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第三部 夢

いよいよ、最終回です。

バッドエンドではありませんが、ハッピーエンドでもありません。

非常に残念な結末が待っていますので、あらかじめご了承下さいませ。

   第七章 旅立ちの理由


 勝之進達の故郷から旅立って、既に十四日が経とうとしていた。遭遇率を下げる鐘と、勝之進が考えた作戦のお蔭で、さほど妖魔に遭うことなく順調に進んでいる。

「こう上手くいっていると、何だか怖いよねぇ」

「何が?」

「いや、分かんないけど」

「なんだそりゃ?」

 勝之進が呆れた声を出した。吟の話は今ひとつ要領を得ない。吟は苦笑しながら、肩をすくめる。

「何と言うか、イヤな予感がするんだよねぇ。胸騒ぎのような……」

「不吉なことを言うな」

「もしかして、妖魔ナリ?」

 何故かお華が、声を弾ませる。勝之進は、渋面した。

「お前は、妖魔と遭いたいのか?」

「だって、あちし達が妖魔に遭える機会って、そうそうないナリよ」

 お華の言葉に、勝之進は深々とため息を吐いた。

「いいかお華、私達は妖魔見物に来ている訳じゃない。確かに、妖魔が物珍しいのは分かる。だが、妖魔は強暴だ。気を抜いていると、足元をすくわれるぞ」

「あたしゃ、妖魔に殺された奴らを何人も知っている。武勇だけで妖魔狩りに行った、バカな連中さ」

 お華の好奇心に満ちた声で、イヤなことを思い出してしまった。

 妖魔狩りへ向かった、愚かな狩人達のことを。


 とある居酒屋で、六人組の狩人達と出会った。彼らは勝利を祈願して、酒盛りをしていた。戦におもむく者達は、意外と縁起を担ぐ(ジンクスを信じる)傾向にある。

「ほら、そこのあんたも呑みなっ」

 大柄な男が笑いながら、見ず知らずの吟にもさかずきを手渡してきた。

「おやまぁ、ずいぶん気前がいいね」

「まあまあ、あんたも一緒に俺達の武運を祈ってくれや」

 男がお銚子(おちょうし=酒を入れる容器)を傾けると、酒は僅かにちょろりとしか落ちてこなかった。

「ありゃ、もう終わりかよ。おーいっ、女将ー! お銚子追加ーっ!」

「はいはい、ただいまーっ!」

 男の声に、女将が嬉しそうに応えた。

「ところであんたさん方、そんな装備で大丈夫なのかい?」

「大丈夫だ、問題ない。なんたって、俺たちゃぁ強いからな」

 男は自信満々で腕をまくり、鍛え上げられた筋肉を見せてくれた。

「へぇ、そうかい。じゃあ酒のお礼に、一曲披露しようかね」

「おっ、いいぞいいぞっ!」

 男達はやんややんやと手を叩き、数名が吟の演奏に合わせて楽しそうに踊った。

 その日、居酒屋は大層繁盛したそうだ。

 翌日、彼らは意気揚々と出掛けて行った。彼らは自分達の力を過信し、不十分な知識と、不十分な装備で巨大な妖魔に挑んでいった。そしてそのまま、帰って来ることはなかった。


 狩人や用心棒、旅人として生きているからは、いつ死んでもおかしくはない。勝之進とお華は、まだ若い。いつか、吟の気持ちが分かる日が来るのだろうか。

「吟……」

「ごめんナリ」

 吟が思い詰めた顔をしていたからだろう、ふたりは謝罪してきた。吟は慌てて、取り繕う。

「いや、いいよ。あんたさん方は、知らなかったんだからさ」

 吟は切なそうに笑うと、突然走り出した。逃げるように背けた顔が、勝之進には泣いているように見えた。

「勝之進、お華! ほら、城下町が見えたよっ! 早く、早くっ!」 

 先程のことを誤魔化す(ごまかす)ように、底抜けに明るい声で勝之進達に話し掛ける。振り返った吟は、いつもの笑顔を浮かべていた。

 勝之進は、吟を追い掛けるように走り出す。釣られるように、お華も後を追う。

「待て、吟!」

「吟ー、早過ぎるナリよーっ!」

「遅いよ、ふたり共! そんなんじゃ、今日中に街まで辿り着けないよっ?」

 吟は冷やかすように笑いながら、前方を指差した。確かにその先には、城が見えた。だがそれは、遠くにも近くにも見えて、どのくらい距離があるのか判別しにくい。

「吟、ここからあとどのくらいだ?」

「そうだねぇ。このまま走っても、夕陽が沈むまでに間に合うかどうか」

「何?」

「今はまだ、お昼過ぎたばっかりナリよ?」

「だねぇ」

 しばらく走ったら息が切れたので、吟達は再び歩き始めた。まだ当分、太陽は沈みそうになかった。


 地平線に日は堕ちて、真っ暗になってようやく、吟達は城下町へ辿り着いた。早速吟は、城の門番に話し掛ける。

「本日の謁見は終わりましたか?」

「もうとっくに終わっているよ。謁見を望むなら、明日の昼過ぎに来るといい」

「分かりました」

 吟は門番に礼を言って、会釈した。すぐ後ろで、やり取りを見ていた勝之進が、小さく笑う。

「この時間じゃ、当然だ。また明日、出直そう。ひとまず、宿を探そう」

「焦っても、仕方がないナリ」

「確かにそうだねぇ」

 城下町の門から入って、しばらく歩いた所に「風見鶏亭」はあった。観光客用の旅館ではなく、旅人用の旅籠屋(宿屋)だ。勝之進達がいつも世話になっているという「水澄し亭」と、似ていた。

 吟がのれんをくぐろうとすると、勝之進はどこか遠くを見つめたまま動かない。

「勝之進、どうしたナリ?」

「ぼーっと、突っ立っちまって。もしかして、疲れたのかい?」

「あ、ああ。そうだな、ちょっと疲れた」

 我に返った勝之進が、慌てて答えた。吟は優しく笑みを浮かべながら、勝之進とお華の労をねぎらう。

「あんたさん方にとっちゃ、初めての長旅だったんだろう? 無理ないさ」

「勝之進ー、お腹が空いたナリー」

「あたしもぺこぺこさぁ」

 お華と吟が空腹を訴えると、勝之進は僅かに苦笑する。

「分かった分かった、飯にしよう」

 吟達は旅籠屋の一階にある酒場で、夕餉を摂ることにした。

 久々に、干し芋や野草汁以外の食事が出来ることが嬉しい。お華の作る野草汁は、美味しい。だが、毎日食べると飽きる。基本的に、単調な塩味だからだ。それは、ふたりも同じだったようだ。品書きを見ながら、嬉しそうに選んでいる。

「どれも美味しそうナリね~。あっ、焼き鳥があるナリよ」

「煮魚も、捨てがたいな」

「色々あって、迷うナリ~」

「ここ最近、食事が偏っているからな。野菜も肉も摂らんと、体に悪い」

「やっぱり勝之進は、お母さ――」

「誰がお母さんかっ!」

 勝之進が、すかさずツッコんできた。疲れていても、ツッコミは冴えている。

 散々悩んで、吟達は天ぷら定食を頼んだ。やはり、久々にがっつりしたものが食べたかったからだ。

「お待たせしました、天ぷら定食でごぜぇます」

 年老いた女将が、三人分の飯を運んできた。

 甘い湯気を立てる飯、根菜が入った香り高い味噌汁、甘酸っぱい胡瓜のぬか漬け、青々としたほうれん草のおひたし、そして油の匂いを漂わせる天ぷらの盛り合わせ。

 天ぷらの盛り合わせは、きのこ、山菜、薩摩芋、牛蒡と人参のかき揚げ、白身魚(吟は魚に詳しくないので、何の魚かまでは分からない)などだ。

「うわー、凄いごちそうナリー!」

「美味しそうだねぇ」

「頂きます」

 吟達は、久々に腹いっぱい食べられて幸せだった。

 野宿では、こうはいかない。普通は携帯食の干し芋や糒を、水と一緒に食べるくらいだ。作ったとしてもせいぜい焼くか茹でるかで、手が掛かる料理をすることはない。ましてや油を使う天ぷらなんて、とんでもない。

 もちろん腹いっぱい食べることもない。腹いっぱいで動けず、妖魔にやられたなんて、とんだお笑い草だ。

「さて、腹が膨れたら、風呂に入ろうかねぇ」

「賛成だ」

「お風呂なんて、久し振りナリよ」

 夕餉後は、旅籠屋と契約している銭湯で、長旅でたまった汚れと疲れを洗い流すことにした。

 大きな川や湖などがあれば、水浴びをするところだが、ここまでの道のりにそんなものはなかった。せいぜい飲み水が確保出来る程度の、小川や小さな湧き水があったくらいだ。

 吟達にとっては、実に二十日振りの風呂だ。

 豊かに湯がたたえられた浴槽に身を沈めて、吟は大きく息を吐いた。気持ち良い湯加減に、心も体もほぐれていくようだ。どうやら旅の間中、無意識の内に緊張していたのだと気が付く。

