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第二部 出会い

残念時代冒険物の第二部です。ここから、ライトノベルを意識して書いたので、非常にぬるいコメディとなります。しかもメタい。

   第四章 ふたりの署名


 吟の目の前には、「水澄し亭」という名の簡素なたたずまいの旅籠屋が建っている。格安で食事や寝泊りが出来る為、旅人達の拠点であり、用心棒達の溜まり場となっているそうだ。

 昨日大浴場で出会った爺さんの話によると、旅人達はここで用心棒を雇い、連れ合って新たな旅へ出かけるのだという。吟も用心棒を雇う為、ここへ来た。

 水澄し亭ののれんをくぐると、中は大層広い酒場だった。朝早いせいか、人影は少ない。入って右手には、厨房の店主と対面式の横一列の客席バーカウンタ。左手には四人掛けの席が十ほど並んでいた。壁には掲示板らしきものが設置されていて、ふたりの客が掲示物を見ている。中央には、相席用の十人掛けの大きな机が置かれている。

 酒場の隅には、年季の入った火鉢が押しやられていた。こんな時季に、火を入れる馬鹿はいない。 

 中に入るなり漂ってくる飯の炊ける甘い香りと、魚が焼ける香ばしい匂い、いくつもの素材から煮出されただしの芳香が、鼻腔をくすぐった。あまりの良い香りに、思わず深呼吸してしまったほどだ。

「いらっしゃい、どこでも好きな席をどうぞ」

「へぇ、どうも」

 入り口で立ち尽くしていると、いかにも人が良さそうな女将が声を掛けてきた。吟は会釈しながら、大木で作られた対面式の席に着いた。木製の簡素な椅子は、あまり座り心地が良いとはいえない。申し訳程度の座布団は乗せられているが、幾人もの尻に敷かれて煎餅布団もいいところだ。

「ご注文は?」

「じゃあ、飲み物を頂けやすかい?」

「あちらからどうぞ」

 女将が指差した壁には、品書きの木板がびっしりと掛かっている。どの品も旅人の懐を考えてか、良心的な価格だ。

「蕎麦茶を一杯」

「おや、朝飯はもう食べたの?」

「ええ」

 客が少なく、暇そうな女将に話を聞いてみる。

「人を雇いに来たんですが、どなたか良い用心棒はいませんかね?」

「そりゃあ、間が悪かったね。何でも大きな仕事があるとかで、出払った後なんだよ」

「ありゃぁ、そうですかい……」

「ああ。でも簡単な仕事だったら、あそこにちょうど良いのがいるよ」

 吟が肩を落としていると、女将が掲示板の方を指差した。そちらを見ると、一組の若い男女が座っていた。彼らを見た時の衝撃は、忘れられない。

 超一流の絵師が丹念に描き上げたような、盛観な顔立ち。切れ長の目元が、涼やかだ。動いていることが不思議なくらい、はっと息を飲むほど美しい色男が座っていた。歳は十六歳くらいだろうか。

 かたや、人形師が丁寧な仕事で作り上げたような、可愛らしい女の子が少年の向かい側に座っている。歳は、十といったところか。その愛くるしさに、思わず頬が緩んだ。

 容姿が十人並みな吟は、劣等感を抱かずにはいられなかった。

 一見、近寄りがたい風貌のふたりだったが、耳を傾けてみると意外にも親近感が湧いた。

「たまには、お魚が食べたいナリよ~」

 駄々を捏ねる少女。子供らしい可愛い声に、何故か不思議ちゃんな喋り方。

「我がまま言うな。ここで美味い飯にありつけるだけ、ありがたいと思え」

 想像した通り凛とした声の少年が、品書きで一番安いもりそばをすすった。少女も渋々、それに習う。

「確かに、水と干し芋よりはましナリ」

「そうだろ」

「それでも、お魚は食べたいナリ」

「早く、次の仕事探さないとな」

 少年は掲示板を横目でちらりと見て、少女に言い聞かせるように言う。

「大きな仕事をこなせば、大金が入ってくる。が、もれなくそれなりの危険も付いて来る。それをこなせるほど、私達は強くない」

「簡単で、大金が入るお仕事があれば良いナリね~」

 少年は黙って、そばを口へ運ぶ。少女は頬杖を付いて、ため息まじりに呟く。

「たまには気分転換に、どこか遠くへ行ってみたいナリ」

「無茶言うな。飯を食うのがやっとなのに、遠くへ行くなど……」

「あのぅ、仕事探してんですかい?」

 吟は笑いを堪えながら、ふたりに声を掛けた。

「はい?」

 少年がこちらを向いた。遠目からも綺麗だと思っていたが、正面から見るとかなりの迫力だ。「生きている芸術品」そんな言葉が、しっくりくる。そんな少年が、語りかけてくる。何だか変な気分だ。

「どちら様ですか?」

「あたしゃ流しの歌唄いで、吟次郎ってぇケチな野郎でさ」

「流し?」

 聞くなり、少年は僅かに首をひねった。もしかすると、彼は流しを知らないのかもしれない。

「流しの歌唄いっちゅうのは、楽器を弾き語りするのが仕事で、歌を作って人に届けたりもするんです。けど、一人旅だと色々危険なんで。その護衛を頼みたいんですけど、どうですかねぇ?」

「何故、私達に? こう言ってはなんですが、私達はまだ経験が浅いのです」

「あんたさん方の他に、仕事を引き受けてくれそうな用心棒がいねぇから」

 吟の言葉を聞いて、少年は酒場内をざっと見回して頷く。

「引き受けるかどうかは、内容によります」

 吟は小さく笑うと、荷から地図を取り出して机の上に広げた。現在地を指差し、横に指を滑らせる。

「そう、面倒臭ぇ仕事じゃねぇんですよぉ。ちょいと、若草城まで送って欲しいってぇだけでして」

「本州の若草城ですか。確かそのあたりは、妖魔が出るとかいう区域ですよね?」

「ええ、まぁ。もちろん、謝礼はそれなりにしますぜ?」

 吟は人懐っこい笑みを見せ、手で金を表わす仕草をした。少年は少し思案した後、向かいに座った少女に訊ねる。

「おはな、どうする?」

「いいナリ」

 お華と呼ばれた少女は、いとも簡単に頷いた。即答だったので、吟はちゃんと彼女が話を聞いていたのか不審に思った。少年もそう思ったらしく、驚いたように聞き返す。

「いいのか?」

「今は、仕事を選り好みしている場合じゃないナリ? それに勝之進が決めたのなら、あちしはそれについてくしかないナリよ」 

 少女はまっすぐ、少年を見つめながら答えた。少年は満足そうに頷き、少女の頭を撫でる。

「そうだな。お前の言う通りだ」

 微笑ましい光景だが、蚊帳の外にされた吟は寂しかった。ややあって、少年はこちらへ向き直る。吟は自分の存在を思い出してもらえて、ほっとした。

「その依頼、受けさせて頂きます」

「そりゃあ、良かった。あ、そうそう。あたしゃ堅っ苦しい敬語は苦手なんで、もう使わなくていいですぜ」

「では、遠慮なく」

 少年は、一つ咳払いをして立ち上がる。立ち上がった少年は、見上げるほどの長身だった。恐らく、身丈六尺余(百八十一センチ強)はあるだろう。同じ男としては、身丈(みのたけ=身長)で負けるのはいささか悔しい。

「私の名は剣崎勝之進けんざきかつのしん、剣士だ」

 勝之進は美しい顔に薄く笑みを浮かべ、握手を求めてきた。彼の手は細く筋張っていて、硬い剣だこが出来ていた。

 吟は手を離そうとしたが、勝之進がそれを阻んだ。不思議に思って首を傾げると、勝之進の顔が近付いてくる。何故か、心臓が高鳴る。

「か、勝之進?」

「それは、仮の名だ。本当の名は、かつという」

 勝之進は、吟にそっと耳打ちした。驚きながら、吟も小声で返す。

「えっ? じゃああんたさん、本当は女なのかい?」

「ああ。女のふたり旅だと、何かと不便でな。それに、女だというだけで、用心棒として雇って貰えなかったりもする。幸い私は上背があるし、顔もこの通りで乳もない。男の振りをするには、好都合なのだ」

 勝之進は、少しおどけた口調で薄く笑った。吟も、釣られるように笑う。

「へぇ、なるほど。男装の麗人っ奴かい」

「女だと分かっても、私を雇ってくれるか?」

「もちろんさ」

「それは有り難い。ああ、だが便宜上、勝之進と呼んで欲しい」

「分かった」

 吟が頷くと、彼、いや彼女はようやく吟の手を離してくれた。

 続いて少女も可愛らしい笑顔で、手を差し出してくる。勝之進とは対照的に、こちらは小柄だ。身丈四尺三寸余(約一三十センチ)だろうか。

「あちしは、お華っていうナリよ。術士ナリ」

 お華の手は温かくて柔らかく、吟の手にすっぽりと収まってしまう程小さい。吟も、改めて名乗る。

「あたしゃ、流しの歌唄いの吟次郎。通称、流しの吟。気軽に吟と、呼んどくれ。しばらく一緒に旅するんで、よろしく」

 勝之進とお華を交互に見て、吟は思わず嬉しくなって笑った。

「こんないい女に守って貰えるとは、なんて自分はツイているんだろう? こんな機会は滅多にあるまい。この機にお近づきになって、婚礼までこぎつければ、この美人が一生あたしのものに。ウヒヒ……」

 などと、吟はこっそりほくそ笑んだ。

「何か言ったか?」

「いいや、ただの独り言さ。気にしないでおくれ」 

 一先ず自己紹介が終わると、一旦吟達は着席した。すると早速、勝之進が訊ねてくる。

「で、旅立ちはいつだ?」

「ちょいと急ぎの用事なんで、早めにしてもらえると助かるんだがね。でも、今すぐ発たなきゃいけねぇって訳でもねぇのさ」

「どっちだ?」

 勝之進は、すかさずツッコミを入れてきた。お華が天然ボケっぽいので、勝之進はツッコミ属性なのだろう。吟は小さく笑いながら、答える。

「長旅になるから、色々準備が要りようだろう? 今から買い出しに行って、明日の朝餉の後なんてどうだい?」

「ああ。それで構わない」

 勝之進が頷いた後、吟は荷から一枚の紙を取り出して、机の上に置く。

「ああ、そうそう。仕事引き受けたって、証文に署名してもらえるかい? これがねぇと、保険が利かねぇらしくてね。面倒だけど頼みまさぁ」

「ああ、分かった。どれ」

 勝之進はざっと目を通し、吟から渡された墨壷と筆で、自分の名前を署名欄に記入した。勝之進は向かいにいるお華に、筆と紙を手渡す。お華も同様に記入して、吟に返す。

「これで良いナリか?」

 吟はそれを受け取って確認すると、満足げに笑う。

「最近色々物騒でねぇ、人を雇うにもこういうもんがいるんでさぁ。じゃ早速、買い出しに行こうかねぇ?」

「ちょっと、待ってくれ」

 立ち上がろうとする吟を、勝之進が止めた。

「何だい? 訊きてぇことがあれば、何でもどうぞ?」

 吟がにこやかに答えると、勝之進はためらいがちに切り出す。

「あの、そうだな。ええっと、話を聞いていたのなら分かると思うが、私達には金がない。だからその、少しでいいから、前金をもらえないだろうか?」

「ああ、そうだったね」

 言うが早いか、吟は今一度腰を下ろす。懐から財布を取り出し、三分(さんぶ。一分=約一万五千円なので、約四万五千円)を机の上に置いた。すると、自分から催促したクセに、勝之進は少し驚いたようだった。何故だろう?

