられ、この世を去ることになる。やがて、人形達は彼らによって全て全滅された。

 その戦いの詳細、ファーストコンタクトの魂の破壊者は悪魔の人形なのに対して、セカンドコンタクトの人形はその魔術のある手順を抜いた不完全な存在の天使の人形ということは割愛する。

 後に、この2人以外にもアランの直系のスチュワート家の人間が、人間達に畏怖の世界をもたらすために訪れることになるのだが、それも話が長くなるので割愛することにする。


 あとの3人は何といずれも号雪の出身者、しかも、我神真佳の子孫達の青年だった。訳はその時の長老の命により、魂の破壊者を殲滅するためであった。長老には人形が作られたこと、それらが周りの日本人の負の精神の影響を受け、覚醒させることを一族の特殊能力から感じ取っていたのだ。きっと、エドワードの来日を感じ取ったのだろう。

 1人は我神奏(あがみそう)。セカンドコンタクトに活躍したCODEに打ち勝つ者の1人、雫の父親である。

もっとも、当時はCODEという言葉を知られていなかったので、『夢の力』、強弱に関わらずアストラルコード、つまり、CODEの精神波をキャンセルする能力者を『夢の力に打ち勝つ者』と呼ばれていた。

 そして、槐邦(かいほう)、後に日本人と結婚して改名し、『えんじゅ』と苗字の呼び名を変えることになる。その息子が奏の息子、雫の親友の修一である。セカンドコンタクトの関係は前述のごとく、である。

 最後に(りゅう)(りょう)、劉延の弟の子孫である。彼は日本で細波(さざなみ)(かえで)と結婚して、ファーストコンタクトの活躍者、1人息子の細波相馬を授かることになる。

 この3人の息子は親からは何も聞いていなかった。それは、来日して10数年経っても何も起こらなかったからである。きっと、長老の思い過ごしだと思い込んでいたのである。

だから、号雪のこともCODEも魂の破壊者も知る由もなかった。つまり、運命が彼らを偶然にも人形達との戦いに導いたのである。そして、殲滅させることもまた、宿命だったのかもしれない。

 

 そして、何度も魂の破壊者が召喚されるが、我神家、槐家、細波家の直系のSNOWCODEの血を受け継ぐ者や、劉延の血を引いた薄いSNOWCODEの血を引き、心の闇を持つために特殊な能力を開花させた者達、そして、数回目の魂の破壊者の戦いの末に現れた、CODEを理解し扱える人間達、彼らが集まり作ったチーム 『CODE』の手により、戦いによって人形達はことごとく殲滅されていった。


 そして、今。新たな戦いが始まろうとしていた。

 メビウスの帯のような歪んだ運命が回り始めようとしていた。


                  ヴィジョン

 自動(オート)人形(マタ)はかつて、イギリスの貴族の間で遊ばれていたからくり人形である。歯車、針金などで巧みに動くそれは主にぜんまいで動いた。その人形に魂を入れて、本物の人間のように動かそうとした魔術師がいた。彼の名前はアラン・スチュワート。イギリスに多く実際に存在していた魔術師の1人の彼は、その魔術に成功することになる。

 

 ロゼッタストーンが現在飾ってある大英博物館でアッシリアの美術を眺めながら、翡翠(ひすい)(かなめ)は様々な歴史の重みを心で味わっていた。

 英国博物館は拝観料が無料で、数多くの重要かつ人を魅了する物を展示していた。彼が夏休みを利用してイギリスに来ていたのは、ある目的があったからである。それは、日本でかつて脅威を示した悪魔の人形の噂を探り、そのルーツがアラン・スチュワートなる人物が発端であることを突き止めたからである。

彼はその内、仏像の前で足を止めた。

 ガンダーラで仏教は初めて仏像が誕生する。彼の目の前のものもそれである。そのインドでは仏教は衰退しヒンズー教が主に信仰の対象なる。その後、仏教はシルクロードを通り中国に伝わり、日本へと伝来することになる。きっと、シルクロードを通り中国の北西の『号雪』に伝わったという事実もそのインドで衰退した仏教の伝来の一部であったのかもしれない。

 その時、背後に気配を感じて振り向いた。そこにはおそらく50代くらいのイギリス人であり、柔らかな表情の中にも何か強い意志のようなものが感じられた。

 「あんたがマーク・スチュワートか?」

 すると、彼はにこやかに頷いて彼の隣に肩を並べた。彼はアランの子孫であり、小さな悪魔の敵でもある。

 「こうやって故郷に帰ってくるとね。アランが何を思っていたかが分かる気がするんだ。あの禍々しい所業がね」

 そして、要の瞳の奥を見通すようにメガネの奥の瞳を意味深に細めた。

 「君が翡翠翔の息子だね。すると、君にもあの(・・)能力(・・)があるのかい?」

 要はあえてその質問に答えることはなかった。歩みを進めると、マークもそれに合わせて歩き出した。

 「君はCODEの首領、悪魔の能力、宇宙の摂理の法則を変化させる力のCODEを使える人間の通称ジンに話は聞いているだろう」

 要は立ち止まり視線を展示物に向けた。

 「何が言いたいんだ?」

 「アランはある仕掛けを魔術書に施していたんだ。天使と悪魔の書の他にある本を用意していたんだ。詳しくは彼の生家で話そう」

 「まだ、残っているのか?」

 「ああ、しかも、彼が作った人形も隠されている」

 そして、わざと深刻そうな表情を見せるが、すぐに表情を崩した。

 「大丈夫、そいつらは魂の破壊者ではないよ。でも、気になることがあるが」

 彼が何を言いたいのか、要は推測もできなかった。しかし、心に引っ掛けることもなく、彼にアランの家に連れていってもらうことにした。

 スコットランド郊外の高台にそれはあった。古い石造りのその屋敷は巨大な門に閉ざされている。その門には白馬とドラゴンの紋章が飾られている。

 その重い鉛の鮮やかな扉をマークが開けると、そこは長い間、誰も足を踏み入れていないように庭の木や草が伸び放題であった。蔦が這う建物に辿り着くと、玄関のドアノブにある錠を外す。

中は埃臭さが漂っている。そのひんやりとした空気は要に畏怖に近い感覚を与えた。

 その時、要の目の前にあるヴィジョンが浮かんだ。エントランスにある老人が目の前の階段から下りてくる。下まで来ると、エントランスの前にある3体の人形を愛しそうに眺めた。1体は天使のような女性の人形。もう1体は道化師の人形。そして、最後は奇妙な化け物。それが作られた意図は依然として不明であった。腕は4本、足は5本、首は普通の大きさが2つにその前、首のところに小さいものが1つ。尻尾が2本長く後ろに伸びている。

 そこで、ヴィジョンが途切れた。彼は1階の廊下の奥に進むマークに声を掛けた。

 「アランが作った魂の破壊者は日本に持ち込まれて、かつて全滅しているはず。何故、ここに彼の作った人形が3体も残っているんだ?」

 すると、立ち止まり窓からの明かりが保つ視界の中で、マークは振り向き瞳を輝かせた。

 「父親譲りのヴィジョンの能力で何かを見たね。3体とまでは言ってないからね。結局、彼は魂の破壊者召喚に成功はしたものの、日本に持ち込まなくては覚醒しない彼らを見て、魔術が失敗したと思い込み諦めてしまったんだ」

 そして、1番奥のドアを開いた。そこには、先ほど要がヴィジョンで見た3体の人形が存在していた。何もない埃漂う仄暗い空間に無表情であらぬ方を眺める彼らは何かを考えているかのようだった。

 「彼らは3つの存在を示しているとスチュワート家に伝わっている。女性は(スノウ)、道化は文字道理、道化師(クラウン)、そして、禍々しい姿のものが、歪帯(メビウス)と呼ばれている。どれも運命(フェイト)を司る者で、上界のものなんだよ」

 「メビウスって、あの?」

 「そう、どうして、メビウスがSNOWCODEの血を受け継ぐ者に追放されても、魂の破壊者が召喚され続けるのか。それは、3体いるからなんだ。メビウスがいた時は、この2体は魂の破壊者の中の最も有力で特別な存在として人形に召喚されていた。それが、メビウスの消去によって表に現れることになるんだ。上界の者にどれだけ、人間が立ち向かえるか」

 「でも、人間はCODEを使えなくなったはずだ」

 「それは、メビウス(・・・・)の(・)CODE(・・・)を使用しているからだ」

 マークはまともな人間の姿の人形に視線を這わせる。

 「この2体のCODEはそれとは違う。新たな力を手にするためには、もっと違った概念を手に入れなければいけないんだ。これは人間にとって至極困難なことだ。もともとCODEを人間が理解し、使用すること自体、不可能なはず。本来、人間には知ることのできない概念だから。1次元の世界に2次元の表現ができないように。文字を打ち込むだけのワープロで、複雑な表計算ができないように」

 「この2体を倒さないといけないのか?」

 「正確には1体だ。スノウは味方だ。魂の破壊者に成り下がっていたときは、我々とともに他の悪魔達を倒してくれたし、優しい心と極度な正義感を持ち合わしている。かつて、彼女は(あおい)と呼ばれることが多かったけど」

 マークはクラウンの人形を眺めながら溜息をついた。

 「どうすればいい?」

 要の質問にマークは黙って背中を向けていた。これから、長く険しい、そして、忌々しい坂道を上がっていかなくてはならないのだ。

 ここに用がないと思った要はそのままマークを放っておいて部屋を後にした。その音を聞きながら、あえてマークは何もせずに瞳を閉じて窓からの光を浴びていた。

 要は廊下を歩きながら屋敷の中を探索することにした。エントランスに戻りすぐ側の部屋を覗く。それは豪華なリビングだった。大きなシャンデリアに奥の暖炉のマントルピースの上のアンティークな置物の数々。テーブルには埃をかぶった銀食器が乱雑に並べてある。

 再びエントランスに出ると次に階段の下の空間に首を突っ込む。そこには扉が存在した。木の板が打ち付けられた開かずの間。それを力任せに引っこ抜くと、扉はゆっくり独りでに口を開いた。

さらにひんやりした黴臭い空気が鼻に付いた。目の前の階段をゆっくり下りていくと、やがて開けた空間が現れた。

 そこは見るからに何の目的の場所か想像が付いた。

 儀式の間。

 悪しき黒魔術の研究の場所。そして、悪魔召喚の場所でもある。携帯電話の光で視界を確保しながら、辺りを見渡した。そこには1体の作りかけの人形が存在していた。これにも運命の使者は召喚されていないようだ。

 石版はメビウスの生み出したもの。すると、クラウンがもし、活動を開始したのだったら、メビウスのそれのように悪魔を召喚させようとしているのだろうか。

 ふと、その部屋の壁に柱時計があり、それが6回の金を鳴らした。

 と、瞬間に要の脳裏にある映像が鮮やかに再生した。

 時計の後ろのスイッチ。その壁の裏の隠し部屋。そこは真っ暗で電気さえない。中央には展示台があり、1冊の金で装飾された牛革張りの古い書籍が乗っている。すると、背後から浮かび上がる不気味な人の顔。それは彼はかつて見たことのない人物であった。

 マークが確か、もう1つの魔術書をアランが用意していたと言っていた。それは、これのことなのだろうか。マークが気付くと部屋の入り口に寄り掛かって、腕を組んで意味ありげに視線を送っている。

 「やっと、見つけたようだね。君はお父さんより、ヴィジョンの能力(ちから)は強力らしい。しかも、同じ受身ながら、自分の知りたいものに沿ったものが見られるという素晴らしいものだ。僕は彼の日記に載っていた隠された第3の本の存在を探していたんだ。こんなところにあったんだね」

 「否、一番怪しいだろう、普通」

 マークを一瞥して要は掛け時計の錘を止めて、時計の針を12時に合わせる。それを人差し指で2本合わせて何回か左回りに回す。すると、時計の掛かった壁が前に少し出て、右にスライドした。どういう仕掛けか分からないが、自動人形のからくりを応用しているのだろうと、要は一人納得してその開いた口に足を踏み入れた。マークもそれに続き、彼の持っていたランタンで中を明るくした。何もない正方形の殺風景な部屋。壁は石垣がむき出しのままになっている。その中央に正直方体の黒い台が設置されていて、魔術書が置いてあった。