「はぁ~、極楽極楽」

 今頃、勝之進とお華は女湯にいるだろう。甲斐甲斐しく、勝之進がお華の体を洗ってやっている姿が、容易に目に浮かぶ。

 しかし、勝之進が女だとは、今でも信じ難い。もったいないというか、なんというか。いやきっと、ちゃんと女の恰好をしたら、女らしくなるに違いない。折角美人なのだから、女物の着物を着て化粧を施した顔も、見てみたいものだ。

 体を洗ったついでに、さっきまで着ていた着物も着替えも含めて全部、溜まっていた着物を洗濯した。

「あ、しまった」

 全部洗濯してしまえば、当然着る物がなくなる。仕方がないので、寝巻きを有料で借りることにした。

「水澄し亭なら、タダで貸してくれるのに」

「まぁまぁ。他に着るもんがねぇんだから、仕方ねぇや」

 勝之進はぶつぶつ言いながら、清潔な寝巻きに袖を通していた。吟とお華も、同じ寝巻きを着ている。といっても、お華は子供用の寝巻きなのだが。揃いの寝巻きで、一見家族に見えるかもしれない。いや、勝之進は男らしいから、そうは見えないか。かといって、吟が女には見えることは絶対にない。

 初めて見る寝巻き姿の勝之進は、なかなか色っぽい。いつも結い上げられていた髪が、今は下りている。それだけで、随分印象が変わる。残念ながら女らしくは見えないものの、中性的な美しさがある。

「なんだ?」

 その美しさに惹き付けられて、つい見つめてしまっていたからだろう。勝之進が首をひねった。吟は、慌てて首を横に振る。

「えっ? いや、何でもないさ」

「変な奴だな。まぁいい、布団を敷くぞ」

「あ、ああ」

 吟はぎこちなく返事をして、勝之進と三人分の布団を敷いた。

「わーいっ、お布団ナリーっ!」

 柔らかな布団に潜り込むと、お華はすぐ眠りに就いた。無邪気な子供の寝顔に、吟は思わず笑ってしまう。

「お子様だねぇ」

「これでも、私と同い年なんだがな」

「ええっ? そうなのかい?」

 勝之進が老けているのか、それともお華が童顔なのか。

「あんたさん方は、いくつなんだい?」

「私もお華も、十四だ」

「お華が十四っ?」

 吟は、とても信じられなかった。お華は十歳、多く見積もっても十二くらいにしか見えない。それに、勝之進も十六くらいかと思っていた。お華の振る舞いはあまりにも幼すぎるし、勝之進は落ち着き払っていて大人びて見えるからだ。

 目を丸くしている吟に、勝之進は「やっぱりな」と、小さく笑う。

「驚くのは無理はない。長い付き合いの私ですら、時々勘違いするくらいだ」

「長い付き合いって、どれくらい一緒に用心棒をしているんだい?」

「始めてからは、まだ二ヶ月も経っていないが。私とお華は、家が近所の幼なじみなんだ」

「へぇ。それで、何で用心棒になんてなったのさ?」

 旅の間中、ずっと気になっていたことだ。この期に聞いておこうと、吟は身を乗り出した。勝之進は少し複雑な表情を浮かべたが、話す気になったようだ。

「実をいうと、私は自分の意思で用心棒になった訳ではない。お華の所為で、行きたくもない旅へ出されたのだ」


 今から五十日くらい前のことだ。その日は、灰色の雲から糸のように細い無数の水が、屋根を叩いていた。

 勝之進ことお勝の実家は、鉄鋼技師をしている。実家の離れにある鉄鋼場で鉄を鍛えていた時、珍しい人物が顔を出した。

「今日は、お勝さん」

「おや、今日は徳兵衛爺さん。どうしました? お孫さんは来ていませんけど」

 お華の祖父徳兵衛が、神妙な面持ちで話し掛けてくる。

「実は、お勝さんに話があってなぁ。少々時間をもらえるかの?」

「私に? あ、少々お待ち下さい」

 一言断りを入れてから立ち上がり、金槌と金バサミを工具置き場へ置きに行く。

「立ち話も何ですから、奥へどうぞ」

 そこへ、父の手伝いをしていた弟の一之助が、気を利かせて声を掛けてきた。弟に勧められるまま、お勝と徳兵衛は居間へ移動した。腰を落ち着かせると、話を促す。

「それで、話というのは?」

「実は、お華と旅へ出て欲しいんじゃ」

「は? 旅?」

 唐突な話に、お勝は驚く。徳兵衛は小さく頷くと、話を進める。

「お勝さんもご存じの通り、我が家は代々続く術士の家系だ。当然のように、お華も危険物取り扱い免許を取ったんじゃ」

「ええ。それは先日、お孫さんからお聞きしました」

 二日前、お華から免許証を散々見せびらかされたところなので、知っている。

「それでだね。代々伝わる形式で、お華はこれから五年間、修行の旅に出なければならない。本来ならば、一人旅が絶対条件なのじゃが――」

「どうぞ、粗茶ですが」

「や、どうもどうも。すまんね、一之助君」

 そこで一之助が、茶を持ってやってきた。茶の芳香が、鼻腔をくすぐる。徳兵衛は礼を言って、茶をすすった。一息吐いてから、徳兵衛は続ける。

「知っての通り、あの子は世間知らずな子じゃろう? 一人で旅に出してやっていけるのか、もう心配で心配で……」

「でしょうね」

 徳兵衛の心配は、痛いほど良く分かる。お華はそれだけ、危なっかしい奴だ。

「それで何故、私が一緒に旅へ出ることになるのですか? お孫さんには、ご兄弟がいらっしゃるじゃないですか。そのどなたかに、お願いしては?」

「確かにお華には、兄ふたりと姉が一人おる。じゃが、お華が一番懐いているのはお勝さんでな。頼むっ、どうかお華に付き添ってやってくれんかっ!」

 徳兵衛が畳に手をついて深々と頭を下げたので、お勝は戸惑う。

「徳兵衛爺さん、頭を上げて下さい。それに、そんなことをおっしゃられても困ります! お孫さんをお守りするなんて大役、私にはとても無理ですっ!」

 徳兵衛に釣られるように、お勝の否定する声も徐々に大きくなっていく。

「そこを何とかっ!」

「無理ですっ!」

「いいじゃん、行ってやれば?」

 一連のやり取りを見ていた一之助が、口を挟んできた。

「徳爺ちゃんが、こんなに頼みこんでんだからさ。姉ちゃん、お華さんと仲良しじゃない」

「お華とは、ただの幼馴染だ。それに、五年も家を空ける訳には……」

「ああ、跡継ぎの件なら大丈夫。俺がいるし、二朗太に三之丞もいるからさ」

 にやりと不敵な笑みで、弟は言った。

 確かにお勝には、三人の弟がいる。お勝を含めて全員、物心付いた頃から仕事を継げるように、父の手伝いをさせられていた。

「それに姉ちゃん、鉄鍛えるの一番ヘタクソじゃないか」

「酷いっ、姉ちゃんは少なからず傷付いたぞ!」

 実際、お勝は不器用な人間である。何をやらせても、上手くいった試しはない。ゆえに修行の日々なのである。自覚はあっても、言われるとやはり辛い。思わず泣きそうになった。

 畳みかけるかのように、一之助は満面の笑みを浮かべる。

「それに姉ちゃんは剣を鍛えるよりも、剣を握っている方が合ってると思う。きっと、お華さんを守り切れるって」

「しかし」

 渋るお勝に、一之助が駄目押しする。

「姉ちゃんが行かなかったら、お華さんは路頭に迷っちゃうんじゃないかな? そしたら姉ちゃん、どうするの?」

「うっ、それはっ!」

 言葉に詰まったお勝に、徳兵衛が泣き脅しにかかる。

「頼むよ、お勝さん! 人助けだと思って、どうか孫の用心棒として、旅に付き添ってやっておくれっ!」

「わ、分かりました……」

 結局徳兵衛に拝み倒されて、お勝は渋々引き受けることになったのだ。


 勝之進は語り終えると、大きくため息を吐いた。

「元々お華とは幼馴染のよしみで、扱いは大概慣れている。だがそれでも、どうしようもなく疲れる時が何度となくあった。何度も辞めたいと思った。が、一度引き受けた以上は投げ出せなくてな」

「で、現在に至るってぇ訳かい。勝之進は、責任感が強そうだもんねぇ」

 吟が微笑むと、勝之進は軽く苦笑する。

「いくつになっても幼いお華は、私が手放してしまったら、本当に路頭に迷ってしまうに違いない。もしそうなったら、徳兵衛爺さんに申し訳が立たない」

「あんたさんは、ずいぶん義理堅いんだねぇ」

「長い間お華と付き合っている内に、保護者のようになってきたと思う。薄々そうではないかと、思いつつも気付かない振りをしてきた。だがこの度、第三者の吟に言われた時、やはりそう見えるのかとガックリきた」

