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教室の約束

 



 次の日の朝、彼女は約束を果たしに来た。


 まさか本当に来るとは思っていなかった。僕は彼女のことについて何も知らないから彼女も僕については名前くらいしか知らないだろうと勝手に思い込んでいたのだ。


氷川結宇(ひかわゆのき)くんを呼んでもらってもいいですか?」

 教室のドアの近くからその声は聞こえてきた。何度も図書館で聞いたあの声だ。僕は読んでいた本から顔を離し声の主を確かめる。

 間違いない。彼女だ。

 彼女に頼まれたクラスメイトが僕のところにやってくる。

「氷川君、えっと、福原先輩が呼んでるよ」

 彼女は≪福原≫という苗字なのか……。初めて知った。先輩だったのか。

「あー、分かった。ありがとう」

 そのクラスメイトに返事をし、ドアの方へ向かう。彼女はクラスメイトが僕に声をかけに来たことで場所が分かっていたようで静かにこちらを見ていた。

 相変わらず、迷いを知らないまっすぐな目だ。

 僕は軽く笑い、彼女の前へ立つ。

「おはよう」

「おはよ。結宇くん、これ、約束の」

 彼女は同じように笑みを浮かべ、一冊の本を差し出してきた。茶色のブックカバーに包まれた文庫本を彼女の白い手から受け取る。

 カサカサとした紙のブックカバーに残る少しのぬくもりと本の重さが手に伝わる。それほど分厚くはない。

「ありがとう。まさか本当に来るとは思ってなかったよ」

「ん、だって約束したじゃない」


≪うん、構わないよ。明日にでも結宇くんのクラスにもっていくよ≫


 確かに彼女はそういった。だけど、名前も知らない彼女が本当にクラスに来るとは思わなかった。

「なんで僕のクラス知ってたの?」

「私、図書委員だよ?本の貸し出し手続きをするときにクラス名簿を見るの。だから、知ってた……。結宇くんもわかってると思ってたんだけど」

 そう言われれば納得した。手続きのときに毎回学年とクラスを聞かれていた気がする。

「なるほど」

 そんなところで僕のプライバシーが漏れていたなんて……。

「で、この本、本当に感動するから。返す日とか気にしないで何度も読んで。……読み返したくなるから」

 僕は思う。彼女……福原先輩は本のことになると饒舌になる。

「分かった。じゃあゆっくり読ませてもらうよ」

 彼女は相変わらずまっすぐ目を合わせて話す。

 受け取った本に目を落とした。彼女が勧めてくれた本。

「あ、そういえば昨日結宇くんにおすすめされた本」

 思っていたことと似たような言葉だったからか、少し、ドキッとした。

「まだ全部読み終わってないんだけど、とても面白そうだね。教えてくれてありがとう」

 昨日、図書館で彼女に勧めた、僕の好きな作家の、一番最初に読んだ本。

「あ、あぁ。それはよかった」

 なぜか少しだけ照れ臭かった。自分の好きなものについてまっすぐな瞳で語られるなんて経験、僕には全くない。

「ん、私戻るね。もうすぐ先生たち来るし」

 じゃあね、と彼女は片手を胸の位置まで上げ小さく振る。僕も小さく振り返した。

 そして、彼女の手首を見た。さすがにこの状況では手首は見えない。

 昨日のあれは、見間違いではない。たしかに傷はあった。

「結宇くん?」

 突然彼女が僕の名前を呼ぶ。はっとした。

「あ、いや。読み終わったら返しに行くから」

 誤魔化すように言う。彼女の事だから、もしかしたらばれたかもしれない。……まぁ、気にすることもない、だろう。

「うん」

「教室、戻りなよ」

 なんとなく帰りを促す。今の雰囲気に少しだけ心地の悪さを感じた。

「ん、じゃね」

 彼女は小さくつぶやきその場をあとにした。


 -----



「ゆう、お前福原先輩と仲良いの?」

 席に戻ると一人の男子がニヤニヤした顔で聞いてきた。

「仲良い……のかな。図書館でよく話してて、今、本を借りたくらいだよ」

 山仲慧(やまなかあきら)。一応幼馴染と呼べる唯一の存在だ。小学校から高校まで、クラスが離れたことが一度もない。

 間違ってはいない。いや、間違うも何もこいつが期待しているような返事はない。

「ふーん」

 さっきの面白いことを探している顔から、一気につまらなそうな顔に変わる。

「自分から聞いてきたのにその感じは何だよ。てか(あきら)はあの人……福原先輩のこと知ってたの?」

「そりゃあこの学校じゃあ少し有名だからな」