 この空間はやけに気持ち悪く違和感を感じずにいられなかった。マークはその本に駆け寄り、すぐに題字を声を出して読んだ。

 「SOUL BREAKER OF CODE」

 それが何を示しているのか、要は分からなかった。マークは部屋に声を響かせながら言葉を連ねた。

 「これはCODEの魂の破壊者。第3の本。完全な『悪魔の書』とも、その手順を抜いた『天使の書』とも違う、CODEの力を最大限に利用した『上界の書』。そう、運命を司る上界の者、上の3体の像のモチーフ達を利用した書だ」

 「まさか、この本は2冊の本とは違い、『魂の破壊者』ではなく『道化師(クラウン)』や『(スノウ)』、そして『(メビウス)』を直接召喚するというものなのか」

 「おそらくね。日記でもそう書かれているが、アランはその本を試してはいない。その子孫の誰の目にも触れてはいない。それさえなければ、大丈夫。脅威はなくなるだろうね」

 「いいや、逆だ。今、異次元にいる道化師が運命をメビウスとは別質のCODEで牛耳っているんだろう?そして、近い将来、人間にマイナスな力を発揮しようと試みている。召喚して俺達の手の届くところに連れ出せば、道化師を倒すこともできて、脅威をなくすこともできる。ただし、その前に道化師を倒す力を持つ者達を集めて、召喚する道化師の前に連れてくる必要があるが」

 …そのとき、要にあるヴィジョンが脳裏に浮かんだ。

 ある青年の姿。彼はクラウンに対抗できる力を持っている。メビウスだけでなく、クラウンのCODEにも対抗できるSNOWCODEの力を持っているのだ。彼から滲み出ている青いオーラは人類に希望を与えるように感じられた。

 マークはその様子を見て呟いた。

 「これから、悲劇が再び起ころうとしている」

 その言葉は要に大きな不安を与えるのに、十分効果を発揮した。


 ()(がみ)(なつめ)は沈む夕日を背に寄せる波を足で遊んでいた。待ち合わせをしているが、誰1人来ない。あの遠い約束は色褪せてしまったのだろうか。彼は諦めて砂浜をとぼとぼと歩き始めた。

 すると、遠くで女性の悲鳴が響いた。と、同時に棗は駆け出していた。防波堤を越えた路地に足を踏み入れると、女性が3人の男性に囲まれていた。

 そこに飛び込むと、背の低い男性を突き飛ばして、女性を庇うように立ちはだかった。

「何なんだよ、そこをどけ」

 リーダーらしき背の高い革ジャンの若者がそうドスの効いた声を上げると、棗は怯むことなく鋭い視線を3人に突き刺した。倒された人は土をはらいながら立ち上がり、バタフライナイフの刃を出して夕日に照らした。

 それを見てもなお、棗は表情を変えることなく睨み続けた。女性は怯え切って、アスファルトに腰を下ろしてしまっている。

 背の低い男性はそれを棗に突き出そうとしたその時、太ったもう1人の男性がそれを制した。

 「どうしたんだよ?こんな奴に舐められていいのか」

 「止めておけ。そいつは本気だ。死ぬことを恐れていない。こういう奴は前に見たことあるけど、厄介なんだよ」

 それを効いてリーダー格の男性がコートを翻して言った。

 「ちっ、行くぞ」

 唾を吐くと、命を賭けるその棗の勇姿を残して彼らは去っていった。それを見届けながら、棗は溜息をついて振り返った。少女はまだショルダーバッグを強く抱きしめたまま震えている。

 「もう、大丈夫だよ」

 「…あ、ありがと」

 やっとのことで声を絞り出した彼女は、立ち上がるのに30分は掛かった。

 「どうして、死ぬかもしれなかったのに助けてくれたの?」

 海沿いの道を送る棗に、少女は恐る恐るしばらく続いた沈黙を破った。

 「人を助けるのに、理由なんて必要なの?」

 その無垢な表情に少女はほっとした。

 棗は高校2年生で、少女は中学2年生であった。名は無雲(なぐも)()(つき)である。美月は彼に道を案内しながら海沿いの道を歩く。しばらくすると、彼女の家が見えてきた。そして、そこから1人の女性が姿を現した。

 「我神君?」

 それは彼の小学生6学年時の同級生、無雲沙耶(さや)()であった。棗は彼女とは小学生以来会ってはいなかったが、当時は親友と言えるほど仲がよかった。2人の胸にその光景が鮮やかに甦りつつあった。

 「そうか、無雲さんの妹さんだったのかぁ」

 それが、彼女との再会であり、最後の出会いでもあった。


 彼女達の家のリビングはかなり広いところであった。ソファに腰を深く埋めた棗は沙耶華と昔話に花を咲かせて、彼の隣の美月はそれを微笑ましく聞いていた。そんなのどかな時間は5時間もゆっくりと流れていった。

 「髪型変えたね。声を聞くまで全然分からなかったよ」

 すると、短い髪を掻き揚げて見せて、沙耶華は自慢げな表情をわざと作った。

 「美人はどんな髪にしても似合うのよ」

 「お前が言うと洒落にならないんだよ」

 そう、彼女も、その妹の美月もあどけなさを残しているが、愛らしい顔立ちをしていた。

 しばらく話をしていたが、外がすっかり暗くなっていたので棗もようやく重い腰を上げた。

 「もう、帰っちゃうの?」

 沙耶華と美月が声を揃えて訴える。それが妙に不自然に思えた棗は、笑顔を作って頷いた。

 「十分、長居したからね。2人とも、外出のときは気をつけてね」

 すると、沙耶華はまるで、何かから救いを求めるように彼の行く手を塞いだ。

 「食事していってよ。私が話に夢中になって遅くまでいさせちゃったんだから。今日は両親は旅行で帰ってこないから、気兼ねしないでいいし。それに、まだ、相談したいこともあるし」

 その表情に尋常じゃないものが含まれていたので、心配になった棗は優しく頷いた。

 「で、食事はどこで取るんだい?ここら辺には、食事取る場所ないだろう」

 「私が作るの」

 すると、棗は少々表情を歪ませて1歩引いた。

 「失礼ねぇ。どうして、そんなリアクションが来るのかなぁ」

 「僕も人並みに恐怖心というものを持っているからね」

 「どういうことよぉ」

 彼女は思い切り、あの頃のように棗の腕を叩いた。しかし、現在ではあの頃よりも体力差があるためか、そんなに痛みを感じなかった棗は少し憂いを覚えた。

 そのやりとりを見て、ころころ笑っていた美月は楽しさと心の違和感の葛藤を必死で抑えようとしていた。

 食事はすぐに完成して、ミートソースのスパゲッティが3つテーブルに並んだ。棗はわざと恐る恐る匂いを嗅いで1本口に運んだ。

 「うん、食べられる」

 「正直に美味しいって言いなさい」

 「自分で言うな」

 そして、その2人のやりとりに羨望の瞳を向けていた美月に気付いた棗は、彼女に微笑んで言葉を向けた。

 「美月さんは料理するの?」

 「お姉ちゃんほどじゃないけど、カレーライスは作れるよ」

 「それって、誰でも作れるじゃない」

 沙耶華が割って入るが、棗はフォローに入る。

 「でも、腕の差は出るよ。包丁を使うし、炒め物もあるし、それなりに立派な料理って言えるさ」

 美月はそれを聞いて頬を赤らめてパスタを頬張った。それを見届けて棗は神妙な面持ちで沙耶華に視線を送った。

 「さっきの話だけど。何があったんだい?」

 すると、フォークを置いて、沙耶華は溜息をついた。

 「我神君って、昔から霊感あったよね」

 すると、美月の表情は強張って、怖いものを見るように棗を一瞥した。彼女はその手の話が苦手らしい。

 「そっちの話かぁ。前にも言ったけど、僕の霊能力は受動的で、五感を感じる時に感じるといったものだよ。それに、コントロールもできないし。でも、力にはなるからさぁ。心配事は僕に全て預けちゃえば」

 「ありがとう。でね、最近、私の周りで変なことばかり起こるの」

 「お姉ちゃん、私にそんなこと言わないじゃない。気持ち悪いなぁ」

 「美月がそういう話を極端に嫌うからでしょ」

 棗は心の中で溜息をついて皿を空にした。

 「それが、小さな人影が窓の外によく見えたり、しかも、2階の窓よ。私の部屋のものが机や棚から落ちたりするし。最初はその程度で気のせいだと思っていたんだけど、エスカレートしていってね。学校で仲のいい友達が行方不明になったり、引き篭もりになったりして5人で集まっていたのに今では孤立しているの。誰に相談しても、そういうオカルトなことは本気にされないで、偶然とか気のせいとか言われて」

 すると、その辛さを痛いほど知っていた棗は同情、共感の眼差しで声を柔らかくして言った。

 「それは大変だったね。もう、心配するな。僕が味方だから君独り悩むことはないよ。でも、それは幽霊じゃない。考えられるのは、1つ。これを信じるかどうかは君達の自由だけど、以前に僕はあるものと戦っていたんだ。殲滅したはずなんだけどね。魂の破壊者という人形に召喚された悪魔。君のように困って僕に相談してきたクラスメートがいてね」

 「よく分からないけど、どうしたらいいの?」

 「ちょっと、待って」

 棗は携帯電話を取り出して、登録してある番号に電話をつなげる。電話の相手は細波和馬であった。彼は棗の言っていた魂の破壊者との戦いの際に、一緒に戦った仲間であった。

 彼はすでにCODEとSNOWCODEの能力、アストラルコードを使いこなし、魂の破壊者とCODEについて知っていた。それは、かつての戦いを父親から聞いていたからである。そして、同じSNOWCODEの血を引く棗を見つけて、ともに悪魔の人形と戦うことにしたのだった。

 棗の手身近な話に和馬は無口な口をさらに無口にした。虚無的な彼でも、この驚愕な真実に動揺せざるを得なかった。

 「どうして、復活したんだ。魔術書は全て焼却したはず。誰が召喚したんだ」

 「それはこれから調べていこう。分からないのが、何故、彼女を狙っているのか。そもそもメビウスの次元の彼方への追放にも拘らず、どうして、悪魔の人形が召喚されるんだろう」

 「それは俺もあれからずっと考えていた。俺達がCODEを使えなくなったからは、メビウスに関することは全て除外されているはず。すると、新たな上界の運命を司る存在が現れたということじゃないか」

 「メビウス以外の上界の存在、か。君の父親がメビウスをSNOWCODEの力で次元の彼方に追放したんだろう。君もそれで第2のメビウスを追放できないのか?」

 「さぁな。どちらにしても、今回の者と対決するために、SNOWCODEの血を受け継ぐ者を終結させる必要がある。俺はそいつらを探すから、お前はそっちの人形を破壊しろ」

 「分かった」

 どうやら、和馬は今回の運命の使者、道化師なのだが、それをメビウス以上に強敵であることを無意識に感じ取っていた。それは彼は1番強力なアストラルコードを抱いているからでもある。

 「とにかく、僕達は人形を見つけ出して倒そう」

 携帯電話をしまった棗は振り返って、沙耶華を安心させるようにそうゆっくり囁いた。

 

 一方、要はマークと分かれて、ヴィジョンで見た救世主、SNOWCODEの血を受け継ぐ者を探しに帰国のために飛行機に乗っていた。謎の男性が彼を追って、同じ機内に潜んでいることも知らずに。



                メランコリー(憂鬱)

 時間は翌日の午前9時を過ぎたくらいだろうか。空港に着いた要は電車に乗り換えて新宿に向かった。新宿はソウルブレイカー達と縁のあるところでもあり、ここが戦いの舞台になったことさえある。

