第21話 ブーマーの暗躍
『ロジェ……目覚めるのです……』
何処かで聞いたことのある声が聞こえる。男とも女とも判断がつかないような、不思議な声。
『貴方には……使命があるはず……。いつまで眠っているのですか……』
使命? 勝手なことを言うな。俺の人生、どのように過ごそうが勝手だろう。
『貴方は奪われたままでよいのですか……?』
……。
『このままでは……また奪われるかもしれませんよ?』
「そんなことは……!」
自分の声にハッとして瞼を開くと、見慣れた筈の天井に、見慣れない闖入者が貼り付いていた。巨漢の冒険者ブーマー。同性愛者向けの風俗店で働く男。
身体全体を突っ張り、狭い「蛇の巣」の天井にぴったりハマっている。
「お前……、どうやってこの部屋に入ったんだ?」
「同性愛者に侵入出来ないところなんてないわ!」
「そんな理屈はない!」
俺が寝床から立ち上がると、ブーマーは「トゥ!」と言いながら天井から飛び降りた。狭い部屋で向かい合っている構図になる。
「ブーマー、暑苦しいな。死んでくれないか?」
「命の扱いが軽すぎるわ! 生死感どうなってるのよ!」
「更に暑くなった」と言って腰のナイフに手を掛ける。
ブーマーは「ひっ!」と言ってすぐに部屋から飛び出した。その後ろについて食堂まで歩く。
どうやら中途半端な時間らしく、食堂には誰もいない。ブーマーは勝手知ったる様子で丸椅子に座り、俺にも着席を促す。
「で、何のようだ?」
「いいの? そんなぶっきらぼうな言い方をして。アナタの大事な人の命に関わる情報よ?」
一瞬で全身の血液が沸き立ったような感覚を覚える。無意識に全身に魔力を廻らせてしまい、身体が蒼く薄っすらと発光した。
「ちょ、ちょと落ち着いて! まだ何か起きたわけじゃないの。これから起きる可能性があるって話よ」
ブーマーは膨らんだパンのような掌を俺に見せて「落ち着いて」と繰り返す。
「……詳しく話してくれ……」
呼吸を落ち着かせ、ブーマーが話始めるのを待つ。ブーマーは腕で額の汗を拭って、息を吸う。
「今、王国と帝国が緊張状態にあるのは知っているわね?」
「あぁ。そろそろ戦争があるかも? みたいなことはどっかの爺さんが言ってた気がする」
ブーマーは軽く頷く。前提条件の確認は終わったのだろう。
「で、帝国は自国内で傭兵団を雇い、それを王国側に派遣し、村を襲わせているらしいの。盗賊団の体を取ってね」
「なるほど。帝国のやりそうな手口だ」
「今は国境近くに領地を持つ貴族の軍が対応しているけど、もう限界らしくてね。近いうちに王都の騎士団や魔法団も派遣されることになるそうよ」
なるほど……。王国民に対するアピールも考えると、人気の騎士団、魔法団を派遣することになる。
「白蘭魔法団が派遣される可能性が高い」
「ええ。そうよ。もう、ほぼ決定していると言われているわ」
そういってブーマーはじっと俺の瞳を見つめた。「どうするつもり?」と問いかけるように。
「いつ出発か分かるか?」
「七日後って言われているわ」
「ギフト開封配信の翌日か……」
ギリギリ間に合いそうだな。
ギフト配信に向けての段取りを考えていると、ブーマーが俺の顔をじっと見つめていた。
「そういえば、ロジェって灰色の髪に灰色の瞳よね。そーいう見た目って、中央大陸の北、今は帝国領になった『厳冬の地』に住む人々の特徴よね? もしかしたらロジェも――」
「違うな」
ブーマーは僅かに瞳を見開いた後、パンのような掌を上に向けて首をすくめ、おどけてみせた。
「じゃ、私は行くわ。仕事に備えないと」
「どっちの仕事だ?」
「ん~。今日は冒険者でも風俗店でもないの」
「立ちんぼか? 風俗ギルドに怒られるぞ?」
「違うわよ!」とブーマーは拳を握り、怒る仕草を見せてから去っていった。
「蛇の巣」の食堂は俺一人だけになる。
外扉の閉じられた窓を見ると、鏡のように俺の容姿を映した。ブーマーの言う通り、灰色の髪に灰色の瞳。今まで誰にも指摘されなかったが、知っている人は知っているのだろう。『厳冬の地』に住んでいた人々の特徴を。
「さっ。そんなことよりも、ギフトを完成させないとな!」
俺は一度部屋に戻り、リュックと短剣をピックアップ。エルルちゃんに捧げる杖の素材を揃えに、素材屋巡りに出掛けた。
#
「エルル、ちょっとこっちを見なさい」
白蘭魔法団宿舎の食堂。エルルが一人で朝食をとっていると、団長のパオラに声を掛けられた。
エルルはスプーンを持ったままピシ! と背筋を伸ばし、声のした方に顔を向ける。
パオラは手にしていた朝食のトレイをテーブルに置くと、真剣な顔つきでエルルの傍に寄った。そして、右手一指し指を立て、ゆっくりとエルルの左の頬をつついた。
プルン! と。人差し指が弾かれる。
「……なんなの……。この肌の張りと光沢は……!?」
エルルは艶の良い水色の髪を掻きながら、照れ臭そうに答える。
「えっと、エレメンタルスライムの化粧水を毎日使っていたら、肌の調子が凄くよくって」