「ああ、あれはすまなかったね」

 吟が苦笑しながら謝ると、勝之進は首を横に振った。

「きっかけはどうあれ、お華と旅人になったことを後悔してはいない。お華は相変わらず奇想天外で疲れるが、一緒に居て飽きることはない」

 勝之進の言葉を聞いた時、吟は首を傾げる。

「ん? 旅人? 用心棒じゃなく?」

「用心棒は、資金稼ぎだ。金が貯まったら、島を出るつもりだ」

「へぇ、そうだったのかい。それにしても勝之進は、結構お華を気に入っているようだね」

 勝之進は徳兵衛からどうしてもと頼まれたから、イヤイヤお華の面倒を見ているのだろうと思っていたのだが。どうやら違ったらしい。

「ああ。純粋な心で、たまに核心を鋭く突いてくる。それが時に眩しくて、自分とは違うのだと気付かされる。今なら相棒が、お華で良かったと思える」

「ふ~ん、なるほどねぇ。あんたさんは、相当不器用な人間なんだねぇ」

「よく言われるよ」

 お華の幼い寝顔を見ながら、吟は笑った。勝之進も照れ臭そうに、苦笑した。

「そういえば、あんたさんの刀。ありゃあひょっとして、あんたさんが鍛えたもんじゃねぇのかい?」

「よく分かったな」

「いやぁ、なんとなく」

「初めて旅に出るのでな、精魂込めて鍛えたんだ」

 誇らしげに、勝之進は胸を張った。あの太刀は、勝之進が作ったものだったのか。道理で、素人臭くて不恰好な刀だと思った。

 吟と勝之進は寝るまでの間、たわいのない話をした。それこそ、本当にどうでもいいような話を延々と。そして話し疲れると、久し振りに柔らかな布団で眠りに就いた。


 また、あの夢だ。この国に着いてからというもの、毎晩眠る度に女のすすり泣く声が聞こえる。こう毎日続くとうんざりする。

 しかし、いつも漠然としているはずの夢が、今日はいやに現実味を帯びていた。

 年齢は、十五歳くらいだと思う。美しい高直そうな着物を着た、怖いくらい整った顔立ちの若い女。透き通るほど色白の肌で、指もすらりと伸びている。きっと、箸より重いものを持ったことがないに違いない。

 女は空を舞っていた。普通人が空を舞うなんてありえないから、若草城の操司だ。笑ったら、さぞや美しいであろうその顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。だが、その泣き顔すらも美しいと思えた。

「そんなに泣かないでくれ」と、言いたかった。しかし、声は出なかった。

 女はゆっくりと着地し、しなやかな動きでこちらへ近付いて来た。その光景はまるで、地上に降り立った天女だ。

 泣きながら彼女は手を伸ばし、確かめるようにこちらの頬に触れる。そして、これ以上ないくらいの眩しい笑顔を浮かべ、そのまま抱きついてきた。

「お会いしとうございました、兄上様っ!」

 兄上様? 確かそれは――。

 そこで突然、意識が途絶えた。後は夢も見ない、深い眠りに堕ちた。


 翌朝。久々に熟睡したおかげで長旅の疲れが取れ、すっきりと目覚めることが出来た。野営とは違い危険がなく、冷たく固い土の上ではない、柔らかな布団で安心して眠れることの何と贅沢なことだろう。

 視線を移すと、お華はまだ爆睡中だったが、勝之進はいなかった。厠(かわや=トイレ)だろうか? それとも、下へ降りているのだろうか? 

 お華を起こさないように気を付けながら、そっと布団から出る。

 部屋に麻綱を張って干しておいた着物は、まだ乾いていなかった。着替えたくとも他に着る物もないので、寝巻き姿のまま酒場へ降りた。

 風見鶏亭は水澄し亭と違い、かなり多くの旅人の姿が見られた。階段の上から酒場を見渡すと、四人掛けの席に着いた勝之進の姿が見えた。勝之進も、寝巻きのままだ。

「お早う、吟」

「お早う、勝之進。今朝は良く眠れたかい?」

「ああ」

「それは何より。昨日はずいぶんと疲れた顔をしていたから、心配したよ。傷の方は、大丈夫なのかい?」

 訊ねると、勝之進は寝巻きの上から左腕を押さえて、僅かに笑みを浮かべる。

「ああ、大事ない。心配かけてすまない。お華は、まだ寝ていたか?」

「まだ起きそうになかったよ。じゃあ、あたしらだけ先に食べておくかい?」

 吟の問いに、勝之進は少し考えてから頷く。

「そうだな。いつ起きてくるか分からない奴を待つより、先に食っておいた方がいいか」

 言うが早いか、勝之進は壁にかかった品書きを見る。吟も釣られるように、品書きを見る。昨日も確認したが、風見鶏亭と水澄し亭の品書きはよく似ている。旅籠屋の品書きというのは、どこも似たようなものなのかもしれない。

「勝之進、吟。お早うナリ」

 朝飯を選んでいたところへ、同じく寝巻き姿のお華が降りてきた。

「お早う」

「お早う、お華。ちょうどこれから、朝餉を頼むところだったんだよ」

「あたしも頼むナリっ」

 お華は嬉しそうに席に着いた。すかさず、勝之進がお華に手を伸ばす。

「お前、なんて恰好しているんだ」

「え?」

 寝ている間に乱れたであろうお華の寝巻きを、勝之進が整える。そんな気遣いが、本当にお母さんみたいだ。

 全員の注文が決まったところで、女将を呼ぶ。

「朝餉(あさげ=朝食)定食三つ」

「へぇ、朝三つで。しばらくお待ち下せぇ」

 女将は注文を確認すると、厨房へと入っていった。

 手持ち無沙汰になった勝之進が、吟に向かって口を開く。

「今日の昼過ぎだったな、謁見出来るのは」

「そうだねぇ。昼まで時間がずいぶんと空くけど、どうするんだい?」

「帰り支度をしようと思う」

「ええっ? もう帰るナリか?」

 驚くお華に、勝之進は冷静に言い放つ。

「吟を若草城まで送り届けたら、私達の仕事は終わりだからな」

 勝之進は吟に目を向け、続ける。

「それに、吟にも都合があるだろう」

「じゃああたしらは、今日でお別れなんだね」

「寂しいナリ~」

 心底悲しそうな顔をするお華の頭を、勝之進が優しく撫でる。

「仕方ないだろう。出会いがあれば、別れもある。別れのない出会いなどない」

「そうかも知れないけど、やっぱり寂しいナリ~」

「あたしだって寂しいけど、あたしにも仕事があるからねぇ。それに、あんたさん方を付き合せる訳にはいかねぇさ」

 吟達がしんみりしているところへ、何も知らない女将が飯を運んで来た。

「お待たせしました。朝定食、三つになりまさ」

「なりまさ」ってことは、じゃあ今は何だ? という疑問はよそに、女将は三人分の飯を置いて去っていった。朝飯は、水澄し亭と似たような内容だ。

 炊き立ての温かな飯、だしの香りいっぱいの汁物、醤油で煮付けた里芋の煮物、そして歯ごたえの良さそうな胡瓜の浅漬け。

 汁を一口すすった後、勝之進の動きがぴたりと止まる。

「違う……」

「え? 何が?」

 勝之進が小さく呟いたので、吟が聞き返した。勝之進は、軽く首を横に振る。

「いや、何でもない」

「そうかい? ならいいけど」

 気になったものの、追求するのも気がとがめたので、吟はそれ以上は聞かなかった。

 実をいうと勝之進の様子がおかしかったのは、郷愁のホームシックかかっていたからだ。今まで島を一歩も出ることがなかった勝之進にとって、遠い土地へ行くのは初めての経験だ。

 特に水澄し亭と良く似た旅籠屋に泊まったことで、その想いは益々高まった。しかし、似ているだけでやはり別物。飯の味が違った為、思わず「違う」と、洩らしてしまったという訳だ。


 朝餉の後、吟達は一旦部屋に戻った。

 さすがに、いつまでも寝巻き姿のままでいる訳にはいかない。まだ微妙に湿り気が残る着物に袖を通し、吟達は帰り支度を始めた。

 荷をまとめながら、吟は勝之進に声を掛ける。

「長いようで、短かったねぇ」

「ああ、そうだな」

「今までありがとうよ」

 少し悲しげに言う吟に、勝之進は待ったを掛ける。

「まだ早いだろ。それを言うのは、仕事が終わってからだ」

「あ、それもそうだねぇ。それじゃ、また後で改めて言わせてもらうよ」

「そうしてくれ」

 勝之進がそっけなく言ったので、吟は肩をすくめて笑った。この十四日間で気付いたが、そっけない時は照れ隠しをしている時だ。本当に不器用な性格だ。

「じゃあ、そろそろ行くか」

 ようやく準備が出来たらしい勝之進が、ふたりに声を掛けてくる。

「昼までに買い物済ませないと、謁見に間に合わないから急がなくっちゃねぇ」

 吟が釘を刺したので、勝之進とお華は頷いた。

 若草城の城下町は、活気がある。町中買い物客が溢れ、賑わっている。あちこちから、景気の良い売り声がうるさいくらいに飛び交っている。

「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」

「安いよ、安いよー!」

「特産の土産物は、いかがー?」

 そこを通り過ぎる吟達にも、商売っ気たっぷりの商人達が声を掛けてくる。あちこちから売り込みの声が掛かる度に、お華はキョロキョロしている。吟は笑顔で、それを上手くかわしている。