そこで、ストリート系のセレクトショップで、最近、流行っているスニーカーを眺めていた。靴のサイズがcmではないので、首を捻っていると後ろから人影が近付いていた。

 振り返ると、見慣れぬ女性が立っていた。長い髪を揺らしながら、その無表情の顔を大きすぎる帽子のつばが隠している。彼女はそっと彼に話し掛けた。

 「貴方、イギリスで禁断の書の魔術の儀式を行なったわね」

 その言葉に要は目を見開いて絶句した。なおも彼女は言葉を続ける。

 「道化師はすでにこの日本で、人形の中に復活してしまったわ。もう、誰にも止められない」

 「君は?」

 「私は葵。もう1人の運命の使者」

 要は脳裏にあるヴィジョンが再現された。魔術書を置いて要とマークが出た後に、それを盗み見ていた謎の男性がそこに侵入して隠し部屋に入る。そして、魔術書を開いて持ってきた巨大な蝋人形に魔術の儀式を行なって、雪、否、葵を召喚した。

 「君を召喚した男性は誰だ?」

 「それは私も分からない。ただ、私が生み出された理由は分かるわ。道化師を封じるため。彼はメビウスなど比べ物にならないほど、邪悪で強力なの。いかに夢の力に打ち勝つ者達が束になろうとも、彼に叶うはずはないのよ」

 「それは分からない。俺は見たんだ。強大な力と特別なオーラを帯びた人間の姿をな」

 「ヴィジョンの力ね。翡翠(ひすい)(しょう)の息子でしょ。その力はお父さんよりも強力で危険よ」

 「そんなことはどうでもいい」

 すると、また一瞬、頭の中がフラッシュしてある映像が映る。2人の少年が対峙している。2人とも特殊で強力な力を抱いていた。

 「まさか」

 「何か見たのね。そうよ、貴方のしたことは道化師の消去ではなく、人間世界の崩壊なの。召喚してはいけなかったのよ、どんな理由があろうとも」

 「だが、あのままでも、道化師の影響で人間にはカタストロフィへの道しか残されていなかった」

 「少なくともCODEによる見えない運命の力で流される方が、直接、あれに攻撃されるより惨い滅ぼされ方はしなかったわ」

 「俺はどちらも嫌なんだ。例え、1%も可能性がないとしても、黙って緩やかな絶望に甘んじるより、自らを危険で不安定な術を使って前に進みたいんだ」

 「そのために不幸になる人が沢山いるとしても」

 「そんな人を作らないために、俺はここに帰ってきたんだ。俺が犠牲者も出さずに道化師を倒す」

 「所詮、無謀な理想論ね。不可能なことと分かっていても突き進むなんて」

 要は店を後にすると、葵は微笑んでそれを見送った。

 不可能でも可能にする。強い想いと、それに対する方向性の合った最大限の行動。これがあればそれができると要は信じていた。

 しばらくして大通りに出ると、次の行動をどうするか考えた。道化師がどこにいるか。もし、彼ならまず自分を滅ぼす可能性のあるSNOWCODEの血を持つ、アストラルコードを操る救世主達を根絶やしにするだろう。しかし、彼らを探し出すことはできない。彼らはCODEに力をキャンセルしてしまうからだ。

 そこで、要はある店の前で立ち止まった。新宿の西にある古い本屋である。何気なくその中に入る。ドアに付いている時代遅れのベルがにぎやかになった。

 この中では都会の喧騒から切り離されて静寂が空間を包んでいた。客は1人もいなく、奥のカウンターにも店員の姿は見えない。

 その店内は新刊と古本がコーナーに別れて両方売っている。その古本のコーナーに入ると目で背表紙をなぞりながら思案に暮れた。

 SNOWCODEの救世主を誘き出すには、事件を起こしてそれがCODEの力だと知らしめる必要がある。そして、解決するために行動を起こした彼らを1人ずつ倒していく。

 すると、怪事件の起こっているところが怪しい。それも生きた人形が現れたという都市伝説の噂話のまとわりついているような。

 そこで、またヴィジョンが今度派網膜に直接再生した。見渡す限りの海。遠くに小さな島が垣間見える。その近くに民家があり、その家の周りに動く小さな人影。人にしては小さ過ぎる。

 …人形だろうか。動く人形。見つけた。

 要はすぐにその映像がどこなのか記憶を辿る。近くに店はなく、少しはなれたところにバス停が見えた。その停留所の名前は…。

 湘南の半ばの海岸だ。彼が1度絵を描きに行ったことのある場所である。すぐに駅に向かう大通りを人の並に逆らって上がり始めた。


 時は遡り、その前日の夜9時頃。1通り家中を探索した棗と沙耶華、そして美月は結局、蠢く人形を見つけることはできなかった。

 「でも、どうしてお姉ちゃんを狙っているの?その悪魔は」

 美月が息を整えながらそう訊く。リビングに戻りソファに身を委ねながら、棗は首を力なく横に振って見せた。隣の沙耶華は不安を隠しきれないようであった。彼女に人形は直接攻撃はしていない。不安をあおり精神を追い詰めているようだ。

 そう、彼らは精神に強力な影響を及ぼす能力を持っている。それが、精神が弱っていればいるほどさらに効果が上がる。彼女を完全にコントロールするために追い詰めているのだ。

 これは今までの魂の破壊者のやり口とは明らかにことなる。やはり、今までの使者とは違う。メビウスに代わる上界の運命を司る者なのか。そんな、神に近い存在に人間の自分達が叶うのだろうか。

 「私、お風呂の準備してくる」

 力なく立ち上がった沙耶華はリビングから姿を消した。と、同時に急に胸騒ぎを感じた。立ち上がり浴室の方を眺める。少ししても彼女は帰ってこなかった。

 「どうしたの?」

 円らな瞳を彼に向けた美月の表情は、棗の心情を察して青ざめる。真剣な面持ちの棗はそのまま浴室に駆けつけた。しかし、彼女の姿はなく、電気は付けっぱなしで自動湯張りが作動していた。彼はその場に膝を突いて絶望の中に沈み込んでいった。

 しかし、すぐに立ち上がると精神を集中して怪しい雰囲気を感知しながら、家中を探し回った。そして、玄関に彼女の靴がないことに気づき、そこで彼女が外に連れて行かれたことが分かった。精神を操れる彼、道化師なら容易いことだろう。

 外を駆け回るが、それでも沙耶華を見つけ出すことができなかった。

 「女性、1人護ることもできないのか…」

 悔しそうに俯くと拳を握り締めて前面道路の真ん中に立ち尽くした。そこに美月が近寄りがたい雰囲気を感じながらも傍に歩み寄った。

 「お姉ちゃんはやっぱり…」

 彼女も絶望の中で目を潤ませた。その日はとうとう彼女を探し出すことはできなかった。

 リビングの時計の針は11時を示している。落ち込んでいた2人は静寂の中で、ただ刻々と時だけが過ぎていった。沈黙を破り美月は心配そうに口を開いた。

 「お姉ちゃんを好きだったの?」

 「僕を好きになる人はいないさ。ましては、彼女は。だから、僕は人を好きにならないようにしているんだ」

 「そんなことないよ」

 「皆そう言うけど、その言葉は慰めにもならないって。そんなことより、どうしたら、彼女を救い出せるか、だ。例え、居場所が分かっても僕1人では奴に叶わない」

 「何をする気なの?敵討ち?お願い、お姉ちゃんを助け出すだけで、危険なことはしないで倒さなくてもいいじゃない」

 「でもね、僕はあいつを倒さないといけない運命なんだ。否、宿命と言えるかな。あいつがいる限り、彼女はまた狙われる。人間全てにも危険なんだ」

 「それでも、止めて。化け物と戦うなんて無茶よ。死にに行くようなものだよぉ」

美月は鼻に掛かる声で嘆願するが、それでも棗は首を静かに横に振って優しく微笑んで見せた。

 「じゃあ、私もついていく」

 「それは駄目だ。危険過ぎる。大丈夫、命に代えてもお姉ちゃんは救い出すからさ」

 すると、微妙な瞳のまま美月は棗の袖を掴んだ。

 「死んじゃ、駄目だよ…」

 鈍感な棗には、美月の胸の内を理解することができなかった。何故、会ったばかりの自分にこれほど執着するのだろう。普通、姉を助けるためなら、納得するだろう。

 棗は今度はこの家から離れた場所を探そうと、席を立った。

 「どこに行くの?」

 「今度は少し離れたところを探してみるつもりだ」

 「私を置いていかないで」

 そう、心細い彼女を置いていくことはできない。しかも、美月さえ道化師に狙われる可能性がある。それにこの真っ暗な外では効率も悪い。

 「明日、明るくなったら、一緒に探しに行くか。ただし、付いてきていいのは、危険のないところまでだから」

 すると、安心したように美月は頷いた。そこで、電話が鳴った。緊張が2人に走り、美月は棗を半ば引き摺りながら電話台に近寄って受話器をゆっくり耳に当てた。

 それは、彼女の母親からだった。心配になって電話をしたのだ。

 「大丈夫、お姉ちゃんと大人しくしてるから」

 「美月、声が震えているわよ。何かあったの?」

 「寒いからだよ。大丈夫。心配しないで。じゃあ、お土産忘れないでね」

 気丈に元気を装う美月が健気に思えて、棗は彼女の手を袖から振り解くことを諦めた。

 憂鬱な雰囲気の中でソファで不安から逃れるように会話を続けていたが、すくっと立ち上がった棗に美月が弱い声を上げた。

 「どこに行くの?」

 「もう、遅いから、帰ろうかと」

 「1人にしないで」

 その言葉が耳に突いたが、困惑の表情を見せた。

 「いくら君が子供だからって、僕は一応、男性なんだよ」

 「子供じゃないもん。こんなか弱い女の子を置いて帰れるの?薄情者」

 「分かった。それじゃあ、ずっとここで寝ずに番をしているから」

 彼女はやっとにっと微笑んで、そのまま姿を消した。それを見届けて棗は大き過ぎる溜息を漏らした。

 「今日は厄日なのか」

 独り言を呟いてみても仕方がない。持っていたバックパックの中から漫画雑誌を取り出して、足を組んで読み始める。しばらくすると、美月が湯上りのまま、枕を抱えて姿を現す。シャンプーの香りが棗の鼻に付いた。

 「不安で1人じゃ怖いかい?」

 すると、無言のまま、彼女は頷いた。その物憂いな表情は棗の心に引っ掛かった。彼女は棗の隣に座る と、そのまま、うとうとと舟をこぎ始めて彼の肩を枕にして眠ってしまった。それを横目で一瞥して彼は大き過ぎる溜息をさらに落とした。


 人形に召喚された運命の使徒、葵は同じ存在の道化師の存在を感知していた。魂の破壊者達は互いに感知し合うことができた。その主人である上界の者がそれを行なうことは造作もないことであった。

 そして、今、彼らは新宿の西口の先にある建物の2階に対峙していた。そこは、新しくカジュアルショップが開くために改装されている途中である。天井、壁はむき出しで、配線、配管が延びている。

 「貴方なら知っているでしょ?私はどうして召喚されたの?」

 「私が召喚した。その方法ならすでに熟知しているからな。メビウスと同じ存在であるからな」

 「貴方はどうして」

 「イギリスのアラン・スチュワート邸で召喚された。翡翠要に」

 すると、葵は視線を道化師に向ける。その視線は驚愕の色が隠し切れていなかった。

 「翡翠、翡翠翔の息子ね」

 「そして、ここに戻ってきた。この国の人間でしか、容易に操ることはできないからな」

 「翡翠要もそれに気付いてこの国に戻ってきているわよ、きっと」

 「そして、私の居場所を探っている、だろう。多少、力は強いが問題はない」

 暗がりの中、窓からの街灯から漏れる光だけが彼らの視界を保っていた。道化師はその影の中にいるので、葵からは彼の姿は見えない。

 「君の体を見つけるのには少し苦労したよ。前と瓜2つだろう。君にはその美しい姿がよく似合う。…で、その君にやってほしいことがある」

 「そのために召喚したんでしょう。でも、断るわ」

 「まだ、何も言っていないぞ」

 「分かっているわ。可哀相な小さな天使達を沢山生み出すことでしょ」

 「君だけなんだ。魔術なしで魂の破壊者を召喚できるのは」

 「貴方は私を召喚したじゃない。自分でやればいいんじゃない?」

 「君を召喚させることはできる。同じ運命を司る上界の者だから。ところが、ソウルブレイカーは違う。 我々の遣いなんだ。メビウスが人間、アラン・スチュワートに召喚させたことからも分かるように、僕達は召喚できない」

