葦沢亀執筆 第三話
「……着いた、よ」
カルミアの、真面目なボソッとした声で、到着を知った。瞼を開ける。一迅の風が俺に纏わりついて、後ろへ押す。自然の匂いが肺を満たす。思わず一歩後ろへ下がると、ファサッという感覚が靴の裏から伝わってきた。そこが草っぱらだった。見れば、俺の脚の脛をナズナが撫でている。小さい頃と同じ、あのナズナがここにもいるのだ。
「再会」
いつもそこにいれば、
それはただの雑草だ。
ひょんな所で出逢えば、
それは旧知の友人だ。
後で忘れずに手帳にメモっておこう、と頭に刻みつけて、現実へ戻る。すでにカルミアは辺りを勝手気ままに探索していた。一体さっきの真面目そうな声は、どこへ隠してしまったのだろうか。
俺が今立っているテレポーターの前の辺りは石畳で舗装されているが、それは5歩ほどの範囲で終わっている。その先には、風に撫でられて波打つ雑草の大海原が広がっている。カルミアはその縁をなぞるように歩いて、一つ一つの雑草にあり余った興味を向けていた。でも、絶海の孤島に投げ出された漂流者のような、何となく彼女らしくない歩き方なのは、気のせいだろうか。
この辺りは、人のいた頃は恐らく公園だったのだろう。未だに残っている当時の面影は、まるで俺達を待っていたかのようだ。ブランコは座る所が見当たらないが、両脚の部分が錆びてもなお立ち続けている。ジャングルジムもある。蔦が巻き付いて埋もれてはいるが、まだ原形がかろうじて分かる。
「ねぇ、君。あれって何の遊具だろう?」
好奇心に任せてカルミアが指を指す先には、雑草の間から赤いトゲが一本、スッと生えている。根元の方はよく見えない。
「何だろう? 知らないなぁ。竹馬よりは短いけど……!?」
それは突然だった。何の前触れも無く、いきなりトゲが真上に突き上がったのだ! それは、次の瞬間には草原の中を、目が追いつかない程の速さで駆け回り出した。
「きゃあぁぁぁ!!!」
そんなカルミアの悲鳴を楽しむかのように、赤いトゲは波打つ草原から頭だけ出して、石畳の上の俺達の周りを回遊する。まるでサメの映画でも見てるみたいじゃねぇか、畜生。ほんの一瞬、草の間から根元に茶色い丸いものが見えた気がしたが、定かではない。と言うより、そんなことに気を回している余裕は無かった。どうやら赤トゲは舵を切ったらしいのだ。此方へ迫ってきている。それもあっちで頭が見えなくなったかと思うと、そっちから顔を出したり、突如動きを止めてみたり、と俺達の様子を面白がりながら徐々に距離を縮めてくるから性質が悪い。カルミアを後ろへ庇うように、動きに合わせて細かく立ち位置を変えてはいるが、いつ予期せぬ方向から飛び出してくるかは分からない。戦闘などしていないのに、既に呼吸が早くなっていた。俺はこういうのに向いていないと実感する。
不意にカルミアが「あ」と言った。
「どうしたの?」
「いや、何だか可愛いような……」
「じゃあ、ペットにでもする?」
そんな下手な冗談を口にしながら、俺は焦って目を左右に走らせていた。カルミアに気を取られたせいで、トゲの行方が分からなくなったのだ。360度、どこにも見当たらない。草花を掻き分ける音も聞こえない。
風が雑草の上を滑っていく。緑一色。時間が止まったような感覚になる。
息をのむ。全身で、時が動き出そうとしているのを感じた。無意識に、拳を握りしめて身構える。
風が止んだと同時に、草原から影が飛び上がった。太陽の光を茶色い毛並みが反射する。うっかり手で顔を覆いそうになったが、それはやや離れた石畳の上へ着地した。
赤いトゲは、どうやらツノだったらしい。ユニコーンのように額から真上へ伸びているが、残念ながら体はもっと小さかった。ウサギのような顔をしているが、尻尾はタヌキに似た長いフサフサの二股で、それの先には目玉のような紋様がある。それをユラユラと揺らしながらこちらに向けているのだから、当然こちらを威嚇しているのだろう。フーッ、フーッ、という荒い鼻息が聞こえてくる。