「これで足りるかい?」

「あ、ああ、すまない。ありがとう」

「それじゃ、まずは砥ぎ屋へ行こうかね」


 吟達は水澄し亭を出ると、数ある店の中から砥ぎ屋を見つけ、のれんをくぐる。店内には鉄特有の臭いが充満していて、あまり長居はしたくない臭いだ。店の奥で懸命に作業をしている店主に、吟が声を掛ける。

「あのぅ、砥ぎをお願いしてぇんですが」

「おや、すみませんね。気付きませんで」

 店主は手を手拭いで拭きながら、吟の元へやってくる。

「何をお砥ぎしましょう?」

「これを」

 吟は、腰に差していた小太刀を差し出す。店主は小太刀を抜くと、品定めをして感心した声を上げる。

「ほぉっ。これはまた、ずいぶんと使い込まれていますね」

「ええ。長い付き合いでさぁ」

「でしょうな。では、すぐお砥ぎしますので、しばしお待ちを」

 そう言い残すと、店主は砥石に水を掛け、小太刀を砥ぎ始めた。店主が砥いでいる間、手持ち無沙汰になった吟は、勝之進に声を掛ける。

「あんたさんのはいいのかい?」

「自分で出来るからいい」

 勝之進は、背負った六尺余の太刀(約一八一センチ強の長くて大きな刀)を抜いて見せた。それは傷も少なく、まだ真新しい剣だった。しかも、職人の腕が未熟だったのか、それとも安価だったのか、あまり良い刀とはいえない。

 皮肉を込めて、吟は含み笑いをする。

「おやまぁ、ずいぶん綺麗な剣だねぇ」

「ああ。まだ数えるほどしか、使ったことがない」

 得意げに答える勝之進に、吟は一抹の不安を覚えた。

「あ、ああそうかい。お華は?」

「あちしもいいナリ」

「いいって、あんたさん、刀はお持ちじゃねぇのかい?」

「ないナリよ」

 本人が言う通り、お華は武器を持っていないように見える。術士に、武器はいらないということか。それとも、武器を使ってはいけないという、決まりごとでもあるのだろうか? 

「お客さん、お待たせ」

「おや、思ったより早かったね。ありがとうよ」

 そうこうしていると、小太刀は砥ぎ終わったらしい。砥ぎ賃を払うと、吟達は砥ぎ屋を出た。


 お次は雑貨屋へ行き、火口箱(ほくちばこ=火をおこす道具)の木屑の補充、麻縄、くさびかぎ草鞋ぞうりなども買い足した。

 肝心の携帯食である干し芋(ふかした芋を干したもの)や、糒(ほしい=炊いた米を干した飯)、飲み水も多めに用意する。

 乾物屋を出た時、お華が勝之進の袖を引っ張る。

「勝之進ーっ、あちしも術の道具を買い足したいナリよ~」

「三百文(一文=約十円なので、約三千円)あれば、いいか?」

「ありがとうナリっ」

 お華は金子を受け取ると、どこかへ走り去ってしまった。その後ろ姿を見送って、吟は勝之進に尋ねる。

「いいのかい? ひとりで行かせちまって」

「大丈夫だ。買い物が終わったら、水澄し亭に戻ってくるように言ってある」

「そうかい。じゃあ、あたしらは引き続き買い物でもしようかね?」

「ああ。何かと要りようだろうからな」

 思わぬところで、機会到来! 良くやった、お華っ! いいぞ、もっとやれ!

 デート気分で(吟だけ)、勝之進と吟は引き続き買い物を続けた。その途中、そっと何げなく、勝之進の手を握ってみる。

「なんだ? 吟」

「いや、剣だこが凄いなと思ってさ」

「そうか? 普通だろ?」

 勝之進は不思議そうな顔をしたものの、振り解こうとはしなかった。これは脈有りとみるべきなのか、それともどうでも良いと思われているのか。いまひとつ分からない。まぁ、これからしばらく旅を共にするのだから、機会はいくらでもある。今は様子見だ。

 その他、長旅に必要な物を買い揃えれば、残りは八匁(はちもんめ。一匁=約千円なので、約八千円)となった。勝之進は両替所で、一匁(約千円)と七百文(約七千円)に両替した。

「へぇ、変わった両替の仕方をするんだねぇ」

「七百文は、私とお華で山分けにするんだ」

 そうすると、勝之進の手元にはまだ一匁が残る。

「残りは?」

「水澄し亭の女将に、預かってもらう」

「どういうことだい?」

 意味が分からず首を傾げる吟に、勝之進は薄く笑う。

「ここの女将は善人だからな。お願いすれば、よほどのこと以外は頼まれてくれる。しかも記憶力も抜群に良い、しっかり者だ。ある意味、一番安全な場所だ」

「なるほどね」

「そしてこの金を預かってもらうことで、生きて帰って来るという約束にもなる。私達は、いつも無事生きて帰って来られるという保障はない。だからこそ、約束するんだ」

「何を?」

「『また帰って来る』と。そうすることで『帰って来よう』と、いう気になれる。私達は、水澄し亭へ帰って来る。今までも、これからも。その為の約束だ。もっとも、いつかは遠くへ旅することになるだろうが。まだしばらくは、ここが私達の拠点だ」

 キザな言い回しに、思わず惚れてしまいそうだ(但し、イケメンに限る)。

「へぇ、なるほどねぇ。まぁ、間違っちゃいないさ。この世には行く当てもなく、彷徨い続ける者が五万と(ごまんと=たくさん)いるってぇ、聞くからねぇ」

「帰れる場所があるということは、良いことだ」

「ああ、違ぇねぇ」

 夕日に照らされて浮かび上がる端正な顔を、吟は見つめた。勝之進は、何か思うことでもあるのかもしれない。だが、あえて聞くほど野暮なことはしない。勝之進が、自分から言い出すなら話は別だが。

 勝之進と吟が水澄し亭へ戻ると、勝之進が言った通り、お華が待っていた。

「おかえりナリーっ!」

「ただいま」

 まるで母親にすがる子供のように、お華が勝之進に駆け寄る。勝之進もわずかに笑みを浮かべて、当然のように受け止める。本当の親子ようで、なんとも微笑ましい。ずいぶん仲が良いが、ふたりはどういう関係なんだろう? もしかすると、姉妹なのかもしれない。

 吟達は四人掛けの席に着いた。まもなく、勝之進はお華に声を掛ける。

「お華、手ぇ出せ」

「はいナリ」

 言われた通りお華が手を出すと、勝之進は三五十文(約三五百円)を手渡した。

「こずかいだ。落とすんじゃないぞ」

「分かったナリっ」

 お華は、鈴が付いた財布に金子を入れると、懐へしまった。それを見届けると、勝之進は女将に手付金として一匁を渡した。

 吟は今まで世話になった旅館を引き払い、勝之進達と同じ部屋に泊まることにした。旅館のさざなみ亭と比べるとやはり見劣りするが、宿賃ひとり百四十文(千四百円)から考えれば、分相応といったところか。

 旅支度を整えると、吟達は早めに就寝した。


 翌朝、吟達は旅に必要な荷一式を持って、酒場へ降りてきた。四人掛けの席に腰を落ち着かせると、女将が近付いて来る。

「おや、もう旅立ちかい?」

 勝之進が、頷いて答える。

「はい。次の仕事がありますので」

「そうかね。今度は、いつ帰って来るの?」

「今回は島から出ますから、ひと月は過ぎると思います」

 勝之進の返事に、女将が顔を曇らせる。

「今回はずいぶん、留守にするんだね。でもちゃんと、帰って来るんだよ?」

「もちろん、そのつもりです」

 勝之進は女将を安心させる為に、穏やかに微笑んだ。今まであまり表情が豊かではなかった勝之進が、こういう表情も出来るのだと、吟は初めて知った。その微笑みは、年齢相応の爽やかな微笑みで、女将はもちろん吟も魅了された。

「女将さん、朝餉三人前」

「へっ? あ、ああ、朝餉三人前ね」

 勝之進に声を掛けられて我に返った女将は、慌てて注文を確認すると、脱兎のごとく厨房へ入っていった。

 待っている間、時間を持て余し気味なふたりに、吟は話をふる。

「あたしゃ先日までさざなみ亭って、旅館でお世話になっていたのさ」

「さざなみ亭って、何ナリ?」

「確か、観光に来た人間が宿泊する、有名な旅館だったと思う」

 勝之進が簡単に説明すると、吟は頷く。

「波止場の漁師にそう聞いて、宿を取ったんだよ。ここから、大通り方面に向かった先にあったハズさ」

「観光客向けの宿泊施設だ。確か一泊、四百文(約四千円。この当時の物価で考えれば、結構高い)はしたんじゃないか?」

「へぇ、やけに詳しいね。泊まったことでもあるのかい?」

「いや。そんな贅沢はしたことがない」

「そうかい。そりゃ悪かったねぇ」

「何、謝ることじゃないさ」

 勝之進は小さく笑った。もしかしたら、勝之進はそこに泊まりたかったのかもしれない。しまったなと、吟は思った。

「はい、お待ちどう」

 ややあって、女将が盆を持ってくる。盆の上には、甘い湯気を立てる飯と、ほっくりと煮付けられた南京(なんきん=かぼちゃ)の煮物。かけそばのつゆと思われるかぐわしいだしが利いた汁には、豆腐と細かく刻まれたいくつかの野菜が入っている。飯の上には、薄切りにされたたくあんの古漬けが添えられていた。