 葵は手を窓に翳した。窓は静かに開き風が勢いよく吹き込んできた。その冷たい空気も彼らの人形の体には感じることができない。

 「私達はそれぞれ役割があるようね。私は誕生と浄化。貴方は破壊。そして、メビウスは混沌(カオス)(ロー)を司っているのよ。運命という大きな器の中のね」

 「それがどうした?」

 「私達は3人で1つなのよ。もともと別々に行動すべきではなかった」

 「私はそう思わない。メビウスが最初に運命を奏でる。それを我々がサポートする。それは均衡が取れてよかった。SNOWCODEの人間が現れるまで」

 嘆くように首を横に振ると葵はその場できびすを返した。

 「いずれ、君は私の力になる」

 それが空間内に木霊したが、葵の耳には届くことはなかった。店の外に出ると、入り口の隣の壁に腕を組んで寄り掛かっていた男性が声を掛けた。

 「あいつは偽者の道化だな」

 そう、影で姿が見えなかったが、上にいたのは本物の道化師ではなかったのだ。本体の人形は今も沙耶華、美月の家の近くにいるのだ。ただ、意思だけをダミーに宿しているだけなのだ。いわば、通信機の役目である。

 初老の男性は葵に近付きサングラスを指で押し上げて、バリトンの効いた声を発する。

 「これからどうする?」

 「私なりに人間殲滅を止める。貴方はジンね。まさか、道化師のCODEも会得することに成功したなんてね。もう、人間の域を超えているわ」

 「それより、SNOWCODEは集まったのか?」

 「彼ら全員の力が必要不可欠ね。それには細波和馬から見つけることが近道ね。あの子、同士を探しているらしいし」

 「何でも知っているな。俺の弟子もメビウスのCODEが使えるから、お前でも感知できるという訳か」

 「どうやら、目的は一致しているようね。ご一緒する?」

 「人形と行動するのはごめんだ」

 「嫌に嫌われたわね」

 ジンは表情を崩しもしないで葵のことを鋭く睨んだ。しかし、葵は怯むことさえしない。

 「とにかく、俺は和馬を追う。CODEですぐに見つけることができるだろう。お前はお前のできることをしろ」

 そのまま月夜に照らされながら、ビルの陰の中に入って姿を消した。

 「相変わらずね」

 それを見届けると、困ったように背後のビルを見上げた。これから、どうするかを考えた。

 「本物の道化師に会おう」

 そう独り言を呟くと彼女も新宿駅に向かって足を進めた。全ての歯車はゆっくりと噛み合わさり回り始める。


 早朝に棗はキッチンからいい香りで目を覚ました。美月は料理をあまりしないはずなのに、朝食を次々とリビングのテーブル、棗の目の前に運んでくることに戦慄を感じた。

 「あら、起きた?」

 「君が作ったの?」

 「よかったら、食べてね」

 彼女の笑顔に断れなくなって、ゆっくり口の中に煮物を放り込んだ。次の瞬間、呻きながらソファにのた打ち回った。それを見て美月は冷や汗を流す。 

 「えへ」

 「えへ、じゃない」

 水を一気に飲み干して息を整えて棗が言った。

 「ごめんなさい。やっぱり慣れないことをするもんじゃないわね」

 「で、どうする?」

 「勿論、棗と一緒に行く」

 「いつから呼び捨てになったんだ?年上に向かってまったく」

 その言葉が冷たく感じられた美月は俯いて口を尖らせた。棗は無言で立ち上がるとリビングの入り口まで来て振り向かずに美月に言い放った。

 「早く支度しろ。置いていくぞ」

 すると、暗くなった美月の顔が明るくなって元気よく頷いて返事をした。

 「はい、待ってて。10分で支度するから」

 玄関を出ると日差しがやけに眩しかった。慌てて出てきた美月に背中を体当たりされて棗は前のめりに倒れそうになる。

 「何やっているんだ?」

 「だって、置いていかれると思ったんだもん」

 「僕は信用ないんだなぁ」

 「そうじゃないけど」

 2人は道路に出ると、次の行動を考えた。そこに1人の男性が姿を現せた。翡翠要である。彼は棗の前に来るとまじまじと何かを確かめるように睨み付けてようやく口を開いた。

 「お前がSNOWCODEの血を引く者だな」

 彼は頷くと要はヴィジョンの通りの人物だと納得して話を始めた。

 イギリスでのアラン・スチュワートの家のこと。道化師の存在、彼の召喚されたこと。そして、SNOWCODEの血を受け継ぐ者を終結させて、道化師を倒すという目的。

 「すると、お姉ちゃんを連れ去ったのも、今まで脅かしていたのもその道化師なのね」

 「いいや、それはおかしい。召喚されたのは一昨日だ。狙っていた奴は別の人形だ。でも、一体そうすると何者なんだ」

 要がそう呟いて考え込んでいると、棗は意識を集中させて人間ではない意識を探った。しかし、やはりアストラルコードではCODEを感じることはできなかった。

 そのとき、要の脳裏にある映像が思考として映し出された。巨大な建物。廃墟のようだ。その建物の3階に人影。大人よりもかなり小さな姿。人形のようだ。ぼやけていた映像がはっきりし始める。それは道化師の人形である。惨い笑顔を見せながら、仄暗い空間を見詰める。その先には女性の姿がある。それが彼らの言っている誘拐された沙耶華なのだろう。

 しかし、理由が分からない。考えられるとしたら…。

 SNOWCODE。その運命の血を引く者が彼女なのだろうか。すると、妹の美月も同じことになる。沙耶華だけを狙う理由にはならないし、生かしておいていることも不明である。

 次にシーンが一瞬にして変る。場所は喫茶店。落ち着いた店内に疎らな客。その中に大きすぎる帽子に白のワンピースといった冬になりたてのこの時期には寒い格好の女性が奥のボックス席に佇んでいる。そう、葵である。彼女はある1点に視線を集めている。その先には道化師のいた建物がある。

 そう、彼女であれば同類の道化師を探ることができるのだ。

 ヴィジョンが終わると、彼はヴィジョンについて話し始めた。

 「すると、君はそのヴィジョンの能力があるんだね。で、その葵という人形、その人形も道化師と同じ運命の上界の者ということだけど、それが道化師の居場所を感知できると」

 「そうだ。そして、あいつは今、この近くの喫茶店にいる。この近くの駅付近に確かあの喫茶店があったはず」

 「それを道化師は承知の可能性もあるだろう。相手も君を知っている可能性もある訳だし。罠ということも考えられない?」

 「例え、どうであっても行くしかないだろう。奴を倒すにはお前の力が必要だ」

 「言われなくても分かっている。行くけど、もっと慎重になるべきだ」

 要は鋭い視線を放つが頷いて、車を美月の家の前に付けた。それは古いスポーツカーで、要の父親から譲ってもらったものである。

 「それでは行こうか」

 その車は2人を乗せると父親譲りのドライブセンスで、耳障りな音を立ててドリフトをして車体を半回転させて、けたたましいエンジン音を響かせて走り出した。


 レトリックな言葉ですら消え失せてしまうくらいの邪気に満ちた雰囲気の漂う空間で道化師は身代わりの人形を呼び寄せていた。その人形は、道化師が召喚される前から沙耶華を狙っていた人形、そして、新宿で葵と話をしていた人形である。沙耶華が今頃になってさらわれたのは、その人形が本体の召喚を待っていたからである。

 それは道化師の操り人形。完全な魂の破壊者とも違う道化師のもう1つの仮初めの体。それが本体召喚前からすでに覚醒していたのには、ある人間の仕業が関係していた。

 その名は北条(ほうじょう)(えん)。この世に魂の破壊者を復活させたエドワード・スチュワートの妻の甥、北条陸(りく)の1人息子であり、エドワードの魔術の継承者でもある。もともと魔術書の内容を陸が叔父から聞いていたのだが、それを頭の中で思い出しながらノートにメモをしていた。それを円が彼の死後に見つけ出して、その通りに人形を作ったのだ。

 そして、完成したのが偽の道化師である。どうして、道化師の分身が完成してしまったのか。陸の記憶違いから魔術の手順が通常と違ったものになってしまったのだ。

 道化師は召喚前よりその人形を使って行動を起こせた訳である。その円も今は道化師の精神的影響により廃人と化してしまっている。

 暗い建物の中で道化師はその椅子に座りぼうっと虚空を見詰める円を眺めながら想いを巡らせた。

 自分達は人形を通してしか、この世に存在しえない。しかし、存在したところで人間に悪影響を及ぼすことしかできない。それは運命であるからでもある。

 彼らがそうであるのだから、その遣いの魂の破壊者達も同様なのは仕方ない事実である。どんなに人間のために行動しようと人間に対し、不幸しか運んでくることしかできない。

 人間の価値観では、けして存在してはならない存在。

存在しているだけで人を不幸にしかできない哀れな存在。

そして、不完全な人間に対して完全な存在。

 道化師の脳裏には人間絶滅の計画は完成していた。そのためにはSNOWCODEの血を絶つ必要がある。そのためにこうやって人間を捉えてある。

 沙耶華。

 彼女も完全に全てのCODEを理解して扱えるのだ。しかも、完全なアストラルコードを使える。そう、彼女もSNOWCODEの血を引いているのだ。美月にはそれがない。そう、彼女は子供ができないと医師に判断されたために養子として向かい入れられたのだ。その後、美月が運命に反して両親から生まれた。

 彼女は槐邦の血を引いているのだ。

その事実を知るものは彼女達の周りには両親以外いない。否、能力により薄々沙耶華は気付いているようであったが。

 そして、その血は同じ仲間を引き付ける力を持っている。過去の魂の破壊者と人間との戦いでも、彼らは自然に集まり戦っていた。誰1人それを意識していた者はいなかったが。

 彼女は特に強い力を持っている。彼女に引き寄せられて必ずSNOWCODEは集まる。そこを一気に壊滅させる。そうすれば、道化師の計画を邪魔する危険要素は消え去られるのだ。

 ただ、黙って待つのも面白くない。そこで、道化師は分身の人形をある場所に向かわせた。暇潰しのゲームが今、始まろうとしていた。しかも、あまりに残酷な心なき禁断の遊び。

 禁じられた遊びを開催させるために第2の道化師の人形はその場から姿を消した。それを見届けて憂いを込めた瞳で溜息をついた。


                 禁じられた遊び

 一方、和馬はもう1人のSNOWCODEの存在を見つけることに成功した。その強い力から、同じアストラルコードの力で感知することができた。

 その人物は(えんじゅ)冬至(とうじ)である。バンドで成功を目指すフリーターで中野に来て1年が過ぎていた。路上ライブを数多くこなし、現在ではライブハウスで定期的にライブを行なわれていた。固定客も50人は顔を見せていてそれなりにインディーズCDも売れ始めていた。そして、ある音楽事務所からメジャーデビューの話さえ出てくるようにさえなっていた。

 その大事な時期に冬至は和馬の姿を見た瞬間に全てを悟り、ライブホールでの練習の手を止めた。

 彼らは3人のバンドでヴォーカルの香住(かすみ)美咲(みさき)とベースの(きょう)(すい)(たくみ)である。美咲は代々の歌手の一家で、祖母も母親も歌姫と呼ばれていた。しかも、細波和馬の祖父は彼女の祖母の友人であり、魂の破壊者とのファーストコンタクトでの戦いに巻き込まれていた。和馬の父も美咲の母と親友でいつも一緒に遊んでいた。魂の破壊者の戦いに数度巻き込まれてもいる。