 勝之進はふたりとは違い、始終無表情だった。いや、それどころか、恐ろしく目が据わった不自然な無表情になってしまっている。もしかすると、人ごみがきらいなのかもしれない。

「よっ! そこ行く兄ちゃん。あ、いえ、何でもないです……」

 売り声を掛ける商人ですら、勝之進のただならぬ表情に尻込みするありさまだ。勝之進本人はそれを気付いた様子もなく、淡々と必要なものを買い揃えていく。

 軒を連ねる店の中に干物屋を見つけ、営業用の作り笑いを浮かべる商人に、勝之進が声を掛ける。

「そこにある、干し芋を一山下さい」

「えっ、は、はい! た、たたた只今、ご用意させて頂きますぅっ!」

 勝之進の口調はあくまで丁寧だが、抑揚のない重低音で、商人をすっかり怯えさせた。無駄に顔が良いだけに、目が合っただけで息をのむ恐ろしさ。例えるならば、真夜中に闇の中で浮かび上がる、妖しくも美しい日本人形。

「あ、あのっ、ご、ごごごごご五十文(約五百円)になりますが……」

「ありがとう」

 干し芋と金子を交換すると、勝之進は愛想良く笑ったつもりだった。だがそれは、ヤクザが睨みをきかせて、口の両端だけを吊り上げた笑みに似ていた。

「どっ、どどど、どどどどういたしましてぇ……」

 あわれ商人は、勝之進が立ち去った後「ひぃ」と、悲鳴を上げて椅子から転がり落ちていた。しかし、吟もお華も周りの賑わいに気を取られていて、勝之進や商人の様子に気付くことはなかった。

 買い物を済ませた吟達は、屋台で昼餉(ひるげ=昼食)を済ませると、若草城へと足を向けた。


  第八章 姫君の旅立ち


 二十万石の若草城の当主和泉守いずみのかみは、由緒正しい血を代々受け継いできた風の操司の家系である。

 若草城の姫君、菊姫は純血の大名の子なので、操司としての力を持っている。純血の操司は見目麗しく、色白で病弱、美人薄命の代名詞のようなものだった。ちなみに肌同様、虹彩こうさいの色素も薄く、橙色であった。

 操司の血は他の血と混ざると、操司の力が失われてしまうという特性を持つ。その為、近親婚が繰り返されてきた。ゆえに、白子(遺伝子異常者)も多く生まれたという。

 菊姫の上には、四人の兄姉がいる。中でも次男の栄吉は、操司の力を持たぬばかりか、歩くことすらままならない白子であった。

 生まれながらに虚弱だった栄吉は、ありとあらゆる病いに罹っていた。その為栄吉は、屋敷の離れに構えられた、小さな小屋に隔離されていた。栄吉は大名の子でありながら、それらしい扱いは何一つされなかった。それどころか、社会的に存在しないものとして扱われていた。その証拠に、元服(武家社会での成人。十五歳くらいが妥当とされる)をとうに迎えている年にも関わらず、いまだ幼名しか与えられていない。 

「生まれ損ない(罵りの気持ちを込めて、生まれつき人並み以下)」と忌み嫌われた栄吉だったが、菊姫は誰よりも兄を慕っていた。大名の子というだけで好奇の目で見られ、しきたりに縛られていた菊姫には、兄は心の拠り所だった。

 離れの小屋には、好奇の目もしきたりも、女中も追い掛けてはこなかった。

「あにさまーっ、あにさまーっ、きいてきいてーっ!」

「ん? どうしたんだい、菊」

 そこに行けば、兄がいつでもどんな話でも真剣に耳を傾けてくれるので、菊姫は頻繁ひんぱんに出入りしていた。何より、優しい兄が大好きだった。

 だが楽しかった日々は、菊姫が十歳になった時、終わりを告げる。菊姫が、謎の熱病ファリジーテに罹ったからだ。主に子供が罹る感染病で、最悪の場合死に至るという恐ろしい病である。だが幸い、菊姫の病状は軽く、七日程で元気になった。

 しかしその一件で、栄吉の立場は一層危ういものとなった。他の人間から見れば、病気の塊である栄吉から感染したと思われて当然だ。故意でないにせよ、姫君を死に至らしめかけたことは大罪とされた。

 元々栄吉の存在を疎ましく(うとましく=嫌で仕方がないと)思っていた老中や家老達は、これ幸いとばかりに追い出しにかかった。栄吉が大名の次男であるにも関わらず、だ。

 まだ菊姫が床に伏せっている内に、栄吉は国外追放された。表向きは環境の良い土地へ療養させるということだったが、見限ったことは誰の目から見ても明らかだった。

 だが後に、栄吉がかつて一度として感染病に罹ったことはなかったと、判明する。ことが終息してから、栄吉の主治医だった男が証言したからだ。

 晴れて無罪放免となったにもかかわらず、栄吉を呼び戻そうと言い出す者は、誰一人としていなかった。ようやく手放すことが出来たやっかい者を、今一度迎え入れてやる必要はないと、家老達は口を揃えて言った。

 それで激怒したのは、菊姫だ。誰よりも、兄を慕っていたからだ。それ以来、彼女は誰にも心を開くことはなくなった。

 四年後。十四歳になった菊姫に、輿入れ(こしいれ=結婚)の話が舞い込んだ。

「やれめでたし。喜べ菊、輿入れが決まったぞ」

「さようでございますか」

 藩主和泉守様が上機嫌で仰られたにも関わらず、菊姫は表情を変えることなく、淡々と応えた。菊姫の態度に、和泉守様はいささか顔を歪ませられる。

「なんだ、嬉しくないのか?」

「いえ、私にはもったいのう話にございます」

 菊姫は和泉守様に向かって、型通り頭を下げた。その様をご覧になられた和泉守様は、下降しかけたご機嫌を直される。

「何、相手は同じ譜第(ふだい=先祖代々続く血縁関係)ゆえ、気を張ることはない。そうじゃ、そなたに輿入れ祝いとしてな、かようなものを用意した」

 和泉守様が手を二つお叩きになられると、黒塗りの膳を持って家臣が現れた。膳の上には、手の平ばかりなる上質な桐の箱がひとつ、載っていた。

「そなたの為に、こたびあつらえた(この度注文した)ものだ。納めるが良い」

「はい」

 桐の箱を開けると、中には美麗なるかんざしが入っていた。

「かような品を戴けるとは……。有り難き幸せにございます、父上様」

「そうであろう、そうであろう」

 和泉守は大層満足げに、声高らかに笑われた。


 その日の七つ時(午後三時)、菊姫は和泉守の部屋へ参じた。

「お父上、少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「何じゃ?」

「すぐ下がりますゆえ、しばしお耳をお貸し願えませぬか?」

 大名の部屋へ現れた菊姫は、今日授かったばかりの簪を手にしていた。

「大変有り難いお話しではございますが、こたびの輿入れをお断りさせて頂きたく存じます」

 菊姫の言葉に和泉守様は大変驚かれ、声を荒げられる。

「なんということを言い出すのだ! かような良縁は、なかなかあるまい。そなたは、生まれながらに選ばれた人間なのだぞっ」

「いいえ、父上様。私の意志は変わりませぬ。私には、いかようにしても成し遂げたいことがあるのです。ゆえに、この簪はお返し致します」

「待て、待たぬか! 菊っ!」

 菊姫は簪を突っ返すと、和泉守様の制止を振り切って城を飛び出した。全ては愛する兄の為に。


 菊姫はまず、城下町へ下りた。

 城下町で情報を集めたところ、どうやら、隣国が医療技術が発達している国らしい。療養目的の者や、老後の移民が良く訪れるそうだ。きっと、兄もそこで療養しているに違いない。

 さっそく隣国へ渡り、兄の居そうな病院や施設を尋ねて回った。ところが、どこにも栄吉という名の患者はいないという。

 菊姫は、小首を傾げた。兄は病弱で、一人で立つことも出来なかったはずだ。

 もしかしたら、体が丈夫になったのかも知れない。そうなっていたら、どんなにいいだろう。立派になった兄に会いたい。

 今頃兄は、二十歳になっているハズだ。もしかしたら結婚して、所帯を持っているかも知れない。奥さんと可愛い子供に囲まれて、幸せに暮らしているかも知れない。

 兄の幸せを思い描きながら、菊姫は顔が緩むのを感じていた。

 