「有名なのか」

 僕は知らなかったけど。名前と学年すら今知ったくらいだ。

「ゆう知らなかったの?多分あの人はこの学校でトップ3に入るくらいの美人だ」

「あー……つまり可愛いから有名ってことか」

 なら僕が知らないのは当たり前だ。そういう色恋沙汰に興味がないし、入学早々女子の顔なんてチェックしていない。こいつと違って。

 でも、最近彼女を見ているがそう言われればきれいな人だと思う。

 スラッとした体格に艶のある長い髪。おとなしい言動と不思議な雰囲気。

 彼女の特徴を並べてみると、確かに男子たちが放ってはおかなそうだ。

「まぁ、それもあるけど……」

 慧が言葉を濁す。

「自殺……未遂、とか………」

「……」

 思わず黙り込む。昨日の傷が脳裏に浮かぶ。

「ま、噂だからほんとかどうかはわからないけどな」

「そうだな」

 事実……だと思った。

 自殺未遂があの傷なのかはわからない。もっと、それらしい事をしたのかもしれない。

 それか、他にあの傷を見た誰かがそんな噂を流しただけとも考えられる。

 実際、傷はあるのだから。

「てか、なんで仲良くなったの?」

 慧は興味を取り戻したのか、またニヤニヤとした顔聞いてくる。……めんどくさい。

「だから、図書館で話しかけられたんだよ」

 名前の読み方を聞かれた。

「へー、福原先輩が。珍しいこともあるんだな」

「なんで?」

「あの人あまり人と話さないっていうか、絡みにいかない感じの人だから」

「そうなんだ」

 ただ名前の読みが気になっただけだろう。それにおとなしそうな人だ。自分から話しかけに行きそうな人じゃない。

「へー、ゆうが先輩と、ねぇ」

 ニヤニヤニヤ。漫画で表すのなら慧の顔の横にそういう擬音が付きそうだ。……あー。

「ま、ゆうが先輩のこと好きっていうのなら俺はいつでも力になるからな!」

 そう言い、慧は僕の肩をバンバン叩く。

「うん…………は?まって、今のどういう流れでそうなったの」

 前の流れで適当に肯定していたが、あとから慧の言っていることが(察しはつくけど)。何を勘違いしているんだ……。

「え、いや。今までそういうことがなかったゆうにもついに春が来るのかなって……ちょうど春だし」

「春には春だけど、もうすぐ五月だよ」

 好きな人、恋人ができることを春って……。頭の中はお花畑かよ……。

「話しそらそうとしてんな。ま、あの先輩なかなか人気あるらしいから」

「知らないよ」

「ま、がんばれ」

「なにが……」

 あきれた。こいつには何を言っても無駄なのかもしれない……。


 キーンコーンー…………


 予鈴のチャイムが鳴る。

「はーい。SHRやるから席についてね」

 副担任が教室に入ってくる。

 助かった。とりあえず(こいつ)から離れられる。といってもここは僕の席なんだけど。

「ま、なんかあったら教えてな!」

 満面の笑みで慧は言い、自分の席に戻っていった。

 …………幼馴染だとしてもめんどくさいやつだ……。

 でも。あれでも、クラスの委員長をやっていたりする。





 -----



 その日は、図書館にはいかなかった。

 彼女から借りた本を静かに読みたくてまっすぐ家に帰った。

「ただいま」

 いつもと同じように鍵が開いた玄関を開ける。

「あ、おかえり。今日は早いのね」

 リビングで洗濯物とたたむ母が僕を確認して声をかける。

「ちょっと本を読みたくて。というか、いつもちゃんと鍵かけておいてくださいって言っているのに、今日も開きっぱなしでしたよ」

「あら、また忘れちゃってたのね……。家にいるときはどうしても気が抜けちゃってだめね」

 優しい笑顔。平均的な母、というフレーズがこの人にはぴったりだと思う。

「ちゃんと気を付けてくださいよ……。じゃあ、僕は部屋にいるので何かあったら呼んでください」

「えぇ、分かったわ……」

 最後、母は少し悲しそうな顔をした、が、僕はそれに気づかないふりをする。

 そのままリビングを後にして部屋に行った。

 学校用のカバンを椅子に置き、中から彼女から借りた本を取りだす。

 ベッドに浅く座り、ぐしゃっとならないようにかけられていたカバーを外し表紙を見た。

 なかなか面白そうなタイトルだった。


 そのままベッドに横になって、僕はその本を読み始める。








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