さぁ、戦え。自分で自分に命令する。腰に付けた鞘から、ゆっくりと剣を引き抜いた。時代劇で見たようなカッコいい抜き方をイメージしてはいるのだが、何度練習しても、どうにも様にならない。それにコレは、いわゆる「新入生向けセールス品」と呼ばれるシロモノで、POPには「初心者でも使いやすい!」なんて書かれていたのを買ったのである。普通に能力が使えればこんなもの要らないのだが、不運なことに俺はコピー能力の使い方を知らないものだから、これが無いとどうにもならないのである。とはいえ剣術が身についている訳でもなく、見かけ倒しの構えを見せる俺の戦闘能力はゼロに限りなく近かった。
ふと、今の自分がRPGの主人公だったら、と考える。きっとイベント発動の絶好のタイミングだ。カットインが入り、突如全身に満ちる生命エネルギー。そしてコピー能力の発動だ。……って、ここで発動しても何をコピーするんだよ。カルミアの能力か? そう言えばカルミアの能力は知らないが……使える代物ではないよな、きっと。となると、救世主の到着でも祈ろうか? まさか、そんなことあるはず―
「ちょぉっと、待ったぁぁ!」
俺と魔獣の間に突如割って入ったのは、赤髪の少女だった。空いた間を、草の擦れる音が埋める。彼女は、ショートヘアーを揺らしながら右と左、つまり魔獣と俺とを順番に見る。共に動きが止まったことを確認すると、やっと安心したのか、
「フゥ、間に合った」
と額の汗を拭いながら、脚の力を抜いて地面に座り込んだ。草むらの中を走ってきたのだろう。足には無数の引っかき傷があったが、新しいものばかりでもないらしい。
一体イベントの発動条件の鍵はいつ揃ったんだ? 俺は首を傾げるしかなかった。
しばらく、空気が止まった。誰だ、この人は? その問いを声にしようとしたが、直前で言葉を差し替えた。赤髪の少女の肩に、赤いツノの魔獣が飛び乗ったのだ。
「危ない!」
「ん? あぁ、リチュンのこと? 平気よ、この子」
「いや、平気って、そりゃ無いでしょ」
呆れて言葉も出ない。だが、現実にこの魔獣は鼻の頭を撫でられて、眼を安らかに閉じている。その姿は、日向でくつろぐ猫に似ている。どうやらツノは伸縮自在らしく、今は小さく収納されていた。全く、どんな体をしているのだろう。『解剖してやろうか?』と、心の中で悪態をつく。気付けば、いつの間にやらカルミアも、「カワイイ~ッ!!」なんて言いながらそれに加わっていた。
「えぇっと、あなたは魔獣を魅了する能力、とかですか?」
と、思いついたままを言ってみる。
「何それ? アンタ、面白いこと言うじゃない。そんなご立派な能力、私が持ってるように見える? ねぇ、リチュン。この人に教えてあげなよ」
リチュンと呼ばれたその魔獣が、「チュンッ、チュチュン、チュン」と鳴いて答える。まるで彼女の指示に従って、本当に俺に向かって喋っているようだ。
「それは、何かの芸ですか?」
言った途端、ふと何かが眼前に向かって来た。咄嗟に後ろへ仰け反って避ける。
「リチュンを怒らせちゃダメよ。この子、結構プライド高いから」
半分笑いながら、赤髪の子が言う。そして気付く。俺の鼻の先に、赤いツノの尖った先端が触れていた。もし反射神経が少しでも鈍かったら、俺の顔は今頃ドーナツ状になっていたに違いない。寸止めしてもらった、という可能性も無くは無いのだが、それは悲し過ぎるので考えるのはよしておこう。
「な、何なんだよっ! 人間の言葉が分かるとでも言うのかよっ!」
言ってから、負け惜しみにしか聞こえないことに気付いた。だが、実際負け惜しみなのだからしょうがない。
「ご名答。ま、今のは私がけしかけたんだけどね」
そしてまた、赤髪を揺らしながらクスクス笑う。って、けしかけたんかい!!