 という、運命的なつながりはあったが、その双方の子、美咲と和馬は両親の関係上家族ぐるみで親しくしていたが、お互いには特に感情を抱くこともなかった。友達まで発展することもなく、疎遠となって久しかったのだ。

 もう1人のメンバー巧もまた、縁深い人物である。巧の父親も実はSNOWCODEの血を引き、魂の破壊者と成り下がっていた道化師を倒したほどの実力者であった。その血は1人息子の巧にも着実に受け継がれて熱く流れていた。ただ、このときには和馬は巧までSNOWCODEの血を受け継いでいると気付いていなかったが。

 これも運命の糸に引き寄せられているのだろうか。

 

 その彼らのライブが行なわれているライブハウスで演奏が終わるのを待っていると、和馬の背後に近付く気配があった。振り返ろうとしたら、突如クロロフォルムを浸したハンカチを口に当てられた。

 どのくらい気絶していただろうか。目を覚ますとそこはあるアパートの1室であった。

 「誰かいないか」

 腕を後ろ手に縛られてはいるもののある程度の自由は与えられていた。窓の外は赤坂の町並みが冷たく広がっていた。

 その部屋は殺風景で生活感がなく、家具も一切存在していなかった。その閉ざされた空間のドアには外側から鍵が掛けられている。玄関ドアのグリップを肩で押してもびくともしなかった。そこで、アストラルコードを放ってみた。腕のロープは切れることもなかった。

 がちゃ。

 玄関のドアが開き誰かが入ってきた。それは男性であった。人間が自分をこの時期に狙うなんて。確か、あの顔に見覚えが…。


 後ろ手にロープで縛られて、目隠しされた和馬はそのまま外に連れ出された。そして、どのくらいか歩きそこでその何者かは立ち止まった。車のオートキーを開ける音がした。ドアを開けて和馬を後部座席に押し込むと自分は運転席に回ってエンジンをかけた。車はゆっくりと進み始める。

 和馬は冷静に頭脳をフル回転させ始めた。

 出口から右手に55歩で駐車場に着いた。これはあの建物の付属の駐車場なのであろう。次にこの車のエンジン音。180(ワンエイティ)のはずだ。駐車場の出口で止まり右折する。10分後また止まり左折。すぐにゆっくりになり止まりがちになる。あの住宅街の抜け道で渋滞がいつも起こる通りだろう。そこを左折後スムーズに4速まで上げて走る。国道に出たところであろう。

 と、いう具合に頭の中の地図を描きながら、大分走っていた。高速に乗り南下していきある場所までくると高速を降りた。

 西に向かいしばらくすると潮の香りがしてくるような気がした。

 『大体、湘南の中部辺りだろう』

 和也はその人間が道化師の使いであることは予想をつけることができた。ある場所で車を降ろされた和也は建物の中に放り込まれた。そこは冷たい空間で畏怖を少なからず感じることができた。

 …それにしても、さっきの人間からアストラルコードを感じることができたが、どういうことだろうか。

 胸騒ぎを無理に押さえ込みながら、これからの出来事を案じるしかできなかった。彼が捕らわれている場所にはアストラルコードを封じる結界が張り巡らされている。彼にはどうすることもできないのだ。


 ジンはライブハウスまで和馬の僅かなCODEの力を知覚していたが、突然その感覚を見失ってしまった。和馬も徐々に道化師のCODEを会得し始めていたのだ。

しかし、今は和馬よりも彼が目を付けていた冬至達と合流して道化師の元に向かうことを優先することにした。和馬が目を付けていた人物達なのだから、彼らはSNOWCODEの血を受け継ぐ者に違いない。和也はジン自身の愛弟子であるのだ。ジンは人に関与しない性質であるが、彼には一目置いていた。

 巧はアンプからシールドを外してベースの弦を緩めた。そこに冬至が話し掛けてきた。

 「巧、今日はどうした?テンポがずれていたし、音も何箇所か外れていたぞ」

 「お前なら気付いていたろ。外に俺達と同じ能力(ちから)を持っていた奴がいたの」

 「それがどうした?」

 すると、ライブ直後の楽屋にファンに紛れてジンが人並みを書き分けて現れた。そして、不審者を見る3人を前にしてジンは腕組みをして部屋を見回した。

 ジンの姿を見て冬至はある程度悟った。しかし、その姿には息を呑むものがあった。190を超える長身にがっちりした体型。白髪にバンダナを巻き、小さいグラスのサングラスをしている。ミリタリーコートに重々しいブーツ。

 何よりその体から滲み出る威圧的なオーラと何者も寄せ付けない雰囲気。SNOWCODEの血を持っていなくとも、その異様さを感じることは容易にできた。

 そして、ジンはSNOWCODEの血のこと。道化師、運命を司る上界の者。魂の破壊者、それが宿る人形の話を手短に話した。

 それを聞いて巧は頷いて、自分も薄々気付いていたことを語った。

 「で、その道化師を倒せばいいんだな」

 冬至はそう簡単に言い放つとジンはまるで殺人鬼のように三白眼を突き刺した。それにも冬至は動揺すらせずに余裕を込めて微笑んだ。

 「大丈夫、こう見えても俺達は強いんだ」

 しかし、ジンは苛立たしそうに彼らを見定めた。巧がそんなジンに尋ねる。

 「あんたもその悪魔の人形達と同じ、CODEとかいう力を使えるのだよな」

 「性格には力、ではなく運命を導く真理ではあるのだが。で?」

 「つまり、同じCODEを持つ道化師達の力を感じることができるんだろう?」

 「案内しよう」

 ジンが楽屋を出ようとしたら、美咲が3人の訳の分からない話に業を煮やして叫んだ。

 「どういうことぉ?仲間外れにしないでちゃんと教えてよぉ」

 19歳の2人に比べると17歳という若さの美咲に冬至達はほどほど手を焼くところがあった。そうでなくても、彼女は天然なところがあるのだ。

 面倒なので、説明を省いて無理に納得させようとした。しかし、抜けている彼女にはどんな説明も通用しなかった。

 「美咲も行く」

 巧は溜息をついて首を横に振った。これからのことを考えると、美咲を連れて行くことは得策ではないことくらい子供でも分かる。

 「仕方がない、連れて行け」

 ジンの意外な言葉に冬至と巧は顔を見合わせた。

 4人は冬至のミニバンに乗り込むと和也と合流しようと車を走らせた。

 「で、そのもう1人の仲間はどこなんだ?」

 巧が吐き捨てるようにそう尋ねると頬杖をして最後部に座ったジンがぼそっと零した。

 「それはお前達の方が分かるんじゃないか」

 すると、ハンドルを握った冬至が軽く振り返って、巧の方を見た。

 「おい、ライブの時に外に感じたあの力じゃないか」

 「おお、確かにあったな。俺達と同じ能力を持った人間が2人」

 すると、ジンは身を乗り出した。

 「2人だと?」

 「ああ」

 冬至は前に視線を戻しながら、その時のことを思い出す。

 「最初は1人だったんだ。おそらく、和也って奴だろうな。それで、俺達を待っていたんだろう。もう1つの同じ感覚が近付いた途端に、2人の気配が消えたなぁ」

 すると、巧も頷きながら同意する。

 「きっと、和也は連れて行かれたんだろうな」

 すると、ジンは表情を強張らせて重い口調で話し始める。

 「SNOWCODEの血を引く救世主は、俺のCODEの力の知覚能力では、和也と棗、お前達2人に道化師に捕らわれた女の5人だけのはず」

 「どういうことなんだ?」

 巧が混乱してジンを見た。

 「奴の罠が発動したのかもしれない」

 「ただの暇つぶしの悪戯かもな。だって、奴はSNOWCODEを1箇所にまとめて一気に壊滅させるのが目的だろう。俺達も仲間を集めて奴の下に行こうとしている。条件は一致しているのに、こんなややっこしいことをするのは、理に適っていないだろう」

 巧の言葉ももっともである。

 「とにかく、道化師の元に行けば全て分かる」

 ジンがそう力なく呟いた。車はゆっくりと湘南の方向に進んでいった。


 和也はその冷たい打ちっぱなしのコンクリートの部屋の中を手探りで探索していた。ほぼ、長方形のその部屋は、どうやら建設途中で放置されているようであった。

 何故、同じSNOWCODEの血を引く者が、道化師と手を組んでいるのだろう。何より、今まで感じていたアストラルコードは5人だけだったはず。残る1人は誰なんだ?

 和也の疑問は頭の中で空回りするしかなかった。そこにドアが開く音がして、小さな足音が近付いてくる。

 「道化師か?」

 「その分身と言っておこう。君は主人のゲームの駒に選ばれたのだ。いずれ、君を使って同士達を追い詰めていくので、楽しみに待っていてくれ」

 「それはどうかな?」

 不敵な笑みで和也は精神を高め始める。メビウスのCODEは無、虚に対して、道化師のCODEは動、高まり、混沌であった。そう、彼は新たなるCODEの力を掴み始めたのだ。

 それを試行し始めると、流石に道化師の分身は表情を歪めた。

 後ろ手のロープが外れて、和也は鬱血した手を摩りながら小さな人形に迫った。そこに、玄関のドアが開き1人の男性が姿を現した。その人物から感じるSNOWCODEの血の感覚に、彼は戦慄を感じずにいられなかった。

 「そうか、そいつはオリジナルのSNOWCODEなのか。号雪から来た中国人だな。しかし、日本人の血が混入されないとアストラルコードを有効に発揮できないはず」

 「日本人の性質が大切。しかし、それはあくまでもアストラルコードを発揮させる場合だ。俺は純粋なSNOWCODEの血の能力の真髄は、アストラルコードではない。その名前通り、SNOWのCODE、つまり、お前達のいう運命を司る上界の者、葵の持つCODEなのだよ。それはメビウスや道化師のCODEと違い、静、冷たさ、硬さの力である」

 構えていた和也は流石にその未知の能力に警戒して、気合に気圧されてしまっていた。

 「これがお前達のいうゲームか。人間同士、争わせるという残酷で卑劣な」

 和也の言葉に道化師の人形はわざとらしく、帽子を取って恭しく観客にするみたいに礼をした。

 「私の名前は()(げん)。それでは、お前達の仲間が来るまでどちらの能力が優れているか、思い知らせてやろう」

 そういうと、まるで拳法の構えを描き、ぴたりと動きを止めると人差し指を曲げて、掛かってくるように挑発をした。

 和也はアストラルコードを発揮させて、自分の動きのスピードを早くさせた。李の背後に回ると回し蹴りを放つ。しかし、彼は足を地面に力強く踏みつけた。

 白い光の柱が下から放たれて和也は、バランスを崩して宙を舞って地面に叩きつけられた。

 「言っただろう。これは格闘ではない。異種の能力の戦いなのだ」

 口を拭って腹を押さえながら立ち上がる和也は、睨みつけながら言葉を放った。

 「何故、日本に来た?何故、悪魔の手先に成り下がっている?」

 すると、李は高く笑い飛ばして語り始めた。

 「何を愚問する?我々は元々、上界の者なのだ。CODEで読み取れる血の記憶から、お前にも分かっているだろう。SNOWCODE、号雪の民は各地の人間の文明とは違う派生をしている。見掛けは黄色人種と似ているが、根本的に別種なのだよ。その証拠がこの力。CODEが使えるのは、ソウルブレイカーと存在が近い証拠。稀に人間でもCODEが使える者が現れるが、その程度の力は問題ではない。アストラルコードが使えるのは人間より高い次元の存在の証拠。認めるのだ」

 「俺は、否、俺達は人間だ。あの人形や運命の上界の者のように、忌むべき、存在すべきではない存在ではない」

 「存在すべきではないのは人間の方ではないか。罪悪感をなくした愚考、愚かな思考。暴力、心の崩壊。人間になにがあるというのか?我々と違った不完全で不条理な哀れな存在の」

