外伝 天然
「大きくなったわね」
「はい、今の所は順調です。油断は出来ませんけれど」
妊娠六ヶ月目に入った私のお腹はもう随分と目立つようになってきました。
本日はローザリンデ様を当家にお招きして、ささやかなお茶会を開いています。
ローザリンデ様にお腹を撫でられると、旦那様に撫でられるのとはまた違う喜びが湧いてきます。
この方のお陰で素敵な旦那様に出会えて、そして今、この子を授かって……
なんだかジーンとします……などとほのぼのしておりましたら、ローザリンデ様の聞き捨てならない一言でそのほのぼのが吹き飛んでしまいました。
「あんなに小さかったエリーゼも、もうお母さんね…… わたくしも年をとるわけだわ」
……え?
年?
誰が?
「あ、あの……」
「まだまだ……と思っておりましたけれども、もう自分の子供は諦めましょう。貴女の子供をわたくしにも可愛がらせてくださいね」
はい?
「あの……えーと、申し訳ございませんローザリンデ様……ご確認させて頂きたいことがあるのですが……」
「なに?」
「年……とは、ローザリンデ様の事ですか?」
「え? 勿論よ?」
やっぱりご自分の事を言われたらしい…… 勘違いを期待したのですが…………
「あの……ローザリンデ様のどこがお年なのですか……」
「どこって、わたくしも三十五歳ですよ? もう子供を望める年でもありませんわ」
そうでしたね、言われてもそんなお年には見えませんですけれど……
瑞々しいお肌のハリとツヤ、そのド迫力なのにツンと上向きのバスト、キュッと締まったウエストに大きくてしっかりとハリのある上向きヒップ……こんなわがままボディのお色気爆発お姉様にそんな事を言われたら私なんてお先真っ暗ですよ〜
などと考えているその本人も、華奢ではあるが決して貧相なスタイルでは無い永遠の美少女を貫きかねないと思わせるその見目は、傍からすれば悪態の一つも付きたくもなる事だが、今この場にそれを突っ込める人はいない。
「大丈夫ですよ。ローザリンデ様のお体でしたら充分いけます。お尻のしっかりした方は出産も比較的楽なのだそうですよ」
「で、ですが……」
「何か問題でも?」
「その……えーと……あの、ですね?」
「はい」
深刻そうなローザリンデ様の表情に、思わず私の表情も険しくなる。
「その……一年以上……」
一年?
「旦那様の寵を頂けておりませんの……」
え?
多分この時、私は余程のアホ面を晒していたに違いない。
「旦那様にお喜び頂こうとこの身のケアには色々と頑張ってはいたのですが、年々回数も減り、ここ一年は……」
重い…………これはなんと言って差し上げれば良いのか……
「もう、わたくしには女としての魅力もありませんのよ。だから仕方が無いのです」
い、いえいえいえいえいえいえいえいえいえ
「そんなわけないじゃないですか――――――――!」
思わず叫んでしまった。
ローザリンデ様が目を丸くしていらっしゃる。
「ローザリンデ様がおねだりして堕ちない殿方なんていません!」
「あの、わたくしは旦那様だけに……」
「わたくしだって旦那様だけでいいです!」
しまった…… つい感情的に。
「いえ、そうではなくてですね…… ローザリンデ様、ローザリンデ様はご自身から寵を求められた事はございますか?」
「そ、そのような事、女の口から……」
うわぁ、真っ赤っか。少女ですか貴女は。
「ローザリンデ様。わたくしは女から寵を求めても良いと思うのです」
「そ、そうかしら」
「はい。言わなければ伝わらない想いはありますし、お互いに求めあって愛を伝えあえたらもっと幸せになれると思うんです」
「幸せに……」
「はい。ですから、ローザリンデ様の精一杯で侯爵様におねだりしちゃいましょう」
「……そうね。そうよね、頑張ってみるわ」
「頑張りましょう!」
「おお、リーンハルトか」
「侯爵様、お久しぶりです」
「うむ。例の公爵の件、あれは見事片付けてみせたな。これからも良く力を示せ。王太子殿下も期待しておられる」
「有難う御座います。よく精進致します」
「うむ。そう言えばお前の所の子はどうなっておるか?」
「六ヶ月になります。医師からは母子共に順調とのお言葉を頂いております」
問題は出産なんだが、今ここで侯爵様に心配をかける時ではない。
「うむ。家内も楽しみにしておるからな。妻をよく労ってやると良い」
「ご心配頂き、大変恐縮にございます」
「うちは子に恵まれなかったからな。お前の所の子が我が子、我が孫のように感じるのだよ」
随分と過分なお言葉を頂けたが…… 孫?