「ねぇ、国はどこから?」
不意にカルミアが尋ねた。そう言われてみれば、彼女の顔立ちは日本人とは明らかに違う。何で気付かなかったのだろう。このところずっとハーフのカルミアと過ごしていたせいだろうか。それとも日本語が堪能なせいだろうか。
「ウェールズよ。日本人にはイギリスと言えば分かりやすいかしら? そう言えば、自己紹介がまだだったわね。私はソニア・ベル。ソニアって呼んで頂戴」
こちらからも簡単な自己紹介をして、そして尋ねた。
「外国生まれなのに、なんで日本語そんなに上手いの?」
そこでソニアはちょっと胸を張りながら言った。が……心なしか胸の辺りが寂しい。
「あら、言うのを忘れてたわね。実は私の“能力”なの。どんな生き物とでも会話できるのよ」
「あぁ。だからこの魔獣とも話せるのか」
「でも話せるだけだから、戦うのは専門外なのよね。そもそも戦う気なんて無いし」
そう言ってソニアは笑うが、このアカデミーにそんな考えでいられるとは到底思えない。俺だってできればそうしたいけれど、それではさすがに生活ができないのだ。食べ物とかは、ノルマを達成したりすると貰えるポイントで買わなければならない。
「でも、生活はどうするのさ?」
言ってから、ちょっと後悔した。途端にソニアの笑顔に元気が無くなったからだ。確かに、ソニアにとってそれは答えづらい質問かもしれない、と今更思っても仕方ないのだが。
「う~ん……、実は恥ずかしながら養ってもらってるんだ。寮の同室の子にね。今も一緒に来ているんだけど」
「今も? どこに?」
ソニアは何か理由があるらしく、苦笑いでやり過ごそうとするが、俺とカルミアの熱い視線に折れて、顔を赤らめながら重たい口を開いた。
「……それが、その、はぐれちゃって、さ……」
そう言って、ソニアは赤髪を弄る。
「つまり、迷子?」
カルミアが聞き返したが、すぐにソニアは弁明し始めた。
「いや、別に方向音痴とか、そういうんじゃないのさ。今回はたまたまというか……」
そこで俺とカルミアは見合って、堪え切れずに笑い出した。
「な、何よ! 迷子じゃないってば」
と、そこでどこからか、ギャウォーンという、ちょうどゲームでモンスターを倒した時のアレに似た叫び声があがった。同時にソニアは「ヒッ」と青ざめた顔を露わにして、その場にしゃがみこんだ。隣にいたカルミアは、心配そうに一緒にしゃがんで、ソニアの顔を覗いた。
「どうしたの? お腹痛いの?」
カルミア先生、ここで来るとはさすがです。なんてツッコんでる場合じゃねぇな。俺も急いで傍に駆け寄って、大丈夫か、とソニアに声をかける。しばらくは縮こまってそのまま震えていたが、やがて落ち着いてきたらしく、何とか体を起こせるようになった。顔の色が髪の色に近付いてきたところで、切り出す。
「もしかしてだけど、さっきの叫び声がどうかしたの?」
案の定ソニアの顔が一瞬陰るが、隠し通せないと踏んだのか、さっきよりもずっと力の無い声で答える。
「さっきの声、魔獣の声だった。……『死にたくない』って、言ってたんだ」
そうか、さっきのは本当に魔獣の断末魔の声だったのか。まるでさっきの俺は、鏡の中の自分をバカにしていたみたいじゃないか。俺は自分に失望した。
ソニアは気力を振り絞って、少し、また少しと言葉を絞り出していく。それに同調して、綺麗な滴がソニアの眼から零れ落ちる。
「あのさ、魔獣ってさ、時空の歪みから、迷い込んできたんだ。来たくて来たかったわけじゃないんだよ。それなのに、人間が身勝手に殺しちゃうだなんて、そんなのどうかしてる。私にしか聞こえないけどさ、この気持ちなら、あなただって、みんなだって、分かるはずなのに、なのにさ……」
ソニアは、それだけ言うのにもたっぷりと時間をかけた。さっきまでの気が強そうな彼女はそこにはおらず、ただ自らの無力を嘆く少女が代わりにいた。
それにしても「来たくて来たかったわけじゃない」か。誰かさんも、昨日そんなことを手帳に書いてたっけか。昨日を思い返しながら、俺も魔獣と会話できたらいいのに、と素直に思った。断末魔の叫び声が聞こえたっていい。何も変わらないだろうけれど、とにかく話をしてみたかったのだ。
その時だった。
「泣くなよ、ソニア。君が泣いても、何も始まらないんだからさ」
知らない声がした。どこから? すぐそこだ。そちらへ目を向ける。いるのは……リチュン、ただ一匹だった。
「うん。そうだね、リチュン。泣いてばかりじゃダメだね」
ソニアの言葉で、徐々に頭の中が整理されてきた。俺は今、魔獣の声が聞こえているのではないか? どうしても確かめたくて、思いついたことを言ってみた。
「なぁ、リチュン。お前、メスじゃなかったのか?」
途端に、俺はまたしても後ろへ仰け反ることになったが、それは予感を確信するのに十分だった。
「とりあえず、オスだのメスだの、“動物”呼ばわりは止めてくれないかな? これでも傷つきやすい“男子”なんだよ」
何てこった。これが、俺の能力か。
最後までお読み頂きありがとうございます。
書いた後で、展開早かったかなぁ、とちょっと後悔……。
リチュンのツノが飛んでこないことを祈っています。
近いうちに作者4人の同時イベントがあるので、お楽しみに!