 「哀れなのは人形達の方だ。それに、俺達は人間で奴らとは違う。人形は人の心を惑わす。常に人になりたがる。だから、人間を利用する」

 「私は正常だし、利用されているわけでもない」

 「CODEの本質は自由意志の中の誘導だ。人間の中にでも特殊な能力を持った者は存在する。ヴィジョンの能力の持ち主も例外ではない」

 すると、李は構えを変えて足を高く上げた。雪のCODEは次にどのような効果をもたらすのだろうか。

 「確かに号雪の人間は他の人間に比べると、良い心、理想の性質の人間であり、閉鎖的であったために外の人間が相当悪く見えたに違いない。しかし、だから本質を、真理を見る目が曇ってしまっているのだ。どちらにしても、当面の敵は道化師だ」

 2人の対立を道化師の人形の分身はさも面白い道化を見るように眺めていた。


 車が不気味な音を立てて止まった。それはある特殊能力によるものであることは、ジン、冬至、巧は察しがついた。

 運転中のジンの魂の破壊者、道化師の話を手短に説明を改めてしていたが、美咲は頭を抱えたまま唸っていた。

 「うう、脳みそが出そう」

 「お前は考えるな」

 巧が美咲を軽く頭を叩くと、目の前の建物を眺めた。不気味な建物。駅の近くにも拘らず、廃墟で3階の窓に人影が踊っていた。

 その人は3分、5分経っても踊り続けているので、冬至は眼を細めて表情を強張らせた。

 「あの人、おかしいぞ」

 「ああ、カーテンレールに掛かったロープに首を吊っているんだろう」

 平然とそう呟くとジンに3人は怖いものを見るような眼差しを集めた。

 そして、ずれてもいないサングラスを人差し指で押し上げて、後ろを振り向いた。背後から歩み寄ってくる人達がいた。

 要、棗、美月、そして、蝋人形の葵であった。

 棗はその廃ビルの3階の窓に揺れる人影を見て、信じられないような表情を見せた。しかし、その様子を見たジンはぼそっと伝える。

 「安心しろ。あれはお前の連れじゃない。その連れを狙っていた道化師の分身を召喚した人間だ」

 「貴方が和馬の言っていたジン、さんですね」

 「ああ。もう、道化師のCODEも得ている。全ての雰囲気の意図を感じることも可能だ」

 「で、あの人は誰なんだ?」

 冬至が新参者の棗達を無視してジンに訊いた。

 「アラン・スチュワートの最後の子孫だ。道化師の分身の召喚という過った術のせいで廃人と化したんだ」

 全員は気まずい雰囲気の中でそのビルの中に入っていった。

 剥がれたタイルが足を取る。埃が舞って華を塞ぐ者も少なくなかった。

 「彼は3階にいるわ」

 葵がそう言って階段の方に全員を導くように歩く。その歩みはまるで宙を浮いているかのように軽やかであった。

 美月はさも恐ろしいといった感じで棗の腕にしがみつき、彼は歩きにくそうにしている。要はジンと葵の後に続く。その2人は似た雰囲気で近寄りがたく、沈黙を保っている。ただ、畏怖の欠片すら待ち合わせていないように、平然としているのが印象的である。

 転びながら歩く美咲をお守りする巧を横目に、冬至は全身からアストラルコードを発散させて、道化師の不意打ちに備えていた。

 階段を上がり、3階に辿り着くと、ジンと葵は顔を見合わせた。

 「道化師と人質の気配が消えた」

 それが何を意味しているのかは、誰にも分からなかった。

 「おそらく、未知の能力が我々のCODEとアストラルコードをキャンセルしてしまっているんだろう」

 ジンのバリトンの声は廊下に響いた。

 「とりあえず、手分けでもするか」

 巧が後頭部に手を組んでそう言うと、慎重そうに冬至が全員を見回した。

 「俺はこの中の全員を信じている訳じゃねぇ」

 「今は手を組んだ方が得策だよ」

 美月を避けながら、比較的に超曲的な棗が言葉を放つ。すると、棗が視線を天井に向けた。

 「ヴィジョンでは、最初の2チームに分かれて道化師をうまく見つける様子が見えた」

 「よし、それでいこう」

 ジンのその言葉が合図になって、2つのチームは廊下の左右に分かれていった。


 李と和也の能力は激しくぶつかり合って、小爆発を起こした。同じSNOWCODEの一族の戦いという、皮肉で残酷な戦いを楽しんでいた道化師の分身は、その爆発に巻き込まれて手足が吹き飛んで燃え始めた。

 「まさか、2人の力がこれほどとは…」 

 そう、2人のSNOWCODEの血の力は尋常ではなかった。道化師達、上界の者でさえも予想を超えるほどの。

 「しかし、どうして、お前ら一族は少ししか特殊能力を使うことが出来ないはずなのに、お前はSNOWのCODEを、しかも、俺の力ほどの力を使える?」

 和也の質問に李は鼻で笑い飛ばした。

 「随分、自惚れているな。…俺はあの一族の長だ。しかも、いにしえの儀式を行ったのだ。本来、我々の一族は長が代々、純粋なCODEの力を受け継ぐ。そして、溶雪の儀式により、能力の覚醒するのだ。それは長の一族だけに代々語り継がれた話。しかも、この儀式は禁じられている。だから、誰もしらなかったし、この力を手に入れた者もいなかったのだ」

 「それをお前が破ったのか」

 「全てはお前達、上界の者に近い自分達以外の邪悪な人間を倒すという、道化師や魂の破壊者と同じ目的のために…」

 「お前達も曲りなりにもアストラルコードを使えるほど、SNOWCODEの血を引いている。上界の者の亜種として生かしておいてやるぞ」

 「そんな情けはいらない」

 和也は会得したての道化師のCODEを全開にして、両手を前に出した。それを見て、瞳を輝かせた李も両手を出してSNOWのCODEを全開に解放した。双方の最大の力が今、充填され始める。

 と、同時に建物全体が激しく揺れ始めて、空間に若干のゆがみが発生し始めていた。そして、双方の力が放たれる寸前にドアが勢い良く開け放たれた。

 「こんなゲームは、もう止めて」

 間を割って入ってきたのは、棗達と入ってきた葵であった。和也達は力を鎮めると、黙って葵に視線を集める。

 「もう、こんな茶番はよして。全て、道化師の思う壷じゃない。これは彼の残酷なゲームなの。人間で、自分に最も危険を及ぼす貴方達を共倒れさせる遊びなの。李弦。貴方は道化師に利用されているのよ。どっちみち、貴方達SNOWCODEの一族を生き残すことはしない。彼は人間を全て消滅させることで、宇宙の摂理を正常に保とうとしているのだから。人間より、不確定要素を持つ貴方達をまず先に葬ろうとするのは、ごく自然なことなの」

 「すると、我らも上界の者で手伝えと言う言葉も」

 「そう、全て嘘。彼は何より完全で、なにより残酷なの。人の優しい心を持ち合わせていないのよ」

 そして、葵の後に和也も続く。

 「そして、最も存在してはならない存在。危険極まりない」

 李はよく考えて、力なくその場に座り込んでしまった。

 「でも…、でも、道化師の言うことが正しければ、人間は存在してはいけないのでは」

 「そんなことはない。彼は完全なる法で宇宙を完全に確定させるつもりなの。それは間違いなの。灰色、曖昧な不条理な不確定要素がなくては、全てをうまく流すことはできないの。混沌と法の双方のバランスが合って初めて、宇宙の摂理は保てるのよ。まぁ、どちらが正しいなんてことはないし、それを判断する人によるから」

 2者はそこで、この3柱目の上界の者によって、この愚かなゲームを終わらせることとなった。


                   道化師の失敗

 3階には道化師の人形が腕を組んで、ガラスのない窓の遠くを眺めていた。それを見つめる沙耶華はCODEの力の呪縛により、金縛りになりながら安楽椅子に揺られている。心地よい風が両者に吹き抜けていく。

 「なぁ、駒がここに集まったぞ。全て、君という餌のおかげだ。SNOWCODEがいかに集まろうと我を葬ることも追放することも叶わないさ」

 「私には分かる。我神君なら助けに来てくれる。私を、全ての人間を助けてくれる」

 「さっきも話をしただろう。全てを。SNOWCODEを。CODEを。上界を。まぁ、低レベルな人間にはその欠片でさえ理解することさえ困難だろう。まぁ、どうでもいい。さぁ、隣の部屋に奴らの片割れが来た。そろそろ、姿を見せようではないか」

 道化師は沙耶華に手を向ける。彼女はその上げられる腕とともに宙に浮いた。そのまま2者はその部屋を出ると、ぼろぼろの廊下を歩く。いつ破壊されてもおかしくない建築物は床を踏むたびに、微妙に歪な音を響かせた。隣の部屋のドアを開けると、ジン、冬至がすぐに前に飛び出した。後方に巧が美咲を守護するように構えている。

 「もう片割れが来るのを待つか。SNOWCODEの血は1箇所にまとめて封印するべきだからな」

それを聞くとジンは微笑んで指を鳴らした。壁の周りのろうそく立てのろうそくに火が灯った。

 「やっと、分かったぞ。貴様、強大な封印のCODEが使えるのは、1度きりなのだろう。だから、SNOWCODEを1箇所に集めて一気に封じる必要があったのか。流石の上界の者でも、これだけのSNOWCODEを1人ずつ相手にはしていられないしな」

 「それを知ったところで、貴様達はどうすることもできないさ。貴様達、SNOWCODEはここに直に集まる運命なのだから」

 そして、人形は両手を彼らに向けて波動を放った。沙耶華も含めて、ジンと冬至は弾かれて置くの壁に激突した。すると、そこの床に描かれた儀式の模様が輝き結界の壁が発生した。

 「それはCODEもアストラルコードも通用しない。我が魂の力が絶大に効力を発揮している結界だ。全員を捕らえたところで、SNOWCODEの全員を浄化してやる。お前達はそこで大人しく待っていろ」

道化師はそういい捨てると、巧と美咲に視線を移した。ジンはCODEを、冬至はアストラルコードを発揮して結界を破り、彼らを助けようとするが、結界を破ることは出来なかった。

 「心配するな。こいつらを殺す力さえ惜しい。それほど、お前達邪魔者の封印、浄化は骨が折れるのだよ」

 巧の放つ波動は凄まじいスピードで避けて、道化師はまるで瞬間移動をしたかのように彼の背後に移ると両腕を捩じ上げた。巧は呻き声を漏らしてアストラルコードを消滅させた。そのまま、悪魔の人形は空中に浮き、後ろ手に腕を持った巧も上に上がる。腕の痛みは頂点に立った時に、美咲が体当たりして、巧と美咲は道化師から解放されて地面に激突した。しかし、着地した場所は部屋の奥の、ジン達が捕らわれている結界の中であった。

 「自ら囚われの身になるとは、実に滑稽だ」

 道化師は嘲笑うように高笑いを部屋中に響かせた。道化師の目を盗んで、沙耶華は冬至の力で金縛りを解放してもらい、床に描かれた呪縛の印を靴で擦って消そうと試みた。儀式の模様が消えれば、結界も消える。

 「無駄だ。例え、特殊能力を使おうと消せはしない。その模様は位相の違う空間に描かれている」

 「なら、床自体を砕いてしまえばいい」

 ジンはCODEの力を右の拳に集中させて、それを床に放った。しかし、そのCODEの光は模様に当たると光の粉と散って、CODEはキャンセルされてしまった。

 「結界の壁はCODEもアストラルコードもキャンセルする。勿論、その結界は床にも張り巡らされているんだよ。普通の人間の腕力では、コンクリートの床を砕くことはできない。貴様らは何をやっても無駄なんだよ。万時休す。潔く諦めろ」

 全員はあがくのを止めて、沈黙を保つことにした。今は彼らには、打開する策を見出すことはできなかった。


 そこに、ドアが勢い良く放たれて、和也と李弦、そして葵が駆けつけた。

 「李弦がSNOWのCODEによる道化師のCODEの気配のキャンセルを解いたから、お前の居場所はすぐ分かった」

 和也の言葉に、嫌味なほどの紳士的に礼を尽くした。

 「それはそれは。ご苦労様。しかし、それは願ってもいないことだよ。ようこそ、破滅の間へ」

 葵は咄嗟に何かを察知して背後に飛び退いた。李弦はSNOWのCODEを全開にして、波動を放つ。しかし、それも道化師にはそよ風にしかなかった。首をさっと歪に曲げて避けると、李弦の目の前に刹那、スライド移動する。そして、見せた嘲笑は残酷さそのものであった。

