第17話 空から降ってきた
「もう逃げられないぞ」
トマージの声は低く、冷たい威圧を含んでいた。彼の鋭い眼光が、フードを深く被った謎の存在を射抜く。
「ハァ……ハァ……」
荒い息遣いが闇に溶ける。ローブは斬撃によってズタズタに裂かれ、その下に隠されていた姿が露わとなっていた。長身で細身――しなやかな肉体。しかし、その顔は醜悪なゴブリンのものであった。ただ、その瞳に宿る光は異質。そこには、獣とは一線を画す知性が宿っていた。
「貴様……ただのゴブリンではないな。まさか……」
言葉に含まれる警戒と驚き。長身のゴブリンは背後の大木に身を預け、ゆっくりと口元を歪める。余裕と嘲笑の色を滲ませながら――。
「ふん! 強がっても無駄だ。お前は死ぬんだよ」
トマージは背後に控えていた仲間二人に目配せをして合図を出す。一人は【ブースト】を唱え、トマージの身体が淡い光りに包まれた。
もう一人は腰に下げていた短剣をトマージに投げてよこす。トマージは器用に受け取ると、右手に長剣、左手に短剣を構えた。
「二刀流ダト……?」
長身のゴブリンが目を見開く。
「ただの二刀流だと思うなよ! 【ファイアブレイド】! 【ウィンドブレイド】!」
刹那――轟! と 燃え盛る炎が右手の長剣を包み、緑の風が左手の短剣を踊らせる。 剣の魔力が絡み合い、爆発的な力となりうねる――。 炎が風に煽られ、渦を巻きながら次第に凶暴な竜巻へと変貌していく。
「火炎旋風……」
「正解だ……!!」
長身のゴブリンが呟くと同時にトマージは両手の剣を振るう。放たれた炎の竜巻は急激に拡大し、全てを巻き込みながら進んだ。そして無慈悲に長身のゴブリンを呑み込む。
「グァァアアアアッッ!!」
火炎旋風に巻き上げられ、長身のゴブリンはその身を焼かれながら、天高く舞い上がる。その身を包んでいたローブは瞬く間に灰になり、緑の肌は黒く焼け焦げる。
ドサリ。と鈍い音を立てて、長身のゴブリンの身体が地面に打ち付けられた。
炭化した長身のゴブリンは、まるで燃え尽きた薪のように、ただそこに横たわっている。
黒ずんだ肌はひび割れ、わずかに揺れる胸の動きだけが、まだ命の灯が消えていないことを示している。
トマージは、その無残な姿を見下ろしながら、静かに歩み寄る。剣をだらりと下げたまま、彼の表情に宿るのは勝者の誇りではなく、戦いの果てに生まれる哀れみだった。
「相手が悪かったな」
「……」
長身のゴブリンは答えない。ただじっと上を見つめている。漆黒の夜空を仰ぎ、沈黙の中で何かを思うように――。
「最後に言い残すことはないか? 魔王よ」
「……フフフフ……。」
それは微細な音だった。しかし、それはやがて狂気の笑い声へと変わる。
「ハッハッハッハッ……!」
突然の笑いに、トマージの背筋が凍りつく。彼はすぐさま両手の剣を強く握り直し、警戒の色を露わにした。
「私ガ、魔王ダト……? 勘違イモ甚ダシイ。私ハ知恵ヲ得タ、ゴブリンニ過ギナイ」
「何……!?」
トマージが声を上げると同時に、空気が震え始めた。その振動に呼応し、森全体がジジジジと不快に鳴る。
トマージ達三人はしきりに首を振り、元凶を探ろうとした。
「あれは……!?」
空気が歪む。夜の闇が、何か異質なものへと変貌していく。
大木の傍に、ローブを来た存在が立っていた。
尖った耳に鷲のくちばしのような鼻を持ち、その口は耳の付け根まで大きく避けている。それだけ見ると、ゴブリンに似ているとも言えた。しかし、その異形には目がない。不気味さだけが、本来瞳のある位置に張り付いている。
「何者だ……!?」
トマージの声は震えていた。異形のもつ存在感に圧倒されて。
「我ハ王」
まるで大地の奥底から這い出るような声だった。王と名乗った存在は瞳がないにもかかわらず、正確にトマージに向かって話し続ける。
「我ガ右腕ヲ容易ク葬ルトハ……。我ノ配下達ヲ消シタノハ、貴様カ?」
「冒険者がモンスターを狩るのは当然だろう。それが魔王の手下なら、なおさらのこと」
トマージは両手の剣を交差させながら、魔王の問いに答えた。
「ヤハリ、貴様カ。我ガ覇道ヲ邪魔スル者ハ……! 此処デ、葬リ去ッテクレヨウ!」
「それはこっちのセリフだ! 【ファイアブレイド】! 【ウィンドブレイド】!」
再び、トマージの持つ長剣が赤い炎に、短剣が緑の風に包まれる。魔力が両手の剣に注がれ、光りが膨れ上がる。轟! と大気が鳴り、生み出された火炎旋風が魔王に迫った。
「フン」
一方の魔王は高い鷲鼻を鳴らし、右手を前に突き出す。掌には赤く濁った瞳が一つ。――それが細まり、笑っているように見えた。
「【吸収】」
魔王が呟く。すると、目前まで迫っていた火炎旋風が瞬く間に、右の掌にある瞳に吸い込まれてしまった。跡形もなく。
「なっ……」
トマージとその仲間二人が間抜けな声を出した。信じられないものを見たと、どこか現実感を失い、ぼんやりとしてしまう。
魔王が今度は左手を前に突き出す。掌には右手と同じく、赤く濁った瞳が一つあった。
「【放出】」
呟きと共に、火炎旋風が現れ、トマージに向かって進み始めた。それは範囲を拡大し、あっという間に三人を呑み込む――。
「うわあぁぁぁぁ……!!」
――そして、天高く巻き上げた。やがて、火炎旋風は収まり、霧散する。
しばらくすると、ドサ。ドサ。ドサ。と三つ音がなり、焼け焦げたトマージ達の身体が地面に落ちてきた。
辛うじて生きているものの、もはや魔王に立ち向かう力は残っていないように見えた。ただ、死を待つのみ。
「容易イ。人間トハ、脆イ生キ者ダナ」
魔王はつまらなそうに呟き、トマージ達に近付く。止めを刺すために。一歩一歩、死が迫る。
その時。
ドサ。ドサ。ドサ。ドサ。と音が重なり、何かかが連続して空から降ってきた。
それは、息絶えたモンスターの死体だった。ゴブリンやオーク、オーガ等、多種多様なモンスターの亡骸が、絶え間なく振ってくる。
「……何事ダ……?」
魔王は瞳の無い顔を上に向ける。もうすっかり暗くなった空から、モンスターの死体は降り続き、やがて山となった。
そして、最後。
ダン! と力強い音がなり、地面を震わせた。
空から降って来たのは、モンスターの死体ではなかった。膝を屈めた状態からゆっくりと立ち上がる。
魔王と対峙したのは、灰色の髪をした若い人間の男だった。