 一年後。母国である若草城から、菊姫の元へ使者がやってきた。

「今まで音さたがなかった栄吉様から、言付けが届きましたゆえ、至急お戻り下さりませ」

 菊姫は半信半疑ながらも、使者と共に若草城へ帰った。

 久方ぶりに菊姫が城へ戻ると、宴の準備がされていた。ひょっとするとあれは、自分を呼び戻す為の罠で、まんまと騙されたのかと思ったが、そうではなかった。

 宴の席に歌唄いがやってきて、菊姫に恭しく(うやうやしく)礼をした。

「とある島におわします、栄吉様から、言付かって(ことづかって=伝言を預かって)参りました」

 そう言うと、歌唄いは歌に乗せて栄吉の言付けを告げた。それは「今一度菊姫に会いたい」と、いった内容だった。

「兄上様が! 兄上様が、私を待っている!」

 菊姫が想っていた通り、兄が、自分を捜してくれていた。兄は自分と会いたがっている。

 なんて嬉しい報告であろうか。喜びが胸いっぱいに満ちて、はちきれそうだ。少しでも早く行って、兄の顔を見たい。きっと兄も、自分と会えたら喜んでくれるに違いない。

 菊姫は身の回りの物をまとめて、その日の内に城を飛び出した。


 ついに兄の居場所を突き止めた。どうやら国を追われて孤児同然になった兄を、不憫に思ったとある剣士が、引き取ってくれたのだそうだ。そして今なお、引き取られた家にいるらしい。

 本州から南西にある島国へ渡り、ようやく兄がいるという城下町へやってきた。長屋通りにはおばさん達が三々五々、何故かゴミ捨て場の辺りでたむろしている。何も、あんな所で立ち話なんかしなくてもいいのに。

 菊姫は、話し合いの場へ近寄った。

「あの、お話し中のところすみません。ちょっとよろしいですか?」

「何よあんた?」

「この辺じゃ、見かけない顔ね」

「組み紐なら、間に合ってるわよ」

 見知らぬ女に声を掛けられて、警戒した態度を取るおばさん達。菊姫は、おばさん達の警戒を緩める為、褒め言葉を口にしてみる。

「お美しいご婦人方に、二三、お伺いしたいことがあるのですが」

「あらやだ、お美しいだなんて!」

「そんな当たり前のこと言ったって、何にも出ないわよっ」

「もう、何でも聞いてちょうだいよっ」

 おばさん達の反応は、好感触。これはいけそうだと、菊姫は心の中で呟いた。早速、兄のことを聞き出そうと、話を切り出す。

「皆様にお聞きしたいのですが、水野さんのお宅はご存知ありませんか?」

「水野? ああ、この先行った所にあるわよ。このあたりじゃあ比較的大きな家だから、すぐ分かるわ」

「本当ですか? お美しいばかりではなく、お優しくていらっしゃる!」

「あらまぁ、そんなオホホホホッ!」

 菊姫の褒めちぎった言葉に、おばさん……名前が分からないので、仮に「その一」としよう。細めのおばさんその一は、満更でもなさそうだ。

「でも、あそこの息子さんはねぇ……」

「え? どうかしたんですか?」

 言葉を濁すおばさんその二を、問い詰める。ややあっておばさんその二は、口を開く。

「水野さんのお宅は、優秀なことで有名なの。男は侍か国勤め、女は学者か教師になるのが暗黙の了解になっているの」

 ぽっちゃり餅肌おばさんその三が、それを補うように言葉をつぐ。

「近年亡くなったお爺ちゃんなんてね、まれにみる剣客(剣術に優れた人)だったらしいわよ」

「へぇ、それは凄いですねぇ!」

 菊姫は素直に、驚いた。

 この国には剣士と、名の付く職業の者は掃いて捨てる程いる。だが、剣客となると数える程しかいない。中でも「剣豪宮本武蔵」は、歴史に残る伝説的英雄だ。歌唄い達が不朽の武勇伝と、こぞって歌い上げる程有名で、知らない者はいない。

 しかし、おばさんその一が少し声を抑えて続ける。

「ところがね、今年二一歳になる息子さん、栄吉さんっていうらしいんだけど。全然ダメなんですって」

「全然ダメって、どういうことですか?」

 兄の名前が出てきたので、菊姫は思わず身を乗り出した。

「ずぅっと、家にこもりきりらしいわ」

「何でも、職にも就かない、嫁も貰わないで、家にいるらしいの」

「そりゃあ、職もないんじゃ、嫁の来手(嫁に来る人)もないわよねぇ」

「その姿を見たって人もいないって話よ?」

「やだ、いつの間にか人知れず部屋で死んでたりしないわよね?」

「おおっ、怖ーい」

 おばさん達は、菊姫とは無関係に喋り続ける。どうやら近所の評判は、あまり良くないようだ。

「どうも、ご協力ありがとうございました」

 それだけ言って頭を下げると、菊姫はそそくさと逃げるようにその場を立ち去る。ここで得られそうな情報は大体得られたから、もういいだろう。それに、これ以上関わっていると延々世間話に付き合わされそうだ。

「ちょっとぉ、待ちなさいよーっ」

「もっとお話しましょうー?」

「せっかくだから、お茶でもどーお?」

「すいませーん。時間がないもので、失礼しまーす!」

 おばさん達の声が後ろから追いかけてきたが、振り返らずに一目散に逃げ出した。菊姫は全力で駆け抜け、何とかおばさん集団から逃げおおせた。

 それにしても兄の体は、そんなに思わしくないのだろうか。近所の評判が、あまり良くないところを見ると、恐らくそうなのだろう。

 酷い話だ。五年経った今でも、そんな迫害を受け続けているなんて。せめて自分だけでも、兄の味方でありたい。最愛の妹が、あなたを慕っていると伝えたい。


 菊姫は、一番大きな家を捜した。すると程なく、目的の家を見つけた。

「水野」の表札がある家は、大層なお屋敷だ。菊姫の倍以上高い白い壁と、檜で出来た立派な門が家を取り囲んでいる。開かれた門の向こうには、漆喰と白木で築かれた豪邸が見える。さながら白亜の殿堂。

 考えてみれば、脆弱な兄を引き取ろうなんて者は、よほどの変わり者だ。博愛主義者か、はたまた元大名の子である立場を利用しようと目論む者か。そのどちらかだろう。出来れば、前者であることを祈りたい。

 門をくぐると、色とりどりの花々が植わった大きな植木鉢と、形良く切り込まれた木々がお行儀良く立ち並んでいる。管理が大変そうだが、きっと庭師を雇っているのだろう。

 白い飛び石の上を歩き、正面口へ向かおうとしたところ、屋敷の離れの方から木が軋むような音が聞こえた。音を辿って見上げると、二階の窓に人影が見えた。菊姫は高鳴る胸を押さえながら、風を操って空を舞い、二階へ移動した。

 すると腰掛に座った青年が、こちらを驚いた様子で見ている。青年は明らかに病で痩せ細ったと思われる、脆弱な体をしていた。痩せこけた生青白い肌、病んでくすんだ髪、落ち窪んだ橙色の瞳。菊姫は、一目で兄と分かった。

 菊姫は窓枠を越え、微笑んで兄に歩み寄った。すると兄は動くのも辛いだろうに、わざわざ立ち上がって微笑み返してくれた。

 なんせこんな体だ。自分が来るまで、ずっと待っていてくれたのだろう。

 菊姫は、感激で胸がいっぱいになった。喜びが体中に満ちて、涙となって溢れた。確かめるように兄の頬に触れ、そのまま兄に抱きつく。

「お会いしとうございました、兄上様っ!」

「……」

 兄が何かを呟いたようだったが、菊姫の耳には届かなかった。だがきっと、自分の名を呼んでくれたに違いない。それだけでもう、菊姫には充分だった。


   第九章 若草城


 若草城は空に向かってそびえ立つ、立派な城だった。城全体が緑色に染まっていて、目にも鮮やかだ。良く見ると、漆喰で塗り固められた壁に、大量の若草色のつたが這っている。風に吹かれる度に葉が一斉に揺れ、太陽の光を受けて煌めいた。

「この植物は、季節を問わず、年がら年中色を保ち続けるのさ」

「それで、若草城というのか」

「綺麗ナリー」

 立派な門の前には、大木のような男と、男のような大木が立っていた。

「これは、和泉守様が作られた芸術品オブジェです」

 吟達が近付くと、大木のような門番が、聞きもしないのに説明してくれた。人が近付いたらそう言うように、言いつけられているのかもしれない。

 芸術品と言われても、芸術的観点が分からない吟達は、どうしたもんかと戸惑った。とにかく、何か言わなければならない衝動に駆られて、吟はいかにも感嘆したという振りをして声を張り上げる。