「美味しそうナリ~」

「朝餉三人前、九十文(約九百円)だよ」

 机の上に飯が並ぶやいなや、その場ですぐ代金を請求された。

「ここは料金引き換え制かい。勝之進が言った通り、なかなかしっかりした女将さんだねぇ」

「ああ。払い忘れや、食い逃げが出来ないようになっているんだ」

 勝之進が小さく苦笑しながら、六十文を机に置いた。吟は三十文を足して、女将に手渡す。

「はい、九十文」

「はい、確かに。どうぞごゆっくり」

 女将はにんまりと笑って、厨房へ戻っていった。

「いただきます」

「いただますナリー!」

「いただきまーす」

 大喜びでがっつくお華、その横で勝之進が椀を口へ運ぶ。生きているのだから食べるのは当たり前なのに、このふたりが物を食べるというのは、何とも不思議な光景だ。 

「美味しいナリー!」

「そんなに、腹が空いてたのかい?」

「いや、こいつは何でも旨いと言うんだ」

「それって、幸せなことだと思うよ」

「そうかもな」

 吟が笑いながら言うと、勝之進も同意した。黙々と平等に食べていく勝之進に対し、お華は餓鬼のような勢いで、飯をむさぼっている。しばらくすると、お華が喉を詰まらせてむせ始めた。

「大丈夫か? ほら、水」

 勝之進は、まだ口を付けていなかった水を、お華に手渡す。涙目になったお華が、それを一気に飲み干し、やっと落ち着いたのか安堵の息を漏らす。

「はぁーっ。ありがとうナリー」

「バカが、慌てて食べるからだ。気を付けろ」

 そんなふたりのやり取りを、吟は微笑ましく眺めていた。


   第五章 術士の正体


 吟達は水澄し亭を出ると、港へ向かった。島を出るには、船を使う以外に他はない。

 この島を囲む海は聖なる海と呼ばれていて、妖魔を島へ寄せ付けない。それは陸に生息している妖魔達が、ただ単に泳ぐことを知らないからなのだが。

 海に住んでいる妖魔は、食物連鎖に逆らうことなく、自分より小さな妖魔を食べ、そして自分より大きな妖魔に食べられる。やがてなんらかの理由で死んだ大きな妖魔の死骸は、小さな妖魔に食べられる。

 中には船に乗り込もうとする、悪知恵の働く妖魔もいる。だが港には必ず、用心棒が監視している為、滅多にそういうことは起きない。船内にも同様に、数人の用心棒が同乗している。船専門の用心棒もいるくらいだ。

 昨日とは違い、太陽は厚い雲に覆われてさほど暑くなく、風向きも良好。水の上を滑るように進む船の甲板で、縁にもたれながら吟が口を開く。

「あたしゃ数日前、南国から海を渡ってここへ来たんだ。あそこはじっとしているだけでも汗が止まらないほど暑くて、本当に参ったよ」

「吟は、他の国も渡り歩いて来たのか?」

「流しってのは、旅をするのが仕事みたいなもんだからねぇ」

「知らなかったナリ」

 勝之進とお華は感心した。何故ならふたりは、島を一歩も出たことがない。手形は作ったものの関所を通ることもなく、今まで使わずじまいだった。

 甲板の上を頼りなく歩く勝之進に、吟が首を傾げて訊ねる。

「勝之進は、船に乗ったことないのかい?」

「初めてだ」

「船って、面白いナリ~」

「そうかい、良かったねぇ」

 初めての船旅に喜ぶふたりを見て、吟はおかしそうに笑った。

 旅人や商人以外の島民達は、よほどのことがない限り島から出ない。一生島から出ない、なんて者も少なくはない。何故なら、島から出る理由が特にないだからだ。

 船旅は天候に大きく左右されるし、突然の嵐に巻き込まれれば沈没することもある。また、海賊に襲われることもあり、決して安全な旅ではないからだ。

 しばらくしてふと、勝之進が吟に問う。

「そういえば、吟は流しの歌唄いだったな。お前の楽器は何だ?」

「フッ、あたしの得物(えもの=得意とする武器、又は道具)は、他の奴らとは一味も二味も違う物さっ!」

 吟は不敵に笑うと、言うが早いか自分の荷を探り始めた。そして取り出したのは、何やら怪しげな模様が描かれた丸い玉に、柄が付いた楽器。

「南蛮渡来のマラカスさぁ!」

 吟はそれを一本ずつ両手に持ち、手首を利かせて、チャッチャッと振ってみせた。勝之進は思わず、寄り掛かった縁からずり落ちそうになった。

「他にも、南蛮渡来なんばんとらいの打楽器や笛もあるんでさぁ!」

「お前は本当に、流しの歌唄いかっ? それに、笛は歌が唄えねぇっ!」

 勝之進はすかさず、吟の額をはたいてきた。なかなか、ツッコミが冴えている。吟は苦笑しながら、今度は背負っていた三味線を構えた。

「ま、まぁ、みんなそう言うがね。じゃ、一曲唄って見せようかねぇ」

 詫びとばかりに、吟は三味線を弾き始める。なだらかに流れる三味線の旋律に、吟の歌声が美しく調和する。高くもなく、低くもない歌声は、聴く者の気持ちを穏やかにした。

 勝之進とお華は、歌唄いの演奏を聞くのは初めてだったし、音楽にさして興味もなかった。だが、そんなふたりも感動するほど、吟の演奏は素晴らしいものだった。

 一曲唄い終わると、甲板にいたほとんどの者が、歓声と拍手で吟を讃えた。

「さすがは歌唄いと、いったところだな」

「スゴかったナリ! 素敵な演奏だったナリっ!」

 お華に至っては、感激のあまり涙を流している。

「そうさ。歌唄いってぇのは、どんなことでも美しく唄い上げるのが、仕事だからねぇ」

「ああ、そういえば歌唄いには、キザな奴が多いって聞くな。何でも、美化したがるんだって?」

 吟は笑いながら、勝之進の質問に答える。

「そうそう! 歌にするのに苦労するんだ、これが。例えば巨漢なら『勇ましきその体~』とか、水虫持ちなら『何者も寄せ付けぬその足~』とか、ケンカっ早い奴なら『戦いにのみ捧げしその身~』とか、唄う訳さ。さすがに英雄譚で『デブで水虫~、喧嘩バカ~』とは、唄えねぇからさ」

 吟の口から初めて知る真実に、勝之進とお華は脱力する。

「そりゃ、ほとんどサギなんじゃ?」

「本人目の前にしたら、幻滅しそうナリ~」

「ははは。それが、流しの仕事だからさ」

 吟は楽しそうに笑いながら、甲板に広げた楽器達を荷へ戻した。


 やがて太陽が水平線の彼方へと姿を隠すと、船上はぐっと冷える。

 旅客達は、暖を求めて船内へ入る。船内は豪華ではないものの清潔感があり、旅客でごった返していた。用心棒や旅人に混ざって、明らかに高直そうな着物を着た人の姿もちらほら見える。勝之進は不思議そうに首をひねって、吟に訊ねてくる。

「何だ、あれは?」

「たぶん、用心棒を雇って観光に行くんだろうねぇ。わざわざ危険を冒してまで観光してぇなんて、物好きな金持ちの道楽だねぇ」

「羨ましいナリ」

 きらびやかな着物を着た女達を、お華は恨めしそうに見ていた。勝之進はやれやれと小さくため息を吐くと、彼女の頭を軽くぽんぽんと叩く。

「とりあえず、飯だ、飯。お前はどちらかというと、花より団子だろ?」

「ああ、違ぇねぇ」

「失礼ナリねーっ!」

 勝之進の意見に吟が同意すると、お華は頬を膨らませた。その様子があまりにも可愛らしくて、吟は声を立てて笑った。

 吟達は夕餉(ゆうげ=夕食)を取る為に、船内にある食堂へと移動した。食堂は広くもなく狭くもなく、客もそこそこ入っている。

 夕餉は、おふくろの味を彷彿とさせる里芋の煮っ転がし、白身魚の刺身、海の香りが漂う潮汁だった。熱々の潮汁には、魚のあら(身が少し残った骨の部分)が、たんと(たくさん)入っており、お華は大喜びだ。

「お魚がいっぱいで、美味しいナリーっ!」

「お華、頼むからあまり大声を出すな」

「恥ずかしいねぇ」

「だって、こんなに……」

 なおも、弾んだ声で言いかけたお華の額を、勝之進がはたく。

「黙って食え」

「分かったナリ」

 その後お華は大人しくなったが、一度注目を集めてしまったせいで、気まずい思いをしながら、吟と勝之進は飯を手早く掻っ込んだ。

「私達の部屋はどこだ?」

「四等客室さ」

 食後、吟達はザコ寝同然の四等客室へ移動した。そこには、旅人と思われる人間達がひしめき合っていた。楽しそうにお喋りをする者、武勇を語る者、早々に寝る者、中には賭けごとをしている者達もいる。

 観光客の姿はない。彼らは今頃、特等室でくつろいでいることだろう。

 吟達も、適当な場所に腰を据えて、荷を下ろす。床の上には、申し訳程度の薄い敷布が敷かれていた。部屋の隅に置かれていた旅客用の夜具を手渡しながら、勝之進は吟に訊ねてくる。

「これから、どのくらい船の上なんだ?」

「船旅はそんなに長くねぇさ。まぁ、六日ってとこかな」

「それまで、待つしかないってことか」

「のんびり出来るナリっ」

「いいじゃねぇか、気長に過ごせば。あんたさん方だって、たまには羽を伸ばした方がいいさ」

 勝之進は背から下ろした太刀を、横目で見た。

「腕が鈍ってしまいそうだ」

「元々、そんなに剣を使う機会もないクセに、よく言うナリ」

 お華の言葉に、勝之進の顔が若干こわばったが、すぐ気を取り直して呟く。

「剣を最後に使ったのは、いつだったか」

 その発言は、剣士としてはいかがなものだろう。吟は苦笑しながら、訊ねる。

「そんなに剣を抜いてねぇのかい?」

「確か最後に抜いたのは、二十日くらい前じゃなかったか」

「クマネズミを駆除した時ナリ」

「クマネズミ?」

「うん、こんな大きさのネズミナリよ」

 首を傾げる吟に、お華が手で大きさを示した。それは成猫ほどもあった。

「ゴミ捨て山に、大量発生したんだ。奴らネズミ講っていうくらいだから、一気にどっと増えたらしい」

「それを駆除に行ったナリ」

「結構、地味な仕事してるんだねぇ」

 吟が苦笑すると、勝之進も釣られるように僅かに苦笑する。

「地味でも仕事だ。しかも大変だった」

「ホントーに、とんでもない数だったナリ」

「いくらやっつけても、キリがない。最終的には、お華の術でゴミごと燃やしたんだ」

 それを聞いて、吟は驚いた様子でお華を見る。

「へぇ? 凄いんだねぇ、術士って」

「吟は、術士を見たことないのか?」

「聞いたことはあるけど、見たことはねぇや」

「今度機会があれば、見せてあげるナリ」

 お華も満更ではない様子で、胸を張った。勝之進は、その頭を撫でながら言う。

「だが、燃やした後が大変だった。煙と臭いが、モノスゴくてな。あちこちから苦情が相次いで、消火にも時間が掛かったんだ」

「お蔭で、依頼料も減らされたナリ~」

「そりゃ、大変だったねぇ」

 情けない顔をする彼女達を慰めるように、吟はふたりの肩を叩いた。

 そうこうしていると、消灯時間となった。特にすることもないので、吟達は素直に眠りについた。


 翌日。朝餉(あさげ=朝食)を軽く済ませた吟達は、狭苦しい客室にはいたくないと甲板へ出た。甲板には眩しいほど強い光が降り注ぎ、水に冷やされた爽やかな風が吹いていた。船下を流れる水は、清らかで美しく澄み切っている。

