その2 既視感
「まあ。やはりご存じでしたか」
「ええ。旦那様は家ではお仕事の事を一切お話になりませんけれど、噂で」
今日はローザリンデ様主催のお茶会の日……
なのだけど、なにかがおかしい。
既視感……
あの人の宮中での話題……王太子殿下に認められている話も……聞いた事は無いけれど知っている。
「おかげで若いご婦人方にも大変な人気で、お食事の誘いもひっきりなしと……」
…これも……知っている……
だとしたらこの後は……
「ちょっと、アウレリア様」
ヨーゼンヌ侯爵婦人がその発言を窘められた。
「も、申し訳ありません。決してエリーゼ様にそのようなお顔をさせてしまうつもりではありませんでしたのよ? リーンハルト様が大変な愛妻家であるとは有名なお話しですし、そのようなお話しも全てお断りになっていると聞き及んでおりますので、ご心配なさる必要はありませんわ」
やっぱり……
これに対する私の心は……返す答えはもう決まっている。
「大丈夫ですわ、アウレリア様。旦那様が真面目な方なのはわたくしが一番よく存じておりますので。それに……」
「それに?」
「旦那様には、わたくしが居りますもの」
リーンハルト様に昨夜頂いた言葉が私に勇気をくれる。
絶対の信頼をその言葉にのせて、にっこりと微笑みながらそう答えるとローザリンデ様が嬉しそうに私を見た。
「あらあら。とっても信頼しあっておられますのね。ご馳走様です」
「ご心配頂きありがとうございます。アウレリア様」
その後も和やかにお茶会はすすみ、私は気持ちよく屋敷へと戻る事ができた。
その夜。
「おまえの誕生日も近い。何か欲しいものはあるか?」
彼が私の誕生日の話を告げてきた。
「まあ。あなた、まだ先の話ですのよ?」
「そうは言うが今から準備しないと間に合わない事もあるだろう」
「それもそうですわね。でしたら、旅行にでも行ってみたいですわ」
「そうか。考えておこう」
「ですがあなたもお忙しい身ですし、どこか近くで一日あなたとゆっくり過ごせればそれで」
私の為にしてくださるのは嬉しいですが、貴方のお身体が心配ですと言外に伝えてみる。
「何を言う、エリーゼ。お前の事をおざなりに済ませるつもりはない。今はまだ確実な約束は出来ないが、それでも楽しみにしておけ」
「わかりました、楽しみにしております。ですが決してご無理はなされぬようご配慮ください」
「ああ、気をつける」
あれから一ヶ月。
その間、それでも彼はいつも以上に帰りが遅くなってきている。
私を喜ばせようと、頑張りすぎている事が解っていない彼に今、私に出来る事はせめて彼の心の疲れだけでも癒す事。
彼がどれだけ遅くなろうとも、笑顔で出迎え、お疲れさまですと声をかけてキスをして感謝を伝える。
そして、彼からも出迎えへの感謝の意が伝えられ、それと同時に笑顔に綻ぶ彼を見て、私自身の心も癒されている事を実感する。
こんなささやかなやり取りから得られる幸せが本当に嬉しくてたまらない。
そして夢で見たあの罠の仕掛けが始まった日。
それは夢の中の話……けれども私は確信を持ってその日を迎えた。
どういう理屈かは解らないけれども、私はこの先に起こることを知っている。
なら、私がするべきはあの悲劇を、永遠に彼を失ってしまうあの悲劇を回避する事だ。
私のこの不可解な記憶はきっとその為にある。
いつもより更に遅い時間に戻った彼を笑顔で出迎える。
「おかえりなさいませ、あなた」
「寝ていてくれても良かったのに」
「そのようなこと…… いつもあなたのことをご心配申し上げておりますのに」
「そうか。ありがとう」
ここまでの流れは同じ……なら……
「明日のご予定は?」
そう問いかけると、彼は愛用の手帳を内ポケットから取り出した。
そして……
一枚のカードが床に落ちた。
それを拾い上げ、内容に目を通す。
『今日も楽しかったです
愛しの貴方
夢の中でも貴方の腕の中に包まれますように』
やはり同じ……もう間違いない。
ここが分岐点。
「あなた、こんなものが」
「なんだこれは!」
夢の通りであれば、これはあの男が……
「あなた」
「知らんぞ!俺はこのような者と会った事も無い!」
「ええ。信じておりますわ、あなた。これは誰かのいたずらでしょう。このようなものが内ポケットなどに入れられていたのです。何か心当たりはございませんか?」
彼を落ち着かせるよう、努めて冷静に何でも無い事のように話す。
「心当たり……か。確かに今日は一度だけだが上着を脱ぐことになってしまった…が…… あれはフリードリヒが……」
やっぱりあの男ですのね……
「でしたら、あの方のいたずらでしょう。今度お会いになられる時、窘めてさし上げればよろしいのでは?」
「ああ、そうだな。大方、たまに通っているらしい娼館の女にでも貰ってきたものだろう。あいつのやりそうな事だ、まったく。では、来週仕事を共にする予定があるが、その時にでも突き返してやろう」
「でも、もし、あなたもそのような所に行きたいのでしたら、無理をなされず行って来られても」
彼の言葉をおねだりに、つい心にも無い事を言ってみる。
「ばかな!いくらおまえでも言って良い事と悪い事がある。俺にはおまえだけだといつも言っているだろう」
そう言ってくれる事がわかっていてもやっぱり嬉しい。
だから、いつもより長いキスを私から……
「ええ、とっても嬉しいです。わたくしもあなただけを愛してます」
長い長いキスを……