「へぇ、そうなんですかぁ! いやぁ、素晴らしいですねぇ。この質感といい、この造形といい。あたしにゃ、とても出来ない!」

「さすが、光る何かを感じますっ!」

 空気を読んだ勝之進も、わざとらしく驚いてみせた。勝之進は横で呆けていたお華の脇腹を、肘で突付く。

「あっ、え、えっと、本当に凄いナリねー!」

 お華も一生懸命、演技した。すると門番は、満足げに笑みを浮かべる。

「そうでしょう? そうでしょうとも。何たって和泉守様は、芸術に長けていらっしゃるから。それで、一体何の用ですか?」

 上機嫌の門番に促され、吟が口を開く。

「菊姫様に歌を献上するべく、参りました。謁見の許可を頂きたく存じます」

「しばらくお待ち下さい」

 門番は、門の脇にある小さな扉を開け、門内にいる小男に声を掛けた。門内にいた小男は、門番と言葉を交わすと、小さく頷いて城内へと入っていった。

「今、あの者が謁見の許可を取りに行きました。それでは待っている間に、我が国のお話でも……」

 それから吟達は、門番が話すお国自慢を、延々聞かされることとなった。

 話を半分以上聞き流しながら、吟はただ早く時間が過ぎてくれと考えていた。目の端で横を見ると、勝之進は一応聞く振りをしているが、心ここに在らずといった感じだ。一方、早々に話を聞くことを放棄したお華は、手遊びなんかをしている。

 約半刻(一時間)後、小男が戻ってきた。

「謁見の許可が出ました」

 小男が言うと、門番は残念そうだった。まだ喋り足りなかったのだろうが、吟達はもううんざりだった。一刻も早く、この門番から開放されたかった。

「開門ーっ!」

 門番の号令と共に、キキキキィーッと、甲高くきしむ音を立てながら、門は開いた。その音は鉄板を鉄の棒で引っかく音に似ていて、その場にいた者全員の背筋を凍らせた。音が止んだ後も、音が耳にこびり付いて寒気を覚えた。

 良く見ると、門の蝶遣いが紅く錆び付いている。

「すまん、すまん。しばらく、油を差すのを忘れていた」

「おいおい、頼むよ」

 門番が頭を掻いて笑うと、小男も笑いながら門番の脇腹を突付いた。しばらく門番と笑い合ってから、小男はこちらへ向き直る。

「では、ご案内させて頂きます」

 小男が、先に立って城内へと入って行く。吟達も遅れずに付いて行った。

 小男は並んでみると思った以上に小さく、五尺余(約一五一センチ強)といったところか。年齢は三十くらいだろうか。飾り気はないが、小奇麗な着物を着ている。吟は自分が着ている着物が、急にみすぼらしく思えた。

 門をくぐると、漆喰をこれでもかと厚塗りした城は、空気が澱んでいて、息苦しくカビ臭い。お華は手拭いを取り出して、口元を押さえた。

 小男の後を付いて行くと、木造の長い廊下が奥へと続いている。

「広いナリー」

 お華が見たままの感想を言う。それほど廊下は広く作ってあり、大の男が五人や六人横一列で歩いても平気なくらい空間がとってある。

 廊下には、どこに続いているのか分からない、数多くのふすまが並んでいた。それこそ迷宮のように入り組んでいて、かくれんぼなんかした日には、迷子になることは間違いない。

「絶対はぐれないようにして下さいね、迷子になりますから」

 まるでこちらの思惑を悟ったかのように、小男は笑いながら振り返った。

「気を付けます」

 勝之進は返事をすると、後ろに続くお華に手を差し伸べる。

「お華、手ぇ出せ」

「はいナリっ」

「絶対に、手を離すなよ」

「分かったナリ!」

 そんなやりとりを、吟は微笑ましく眺めていた。すると勝之進は、意味深長な笑いを吟に向けた。

「吟、お前も手ぇ出せ」

「えぇっ? あたしもかい?」

「はぐれたくないだろ?」

「うーん、仕方がないねぇ」

 結果、勝之進を挟んで三人横一列、手をつないで歩くことになった。

「仲良しさんですね」

 小男に笑われた途端、勝之進は顔を紅潮させた。どうやら言われるまで、気付いていなかったようだ。自分がしていたことが、母親が幼子にすることと同じだったことに。恐らく、はぐれない為の対策のつもりだったのだろうが。

 笑われたことが、相当悔しかったらしい勝之進は、お華に話し掛ける。

「お華、お兄さんとも手をつないで上げなさい。仲間外れは、可哀想だろう?」

 お兄さんと呼ぶには、老けすぎている気もするが。小男は、まさか自分も手をつなぐことになろうとは予想していなかったらしく、目を丸くする。

「わ、私もですか?」

「当然です。案内係の貴方がいなくなったら、私達だけでは辿り着けません」

 勝之進が鋭い目で睨むと、小男は渋々お華と手をつないだ。

「うぅ、分かりました」

 恥ずかしさで顔を紅くした小男が歩き始めると、四人は仲良く連なるようにして廊下を歩いた。ぞろぞろお手てつないで歩く光景は、少々異様だった。 

 しばらく歩いてから、小男はいくつもある中の、一つのふすまの前で立ち止まった。

「こちらが、詰所(控え室)です」

 小男は、お華と手をつないでいない方の手で、ふすまを開いた。詰所と呼ばれる広間は、座布団も火鉢もない実に簡素な作りだった。今はいいが、冬場はさぞかし寒いことだろう。

「こちらで、しばらくお待ち下さい」

 小男はそれだけ言うと、お華から手を離した。小男は入って来たふすまとは、また別のふすまから出て行った。

「また待たされるのか」

「大名ってぇのは、しきたりとか形式にとらわれる人種だからねぇ」

 小男が手を離したのを期に、吟達も手を離して畳の上に腰をおろした。

「姫様に会うって、大変ナリ~」

「これじゃあ、会えたとしても、操司の力は見せてもらえないだろうねぇ」

 吟がため息を吐くと、お華は唇を尖らせながら足を伸ばして左右に動かした。

「えー? せっかく操司に会える、またとない機会ナリよー?」

「我がまま言うな」

 勝之進は、お華の弁慶の泣き所を軽く蹴った。そんなに強く蹴ったようには見えなかったのに、お華は痛みのあまりその場にうずくまってしまった。

「確かに、姫君に会えるなんてめったにない機会だけどさ。この雰囲気じゃあ、多分断られそうだよねぇ。『したきりがどうとか』って」

「残念ナリ」

「そう、気を落とすな」

 勝之進は慰めるように、うずくまったお華の頭を優しく撫でた。

 四半刻(三十分)ほど待たされた後、先程の小男が現れた。

「こちらへどうぞ」

 小男は、待ちくたびれた吟達に向かって、声を掛けてきた。それに促されるように、小男について行く。ふすまを出ると、また木造の廊下があり、少し歩くとまたふすまがあった。そのふすまを開くと、また別の廊下へ繋がっていた。

「案内係がいなかったら、確実に迷うナリ」

「ああ。そうだな」

 お華の呟きに、勝之進も同意した。

 また新たに現れた廊下は、今までより倍の広さを持つ廊下だった。その先には、今までとは明らかに違う、立派なふすまが立ちはだかっていた。ふすまには、相当な腕前の絵師が描いたと思われる盛観な絵や、細やかな細工が施されている。いかにも、これから偉い人が待っていますと分かる物々しいふすまだ。吟達は、緊張しない訳がない。小男は小さく笑った。

「こちらが、謁見の間です。くれぐれも、失礼のないように」

 小男が注意してまもなく、そのふすまがゆっくりと開かれる。その先には、驚くべき光景が広がっていた。

 まず、部屋の大きさが半端ではない。畳の数にして、優に百畳。木造の大部屋には、真新しい藺草いぐさの青い匂いがする。綺麗な上等の畳は、上を歩くのがもったいないくらいだ。そんな広い空間に、戸を開け閉めする係の者と、老中、そして大名の三人しかいないのだから一層驚く。

 部屋の半分くらいから一段高くなっており、その上段に、大名が鎮座している。高直そうな絹織物で作られた着物に身を包んだ、五十ばかりなる男。

 この男が若草城の現当主、和泉守いずみのかみである。色白の肌、作り物のような整った顔立ち。色素の薄い橙色の目が、こちらを窺っている。その存在感だけで、近寄りがたい雰囲気をかもし出している。

 そういえば、嫡子の栄吉も、使者の風見も同じ目をしていた。栄吉が橙色なのは当然だが、風見は大名とは関係のない出だと言っていた。しかし、なんらかの血縁関係はあるのかもしれない。はて、と吟は首を僅かに傾げた。