 「吹き飛べ」

 和也はアストラルコードの気の塊を一瞬にして溜めて、道化師に放った。彼は首だけ180度回して、和也に視線を向けて舌を出した。小爆発を起こすが、道化師は無傷であった。部屋の奥の結界の中の面々は、指を咥えてその戦いを見ているしかなかった。

 「お前の力はその程度ではないだろう。周りの仲間を巻き込みたくないか?本気を出せば、俺の背後の裏切り者の李弦にも攻撃が当たるか?甘すぎる」

 そこに葵は何か小さな言葉を囁き始めた。

 「そこまでだ、SNOW。お前のCODEでも俺は倒せない。すでにここは俺のテリトリーなんだよ。魂の力で次元の質を俺のCODEに都合がいいように変化されている。次元移送の法。上界の魂の力の術の1つ。この建物の中では、すでに俺の手の中で踊るしかないんだよ」

 「それはどうかしら」

 葵は呪文らしきものを囁き終えると、腕を高く掲げて、力強く振り下ろした。すると、要と棗、そして美月が天井が崩れて落下してきた。そして、床に激突する直前に見えないクッションに助けられる。

 「とうとう駒は揃った。俺に対抗するSNOW、お前が召喚術で俺の役に立つことをするとはな」

 道化師は再び首をあらぬ方に曲げ、にやりと笑った。その体はゆっくり宙に上がり、光を放ち始める。李と和也は同時に魂の力をありったけ放った。しかし、そのエネルギー波は道化師の前の見えない壁に跳ね返されて、2人に直撃してそのまま封印の仲間で吹き飛ばされてしまった。2人はそのまま気を失って倒れてしまった。

 美月を庇う棗を余所に、要は瞳を閉じた。コントロールできないヴィジョンを自ら見ようとしているのだ。そして、数秒後、彼は叫んだ。

 「全員、あの封印の中に入るんだ」

 「自分達から捕まれと言うのか?」

 棗は反論するが、その要の真剣な瞳を見ると、彼が未来の活路をヴィジョン見たことを悟った。

 そのまま頷いて怖がる美月の手を引いて、棗は皆のいる儀式の模様の中にゆっくり入っていった。要も鋭い三白眼を笑顔の道化師に向けながら、その中に入った。

 葵も入ろうとするが、道化師は手を伸ばしてそれを制した。

 「お前はいいんだ。これで邪魔者は全て捕らえた」

 道化師は最大の術を施行すべく、真正面を向いて何かの呪文のような不可思議な言葉を聞き取れないほどの声で唱え、CODEの力を最大に発散させていく。

 「もう、僕達にはどうすることもできないのか」

 棗が嘆くと美月と沙耶華は彼の腕をしっかり掴んだ。それを見て、彼は意を決したように立ち上がり、魂の力を発揮し始める。

 ジンと和也はCODEの力を結界に放ち続けるが、依然、破ることはできない。冬至と巧は諦めたように腕を頭の上に組んで休んでいる。

 要は助かる未来を見ているからか、現状を楽観視しているように、ただ、黙って座っている。そして、道化師の力の充填の最中に、突然、彼は立ち上がり、SNOWCODEの血を引く人間達全員に耳打ちした。

 「これから、あることが起こる。その異変に驚くな。その後に、俺が合図を出す。そしたら、一斉にアストラルコードを、魂の力を高めて放つんだ。それまで、力を高めて溜めておけ。やり方が分からない者は自分の血に聞け。いいな。それが最初で最後のチャンスで、人類の行く末がそれで決まる」

 全員は息を飲みながら、要のヴィジョンを信じることにした。

 どのくらいの時間が経っただろうか。数分が1時間にも感じ取れた。道化師のCODEの術の魂の力の充填が完了した。

 と同時に、何かが空間を歪ませた。その違和感はそこにいた全ての人間が気付いた。後ろを振り向くと美咲の姿が見えなくなっていた。全員は何が起こったのか分からなかったが、要の声がその時、大きく響いた。

 「今だ、全員放て!」

 その変化と同時に結界が破られたのだ。全てのSNOWCODEの申し子とジン、李弦は一斉に力一杯のエネルギーが放たれた。

 凄まじい光弾は周りに凄まじい風を放ちつつ道化師に直撃した。道化師の充填していたエネルギーすら逆流されて、道化師は大爆発を起こした。

 全員は目の前の光景に唖然とした。建物の半分は粉々に崩れ落ちている。彼らのいる足場も不安定に崩れかけている。

 「一体、何が起こったんだ?」

 巧が頭を押さえながら、膝を突いてそう聞いた。要は後ろの床を指差した。そこに1箇所崩れているところがあり、その下、2階の床に美咲が気絶していた。

 ジンはかろうじて残っていた力で全員を2階にゆっくり浮遊させて下ろした。

 彼女に怪我は特になく、巧の腕の中で眼を覚ますとこう言った。

 「美咲が壁を壊しました」

 すると、棗と冬至、巧と沙耶華、美月姉妹は大笑いした。

 「そうか、奴はここに結界を作る前に、すでにこいつが床をぶち抜いていたんだよ。この建物はぼろだからよぉ。それを忘れてもう1度踏み込んで下に落ちたんだ」

 巧の言葉に要が続く。

 「床が崩れたことで、儀式の模様が崩れて結界が崩れたんだ」

 「まさか、美咲のドジが手柄になるとはな」

 冬至もそう言って、過ぎ去った危機を清清しそうに空を仰いだ。美咲は恥ずかしそうに頬を染めて頭を掻き回した。

 崩れたビルの瓦礫から脱出すると、その瓦礫の前で全員は感慨に浸っている。

 「道化師はどうしたんだ?」

 要がふと呟いた。

 「あの爆発で無事の訳はないだろう、死んださ」

 冬至がそう言うと、和也が冬至の首元を掴んだ。

 「死ぬ?奴らには死は存在しない。体は滅んでもな。メビウスのように次元の彼方に追放するしかないんだよ」

 「じゃあ、あいつは」

 すると、瓦礫が動き、中からぼろぼろに原型を留めていない道化師の成れの果てを抱いた焦げた蝋人形が立ち上がった。

 「そうだ、葵なら浄化できるだろう」

 ジンの言葉に葵は首を横に振った。

 「でも、貴方達のアストラルコード全てでもう1度使えば可能だわ」

 そう言って、瓦礫から這い出した葵は、ぼろぼろの道化師の人形を歩道に置いた。

 その道化師の残骸の周りにSNOECODEの救世主が囲み、一斉にアストラルコードを放ち始めた。次元に歪みが発生して、先ほどよりも凄まじいエネルギーが辺りに満ち始める。そして、急にSNOWCODEの血を引く者達のみは、漆黒の空間に存在していた。

 そこは次元の狭間。アストラルコードの最大の効果、次元の移送。沙耶華が棗に掴まり震えている。和也と棗、巧に冬至は道化師の人形に最大の魂の力を込めて波動を放った。すると、それは次元の穴を発生させて、道化師の人形は吸い込まれていった。

 「これで終わったな」

 和也はやっと穏やかな表情に戻り、棗に視線をやった。棗は頷き、沙耶華に微笑んで見せた。巧と冬至は手をしっかり掴んで勝利に酔いしれている。

 空間は徐々に元の場所に移行を始めて、ビルの瓦礫の前の歩道に戻ってくることができた。

 美月は棗と沙耶華に飛びつき涙を流して喜んだ。美咲は幼馴染の和也の存在にやっと気付き、傍に来て思いのたけを一方的に放した。それを聞き流れて、和也は要を見た。彼はジンと何かを話している。

 全てはまだ、終わっていないのかもしれない。

 「それじゃあ、俺達は行くぜ」

 巧がそう言って、口惜しそうな美咲を引き摺りながら、冬至と車でライブハウスに戻りに行った。

 和也はジンと何かを話ながら、そのまま手を振って去っていく。要は全ての終わりを悟り、再びイギリスに向けて旅立つために成田に向かった。

 李弦は自らの過ちを思い知り、中国に帰ることにして、要とは別々に成田に向かうことにした。

 残ったのは、棗と沙耶華、そして美月であった。

 「どうする?」

 美月のすがるような視線に棗は葵に視線を向けて答えた。

 「これから、あの蝋人形をどうするか、考えよう」

 今まで恐ろしい体験で、身も心も畏怖で疲れ切っていつ彼女達には、棗に依存するしかなかった。

 彼女達の家に戻ると、リビングで4者はぐたっと疲れ切っていた。棗と沙耶華はアストラルコードの力を、魂の力を使い切っていた。

 しばらく、沈黙が続き葵の出方を待った。

 「私はともに貴方達と道化師を追放しました。でも、そこまでです。次は、貴方達と目的が違います」

 「つまり、もう敵、ということですね」

 沙耶華は顔や体の溶けた醜い蝋人形に視線を逸らしながら、そう言った。それを承知で、葵はあえてそれに触れずに笑顔で頷いた。焦げ臭い匂いはまだ彼女から放たれている。美月はその人形に多大な畏怖を感じながら、棗の腕を掴んでいる。その腕は鬱血している。横顔を見上げると、棗の表情は真顔で彼女はどきっとして今までに感じたことのない感情を抱いた。そして、掴んでいた手を少し緩めた。

 「人間には、いい人間と通常の人間、そして最悪な人間がいる。人間は存在してはいけない人がいるんです。勿論、それは人の価値観。自然界にはない人の勝手な判断。判断は人によって変わる。でも、人間の中には平気で人を傷つける、自己中心的で改心できないほどの心の壊れた最悪な人間がいます。それを放っておくと、被害者、心を破壊された者が多く発生してしまうの。罪悪感を過度に喪失した、そして、回復できない人間、否、人間の体に宿る悪魔をそのままにしていいの?私は道化師のように全ての人間が悪く全滅すべきとは言いません。でも、悪魔をのさばらせておくことはできません」

 「でも、その考えは間違っているわ」

 美月は震える声でやっと発言する。

 「貴方は沢山の最悪な男性達に襲われて、その人に助けられたでしょ。この世にはどうしようもない、改善できない人間がいるの。それだけは真実」

 「人は生まれながらに悪い人はいない。改心できない人もいない。全くの邪心を持ち、善の心を欠片も持ち合わせていない人なんていないし、その悪人を裁くのは私達じゃない」

 沙耶華の悲しい発言は自信のなさが滲み出ていた。

 「悪人はね。法から巧みに逃げる手段を持っているの。法を楯に最悪な言動を起こすものもいる。どんなに最悪な言動で沢山の可哀想な人の死よりも辛い状態にしても、裁かれない人達もいる」

 すると、沈黙を保っていた棗は重い口を開いた。

 「確かに、最悪な人間はいる。葵の言う言葉は真実だ。それでも、そいつらを全て根絶やしにすることはできない。例え、愛する人を殺されても、その人間を殺すことはできない。それがいかに人間として最悪なことだって思い、自分を最大限に軽蔑してもね」

 その言葉に葵は言葉を失った。美月も驚愕の表情で棗を見つめる。

 「それでも、私は最悪な、人の心を過度に傷付ける人間を許すことはできない。上界の『運命』を司る者として。人間はそれほど最悪の心を持つ、邪心者に成り下がってしまったの。いかに、貴方の価値観がそういうものであろうとも、許されることと許されないこと、人間の判断基準という低次元の裁きではない上界の裁きがすでに下されたの。今の世界が悪い方に向かっていることは気付いているでしょ?人間の幸せ、情況。自然環境。宇宙の状態。何1ついい方に向かっていない。その原因の中の大きな要因は、人間なの」

