戸山羅花 2話
ちょっと急展開
「…………」
…………重い。
「影原くんどうしたなの? 随分疲れた顔してるなの」
「…………誰のせいだと思ってやがるっ!」
樫原は現在、俺の背中の上にいる。
「大体お前、なんで関係のない俺を巻き込むんだよ!」
時はつい十五分前まで遡る。
「……よーし。いいか、今日はお前達各人が対戦形式で訓練してもらう。だからって殺すなよー。戦闘不能判定が出た時点で止めること」
だったらやらすなよ……。
そう思ったが、適当に人を探すことにする。
「影原くん」
後ろから声が掛かった。大柳だ。
「どうだい? 良ければ手合わせ願いたいんだが」
「……そうだな。いいぞ」
一瞬樫原のことも頭に浮かんだが、流石に女の子相手に攻撃を仕掛けられるほど人外じゃない。
「じゃあ、お手柔らかに願うよ……ってうわぁぁ!」
「……はずれか」
挨拶している大柳に闇の矢を放つが、寸前で避けられた。
「おのれ卑怯な! いきなりやるかい!?」
「いいじゃねぇか。どうせ戦闘不能判定が出れば終わりなんだ。……黒き漆黒なる闇よ。鋭き槍となりて光を突き通せ。」
手に闇の槍を構える。
「いいだろう。本気で行くぞ! 黒き漆黒なる闇よ! この手に黒刀となりて顕現せよ!」
……闇の刀か。そういや習ったな。今度使ってみるか……。
そんなことを思っている間にも、大柳はどんどん近づいてくる。
「覚悟っ!」
大柳が黒刀を振り下ろすと同時に横へ避け、槍を振り回す。
「はっ!」
大柳はそれを後転して避ける。
「運動能力は高いみたいだなっ!」
「まあ、ねっ」
続けて振り下ろした槍を黒刀が受け流す。何度か剣劇が繰り広げられ、それぞれの武器を押し付けるように合わせる。
「……くっ」
このままでは決着が着きそうにないので、勢いよく大柳を飛ばす。
「……いい加減決着つけねぇとな。他の奴ともやりたいし」
「それは負けの合図かな?」
「ふん。そっちがな」
目を閉じて心を落ち着ける。昔、祖母から教わった精神統一だ。
「……なっ!? 影原くん!? なんだいその技!?」
「……え?」
大柳の余りの驚きように、目を開く。……相変わらず槍はそのままだし、とくに術式を開いた訳でもない。一体何に驚いたのか?
「い、いや、君……」
大柳が更に続けようとした時だ。
「樫原さん!?」
「っ!?」
少し離れたところに人だかりが出来ている。
「あいつ何かしたのか!?」
慌ててその人だかりに向かう。そこで目にしたのは……。
「大丈夫なの。ちょっと足切っちゃっただけなの」
足から血を流した樫原がいた。
「樫原!」
「あ、影原くん。どうしたなの?」
「いや、お前その状況で聞くか!?」
「……あ、もしかして私のこと心配してくれたなの?」
「ぐっ!?」
言葉に詰まる。実際そうなのだが、この大衆の前じゃそんなことは言えない。しかも変な誤解だってあるというのに!
だが、その沈黙が、余計に心配していたのだと雄弁に語っていた。
「……やっぱり影原と樫原付き合ってるんだな」
「格好いいねー。自分もそんな奴になりてぇよ」
周りが小声で冷やかしている。
「ん? なんだ? 影原がどうかしたのか? 先生分からんぞ?」
「影原くんが救護室に送ってくれるなの」
「あーなるほど。自主性があっていいな、影原は。じゃあ頼むぞ」
……頼むぞってなんだよ。救護室? どこだよ。
「……チッ。仕方ねぇ。おい樫原、立てるか?」
「ん……。無理かも、なの」
「ったく。どうしたらこんな傷が出来るんだよっとぉぉ!?」
素早く後ろに回り込んだ樫原が背中に乗ってくる。
「……よし、なの」
「よし、じゃねぇ! いきなり乗るな! 何かに取り憑かれたかと思ったわ!」
「まあまあ、じゃしゅっぱーつ!」
「お前なぁ……」
で、現在に至る。
「もう少し気を付けろよな? そもそもお前の能力は戦闘向きじゃないんだから」
「……ごめんなさいなの」
素直に謝る樫原。
「で、なんであんな事になったんだ?」
「えっと、まあ、簡単に言うと相手の攻撃が当たって、運悪く切れちゃっただけなの。さして大けがでもないなのよ?」
「そうか。まあ、余り無理はしないことだな」
「分かってるなの〜」
「信じられないんだが……」
樫原の案内の下、救護室へと向かう。しばらく二人は、無言で歩いた。
「……影原くん」
「んー?」
「……こんなこといきなり言ったら変かも知れないけれど」
「お、おう」
なんか樫原、元気ない? 反省してるのか?