 初めて見る光景に吟達が硬直して立ち尽くしていると、小男が手振りで付いて来るよう促した。

「あ、すみません」

 弾かれたように、吟達は慌てて付いていく。案内役の小男が緊張した面持ちで進み出て、下段の中ほどでひざまずき、畳に額を擦り付けるように頭を下げた。吟達もそれを習う。

 元より部屋の下段に座っていた老中が、声高らかに口を開く。

「申し上げます。こちらの者共は、菊姫様に歌を届けに参ったという、旅の者にございます」

「ふむ、心得た」

 上段に座った大名は、老中に向かって軽く頷いた。次に、吟達に向かって口を開く。

「私は若草城第十六代当主、和泉守である。一足違いであった、旅の者よ。菊は、もうここにはおらぬ」

 それを聞いた吟が、弾かれたように顔を上げる。

「ここにはいらっしゃらないとは、どういうことですか?」

「十日ほど前に、お前達と同様に歌を届けに来た者共が来た。歌を聞いた菊は、急いで旅に出ると申してな。城を飛び出してしまったのだ」

「それは、どのような歌でしたか?」

 吟が尋ねると、和泉守は首を横に振った。

「ようと覚えてはおらぬ。ただ、菊は『兄上様が私を待っている』と、申しておった」

「菊姫様は、兄上様のところへ行かれたのですか」

 吟が呟くと、和泉守は頷く。

「うむ。実はな、行方知れずになっていた菊の兄を、偶然見つけてな。使者を出して、数人の流しの歌唄いに歌を届けさせるように命じたのだ。もし他の者共がダメでも、誰か一人が届けられれば良い。言わば、保険だ」

「保険……」

 吟は酷く衝撃を受けて、口の中で繰り返した。ここまでやって来た吟の苦労は、一体なんだったのだろう。

 それに、和泉守の言葉は、自分達の都合が良いように事実を包み隠している。行方知れずにしたのは、一体誰だと思っている? 怒りを押し隠すように、吟は奥歯を強く噛み締めた。

「よって、お前達の仕事は終わった。旅の者達よ、ご苦労であった」

 和泉守が手をふたつ叩いた。すると奥のふすまが開かれ、切り餅ひとつ(一分銀=約一万五千円強を、百個紙で包んだもの。約百五十万円強)を膳に載せた男が現れた。

「お前達にも、それなりの褒美を取らせよう。納めるがよい」

 和泉守が言うと、吟が小さく首を横に振った。

「いいえ、和泉守様。あたしゃ、いえ私は、歌唄いとして参ったのでございます。歌を献上出来なければ、報酬は頂けません」

「ふむ、それもそうか。ならば、その歌とやらを、今この場で披露してみせよ」

 だが吟は、再び首を振った。

「それは、出来ないご相談にございます」

「何?」

 その言葉に、和泉守は色を変えた。勝之進とお華も驚いて、吟の横顔を見た。

 吟は和泉守の顔を見つめながら、言葉を紡ぎ出す。

「私は、必ず菊姫様ご本人にお届けするよう、おおせつかって参りました」

「だから、菊はもうここにはおらんと、先程から申しておるであろう」

「菊姫様ご本人でなければ、歌をご披露する訳には参りませぬ」

「ええい、強情な奴め。そんなことにこだわらず、歌えば良いではないか!」

「出来ません」

 吟は、頑なに断り続けた。その態度は、和泉守の機嫌を損ねた。

「もう良い! そんなに言うのならば、褒美は取り下げる。立ち去れ!」

「み心のままに」

「お帰り下さい」

 吟達の側にいた小男が無表情で立ち上がって、先程入って来たふすまの外へ出た。それに逆らうことなく、吟達は謁見の間を後にした。

 ふすまが閉まるなり、小男は表情を緩めて嘆息した。

「『くれぐれも、失礼のないように』と、入る前に釘を刺しておきましたのに」

「すいません」

 吟は、頭を下げて謝った。すると小男は、苦笑する。

「和泉守様は、癇癪持ち(キレやすい性格)なのです。一度怒らせたら、手が付けられません。ですが、そなたの言うことも、間違ってはいません」

 小男は話しながら、今まで来た廊下を戻り始める。吟達も、その後をついていく。

「流しの歌唄いを何人も雇って、このような事態を招いたのは私達の方です。そしてそなたは、約束を守った」

「単にガンコなだけですぜ」

 吟が自嘲気味に笑うと、小男は穏やかに笑って首を振る。

「それは大事なことです」

 小男は、廊下のふすまを開けた。ふすまの向こうには、先程の廊下が続いていた。その先にあるふすまを開けば、先程の詰所に出るはずだ。しかし小男はそのふすまは開かず、別のふすまに手をかけた。

「さっきと、道が違いやせんか?」

 勝之進が問うと、小男は振り向きざまに、口元を意味ありげに吊り上げて笑う。

「良くお気付きになりましたね。詰所を通らずとも、道はたくさんあるのですよ。ですから、迷子にならないように、しっかりついてきて下さいよ?」

「そうか」

 察しがついた吟が、声を上げた。

「あえて分かりずらい道を辿って、城の内部を悟らせないということですか」

「ご名答」

 小男は、手を叩いて吟を褒めた。

「城は、大名を守る為の砦でしてね。住みやすさより、戦が起こった際、いかに敵襲を防ぐかが、重点に置かれた設計になっています。正直住居としては、不向きですよ」

 小男は、苦笑しながら続ける。

「夏は外より暑いし、冬は外より寒い。換気もあまり効きませんから、空気が澱んで臭いですしね」

 それを聞いたお華は、小さく唸ってつまらなそうな顔をした。

「む~ぅ。お城の暮らしって、いつも宴とかしていて、楽しくて素敵なものだと思っていたナリ」

「確かに宴をすることもありますが、滅多にやりませんね。お金が掛かりますし、人を多く招きますから、それだけ警戒も怠れません」

「暗殺の危険性も、考慮しなければならねぇからねぇ。宴をやるということは、それだけ国に大きな負担が掛かるのさ」

 吟が付け足すように言うと、小男は驚いて目を見開く。

「良くご存知ですね」

「いやいや、知識だけですよ」

 褒められて、吟は照れくさそうに笑った。褒められるのは、悪い気がしない。

「実際城に入るのは、これが初めてです。入ってみたら、予想以上に暑くて驚きました」

「そうでしょう」

 小男はおかしそうに笑いながら、次のふすまを開いた。ふすまの向こうには、また廊下が続いている。こんなに似たような廊下ばかりをぐるぐる歩かされては、道順を覚えようにも覚えられない。吟は、少々頭痛を覚えた。