「なんて綺麗なんだっ! 魚も、沈んだ岩も、手に取るように見える!」

 昨日は船の珍しさに気を取られていて、海の中を覗き込むことはなかった。島に住む者達は、漁師以外滅多に船に乗ることはない。初めて船に乗った勝之進は、海の美しさに目を奪われていた。

 勝之進の隣では、時折魚が跳ねるのを見つける度に、お華が歓声を上げながら手を叩いて喜んでいる。

「うわーっ、綺麗ナリー!」

 一方吟は三味線を奏でながら、海の美しさや偉大さを讃える歌を、朗々と唄い上げている。旅客達は吟の周りに人だかりを作り、おひねりを投げていた。

 船の上では時間がゆったりと流れるらしく、皆の顔もおだやかに弛んでいる。それを見た勝之進は無性に嬉しくなって、珍しく満面の笑みを浮かべる。

「世の中の人間が全てこうだったら、争いなんて起こらないのにな」

 呟きは誰の耳にも届くことなく、霧散した。


 船の上で六日が過ぎ、七日目の早朝、ようやく港へ辿り着いた。

 吟達は港へ降り立つと、港にある大衆食堂へ入った。 実は船の到着が朝早過ぎて、船では朝餉が出なかったのだ。船に乗っていたほとんどの者がここへやって来たので、食堂は一気に混み合った。この食堂は、港で仕事する者と、船客の為に設けられたものだ。

 港は大きな壁で囲われていて、出入り口には大きな門が立っている。その両側に屈強の用心棒がふたり、いかつい顔をして立っている。この壁と門は、妖魔が入って来られないように張り巡らされた障害物バリケードである。

 門をくぐり、港を一歩出ると先人達によって踏み固められた道へ出る。

「無事着いたはいいが、これからが大変だな」

「確かにそうさ。港町から城下町までが、ずいぶん距離があるんだよ」

 吟はうなずきながら、門の側に止まっている何台もの駕籠かごを見ながら言う。

「観光客達は、港から出ている用心棒付きの駕籠に、高ぁい代金を支払って乗るんだ。あたしゃそこまで金がないから、ここから城下町まで、えっちらおっちら歩いて行くんだけど」

 そこで一旦、吟は言葉を切った。それから言いにくそうに、口を開く。

「もちろん、そこいら一帯には妖魔がうようよいるのさ」

「それをかいくぐって行かなければ、城下町へは辿り着けないんだな?」

 確認するように勝之進が頷くと、妖魔と聞いてお華が声を弾ませる。

「妖魔って、まだ見たことないナリっ」

「私もない」

「妖魔って、どんなものナリ?」

「さあな」

 用心棒として、これほど頼りない会話もない。吟は念の為、確認するように念を押す。

「その妖魔から守ってもらう為に、あんたさん方を雇ったんだよ?」

 分かっている? と吟が付け足したので、勝之進とお華は自信満々で答える。

「大丈夫ナリ、見たことないけど任せるナリ」

「倒せなくても、最低追い払う。それも危険だと分かったら、全力で逃げる」

「大丈夫かねぇ、このふたりで」

 吟が呆れた様子で呟いたが、勝之進とお華は聞かなかった振りをした。

「城下町までの道自体は、実に単調なんだよ。この道を、真っ直ぐ辿っていけばいいんだからねぇ」

 地面の上に赤茶けた地図を広げながら、吟は勝之進達に説明した。地図を見ながら勝之進は、小さく唸る。

「結構遠いな」

「何日かかるか、分かんないナリ」

「しかも、妖魔に襲われたら、一体何日かかるやら分からねぇし」

「吟は、ここの城下町へ行ったことはないのか?」

 勝之進が問うと、吟は首を横に振る。

「いや、あるさ。その時は大きな仕事をこなした後で、珍しく金があったから、駕籠かごで行ったんだよ。それでも、軽く八日はかかったっけなぁ」

「用心棒付きの駕籠で、八日か。私達の足だと、一体何日掛かることか」

「何だか、気が遠くなりそうな話だよねぇ」

 吟と勝之進は考えただけで、ちょっと気がなえてしまった。ふたりは力なく「ははは」と、乾いた笑いをした。するとお華が、ふたりの気を引くように軽く手を打ち鳴らす。

「でも、やるしかないナリ」

「お華」

 弾かれたように勝之進がお華を呼ぶと、お華は無邪気に笑う。

「あちし達のやれることをやれる限り精一杯やるナリ」

「そうだな」

 勝之進はお華の頭をポンポンと軽く叩いて、意見に同意した。こうして吟達は、延々と伸びる道を辿るように歩き始めた。

 豊かな緑は生き物達が生息するのに、必要不可欠なものだ。同時に、多くの妖魔も掃いて捨てるほど生息している。

 港を出て早々、目の前に巨大な枯れ木のような化け物が立ち塞がった。枯れ木の妖魔はいびつに曲がった枝を、威嚇するように振り上げる。とても友好的な態度とは思えない。

「うわぁ、動く木なんて初めて見たナリー!」

「下がれ、お華!」

 物珍しそうに妖魔を見つめるお華を、勝之進が後ろに下がらせる。一瞬遅れて、妖魔の小枝が鞭のようにしなって、空を切った。勝之進は妖魔と一定の距離を取って、太刀を構える。吟はふたりから離れて、高みの見物としゃれこんだ。

「さて、お手並み拝見」

 剣を抜くと、勝之進の顔付きが剣士のそれに変わった。切れ長の目は鋭く、引き締まった顔立ちは普段とはまた違う凛々しさがあった。

「はぁっ!」

 勝之進が太刀を勢い良く振るうと、風を切る音と共に、妖魔の枝が一度に何本も切れた。妖魔は痛みに悶えて「きいきい」と悲鳴を上げて、怒り狂った。

 勝之進の剣技には、目を見張るものがあった。年若い剣士とはとても思えない見事な腕前に、吟は感嘆の声を上げる。

「へぇ、やるねぇっ!」

「お華!」

「了解ナリ!」

 勝之進が相方の名を呼ぶと、お華は元気良く返事をした。何が始まるのかと思って、お華の方へ目をやると、火口箱で火を起こし始めている。その間勝之進は、妖魔を威嚇するように縦横無尽に剣を振り回し、時間稼ぎをする。妖魔の枝は、見る見るうちに減っていく。

 ややあって火種が出来ると、お華は荷から取り出した、筒型をした小さな爆弾の導火線に点火。

「勝之進っ!」

「ああ!」

 今度はお華が、勝之進の名を呼んだ。勝之進は妖魔の胴体(?)を蹴ると、妖魔から急いで距離をとった。お華はそれを確認すると、投球モーションを起こす。

「ぼむしゅうぅとっ!」

 緊張感のない声と共に、勢い良く投げられた爆弾は、爆音と共に一気に炎となって妖魔を襲う。妖魔は木だけに景気良く燃え、身をよじらせながら倒れた。動かなくなっても燃え続けるのを見て、勝之進がお華に指示を出す。

「早く消せ」

「分かったナリ」

 ふたりは手際良く土を掘り起こして火に被せ、わっせわっせと消火活動を開始。しばらくして、ようやく鎮火に成功。勝之進とお華は、切り落とされた小枝を拾い始める。

 目の前の出来事に、しばらく放心状態だった吟が、我に返ってお華に食ってかかる。

「ちょっと待てっ! 今のは何だ? あれが術かっ?」

「え、え? あれが術ナリよ? ちゃんと、免許も持ってるナリ」

 言い寄られてお華が焦る。仕方なしというように、手の平大の木板を取り出し、吟に手渡す。吟は木板を受け取って、確認する。

「どれどれ? ――って、これは『危険物取り扱い免許証』じゃねぇかぁっ!」

 それこそ、免許証を地面に叩きつけそうな勢いでわめく吟に、勝之進が訊ねてくる。

「もしかして、『操司』と『術士』を勘違いしていないか?」

「ソウシぃ?」

 吟は阿呆みたいにオウム返しをして、眉根を寄せる。勝之進は一つため息を吐くと、先程の戦闘で得た枝を使って、地面に文字を書きながら説明を始める。

「『操司』というのは自然の力を司どり、操ることが出来る人間のことだ。そんなのは今や、近親結婚を繰り返して、血を濃く保っている大名くらいなもんだ」

 勝之進の言葉に、吟の肩が小さくはねた。吟には、思い当たる人物がいた。悲しい経歴を持つ、ひとりの青年。吟は口を開きかけて、閉じた。

「どうした?」

「いや、いい。続けておくれ」

 勝之進は吟の顔を見つめて、何か考えていたようだが、ややあって話を続ける。

「火を起こしたり、空を飛んだり、雨を降らせたり出来るのが『操司』」

 勝之進は地面に、「術士」と書く。

「今現在『術』と呼んでいる物は、危険物取り扱い専門店で、火薬等を買って使うことだ。当然、危険物取り扱い免許を取得していなければ、火薬は売ってもらえない。つまり危険物取り扱い免許を持っている人間のことを、『術士』と呼ぶ訳だ」