「孫とは何と気のお早い。侯爵様ご自身のお子様もまだまだ機会も御座いましょうに」
「いや、うちはもう一年以上閨を共にしておらぬでな。そのような期待は持っておらぬ」
おしどり夫婦の呼び声高い侯爵ご夫妻が? どういうことだ?
「そのような事を…… 奥方様もお子を希望されておられるのではないですか?」
「いや、あれも年を気にしておってな」
ローザリンデ様が?
確かお年は三十代半ば…… しかし、言われねば二十そこそこで通るようなあのお方がか?
「失礼ですが、奥方様はそのようなお年を気にされるようなお姿では無いと思うのですが」
「う…うむ、確かにそうだ。そうなんだが……」
何か言い辛そうな…… まさかこのおしどり夫婦の間に何か問題が。
「侯爵様。私には侯爵様が何かお悩みのように見受けられます。私を信じて頂けますなら、何卒そのお悩みをお聞かせ願いたい」
「……………………」
何とお辛そうな…… それほどに事は深刻か。
「無理にとは申しませんが……」
「いや、私もお前には並々ならぬ信を置いておる。聞いて貰おうか」
「有り難き幸せに」
これは、心して聞かねば。事と次第によってはこの身を粉にしてでもお役に……
「私もあれもお互いに年を取った。しかし、あれは年を経る度、益々魅力的に美しくなってな」
ん?
「対する私はこの様に老いさばらえていく」
いえ、貴方も変わらず俺もこうありたいと憧れてやまないナイスミドルですが。
「閨を共にしてあれに愛想をつかされたらと思うと、どうにも身が引けてしまってな」
…………なんだこれは
「おお、どうした。こめかみなど押さえて」
「いえ、少々目眩が……」
「なに? それはいかん。早く帰って休むが良い」
「いえ、それは大丈夫ですが……」
これは、何と言うべきか……
「……侯爵様」
「なんだ?」
「一度、奥方様とこの件をよくお話になってみられた方が宜しいかと」
あれ程に侯爵様を愛されていることが傍から判るような奥方様が、侯爵様が危惧するような事を考えられる訳もないのだ。
「う、うむ……いや、しかし……」
「侯爵様、私の妻がお気に入りのケーキをご用意致しますので、奥方様への土産にお持ちください。奥方様もそのケーキが大変にお気に入りのようでして、それを食しながらだと大変和やかに話が進むそうです。侯爵様もお試しになられては如何でしょうか」
このお二人は、切っ掛けさえあれば……
「そ、そうか。助かる。ではそれを願えるか」
「喜んでお引き受け致します」
退庁時にリーンハルトが用意してくれたケーキを受け取り、我が邸へ戻った。
妻に何と言って話を切り出すか馬車の中でずっと考えていたが、考えがまとまらぬままに邸へと到着してしまった。
ふう……これは緊張するな。
これなら王への謁見の方が余程気が楽だ……
くそっ、考えがまとまらぬ……
悩んだまま遂に部屋まで戻ってしまった。
「貴方、お帰りなさいませ」
何時ものように妻が出迎えてくれた。
ああ、今日も変わらずお前は美しいな。
しかし、少しうつむき加減な上目使いで私を見る目が潤んでいて辛そうに見える。少し顔も赤い……これは…………風邪か?
それはいかんな。
早く休むように伝えようとした時、妻の方が先に口を開いた。
「あ、あの……あなた…… きょ、今日はお願いがございまし……て…………」
いつもこちらから強いなければ望みも言わない妻からの願いとは珍しい。
「おお、お前からの願いとは珍しいな。何でも言うがいい」
「は、はい…… では………… あの……」
「どうした? 遠慮なく言え」
「わ…わた………… わたくしに、あなたの子種を…下さいません……か?」
「なっ……」
そんな台詞を愛しの妻に頬を赤く染めながらチラチラと上目使いで言われ、息を飲んだ弾みに持っていたケーキを落としてしまった私は絶対に悪くない……筈だ。
そして駄目ですか? と涙目で見つめられた私に断るなどという選択肢があろう筈も無かった。
今日より、これまでを取り戻すかのように睦み合う事になったのは仕方の無いことなのだ。
彼女が後日、この話を聞いたエリーゼにその発言はど真ん中過ぎです、と言われて顔を真っ赤に染め上げる羽目になったのはまた別のお話。
ローザリンデ様の妊娠が判明したのは、それから数か月後のことでした。
お子様? 無事、男の子がお産まれになりましたよ。おめでとうございます。