「…………」
「…………?」
だが、しばらく待っても何も言わない。
「……どうした?」
「……んー……」
何か考え込んでいる様子の樫原。
「よし!」
「へ?」
「私は決めたなの!」
「何をだよ」
「私は強くなるなの!」
「あ、おい。ここ曲がれば精神科だって。行くか?」
実際は勿論、そんなものはない。
「酷いなの! 私の一大決心を!」
「いやだって、お前サポーターじゃん。お前が強くなってどうするんだよ」
「力強くサポートするなの」
「無駄だな、おい」
そんな下らない話をしながらようやく救護室へ着く。
「ほら、降ろすぞ」
「はいはいーなの」
……届けたあとって、どうすんの?
「……帰るか」
「うわぁぁ待ってなの!」
「ぐはっ!」
背中にタックルされて、前に倒れそうになる。
「やだ……」
「え?」
「どこにも行かないで」
「な……」
顔を見られてはいないのが幸いか、余りに唐突過ぎる発言も、パニックに陥ることはなかった。
「……ダメ、なの?」
「……いや……分かった」
樫原は小さく微笑むと、倒れ込んだ。
「あ、おい! てかなんで誰もいないんだよ! どうしろと!?」
周りを見渡す。ふと、ある貼り紙が目に入った。
『治療の手順』
「自分でやれってかぁ!?」
酷かった。放任もいいところだ。
「くそっ! おい樫原!」
呼んでみても、当然ながら気を失っている。
「あぁもう! どうなっても知らんぞ!」
貼り紙を剥がし、手順を確認する。
「傷の深さを確認する? ……樫原、すまん」
かなり気が引けるが、仕方なく樫原の足を確認する。
「……出血は多いが……余り深くもなさそうだな」
未だに血は流れているが、そこまで酷いわけでもなさそうだ。……それにしても随分白い足だなぁ……。なんで女子って日焼けとか嫌うんだろ。全部が全部そうじゃないにしろ。
「って何考えてやがる俺。……傷はそんなに深くないから消毒か。綿にピンセットと……エタノール」
綿にエタノールを染み込ませ、樫原の怪我した部位を拭いていく。
「意識があったら痛いだろうなぁ」
ないから関係ないのだが。
「縫うほどではないにしろ、傷口が大きい……。ガーゼと包帯だなこりゃ」
その作業は、座らせたままでは出来ないので、空いているベッド(全部)の一つを使わせもらうことにする。
「意外と軽いなぁ樫原は。ちょっと軽すぎるような気もするけど、女子じゃこの位が普通なのか……?」
ともあれ、無事に寝かしつけると、手際よくガーゼと包帯を巻いていく。
「……これで、よしと」
途端にやることが無くなる。
「……」
帰ろうか、とも思ったが、先程の樫原の言葉が蘇る。
『どこにも行かないで』
珍しいことに、なの、をつけていなかった。いや、そんなことはどうでもいい。
誰かいるわけでもないが、一人で勝手に恥ずかしくなり、無理やり考えることを止める。
「……仕方ねぇ」
ベッドのそばは樫原に悪いと思い、先程樫原が座っていた長椅子に座った。
考えるのを止めても、こうしていると嫌でも思い出してしまう。
背負っているときも、いきなり黙りこくったりして。どうしたんだあいつは。何かあったのだろうか。
右の脇腹が冷たいものに触れ、シャツをどかすつもりで引っ張ってみた。
「……濡れてる?」
いつの間にかシャツに水が染み込んでいた。いや……違う……これ……。
「樫原の血だ……」
上下とも黒い服装なので、見た目は分かりにくいが、微かに鉄のような匂いがした。
本当に大した傷ではないのか。気になって樫原のベッドを覗いてみる。
包帯の巻かれた部分はどうってこともないように、元の白いままだった。
「良かった……」
思わず安堵する。
「……う、んん……」
樫原が眉をしかめる、気がついたのだろうか。
「……あ、れ……私……」
樫原がゆっくりと目を開ける。
「おう、気がついたか」
「……あ……影原、くん……」
「悪いな。勝手ながら治療させてもらった」
「……え? これ、影原くんが?」
「おう。まだ痛かったりしたら言ってくれ。あ、あと、お前の足には殆ど触ってないからな! 誤解すんなよ!」