「ええっ? 和風ファンタジーで、そんなしょーもない設定があるなんて……」

 少なからず驚いている吟に、勝之進は冷静に言い放つ。

「他所のファンタジー世界と、この世界を一緒にしてはいけない」

「目の前の現実に、目を逸らしちゃいけないと思うナリよ」

 子供に言い聞かせるようにお華が言うと、吟の機嫌は一層悪くなった。

「うるさいっ! 普通ファンタジーっていったら、もっと夢があるもんじゃねぇのかいっ?」

「昨今は、リアリティーが問われてるナリ」

「こんな時だけ、リアリティーとか言うなっ! そもそもファンタジー世界に、リアリティーなんていらん! 少年少女達に夢を与えるのが、いわゆるファンタジーだろっ?」

「だが、この世界ではそうではない。目の前の現実に目を背けていては、前には進めない。早く認めた方が楽になれるぞ」

 現実の悲しさに嘆く吟、それをあくまで冷静に対処する勝之進。それを見兼ねたお華が、助け船を出す。

「でも、大丈夫ナリ。ちゃんとこの世界にも、正真正銘ファンタジーな操司がいるナリ」

「もっとも、滅多にお目にかかれることはないがな」

 勝之進が肩を竦めながら言うと、吟は目を伏せて少し悲しげな笑みを浮かべた。数瞬後、吟は視線を上げて勝之進に訊ねる。

「勝之進は、見たことはねぇのかい?」

「私はない」

「あちしはあるナリっ」

 お華が胸を張るので、吟が食い付く。

「本当かい?」

「たまに一般公開の操司の式典が、行われることがあるナリ? それで見たんナリよ」

「ああ、大名達が気紛れに行う儀式か。操司の力が正しく受け継がれているかどうか、確認する為にやるとかいう奴だな。それで、どうだった?」

 勝之進がお華を促した。勝之進も、未知の操司の力には多少興味があるようだ。

「港に組まれたやぐらの上で操司が腕を動かすと、その度に水が巻き上がって、魚みたいに跳ねるナリっ」

 まるで自分がそう出来るかのように、お華は両手を大きく動かした。

「そりゃ凄い! 見てみたいねぇ」

 吟が夢見るように、うっとりする。勝之進も頷く。

「私も見てみたいと思うが、めったに見られるようなものではない」

「あちしは港へお使いに行った時、簡単に見れたナリよ?」

 不思議そうに小首を傾げるお華に、勝之進は首を横に振る。

「全くやっかいなことに、公開日や場所等は一切極秘で、当日になってみなければ分からない。だからお華が見られたというのは、本当に運が良かったとしか言わざるを得ない」

「へぇ、知らなかったナリ」

「そっかぁ、なかなか見られるもんじゃねぇんだねぇ」

 お華と吟が、感心したように頷いた。

 操司の力という物は、他の血が交わると失われてしまうという、特性を持つ。故に、操司の力を持つ者同士の近親結婚でしか、その力を保つことは出来ない。その為、操司達は「大名」という形で隔離されている。誤って他の人間と結ばれたりしない為なのだが、そこまでして操司の力を守ることに、一体何の意味があるのだろうか。

「でももしかしたら、近い内に操司を見られるかもしれねぇや」

「どういうことだ?」

 唐突に吟が切り出したので、勝之進は訳が分からず問う。すると、吟は少々興奮気味に話し始める。

「なんと! 今回の仕事は、若草城の姫君に歌を届けることなのさ。正真正銘の操司にっ!」

「本当ナリか?」

「若草城の操司といえば、風の操司か」

「きっと、空を飛んだり出来るナリっ!」

「運が良ければ、操司の力を見られるかもしれねぇよ?」

 吟の明るい口調に、勝之進もお華も少なからず目を輝かせる。吟達はまだ見ぬ操司の力に、想いを馳せた。


   第六章 戦闘回避 


 遥か遠くに、巨大な山が蒼く霞んで見える。 

 かつてその山は、神々が一番初めに作られた巨大な人であったと言われている。しかし、それは不完全なものであった。生まれて間もなく、土に還ってしまったからだ。それがそのまま、山になったという神話ある。そのような神話があるものの、事実は謎包まれており、誰も知らない。創造主である、神を除いては。

 得体の知れぬ巨大な山を恐れうやまい、ゆえに人々はそれを「神山」と呼ぶ。

 勝之進は、手をかざして神山を仰ぐ。雲を突き抜け、天高くそびえ立つ神山は、その名の通り神々しく見える。

「本州で一番天に近いという神山は、未だに登頂した者がいないとか」

「神秘的な山なんナリねー」

「そう言われているけど、違うよ。とてつもなく大きくて、険しい山だからさ」

 太陽が空のてっぺんまで昇ったので、吟達は木陰でのんきに昼餉(ひるげ=昼食)を摂っている。

 先程の木の化け物以来、妖魔に遭っていない。それは、吟達の運が良かったという訳ではない。少し前に、駕籠軍団が通り過ぎて行ったからだ。

 駕籠軍団というのは、文字通り駕籠が大量にいることだ。ある一定の時間になると、用心棒達といくつもの駕籠が、一斉に城下町へ向けて走り出す。駕籠一挺ずつ行くよりも、複数の駕籠の周りを多くの用心棒で固めて行った方が、安全かつ効率が良いだからだ。 

 駕籠軍団が通り過ぎた後には、用心棒達に倒された何匹もの妖魔達が、道端に落ちている。しばらくは、妖魔達も警戒しているので、道に近づいて来ることはない。

 吟達は干し芋をかじりながら、道端の妖魔を見ないように、遠くの山を眺めていたのだ。

「ねぇねぇ、勝之進。干し芋もうちょっと食べてもいいナリ?」

「あれ見た後で、よく食えるな。あと一切れだけだぞ?」

「わぁいっ」

 勝之進は取り出した小刀で干し芋の塊から、厚く一切れ削いで、お華に渡す。それを見ていた吟が、突然吹き出す。

「ぷっ、はははっ」

「何だ? 吟」

 突然笑われて、勝之進は少々不愉快な気分になったようだ。不機嫌さを全面に出しながら勝之進が聞いてきたので、吟は笑いながら謝る。

「いやいやすまない、何だか微笑ましいなって思ってさぁ」

「微笑ましいナリ?」

「ああ。実は初めて会った時から、思っていたことなんだけどさ。お華に対する勝之進の態度が、何だかお母さんみたいだなぁって」

 それを聞くなり、お華も吹き出す。

「確かに、お母さんっぽいナリっ!」

「だよねぇ?」

「お母さん」と言われて、勝之進は少なからず衝撃を受けたらしかった。らしくなく、がっくりと肩を落としている。そんな勝之進に追い討ちをかけるように、お華が調子に乗って話しかける。

「『お母さん』って、呼んでも良いナリ?」

「呼びたきゃ、勝手に呼べ」

 お蔭で勝之進は、すっかりふて腐れてしまった。すると吟が体裁を整えるように、勝之進に再度謝る。

「いや、悪かったって。確かにお華と長いこと付き合っていれば、そうなるだろうさ」

「それは、どういう意味ナリ?」

「さぁて? どういう意味だろうねぇ?」

 お華が可愛らしく小首を傾げると、吟ははぐらかすように笑った。その意味は、勝之進が一番良く分かっていた。要は、お華が子供だから。子供がいると、一緒にいる人間は半ば強制的に保護者のようになる。吟は、そう言いたかったのだ。

 勝之進は少しだけ機嫌が直ったようで、僅かに苦笑を浮かべた。今度は勝之進に、お華は訊ねる。

「勝之進は分かるナリ?」

「さぁな」

 言うやいなや、勝之進はお華の額をはたいた。痛みに悶えるお華をよそに、勝之進は歩き出した。吟も続いて、道を辿ることにした。

「妖魔が出ない内に、少しでも距離を稼ごう」

「そうさねぇ。あまりのんびりしていると日が暮れちまうし、鳴りをひそめていた妖魔達が、また襲い掛かってくるだろうよ」

 ややあって、勝之進は独り言のように呟く。

「出来れば妖魔達との戦いを避けて、体力の温存を図りたい」

「何でナリ? あたしの魔法があれば、一発で燃やし尽くせるナリよ?」

 さらりと言うお華に、吟と勝之進は顔を見合わせて苦笑する。

「燃やし尽くせる、か」

「お華って可愛い顔して、恐ろしいことを平気で言うねぇ」

 勝之進は一つため息を吐くと、お華に言い聞かせる。

「いいか、お華。これから、城下町まで何日かかるか分からない。術の数には、限りがある。もしかすると、術が効かない妖魔もいるかもしれない。そうしたら、お前はどうする?」

「うぅっ」

 お華が言い淀んだので、代わりに吟が横から口を挟む。

「多分、あたしと勝之進が戦うしかねぇだろう? でも、あたしゃあまり戦力にはならねぇと思う。力に自信がねぇから、あんたさん方を雇った訳だしさ。だからきっと勝之進一人で、妖魔と戦わなくちゃいけなくなる。そうしたらお華は、どうするんだい?」

 吟が意地悪な質問をした。お華は一瞬迷ったようだったが、焦って叫ぶ。

「あ、あちしも戦うナリ!」

「お前『危険物取り扱い免許』以外に、何か戦力になるような物はあるか?」

 勝之進の問いに、お華は少し考えて首を横に振る。

「ないナリ」

「そう。吟には申し訳ないが、私達は戦いの経験があまりない。戦力も高が知れている。だから、出来るだけ戦いは避けたい」

「分かったナリ」

「分かれば良い」 

 反省したようだったので、勝之進はお華の頭を撫でた。吟は微笑ましく思って、笑ってしまう。すると勝之進が、あえて訊ねてくる。

「吟、何が言いたい?」

「やっぱりお母さ――」

「誰がお母さんかっ!」

 言い切る前に、勝之進は吟の額をはたいた。勝之進は仏頂面のまま、早足で歩き出した。競歩というくらい速い。その後を、吟とお華が慌てて追い掛ける。

「勝之進、悪かったって!」

「待つナリよーっ」

 しばらくすると勝之進は、足の速さを緩めた。ようやく吟とお華が追い付くと、勝之進はふたりに向かって言う。

「先を急ぐぞ」

「もちろんさ」

「頑張るナリ」

 吟とお華は、笑って頷いた。

 

 日が西に傾き、金色に世界を照らし出した頃。吟達の前に現れたのは、赤黒い体を持ち、髪を振り乱し、凶悪な顔をした小鬼三頭だった。小鬼といっても、大人一人と同じくらい身の丈がある。奴らは人間に対して、とてもではないが友好的とはいえない。凶暴で残虐性を備えた、文字通り鬼のような存在だ。