「さぁ、外ですよ」

 小男の言う通り、前方から日の光が見えた。ずいぶん久方振りに見る光に、迷路の中を彷徨っていたような錯覚すら覚える。それほど城の中は薄暗く、圧迫感があった。

 太陽はまだ少し傾いたくらいで、それほど時間が経っていなかったことを知る。城の中では、時の感覚すらも鈍らせるようだ。

「ありがとうございました」

「機会があれば、またお越し下さい。その時には、歌も聞かせて下さいね」

 吟達は小男に礼を言うと、城を後にした。城下町を歩きながら、お華が大きくため息を吐く。

「せっかくここまで来たのに、残念だったナリ」

「久々に喋ったな、お華」

「そういえばそうだったね」

 城の中では、珍しく口数が少なかったことを思い出す。手をつないでいる時以外は、お華は口元を手拭いで覆っていた。

「だって、カビ臭くて息が出来なかったんだナリ」

「まぁ、確かに臭かったねぇ」

「息が出来ないと、いうほどではなかったが」

 勝之進が首をひねると、お華は顔をしかめる。

「カビをバカにしちゃダメナリっ! 吸い過ぎたら、病気になるナリよ!」

「確かに、カビは体に良くない。だが、城の人達は皆平気そうだったな」

「免疫が出来てんのかねぇ?」

「免疫って、そんなに簡単に出来るナリ?」

「出来ないな、多分」

 勝之進の答えに、吟は呟く。

「じゃあ、やっぱりあの噂は本当なのかねぇ?」

「噂って、何ナリ?」

「操司は、短命だって話さぁ」

「確かに簡単に死ぬと聞くな。原因はカビか?」

「体が弱っていれば、どんな病いにでも罹るだろうよ」

 吟達は、意外な真相を見つけたような気がした。

 活気で賑やかな表通りを抜け、風見鶏亭へ戻ってきた。そんなに長い時間離れていた訳でもないのに、久々に戻って来たという感じがするのは何故だろう。

 吟達は荷を取りに、二階へ上がった。干しておいた洗濯物を取り込み、部屋を片付ける。出掛ける前にまとめておいた荷物を持って、酒場へ降りた。

 四人掛けの席に着くと、吟は大きくため息を吐いた。

「どうした?」

 勝之進が尋ねると、吟は荷から紙を数枚取り出した。それは、吟が書いた歌だった。

「この歌、何日もかけて考えたってぇのにさ。歌えねぇなんて、あんまりじゃないか」

「必ず、本人に届けるように言いつかったのだろう? お前は約束を守った、それは正しいと思う」

「そうだけど……」

 口ごもる吟に、勝之進は優しく微笑む。

「今度は、それよりもっと良い歌を作れば良い」

「ああ、そうだね。ありがとうよ」

 吟は礼を言うと、未練がましい自分の気持ちと共に歌を捨てた。そして懐から財布を取り出すと、金子を勝之進に手渡す。

「これ、今回の依頼料」

「え? だって、仕事は成功していないじゃないか」

「お姫様には、会えなかったナリ……」

 残念そうな表情を浮かべる勝之進とお華に、吟は笑いかける。

「元々あんたさん方と、あたしの任務は違うものじゃないか。あんたさん方はちゃんと、あたしを若草城まで送り届けた。だから、受け取る権利があるさ」

「いいのか?」

「クドいねぇ」

「それじゃ、遠慮なく受け取っておこう」

 勝之進は、薄く笑ってそれを納めた。吟はそれを確認すると、口を開く。

「ああ、それから」

「なんだ?」

 吟はおどけるように、笑みを浮かべながら言う。

「あんたさん方を、もう一度雇いてぇのさ。今度はあんたさん方の故郷に、用事が出来たんでねぇ」

「喜んで」

 勝之進は珍しく、声を立てて笑った。


   終章 


 若草城を後にしてから、二十日後。勝之進とお華は、久方振りに母国の土を踏んだ。

「やっと帰って来られた……」

「わーいっ、久し振りナリーっ」

 やはり嬉しいのだろう、勝之進とお華の顔に自然と安堵の笑みがこぼれた。

 思えば吟は、もう長いこと祖国の土を踏んでいない。祖国に残してきた親兄弟は、今頃どうしているだろう。郷愁の思いに駆られて、視線を落とした。

 きゃっきゃうふふをしていた勝之進とお華が、急に静かになった。何やら不自然な雰囲気を感じる。ふと視線を移すと、港に人だかりが出来ていた。その人達は皆、厳かな表情で喪服を着ている。しかし、棺桶が見当たらない。それに、港に集まっているのは何故だろう? 

「あれは、葬列かい?」

 吟が勝之進に尋ねると、勝之進は伏せ目がちに答える。

「ああ。この島では、人が死ぬとその遺体を焼き、遺骨を三十日間家で安置する。そして、遺骨を海へ還すんだ。港で人が集まっているということは、その儀式を行っている最中なのだろう」

 鎮魂の鐘が鳴り響いて、真っ白な鳩が一斉に放たれる。晴れ渡った青空に、鳩の白さが際立って眩しい。お華がそれを見上げて、手放しで喜んでいる。

「うわー、凄いナリーっ!」

「ああ、そうだな」

 勝之進は、遠い目をして呟いた。

「あ……」

 参列に一際目立つ、操司特有の色素の薄い白い肌、橙色の目をした若い女。若草城の大名と同じだと、吟は気が付いた。恐らくあれが、菊姫だ。

 と、いうことは、これは栄吉の葬列なのだろう。若草城の元後継者で、菊姫の兄上様。本当ならば国を継ぐ身だったのに、生まれつき虚弱だったが為に、国を追放された可哀想な若君。

「栄吉様は、菊姫様に会えたのだろうか……」

 吟は不運な人生を終えた若君を、哀れに思った。

                 

 太陽が西の空へ傾き、朱色の光彩が世界を染め上げる。空は蒼から黄、黄から朱へと、自然が作り出す、見事な段階的色彩の変化グラデーションが美しい。夕暮れが近付くにつれ、くさむらからは虫達の大合唱が始まる。

 日が傾いて涼しくなった風が、吟の髪の毛を乱して吹き抜けていった。

「いよいよ、お別れなんだねぇ」

「もうお別れなんて、寂しいナリ~っ」

「こら、我がまま言うな」

 親に置いていかれそうになって、すがりつく子供のように泣くお華を、勝之進は宥める。そんなお華を見て、吟はいとおしそうに笑う。

「ふたりとも、短い間だったけど世話になったねぇ。一緒に旅が出来て、本当に楽しかったよ。今までありがとう。もう会えないかもしれな――」

「吟!」

 吟の言葉をさえぎるように、勝之進が声を張り上げた。

「な、何?」

「『もう会えないかも』なんて言うな! また会うんだ、私達はまたいつか!」

 勝之進の声量に、度胆を抜かれた吟だったが、一瞬後には嬉しそうに笑う。

「そうだよねぇ」

「ああ」

 勝之進と吟は、どちらからともなく握手を求めた。確かめるように、その手を握り締める。その上にお華が手を重ねて、満面の笑みをふたりに向ける。

「そうナリ、また会えるナリ」

「お華」

 吟はゆっくりとした動きで、お華の顔を見つめ返した。

「あんたさんと出会ってから、ずっと言いたかったことがあるんだよ」

「何ナリ?」

 お華が小首を傾げると、吟は深く息を吸い込み、一気に言い放つ。

「『ナリナリ』喋るんじゃねぇっ! 真面目な場面でも、あんたさんの口調で全部ブチ壊しなんだよ!」

「う、あー。わ、わかったナリ!」

「分かってねぇじゃねぇかぁ……」

 思わずがっくりとうなだれる吟の肩を、勝之進は同情するように叩いた。

「すまん。こいつは、こういう奴なんだ」

「勝之進、あんたさんもお華を甘やかすのもいい加減にしなよ。さもないと、一生あのまんまになっちまうよ?」

 吟が力なく言うと、勝之進は僅かに苦笑する。

「放っておいても、そのうち治るだろう。一生あのままってことはないだろう」

「だといいけどねぇ」

 吟は「ははは」と、力なく笑った後、急に真剣な顔付きで口を開く。

「勝之進」

「なんだ?」

「お華」

「なんナリか?」

「好きだ」

 吟の告白を聞くなり、勝之進の顔が真っ赤に染まる。

「え……?」

「あちしも、吟が好きナリよ~っ」

 お華は無邪気な笑顔で、即答した。

 一方珍しく取り乱していた勝之進が、お華の反応を見て「ああなんだ、そういう意味か」と呟いた。仕切り直すように、ひとつ咳払いをした後。

「私も、お前が好きだ」

 と、照れ臭そうに微笑んだ。

 どうやらふたりには、友情の「好き」と勘違いしたようだ。

「やはり、二頭追うものは一頭も得ずか」

 ふたりに気付かれないように、小さく口の中だけで呟いた。実は結構本気の告白だったのだが、ふたり同時に告白したらそうなるだろう。ふたりから平手打ちを受けなかった(もしくは殴られなかった)だけ、良しとしよう。

 吟は、勝之進とお華と別れた。また再び、出会えることを願って。


 それから吟は、さらに船を乗り継いで、南国へと向かった。ここは本州と違って湿度は高くないものの、灼熱の太陽がじりじりと肌を焼く。以前より、さらに暑さが厳しくなったようだ。

 吟は以前訪れたことのある飯屋へと、足を向けた。

「風見さんっ」

 のれんをくぐるなり、若草城の使者の名を呼んだ。盆に湯飲みを載せた風見が、懐かしそうに笑顔で近付いてくる。

「これはこれは、いつぞやの歌唄い殿ではございませぬか」

「風見さんはご存じだったのでしょう?」

「何をです?」

「菊姫様の件です。すっかり無駄足をさせられっちまいましたよ」

 皮肉な口調で今までの経緯を踏まえて伝えると、風見は苦悶の表情を浮かべた。

「ええ、存じておりました。ですが、確実に言付けを届ける為には、仕方なかったのでございます」

「そうかもしれやせんが」

 吟はぎりっと、奥歯を噛み締める。

「兄上様は、先日亡くなりやした」

「え……」

 風見は絶句した。ややあって、風見は目を伏せて絞り出すような声で呟く。

「それはお可哀想に……。菊姫様は、死に目に会われなかったのでしょうか?」

「分かり兼ねます。ですが、葬儀に参列されているのは、お見掛けしやしたぜ」

 首を軽く横に振りながら答えると、吟は視線を落とした。風見は悲しげな口調で、ぽつぽつりと言葉を紡ぎ出す。

「そうで、ございましたか。それがしも、参列しとうございました」

 吟はいつぞやの夢を思い出していた。風見と同じ橙色の目をした美しい女が、

「お会いしとうごさいました、兄上様っ!」

 と、泣きながら叫んでいた。今思えば、あれは菊姫様だったのだ。

 ただの夢だったと、片付けてしまえばそれまでだが、会えたと信じたい。

 小さく笑うと、吟は荷から合羽と笠を取り出す。                                 

「これ、お返ししやす」

「お役には立ちませんでしたか」

「いやぁ、そんなことはありやせんでしたがね。やはりあたくしにゃあ、過ぎたものですので」

「そうですか」

 風見は残念そうに呟くと、合羽と笠を受け取った。

「それでは、これにて失礼しやす」

 吟が軽く片手を振って立ち去ろうとすると、風見が名残惜しそうに呼び止める。

「もう、行かれるのですか?」

「ええ。ここは、あたくしにゃ合わないんでね」

 にっと虚無(きょむ=ニヒル)に笑って見せると、吟はその場を後にした。


                                了

三部通してお読み頂けた方、お疲れ様でした。

そして、お付き合い頂きまして、ありがとうございました。

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