「……ふふっ」
「……な、なんだよ」
樫原は小さく頭を振ると、笑みを浮かべながら言った。
「ありがとうなの」
不覚にも、見とれてしまった。
「あっ、あぁ。まあ、教師がいなかったから仕方なくだ。じゃなきゃこんなことしねぇよ」
「分かったなの。さて! 戻りましょうなの!」
「……お前立てるのか?」
大丈夫なの。と言って起き上がってみせる。だが、こちらに歩き出すとやはり怪我した方は辛いようで、僅かに顔をしかめた。
「あーあーほら。俺が言っといてやるから、寝てろ」
「帰ってくるなの?」
「あー……昼休みに迎えにくるさ」
「ならいいなの。行ってらっしゃいなのー」
樫原はいつの間にか元通りになっていた。
教室に戻ると、好奇の視線が向けられたが、それらを無視して席に着く。クラス担任、能登 孝には既に報告してある。
「やぁ。樫原さんは平気だったのかい?」
「……大柳か」
机の前には大柳が立っていた。
「……樫原は平気だ。それより気になることがある」
「? なんだい?」
「お前はあの時、異様なまでに俺に驚いていたよな? なんでだ?」
「……訓練のことかい。そうだな……今となっては見間違いかもしれないけど、あの時、君が目を閉じると黒いオーラのようなものが見えた……。それだけさ」
「オーラ……?」
「ああ。目を開ける時には消えてしまったけどね」
「なるほど……。悪いな」
「いやいや、困ったときはお互い様さ」
大柳は軽く手を挙げるとこの場を去った。
能登は樫原のことを手短に説明すると、さっさと魔素に関する説明を始めた。
樫原のいない授業は、何故かつまらなく思えた。
「……一人、かぁ」
影原くんが救護室を去っていった後、程なくしてクラス担任の能登がやってきた。彼は怪我のことでいくつか質問した後、「今度は気をつけろよ」と言って出て行った。
……暇だなぁ……。
「さっき、言っちゃえばよかったのかなぁ、なの」
さっきとはつまり、影原くんがここへ運んでくれているときのことだ。
『……こんなこといきなり言ったら変かもしれないけれど』
あの時、本当はまったく別のことを言いたかった。
『強くなるなの』
そんなことを言いたかったんじゃない。なのに、口から出たのはそんなことだった。意思とは無関係に動く口。お陰で影原くんは何も気付かなかった。ただでさえ鈍いのに。
そして、影原くんがいないこの空間はとても空虚なものに思えてきた。
自分でも認めている感情。たった二文字の言葉でさえ、私は口にすることが出来ない。
「……逢いたいよ……影原くん……」
「何か用か?」
ドアの前に、影原くんが立っていた。
「ふにゃぁぁ!」
「おぅわぁ!」
「な、なななな、なんでっ! こ、ここにっ!」
「い、いや、昼休みの時に樫原の弁当持ってくといろいろ面倒だから今のうちに持ってこようと……」
そう言って陰原くんは私に弁当を差し出す。
「……ほら」
「あ、ありがと、なの」
影原くんから弁当の包みを受け取る。
「……あの」
「なんだ」
「まさかとは思うけど……聞いてないよね」
「……何をだ?」
答えに一瞬間があった。
「うわーん! 聞かれたぁー! もうやだー!」
「なっ、仕方ないだろ!? まさか俺だってあんな場面に遭遇するとは思えなかったんだから!」
「うぅ……。もうおむ……じゃなくてお嫁にいけないなの……」
「今確実にお婿って言いかけたよな!?」
やっぱり影原くんがいてこの空間が出来上がるんだ。空虚に思えた救護室も、今は確かに時を刻んでいた。
「……じゃあ、俺戻るから。遅刻したらまずいし」
「はいなのー。頑張ってねーなの」
影原くんは手を振って出て行った。
「……ふぅ」
運がよかったのか悪かったのか分からないけど、影原くんが来てくれて良かった。
「仕方ないから寝ちゃいましょうなの」
布団をかぶって目を閉じる。まだ怪我した所はズキズキと痛むけれど、先生は松葉杖を持ってくるって言ってたから、午後からは普通に授業を受けるけれど、
……もう少しこうしていたい、と思った。