「お華!」

「了解ナリっ!」

 勝之進は太刀を抜き、相手の出方を見ている。お華は荷から爆竹ばくちくと着火用の小さな松明に火を灯し、いつでも使えるように構えている。

 吟は素早く、ふたりと小鬼から距離を置く。吟の逃げ足は、とてつもなく速い。

「うーむ、小鬼三頭に勝之進ひとりじゃ、ちと厳しいかねぇ」

 ふたりを援護する為、吟は三味線を構えて激しく弾き始める。吟の力強い歌声と熱い三味線の旋律は、聴く者の士気を高揚させ、血をたぎらせる。

 演奏に後押しされるように勝之進は剣を閃かせ、小鬼達をなぎ払っていく。

「はぁぁあああっ!」

「ふぁいあぁくらっかぁぁぁっ!」

 軽傷を負って怯んだ小鬼達に、追い討ちをかけるように、お華が火を点けた爆竹を小鬼達の足元へ投げる。ババババンッと、派手な炸裂音と立ち昇る煙が、小鬼達を驚かせた。

 特にこれと言って言葉を交わさなくても、連携が出来ている。そんなふたりの効果的な威嚇に、吟は感心した。

「ひゅうっ、上手いなぁっ!」

 吟が一曲歌い終わる頃には、小鬼達は命からがら逃げ出していた。

 小鬼は相手が弱い時はやりたい放題悪事を働くが、相手が強いと分かると早々に逃げてしまう。浅ましい性質だ。

 勝之進とお華は、深追いしなかった。去るものは追わない主義なのだろう。

 太刀を鞘にしまいながら、勝之進が吟に近付いてくる。

「吟、今のはなんだ?」

「ありゃ鼓舞こぶさ」

「鼓舞?」

「分かりやすく言えば、応援歌みたいなもんかね」

 吟が不敵に笑うと、満面の笑みを浮かべたお華が駆け寄ってくる。

「吟、カッコよかったナリ~っ!」

「ああ、勇ましかったぞ」

「へへんっ、まっあねぇ~」

 ふたりに褒められて、吟は調子に乗った。やはり女の子に褒められるのは、良い気分だ。それも、すこぶる付き(大変といって良いほど)の美少女達。両手に花は素晴らしい。

 最初は勝之進が良いと思っていたが、お華も充分すぎるくらい可愛い。純真無垢っていうのは、ああいうのを言うんだろう。今はまだまだお子様だが、もう少し育てばいい女になるのは確実だ。これから自分好みの女に育てるっていうのも、悪くない。

 さりとて(だからといっても)、勝之進も捨てがたい。冷静であまり表情を変えることなく、不器用で女らしさには欠けるが。あの凛とした美しさは、他を圧倒する。

「う~ん、悩むなぁ」

「何がナリか?」

「いや、こっちの話さ」

 不思議そうに吟の顔を覗き込んでくるお華を、適当にあしらった。

 

 しばらく進むと、今度は人狼四頭が立ち塞がった。見た目は、人間と狼の中間のような妖魔だ。顔は狼そのもので、人間のような体は狼の毛で覆われている。習性は人間とは程遠く、人語は通じない。

 人狼達の息は荒く、口の端から涎を垂らしている。どうやら吟達を、夕餉にしようという腹のらしい。させてなるものかと、勝之進は太刀を抜く。

「はっ!」

 勝之進が人狼の腕を薙ぐと、人狼は仕返しとばかりに、勝之進の左腕に噛み付いた。激痛に、勝之進は顔を歪ませる。

「ぐっ!」

「勝之進っ!」

 吟はすばやく小太刀を抜き、人狼の首根っこ(首の後ろ)に突き立てた。

「うがあぁっ!」

 人狼が悲鳴を上げて、絶命する。吟は小太刀を人狼から引き抜くと、勝之進の左脇に立つ。

「大丈夫かい?」

「そんなのは後だっ!」

 勝之進は一喝したが、血の気が引いた顔は、苦悶の表情を浮かべていた。太刀を握る左腕の袖口からは、鮮血が滴り落ちていく。

 仲間を殺されて、人狼達はさらに殺気立つ。唸りを上げる人狼達に、吟と勝之進は目を逸らさずに、じっと向こうの出方を見る。

「ふぁいああぁあたぁっくっ!」

 そんな緊張感をぶち壊しにする声が聞こえたかと思うと、火の塊が吟の目の前をよぎる。

「うわっ!」

 吟は驚いて、たたらを踏んだ。見れば、お華が松明を振り回している。着火用の小さな松明ではなく、二尺三寸余(約四十センチ強)の長さがある松明だ。そんな物騒なものを無茶苦茶に振り回すものだから、吟や勝之進まで被害がおよびそうな勢いだ。

「お華、やめろっ!」

 勝之進が止めるのも聞かず、人狼達へ向けて大きく振り回す。その度に、大量の火の粉が人狼達に降りかかった。人狼達もさすがにこれには驚いて「きゃいんきゃいん」と、尻尾を巻いて逃げていった。

「やめろと、言っているだろうっ!」

 勝之進が火の粉を被りながら、お華を後ろから抱き締めた。そうして、ようやくお華の動きが止まった。お華は呆けた顔をして、振り返る。

「勝之進……」

「ああ。だから、これはもう消そうな」

 お華の手から松明を奪い取り、勝之進は火を消した。安全な場所まで逃げ延びていた吟が戻ってきて、勝之進とお華に問う。

「一体、どうしちまったってんだい?」

「こいつは昔っから、こうなんだ」

「こうって、暴走しちまうってことかい?」

「ああ。私が怪我したり、危険になると必ずな。全く、困ったものだ」

 冷静を取り戻したお華が、勝之進の左腕をまくる。そこには人狼の歯型がくっきりと付いていて、痛々しい。

「痛そうナリ~」

 お華はまるで自分のことのように顔を歪めると、傷口を水で清め、晒し布(さらしぬの=白い木綿の布)を巻いていく。それを横目で見ながら、勝之進は大きくため息を吐く。

 こういうことを、根掘り葉掘り聞くのは無粋だと思ったが、やはり気になる。

「何か、あったのかい?」

「いや、大したことじゃない。幼い頃、お華の目の前で野犬に殺されかけてな。その時、こいつは『何も出来なかった自分が悔しい』って、大泣きしたんだ。それ以来、ああなったんだ」

 ぼろぼろと涙を流しながら、お華は呟く。

「だって……だって、もうあんな思いしたくないナリ……」

「大事ない(だいじない=心配するほどのことはない)から、もう泣くな」

 勝之進は手当てを終えたお華の頭を、右手で優しく撫でた。

 どうやら、勝之進とお華の因縁は、随分深く長いようだ。


 夕方の駕籠が通った。その後は妖魔に遭うことなく順調に歩を進め、黄昏時を迎えた。勝之進は道端から少し離れた草の上に、荷物を下ろした。ふたりも同様に荷を下ろす。

「今日は、ここで野宿しよう」

「こんなに歩いたのは、久し振りナリ」

「そうだねぇ、一日中歩きどうしだもんねぇ」

 吟達は、円陣を組むように腰を下ろした。勝之進は夕陽が沈み切る前に、火打ち石で火を起こす。お華は木の妖魔から得た小枝を、火にくべていく。

 旅人が焚き火をするのは、暖を取る以外にも色々な理由がある。明かりになる他、暖を取る、調理や野犬除けなどの利点があるからだ。

 お華は落ちていた石を積んで、かまど(コンロ)を作る。

「それは何だい?」

「これから、野草粥を作るナリ」

「お華が作るのかい?」

「ああ。こいつは意外と、料理が上手いぞ」

 お華は荷から携帯用の鍋を取り出し、調理を開始する。小刀(ナイフのような小さな刃物)で野草を切り、鍋に水と塩と野草と糒(ほしい=炊いた飯を干したもの。水で戻るアルファ米のようなもの)などを入れて、かまどの上に置いた。

「へぇ、手際がいいねぇ」

「こいつ、手先は器用なんだ」

「えへへ」

 吟が感心すると、お華は、照れ臭そうに笑った。

 鍋が煮えるまで少し時間がかかるので、その間に作戦会議をすることになった。

「夜の見張りは、私とお華の交代でしよう」

「いいナリ」

「あたしは?」

 吟は仲間外れにされたと思って、身を乗り出して尋ねる。勝之進は少し考えてから、渋々と口を開く。

「依頼人に見張りを頼むのは、悪いと思ったのだが」

「構わないよ。あたしゃあんたさん方より、旅慣れているつもりさ。むしろ流しは、旅することが仕事みたいなもんだからね」

 どうやら勝之進は、吟に気を利かせたようだった。だがそれは、無用な心配だ。

「正直なところ、野営は慣れっこでさぁ。だから遠慮しないで、三交代制にしないかい?」

 吟が笑いながら言うと、勝之進も釣られるように小さく笑う。

「それじゃあ、遠慮なくそうさせてもらう」

「順番は、どうするナリ?」

「くじ引きはどうだ?」

 言うが早いか、勝之進は荷の中から小さな麻袋を取り出す。そして、小枝三本に小刀で傷を付けた。

「この三本は、一見見分けが付かない。これの先を袋で隠して、一人一本ずつ引く。傷一本が一番手、二本が二番手、三本が三番手といった具合で」

「いいねぇ、分かりやすくて」

「絶対、三本傷を引くナリーっ!」

 早速三本を袋に入れて、吟達は同時に引き出す。

「あ。一本だから、一番だね」

「やった、三本ナリっ」

「二番……」

 どうやら提案した本人が、ハズレを引いたようだ。

 旅人が野宿をする場合、交代で見張りを立てるのが常識だ。もし、妖魔や夜盗に襲われても、すぐに対応が出来る。ちなみに、二番手は損だ。せっかく気持ち良く寝ていても、叩き起こされて眠い目を擦りながら、見張りをしなくてはならない。その後は寝ようにも、眠気が中途半端になって、なかなか眠りにつけないことが多い。

 そうこうしていると、鍋が煮えたようだ。お華は携帯用の器に野草粥を注ぎ、笑顔で吟と勝之進に手渡す。

「はい、お召し上がれナリ~」

「ありがと……うっ」

 粥の中には、緑色の野草がたんと入っている。正直、あまり美味そうに見えない。これは毒草ではあるまいな? 勝之進は何のためらいもなく食べているが、大丈夫なのだろうか? しばらく勝之進の様子を窺って、何も変化がないのを確認。恐る恐る、口を付ける。

「美味しい」

 吟は驚いた。見た目こそ悪いが、野草のだしと塩味がほど良く効いていて美味かった。

「美味しいよ、お華」

「良かったナリー」

 吟に褒められ、お華は嬉しそうだ。勝之進も、お華の頭を優しく撫でた。

 夕餉が終わると、勝之進とお華は早めに就寝することにした。寝ている時は地面から底冷えするので、多少暑くても夏用の夜具で体を包む。横になったふたりに、吟は微笑む。

「それでは、良く眠れるように」

 ゆったりとした旋律で三味線を弾き、曲に合わせて唄い始める。吟の祖国に、古くから伝わる子守歌だ。

「眠れ安らかに、我が子への祈り、永久に続く母の愛」

 ふたりが寝息を立て始めたのが分かると、吟は唄うのを止めた。静かにゆっくりと三味線を響かせながら、時を過ごす。火を絶やさぬように、焚き火に草をくべていると、眠っていたハズの勝之進の目が開かれた。吟は驚いて、三味線を弾く手を止めた。

「おや、勝之進。まだ交代には早いよ?」

「何だか、目が覚めてしまった」

「起こしちまったかい?」

「いや」

 勝之進は起き上がると首を横に振り、小さくなった焚き火に小枝を手折ってくべる。火は弾けるような音を立て、小枝に燃え移って勢いを増した。赤々と燃える炎が、勝之進の端正な顔を照らし出す。暗闇の中、勝之進自身が光っているように見えた。そんなことを考えていた吟に、勝之進が声を掛けてくる。

「なぁ、吟。この国の風は『泣く』のか?」

「『鳴く』? そんなに強かないけど?」

 勝之進の言いたいことが分からず、吟は首を傾げて聞き返す。

「いや、やっぱりいい」

 それだけ言うと、勝之進は沈黙した。静かになると、火の爆ぜる音、風が草木を揺らす音、どこかで鳴く鳥の声、虫の音が聞こえた。風は吹いているが、鳴くほど強くない。何かと聞き間違えたのだろうか? それとも、寝ぼけたのか?

