第16話 魔王
「変ダ……」
スラリとした体にローブを纏った異形。尖った耳に鷲のくちばしのような鼻を持ち、その口は耳の付け根まで大きく避けている。それだけ見ると、ゴブリンに似ているとも言えた。しかし、その異形には目がない。
「反応ガ消エテイル……」
異形は洞窟の中を歩きまわる。目が無いにも関わらず、全く視界には不自由している気配はない。全てが見えているようだ。
異形が洞窟の外に出ると、周囲にあばら家を築いていたモンスター達が一斉に膝をつく。
言葉を操る高等なモンスター達は、目の無い異形のことをこう呼んだ。
「王」と。
「斥候ニ出シタ者タチノ、反応ガ無クナッタ」
王の言葉を受けて、周囲のモンスターはざわめき始める。その中で一際聡明に見える長身のゴブリンが王の近くにより、尋ねた。長身のゴブリンは王と同じく、ローブを身に付けている。
「ソレハ、人間ドモニ倒サレタ、トイウ事デショウカ?」
「ソノ可能性ガ高イ。冒険者達ノ中ニ、手練レガイルヨウダ」
長身のゴブリンは少し考え、王に進言する。
「私ガ、ソノ者ヲ、オビキ寄セマス」
王は腕組みをして考える。
「危険ダゾ?」
「闇雲ニ配下ノ者ヲ、減ラス訳ニハイキマセン」
「分カッタ。其方ニ任セル」
長身のゴブリンは王に向かって一度首を垂れ、直ぐに姿を消した。
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「おかしい……」
殿を務めながら、ランベルトは呟く。その顔には得体の知れないものに出くわしたような、焦りの表情が浮かんでいる。
「何故……モンスターがいない」
よく目を凝らせば、戦闘の跡はある。不自然に倒れた下草、樹々についた若い傷、血の臭い。
しかし、モンスターの死体はない。当然、人の死体も。
長年の感が、ランベルトに警告していた。
『何かが起ころうとしている』と。だが、それが何なのかは分からないでいた。
全く戦闘が発生しないことで、調査団は想定以上の速度で森を進んでいる。
先頭を行くのはトマージとそのパーティーメンバー二人。まるで「この先にはもう、モンスターがいない」と分かっているかのように、自信に満ちた足取りで進んでいく。
その後ろ姿を見ながら、ランベルトはギルド職員の言葉を思い出していた。
『トマージを見極めて欲しい』
ランベルトは今回、二つの依頼を受けていた。一つは調査団の団長。もう一つはトマージの査定だ。A級冒険者の器かどうか、判断を下す役割を与えられていた。
表面だけで判断すると、トマージはスキルには恵まれているものの、現状ではそれだけの冒険者に見えていた。
今後成長すれば、A級にふさわしくなるだろう。
しかし、現状はB級冒険者どまり。
それが、昨日までのランベルトの評価だった。
しかし、今は分からなくなっていた。
そもそも、B級になったばかりのトマージをA級に上げようとしていること自体が異常なのだ。何か、勘ぐってしまう。
冒険者ギルドの過剰な期待……そして全く現れないモンスター。
「まさか……トマージが夜の内に周囲のモンスターを全て片付けたというのか……?」
ランベルトの独り言を拾う者はいない。
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調査団は大きな泉の周りに陣を張ろうとしていた。まだ陽は高く、夜までは大分時間がある。
しかし、ランベルトは野営準備を指示していた。モンスターとの戦闘がほとんど発生せず、十分な距離を進んだ。という判断からだった。
「トマージ、今日は何を食わせてくれるんだ?」
昨晩のレイジボアの件があったからだろう。ベテラン冒険者がふざけた調子で天幕を張るトマージに声を掛けた。
「森の中で昨日みたいな食事ができるわけないだろ? 干し肉でも食ってろよ」
トマージは若干呆れた様子で返した。
天幕の設営が終わり、十人ほどが少し早めの夕食の準備を始める。
泉から汲んだ水を鍋にかけ、森の中に煙が上がる。
岩の上に腰を下ろしたランベルトが、じっとその様子を見つめていた。何かを警戒するように。
真っすぐ空へと向かっていた煙が不意に線を乱した。突風に煽られた? こんな、森の中で……。
異変を感じたランベルトは立ち上がり、腰の短剣を抜く。
また、煙が乱れた。何か来る――。
ビュン! と突風が吹き、天幕のいくつかが飛ばされる。流石に異常に気付き、冒険者達が剣を抜いた。
「あそこだ!」
その声の持ち主が差した先は泉だった。水面の上に、フードを被った何者かが浮かんでいる。
「貴様タチカ。我ガ同胞ヲ消シタノハ……?」
すかさずトマージが前に躍り出る。
「だったら、どうだって言うんだ?」
不敵に答えながら、トマージはその身に魔力を滾らせる。
「ナラバ、死ネ! 【風の牙】!」
「【ウィンドブレイド】!」
二つの真空の刃が中空で交錯し、甲高い音を立てて弾ける。
「クッ……」
「まだ! 【ウィンドブレイド】!」
間髪入れずにトマージから放たれる真空の刃。フードを被った謎の存在は間一髪で躱し続けるが、防戦一方だ。
「逃げる気か!」
トマージの手が緩んだ瞬間、謎の存在は緑の風を纏い、物凄い速度で森の奥へと移動を始める。
「追うぞ!」
仲間二人にトマージは声を掛ける。
「罠かもしれんぞ!」
ランベルトの声。しかし、トマージは既に駆けだしていた。
「もう、こっちの場所はバレているんだ! 追わないと襲撃されるぞ!」
トマージの考えも間違いではなかった。ランベルトは答えに窮する。
トマージとその仲間の背中は小さくなり、やがて見えなくなった。