 「それでも、例え、間違っているとしても、僕は君の行動を阻止する」

 対峙する2人は意見をあわすことのないまま睨み合っていた。


 深夜、最終電車が発車した後に駅前のビル跡の瓦礫に、小さな動く影が存在した。右腕と左足を失った人形は淡い緑の光を放ちながら瓦礫から姿を現すと、這い出して歩道に出ることに成功した。CODEの力がほとんど残っていない彼は、1本足で立ち上がると妖艶な月を見上げながら呟いた。

 「自らのゲームに追放されたが、この分身と言える魂の破壊者の私なら、この世の人間を殲滅できる」

 そのまま夜道を飛び跳ねながら、道化師の分身はある場所に向かっていた。

 葵のいる無雲家へと。

 しかし、CODEを使用できる者は互いに感知できる。つまり、覚醒した道化師の分身が、棗達のいるところに徐々に近付いていることは葵ですら感知することができた。

 「彼が来る」

 葵はそう呟いた。その言葉の意味をすぐには理解できなかったが、棗は葵のことを後回しにして、その新たな聞きに備えることにした。

 棗が立ち上がると、美月は心配そうに彼を見る。沙耶華はそれを見て言葉を掛けた。

 「大丈夫。我神君はアストラルコードはとても強い。おそらく、SNOWCODEの血を引く者の中で最大の力を持つ2人の内の1人だから」

 「お姉ちゃん」

 棗はそのまま出て行こうとして、すぐに振り返った。

 「葵、否、SNOW。2人を頼む」

 「ええ、貴方が帰ってくるまで、私も行動を起こさないから安心しなさい」

 頷いて、棗は彼女達の家を後にした。


                    エピローグ

 夜中の道は街頭だけが視界を保っている。その中で異様な気配が近付いてくるのが分かる。破壊された道化師の分身が葵に復活させてもらおうとしているのだ。

 暗闇の海沿いの道で、道化師の人形と救世主は鉢合わせをした。人形は舌打ちをして、文字通りマリオネットのように彼に立ち向かった。ところが、棗はそれを予測していたかのように構えて待ち構えた。

 CODEの鋼鉄のオーラをまとった人形の拳をさっと避けると、棗は腰を落として予備動作0で右肘を腹に当てた。人形は不意打ちを食らって混乱をさせる。棗は右肩を出した肘打ちとともに左肩を引いていたので、その左の拳に体重を込めて間髪入れずに放った。

 アストラルコードに包まれた拳は破壊力が抜群で、人形は打撃を受けて吹き飛ばされてガードレールに激突した。

 既に話すのがやっとの人形の目の前で、棗は右手の人差し指と中指を伸ばして掲げた。

 「ソウルブレード」

 その2本の付け出された指を芯に光の剣が発生した。

 「お、お前は…」

 眼を見開いて道化師の分身は、その奇妙な技を目前に言葉を失った。そのまま光の剣は振り下ろされて、人形は断末魔の叫びを夜の空気に響き渡った。棗のその冷酷な視線は魂の失った壊れた人形を見下ろし、手をそれにかざすとある種の波動を放った。すると、その残骸は突然、燃え上がり夜の闇に仄かな魂の灯火を輝かせた。


 沙耶華の家に戻った棗は、その家の中の雰囲気の変化を微妙に感じ取って冷や汗を流した。

 葵が2人に何かをしたのだろうか。それも違う、別の意図の雰囲気を感じる。すると、家の裏で何かを削る物音が聞こえた。家の裏に回った棗はその眼に入った光景に唖然とした。

 家の囲いのネットフェンスをグラインダー(ディスクを回転させて金属を削る機械)で切る男性達が存在していた。彼らは開いたばかりのネットの穴から侵入を始めて、棗の回りを取り囲む。

 「俺達はCODE。ここにいる葵を倒しに来た」

 そう、かつてメビウスのCODEを使えた人間達、ジンをリーダーとしたグループのCODE。彼らはSNOWのCODEすら理解して扱えるようになった、かつてのグループ、CODEの再来であった。

 「彼女は倒してはいけない。運命を司る者が全て消えてしまうと、世界の、宇宙の秩序が乱れて全てが崩壊されてしまう。…僕だって、彼女を追放して人間を助けたい。でも、方法はあるはずだ」

 「それなら、我々と協力して一番いい結果を導き出そうじゃないか」

 CODEのメンバー、市井信也(いちいしんや)浅海(あさみ)高次(こうじ)小池正巳(こいけまさみ)は棗とともに沙耶華の家に入った。中には誰の気配も感じることはできない。一体、どういうことだろうか。

 「こっちだ」

 信也は2階を指差した。元々、葵のCODEの力を得ている彼らなら、葵の居場所も簡単に感知できるのだろう。4人は2階に上がる。そこで、廊下の突き当たりの窓が開き、カーテンが揺れているのが眼に入った。

 そこで、違和感を濃く感じ始める棗はCODEのメンバーを見渡した。

 「何故、葵がここまでして逃げる?何故、この家の姉妹を連れて行く必要がある?君達は本当にCODEなのか?もしそうなら、何故、今まで何もしなかった?そうして、この家に侵入するのに裏のネットを切って入る必要がある?」

 そこで高次は少し困惑した表情を見せて正巳を見た。信也は2人を後ろに言葉を放った。

 「ここには結界が張られていた。おそらく、君がさっき倒した道化師の分身に備えたんだろう。その結界が脆く、我々が侵入できたあのネットの場所だけだった。葵が逃げたのは、我々の存在に気付き、自分の身の危険、つまり、君の言う世界の秩序の危機の回避だろう。2人を一緒に連れて行ったのは、我々が狙っているのが、葵だけでなく、彼女達もだからだ」

 すると、棗は窓を護るように背にして立ちはだかると、彼らを睨み付けた。

 「お前達の目的の世界、宇宙、次元の秩序の崩壊か?彼女達を狙う目的は?」

 すると、おどおどしていた高次が、躊躇しながら口を開いた。

 「葵を封印するんだ。我々の目的は、例え、最悪な人間でも殲滅しようとする彼女の行動を止めること。でも、秩序の崩壊は望んでいない。俺達は葵のCODEを使えるので、考えも質も感じることができる。そうすれば、人間が1人ずつ死んでいくことはなくなるんだ」

 次に正巳がそれに続く。

 「あの姉妹の姉の方は、君も知っているだろうけど、SNOWCODEなんだ。そして、葵は彼女にある術を掛けようとしているんだ」

 「それは?」

 信也が1歩前に出て言った。

 「本人に訊くんだな」

 3人は黙って俯くと棗と擦れ違って、冷たい風の吹き込む窓の傍にいった。

 「ここからCODEで移動したな」

 正巳がそう呟くと、感覚でその足取りを探った。

 「すぐ近くだ」

 3人は窓から飛び降りて葵の後を追った。1人取り残された棗はすぐに階段を下りて玄関を飛び出した。すると、家の前で、CODEのメンバーと葵、そして、沙耶華、美月が対峙していた。

 「ここまでだ」

 信也の言葉に、葵は微笑んでこう言った。

 「それなら、ここで貴方達」

 そして、彼女は視線を棗に向ける。

 「貴方も試してあげる。もし、近い将来に、対外的にも対内的にも攻撃的な心の闇を抱いた人間が多く存在するなら、そして、最悪な性質の人間が存在するなら、私はもう1度現れる。それまでは見守っていてあげる。ただし、もし、そういう人間がこの世界の許容量を超えて存在して、必要以上に傷付く人間が多く現れるようなら」

 次に葵は沙耶華に視線を向ける。

 「彼女のSNOWCODEの力は暴走して、最悪の質の人間の心を崩壊させる。つまり、廃人にさせる。そして、再び、私が現れて全ての邪悪な要素を殲滅させるから」

 そう言って、葵は立ち去っていった。姉妹の2人は棗に飛びつく。CODEのメンバーは何もすることができなかった。

 葵の術は、沙耶華という悪意のない人間を使うことで、次の危機に彼ら救世主に上界の者、魂の破壊者のコンタクトの邪魔をさせないという意図によって、人間達に試練を与えて、希望をもう1度持つことにしたのだ。

 「それでも、俺達は戦う。この世に邪気が治まることはないのだから。全ての人間が優しく、適度な罪悪感を持ち、思いやりのある人間になることはないのだから」

 信也はそう棗に言って、沙耶華に交戦的な眼差しを与えた。

 「全ての人間にCODE、またはアストラルコードのどちらかを理解し、施行することができれば…」

 正巳が憂いとともにそう呟いた。そうCODE、CODEの1種のアストラルコードを理解し、施行するには邪悪な心が邪魔なのである。

 「でも、それは無理だからな」

 高次が全員にそう言って、棗に向かって強めに言った。

 「ファイナルコンタクトのときは、お前も力を貸してくれ。情は無用だ。これは人類存亡の危機なんだ」

 棗は俯いたまま、沈黙を保っていた。

 「まぁ、いいさ。行こう」

 CODEの3人は棗と沙耶華に一瞥して去っていった。それを見届けると、全ての終わりを悟り、棗達は肩の荷をこれでもかというくらいに下ろした。

 大きな溜息をつくと棗は優しい瞳を2人に向けた。

 「それじゃあ、もう、当面の危険は去った。僕の役目は終わりだ。じゃあな」

 「待って」

 行こうとする棗に美月が手を伸ばして何かを言おうとしたが、想いだけが溢れ出し言葉が出てこないので、瞳に涙が滲んできた。

 それを見て棗は安心させるように微笑んだ。沙耶華はそんな美月を横目に、こう言った。

 「今度、一緒に遊びに行こう」

 「おう。また、何かあったらいつでも呼んでくれ。すぐに飛んでくるからさ」

 そして、2分間、無言のままで3人見つめ合ったが、手を振って棗はその場を後にした。

 しかし、50m進んだところで棗は足を止めた。後ろから美月が抱きついてきたのだ。彼は振り向いて彼女の体を離し、屈んで視線を彼女に合わせた。

 「もう、大丈夫。心配はないし、君のお姉さんは僕と同じ力を持っていて、君を護ってくれる。それに何かあれば駆けつける。それに…」

 棗は彼女の頭を優しく撫でた。

 「否、何でもない」

 「今度の日曜日は暇?」

 「そうだな。いつも予定は一杯なんだけど、君のために空けるか」

 そう言って、微笑んでみせた。そこで、やっと美月は微笑んでみせた。

 「約束よ」

 「ああ。後で、お姉さんに訊いてごらん。僕が約束を破ったことがあったかってね」

 そして、元気良く駆けながら、手を振って沙耶華の元に帰っていった。

 棗はそこで気持ちを切り替えると、次の運命の行方に思案にくれた。

 心悪しき人間は本当に存在していいのだろうか。葵のように殲滅すべきではないのだろうか。全ての人間の命を尊重すべき。では、多くの人間を殺したり、傷つけて生きながら死んだような状態にしたり、自殺に追いやってしまったり、意識不明の状態、植物状態にする人間は、命を尊重するという意味で消えるべきではないのだろうか。

 けして、最悪な人間が消えない以上は、葵の意見は正しい気もするが、しかし、全ての人間は死すべきではない?たとえ、何人も殺す極悪人でも?人を多く不幸にする人も?

 死刑も存在する。死すべき人間も存在するべきではないだろうか。

 法と混沌の間で、理性と感性の間で、そして、意識と無意識の中で迷いながら、棗は葵の言っていたファイナルコンタクトが、自然であるように思えてならなかった。

 メビウスの形の歪んだ運命の歯車は、ゆっくり止まり始めていた。


                    完





今までのの話の謎の解明であり、今の話の原点でもあります。

ここで登場している人物が未だに現役で今も執筆しているものに登場しています。初期の子孫であることも分かります。

重要なシリーズの要になっています。

前作のELSE CODEとこの作品の間に「暗黒遊戯(フーコー短編集傑作選16中に出版)」があり、この作品の後に「アンティークドール」が位置付いています。これは1000部売れている作品であり、古本、国会図書館、グーグルブックスで読むことが出来ます。その次に「ポケットの中の鍵(メルマガ掲載済み)」が続きます。まぐまぐで読むことが出来ます。

この話の次に

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