 風になびいて、火の粉が飛んだ。焚き火をじっと見つめていた勝之進が、顔を上げて吟を見る。

「聞いてもいいか?」

「何を?」

「姫に言付けを頼んだ相手って、誰なんだ?」

「え? あ、それはぁ……」

 吟が言葉を濁すと、勝之進は少しバツが悪そうな顔をして謝る。

「あ、いや、すまない。お前の仕事に、口出しすべきではなかったな」

「別に、構わないけど」

 吟は少し考えて、勝之進なら話してもいいかと思い返した。勝之進は、言いふらしそうな性格には見えない。ましてや、人の不幸を喜ぶような奴でもない。

「実はあんたさん方の故郷に、水野栄吉さんって男がいてねぇ。彼はもう、永くないらしいんだよ」

「永くないって、病気か?」

「ああ。栄吉さんは、元大名の嫡子(ちゃくし=正妻から生まれた子)とかいう話でさ。どうしても死ぬ前に、姫君に伝えたいことがあるんだと」

「そうか。なら、何としても言付けを届けなくてはいけないな」

 勝之進は頷くと、優しく微笑んだ。惹きつけられそうな美しい笑みに、吟は戸惑う。

「う、うん。そうさね」 

「吟、もう寝て良いぞ」

「そうかい? じゃ、お言葉に甘えて」

 吟は夜具でしっかりと体を包むと、横になった。すぐ横では、同じく夜具に包まったお華が寝息を立てている。幼い寝顔は、本当に人形のように可愛らしい。思わず口元が緩んでしまう。

 そこで、ふと思った。こんな絵に描いたような色男(本当は女だが)と美少女が、何故用心棒なんて危ない職業に就いているのだろう? これだけ顔が良ければ、役者にでもなれば良さそうなものなのに。

 そのうち聞いてみようと思いながら、吟は眠りに付いた。


「――華、吟、起きろっ!」

 勝之進の声で、目が覚めた。熟睡とは程遠く、うとうとしている間に朝が来たようだ。吟は大きく伸びをしながら、呟く。

「もう朝かぁ」

「あれ? 交代はどうしたナリ?」

 そういえば、勝之進に起こされるのはおかしい。三番手は、お華だったはずだ。

「昨日は初めての長旅で疲れただろうからな、あえて寝かせといた」

「そっか、ありがとうナリ」

 お華は何の疑問も持たず、満面の笑みを浮かべて礼の言葉を言った。

 ははぁ、なるほど。例によってお華を甘やかして、起こさなかったのだろう。大概にしないと、親離れ出来なくなるぞ、お母さん。心の中で呟いて笑っていると、勝之進に睨まれた。口に出さなくても、考えを読まれたのだろう。

 昨日、お華が作った野草粥の残りを朝餉として全てさらってしまうと、片付けを開始する。土を掘り返して焚き火を埋め、荷をまとめた。

「忘れ物はないな?」

「大丈夫ナリ」

「早く出発しよう」

 ふたりが笑顔で返してきたので、勝之進は小さく頷くと、道の方を見て言う。

「今朝はまだ、駕籠が通っていない」

「駕籠って、いつ通るナリ?」

「港からの駕籠軍団は、一日二本しか出ないのさ。午前と午後の一回ずつ。城下からも同じ。だからきっと、これから通るんだろうねぇ」

 勝之進は胸の前で腕を組んで、小さく唸った。

「恐らく、今は妖魔達も警戒を解いている。今動くのは危険だ。出来れば、あまり妖魔とは戦いたくない。駕籠が来るまで、待機していよう」

 勝之進の消極的な意見に、吟は肩をすくめた。

「それじゃあ、ただでさえ日数がかかるってぇのに、さらに遅くなっちまうよ」

「そうか。じゃあ、この案は却下だな」

 吟の意見を聞くなり、勝之進は自分の案をいとも簡単に引っ込めた。

「何で、そんなに戦いたくないんだい? あんたさんの剣の腕前は、そりゃあ見事なもんだったけどねぇ」

 そんな勝之進が戦いたくないとは、どういうことなのだろう? 

「いや、その、なんだ……」

 口ごもっている勝之進の代わりに、お華が答える。

「勝之進は、博愛主義なんだナリ」

「お華っ!」

 あっさり秘密をバラしたお華を、叱咤するように勝之進が叫んだ。

「博愛?」

 しかし、聞いてしまったことを、無視することも出来ない。すると、勝之進が観念したように、渋々口を割る。

「先日の妖魔は木や小鬼だったから、さほど抵抗はなかったのだが。やはり命を奪うという行為は、気がとがめる」

「ははぁ、なるほど。戦うのが怖いんじゃなくて、可哀想だからかい。外見に似合わず、なかなか可愛い性格をしているんだねぇ」

 吟が笑うと、勝之進は顔を紅潮させる。

「し、仕方がないだろう! 殺すのが、怖いんだっ!」

「分かった分かった。なるべく、敵に遭遇するのを避けたいんだろう?」

「何か、良い考えがあるナリか?」

「まぁねぇー」

 吟は肩に掛けた荷を下ろすと、手の平程の大きさの鐘を取り出した。

「なんナリか?」

「妖魔避けの鐘さ」

「それを使えば、妖魔と戦わずに済むのか?」

「動物は、本来金属音を嫌うのさ。これを着けていれば、遭遇率は下がるんだ」

 吟は鐘を揺らし、鳴らせてみせた。カランカランと、軽い金属音がする。すると勝之進が、興味津々といった様子で鐘を見ている。

「そんな便利な物があったとはな。早速、みんなで着けよう」

「ああ、大丈夫。これ一つあれば充分なんだ」

 吟は笑って、自分の腰紐にくくり着けた。勝之進が半信半疑で、鐘を指差す。

「それでいいのか?」

「そうだよ。じゃ、出発しようかねぇ」

 吟が歩き出すと、それに合わせて鐘の音がする。いまひとつ腑に落ちない様子の勝之進も、歩き出す。鐘の音に合わせて、お華も嬉しそうに歩き出した。

 実際、鐘を付けてから駕籠が通るまでの間、妖魔に遭遇することはなかった。少しでも早く城下町へ着く為、吟達は忙しなく足を動かし続けた。やがて駕籠が過ぎ去るのを見送ると、勝之進が声をかけてくる。

「腹が減ったろ? 昼飯にしよう」

「駕籠も行ったことだし、問題ないだろうさ」

「賛成ナリ~っ」

 昼飯と聞いて嬉々とするお華と吟に、勝之進は小刀で削いだ干し芋を手渡す。ふたりはそれを受け取り、勝之進に礼を言ってかじり始めた。勝之進も自分の分を削ぎ、口に入れる。途端に、勝之進はむせてしまう。

「ぐっ、ごほっごほっ」

「大丈夫かい?」

「あ、ああ。ちょっとむせただけだ」

 勝之進は水袋を取り出して、喉を潤した。勝之進は、軽く苦笑する。

「実は、干し芋が苦手でな。携帯食としては最適かもしれんが、水分がなければ食えたもんじゃない」

 すると、お華が勝之進に笑い掛ける。

「今は時間がないから無理だけど、夕餉は野草汁を作るナリ」

「ああ。いつもすまないな」

「それは、言わない約束ナリ?」

「いつ約束した? そんなこと」

「あはは、まるで病気のお婆ちゃんと孫みたいな会話だねぇ」

「誰がお婆ちゃんかっ!」

 吟が声を立てて笑うと、勝之進がすかさずツッコんできた。相変わらず、キレの良いツッコミだ。

 軽めの昼餉を済ませると、吟達はまた再び歩き始める。駕籠が通った後の道は、しばらく安全だ。食事を兼ねて休憩をしたので、吟達の足取りは軽く気分も良い。道端に、妖魔の成れの果てが落ちていることさえ除けば。

 四度目の駕籠が通り過ぎた頃、夕闇が近付いて来たので、勝之進は一旦荷を降ろした。吟とお華も荷を下ろそうとしたところを、勝之進が制止する。

「せっかく駕籠が通り過ぎたところだ、先を急がないか?」

「まぁ、あたしゃ構わないけど」

 勝之進の提案に吟は賛成だが、お華はどうだろう? お華の方へ目を向けると、案の定頬を膨らませている。

「暗いのは怖いナリー」

「お前も提灯を点ければいいだろ?」

「それに、夜に妖魔と遭ったら、怖いナリー」

 怯えるお華を、なだめるような口調で吟は言う。

「夜行性の妖魔もいるけど、奴らは火を恐れるから、襲って来ることは滅多にないんだよ。気を付けるのは、夜盗くらいかねぇ」

 それを聞いて、お華が小首を傾げる。

「妖魔は、夜の方が活発なるって聞くナリ?」

 荷から火口箱と松明を取り出し、火をおこしながら勝之進は口を開く。

「それは偏見だ。妖魔だって、生き物なんだ。昼間起きている奴らは、今頃寝ているだろう。そもそも人なんか襲わなくても、妖魔の成れの果てがそこかしこに落ちているから、それを食うだろ」

「それに本来動物は、腹が減っていなければ、目の前に餌があっても飛び付かないもんさ。腹が減ってなくても食うのは、人間くらいなもんかねぇ」

「あたしは、今お腹が空いてるナリっ」

 お華はむくれた様子で、唇をとがらせる。それを見て、勝之進はため息を吐く。

「不機嫌なのは、そのせいか。もうしばらく、我慢しろ」

 勝之進は火が付いた松明を、一時的にお華に持たせる。荷に火口箱をしまうついでに、手の平ほどの小さな麻袋を取り出す。袋を傾けると、中から干し果実ドライフルーツが出てきた。