「そんなに効果があるなんて……? エルル。ちょっと私にも譲ってくれないかしら?」
パオラは真顔だ。
「それは駄目ですよ! 通りすがりの冒険者さんが私にくれたものなので!」
エルルは珍しく大きな声を上げ、しっかりと拒絶の意思を示す。
「……そうね。私が悪かったわ……」
「すみません」
パオラは朝食のトレイを置いた席に座り、食事をとりながらエルルと会話を続ける。
「そう言えばエルル知ってる? 貴方にギフトを贈ってるB級冒険者、今度は魔王の討伐に成功したらしいわよ?」
「えっ……!? そうなんですか? 凄い……」
エルルは頬を赤め、上気した表情になる。
「今日、訓練は休みなんだから、気分転換に冒険者ギルドでも行ってみたら? もしかしたら例のB級冒険者もいるかもよ?」
「えっ……あっ……そうですね。ちょっと考えてみます」
耳まで真っ赤にし、エルルは下を向く。そして右手のスプーンを久しぶりに皿につけた。
#
灰色のフード付きローブを纏った女が王都を歩いていた。顔を見られるのが恥ずかしいのか、深くフードを被り、中央通りの端を気配を殺して進んでいる。
女は背が低く、その代わり胸に豊かな双丘を備えていた。ローブの上からでも分かる程の。
目敏い屋台の店主がローブの女の魅力に気が付き、客そっちのけで目で追いかける。すぐに客から催促が入り、店主は仕方なく謎の肉を焼き、パンに挟んだ。
中央通りの喧噪を抜けて女が辿り着いたのは、冒険者ギルドだった。女は少し躊躇う様子を見せてから、そっとギルドの扉を開いた。
中から熱気と雑多な音が流れてくる。
朝一番のピークというわけではなかったが、中流以上の冒険者が多数いて、ギルドの一階には活気が溢れていた。
ローブの女は気後れした様子で背を丸め、そっと長椅子の端に座った。そして、気配を消す。無言で「パーティーメンバーを待っている」風を装って。
少しすると、勢いよくギルドの扉が開いた。つかつかと大股で入って来たのは赤髪の若い男。その後ろにはパーティーメンバーと思しき二人の男が付き従っている。
長椅子に座っていた冒険者が赤髪の男を見て呟いた。「トマージか」と。
ローブの女はビクリと身を震わし、フードを深く被りなおした。そして、赤髪の男の様子を窺う。
すれ違う冒険者と陽気に挨拶を交わしながらトマージは進み、買い取りカウンターに辿り着く。
トマージは背負っていたリュックから素材を出すと、カウンターに座った鑑定師と思われる女と話し始める。
ローブの女は息を止め、聞き耳を立てた。
「よお、コリーナ。調子はどうだ?」
「……調子ですか? いつも通りです」
女からは少し冷たい返事が返ってくる。
「今日、魔王討伐の打ち上げをやるんだが、コリーナも来てくれないか?」
「えっ、私ですか?」
困惑した声色。
「そうだ。俺はコリーナと一緒に祝いたいんだ。もうそろそろ、俺の誘いを受けてくれてもいいだろ? それとも、正式にA級に上がってからじゃないと、嫌か?」
「そ、そんなことは……」
「じゃー決まりだな! ギルド裏の酒場に来てくれ! 夕方からやってるから!」
トマージは何度かコリーナに念押しをすると、浮かれた足取りで冒険者ギルドから出ていった。
ローブの女は長椅子に座ったまま動かない。動けない。
女が呼吸をするのを思い出したのは、しばらく経ってからだった。
#
夜の白蘭魔法団の宿舎は静かだ。それぞれの個室からは控え目な寝息が聞こえるだけで、虫の音ほども気にならない。
エルルの個室も同様だ。静かにベッドの上に寝そべり、首のすぐ下まで寝具を被り、胸をゆっくりと上下させている。
ただ時々、「ヒックヒック」と悲しい息遣いが響いた。エルルの張りのある頬を涙が伝い、ピローカバーに染みを作る。
エルルは静かに泣きながら、眠っていた。
慰める者はいない。微睡の中でただ、朝が来るのを待つばかり。
真夜中と早朝の間ぐらいの時間。エルルの個室で、不思議な声が響く。
『なんで泣いているの?』と。
男とも女とも判断がつかない優しい声が、エルルに問い掛ける。
エルルは夢の中で答えた。
「悲しいことがあったの……」
『何があったの? 言ってみなさい』
ぽつりぽつり。エルルは語り始める。
自分には魔法団の下部組織の頃からずっと、応援してくれる謎の冒険者がいたこと。
その冒険者からの贈り物は素敵な品ばかり。
今までもらった全ての品が自分にとって、宝物だということ。
いつの間にか、まだ見ぬ冒険者に恋心を抱いてしまっていたこと。
あるきっかけがあって、その冒険者の正体を知ったこと。
勇気を出して、その冒険者に会いに行ったこと。
冒険者は自分の目の前で、別の女性を口説いていたこと。
何故だか、ずっと涙が止まらないこと。
「ひっく……ひっく……」
『その冒険者はどんな人なの?』
「赤い髪の人……」
謎の声は「フフフ」と笑う。
「なんで笑っているの……?」
『あなたが勘違いしているからよ。貴方の想い人は灰色の……』
エルルはハッとして目を覚ます。暗闇に問い掛ける。
「灰色の何?」
答えが返ってくることはなかった。