「お華、ほら」

「ありがとうナリ」 

 勝之進は松明を受け取る際、替わりに干し果実を手渡すと、お華は途端に笑顔になる。ふたりのやりとりを見ていた吟は、笑いながら勝之進に話し掛ける。

「おやまぁ。相変わらず、甘やかしてるねぇ」

「こうしておかないと、こいつうるさいから」

「経験がものを言うってか」

「そういうことだ。吟も食うか?」

「せっかくだから、貰おうかねぇ」

 勝之進は、吟にも干し果実をくれた。歯ごたえのある干し果実は、干すことによって甘みが凝縮され、菓子のように甘かった。

 そういえば、菓子などという贅沢なものは、とんと食べていない。最後に菓子を食べたのは、いつだったろう? 吟は、干し果実を少しずつ味わいながら、幼い頃を懐かしく思った。


 松明で道を照らしながら、吟達は先を急ぐことにした。幸い、妖魔も夜盗も襲ってくることもなく、順調に進むことが出来た。松明が明々と燃えて半分ほど炭になった頃、勝之進は再び立ち止まる。

「今日のところは、ここで野宿にしよう」

「ふぁ~、眠いナリ~」

「やれやれ。やっぱり、歩きっぱなしは疲れるねぇ」

 勝之進が道を離れて荷を降ろすなり、お華はだらしなくその場に尻餅を着いた。吟も疲れていたが、お華や勝之進より旅に慣れているので、少し体が重いという程度だ。

 吟が小枝を組むと、勝之進は松明から小枝に火を移す。燃え移ったのを確認すると、松明を消した。

「もう限界ナリよ~」

 一方、お華は子供体質なので、疲労と眠気でもうへろへろだ。それでも何とか、目を擦りながら言う。

「勝之進~、野草汁は明日でも良いナリか~?」

「ああ。構わないから、寝ろ」

「うん、ごめんナリ~」

 お華は夜具を取り出すのもたどたどしく、何とか夜具に包まるとすぐ寝息を立て始めた。勝之進はそれを見届けると、野宿の準備をしていた吟にも話し掛けてくる。

「吟も疲れたろ? 休んで良いぞ」

「じゃあ、ありがたく先に休ませてもらうけど。勝之進はどうするんだい?」 

「交代で寝る」

「そうだね。じゃあ、お休み」

「お休み」

 吟も夜具に包まって、横になった。目を閉じると、睡魔が一気に襲ってきて闇に堕ちた。どうやら、自分が思っていたよりも疲れていたようだ。

 吟は夢を見ていた。それは夢と分かる夢だった。周り一帯に、白い霧が立ち込めていて明瞭ではない。どこかで、女のすすり泣く声が聞こえる。少なくとも、お華ではない。声のする方へ進もうとするが、なかなか進めず、まるで水の中を歩くようなもどかしさ。誰だ? 何故泣いている?

「――ん、吟、起きろ」

 吟は勝之進の声によって、夢の世界から現実へ戻された。

「あ、ああ、お早う。交代の時間かい?」

「太陽が真上まで昇りきったら、お華と私を起こしてくれ」

 吟は、眠い目を擦りながら頷く。

「うん、分かった。お休み」

「お休み」

 気が付けば、世界は明るかった。朝だから、明るいのは当然だが。勝之進は昼になったら起こせと、言っていた。それまでどうしようかと思案したが、明るかったので、作詞に時間を割くことに決めた。

 やがて太陽は、空のてっぺんまで登りきった。言われていた通り、勝之進とお華を揺り起こす。

「お華、勝之進! 起きなっ!」

「ああぁ、吟。お早うナリ」

「お早う」

 お華はすぐ起きたが、よほど疲れていたのか、勝之進はなかなか起きない。起きるやいなや、野草汁を作っているお華に訊ねてみる。

「ねぇ、お華。勝之進って、朝弱ぇのかい?」

「その時々だけど、深く眠り込んでいる時は、なかなか起きないナリねぇ」

「へぇ、そうなんだ?」

 それにしても、勝之進は寝顔も美しい。起こすのがもったいないくらいだ。

「でも、起こさなかったら怒るだろうしなぁ」

 吟はぶつくさ言いながらも、再び勝之進を起こしにかかった。

「勝之進、起きなって!」

 何度目か名を呼んだ時、ようやく勝之進は目を開けた。寝起きでぼんやりしている勝之進に、お華はご機嫌で挨拶する。

「お早う、勝之進。今、野草汁を作っているところナリ」

「ああ。ちょうど腹が減っていた」

 勝之進は起き上がったかと思うと、いきなり饒舌に話し始める。

「昨夜考えたんだが、やはり駕籠が通るまで、動かないようにしないか?」

「時間が、もったないんじゃねぇかねぇ?」

「大丈夫だ。良い案がある」

 勝之進が詳細を話すと、吟は感心した。

「なるほど、面白いことを考えたじゃねぇか」

「えぇ~? 大変そうナリ~」

 予想通り、お華がぶう垂れる。勝之進はお華の頭を、ポンポンと軽く叩いた。

「慣れない内は辛いかも知れないが、すぐ慣れるだろう。何より、安全で楽だ」

「駕籠が通った後は、妖魔も警戒しているもんねぇ」

「むぅ、わかったナリ」

 お華はむくれながらも、何とか納得したようだ。

 そうこうしていると、鍋が煮えた。

「いただきまーす」

 吟達が朝餉兼、昼餉を摂っていると、道の方から駕籠の声と多くの話し声が聞こえてきた。

「おや。今日はいつもより、少し早いねぇ」

「本当ナリ」

「じゃあ、早く出発しよう」

 手早く野草汁をさらってしまうと、荷をまとめて歩き出した。

 勝之進が考えた案というのは、こうだ。

 基本的に、駕籠が通り過ぎた後に行動しようというものだ。昨日同様、飯時以外は極力休まず進む。夜も、松明に火を灯して歩く。月が真上まで昇りきったところで、交代で睡眠を摂る。そしてまた駕籠が通り過ぎるのを待って、行動開始。その繰り返しだ。

 戦えば、それだけ時間を食うし、勝之進の心も痛まなくて済むって訳だ。

 作戦は成功だった。お蔭で、かなり距離を稼ぐことが出来た。

 しかし、上手く行ったのは最初だけで、翌日の午後一番に妖魔と出くわした。

「可愛いー、うさぎさんナリっ」

「うん、兎さんだねぇ」

「ああ、確かに兎だが」

 くさむらから飛び出してきたのは、茶色の毛に覆われた黒いつぶらな瞳の兎だった。ただし、その大きさは半端ではない。体だけでも、中肉中背の吟の背丈と同じくらいある。耳も入れたら、相当な大きさだ。器用にも、後ろ足二本で立っている。

「ギャー!」

 これは、兎の鳴き声。外見と似合わず、可愛くない鳴き声だ。お華もさすがに、これには引いていた。

「可愛いのに、声が怖いナリー!」

「下がれ、お華!」

 勝之進は背負った太刀の柄を握り、間合いを取る。だが、刀はまだ抜かない。優しい勝之進のことだ、可愛い動物を怯えさせたくないのだろう。

 戸惑いを隠せない様子で、勝之進は後方にいた吟に声を掛けてくる。

「ぎ、吟。こいつは何が効く?」

「そうだねぇ、今考える」

「早めに頼む」

 勝之進は巨大兎に向き直る。大きさは並外れていても、兎には変わりない。大きくてつぶらな瞳が、勝之進を見つめ返してくる。何かを察しようとしているのか、鼻をひくつかせている。正直可愛い。大きくなっても、可愛いものは可愛い。

「参ったな、可愛いじゃないか」

 勝之進が珍しく頬を緩めて、ぼそりと呟いた。その後ろで、お華が弾んだ声を上げる。

「あ、この子! 夏祭りに登場する『ウサ太郎君』着ぐるみに、そっくりナリっ」

「もしここで、こいつを無残に倒してしまったら、夏祭りが鬱になりそうだ。出来れば、穏便にお引取り願いたいところだな」

 しばらく、勝之進とウサ太郎君のにらめっこが続いている。その間も、吟は口の中で呟きながら考えていた。

「兎、大きな耳……そうか!」

「何か、思いついたナリか?」

 吟は荷を下ろし、南蛮渡来のマラカスと小さなラッパを取り出す。不思議そうに覗き込んでくるお華に、マラカスを二本持たせる。

「あたしの曲に合わせて、こいつを適当に振っておくれ」

「え? うん、分かったナリ」

 吟はラッパを口にくわえ、三味線と共に、楽しげな曲を奏で始める。お華も曲に合わせて、両手に持ったマラカスをシャッシャカシャッシャカと、振り始める。お華は、初めてにしてはなかなか筋が良い。

 それに驚いたのは、ウサ太郎君ばかりではなかった。後ろが急に賑やかになったので、目を丸くした勝之進が振り返る。

「何だ?」

 にやりと、吟が不敵に笑う。両手と口が塞がっているので、アゴで前方を差した。首を捻りながら、勝之進は再び前を向く。

 耳を伸ばしたウサ太郎君は、落ち着きなく周りを見回している。そして間もなく、ウサ太郎君は茂みの中へと逃げて行った。

 吟は手を止めて、ラッパも取った。

「よし、成功っ!」

「何だったんだ? 今のは」

「獣は、大きな音を嫌うのさ。あれだけ耳が大きければ、なおさらね」

「ああ。そういうことか」

 吟が説明する横で、お華がまだ必死になってマラカスを振り続けている。勝之進が、お華の手を掴んで止めさせる。

「お華、もういいぞ」

「もういいナリか?」

「ああ、ありがとう」

 勝之進は、お華の頭を撫でながら礼を言った。そんな彼女達を見ながら、吟は考えていた。

 勝之進は、極力戦闘を避けようとする。甘い考えだとは思うが、無駄な戦いは避けるべきだろう。戦えば、それだけ体力を消耗するし、怪我もする。

 旅人はあくまで、旅を主としているのであって、国を背負っていくさをする兵士ではない。もちろん、なんらかの事情で、戦に駆り出される用心棒もいるだろうが。

 そもそも、戦によって何が生まれるだろう。もし得る物があったとしても、その代価はあまりにも大き過ぎる。そうして得た物に、一体どれだけの価値があるというのだろうか? 

 誰だって、平和を夢見ているはずなのに。戦には必ず、悲劇の歴史がある。

第二部、お読み頂けた方、ありがとうございました。続きもお気が向きましたら、お暇な時にでも読んでやって下さいませ。

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