第6章:過去の影
二〇二五年三月六日 午前一一時五〇分、アリゾナ州グランドキャニオン南壁。旅の最中に届いた鸚鵡さんの暗号が示した次の座標は、海を越えた大峡谷だった。
広大な空と赤い断崖を前に、朋美は胸元のパラドクスルーンに微かな熱を感じる。銀蔦は地脈を渡り、北米の聖地にも手を伸ばしていた。
午後一時。南壁の天然洞窟〈ホピフット〉へ降り立つと、岩面に二重螺旋の蔦が走っていた。亀裂から魔力が漏れ、空気が揺らぐ。
圭太がメトロノームを合わせようとした瞬間、崖上から黒幕の声が落ちてきた。
「よく来たな。蔦の根はここで覚醒する。禁書を完成させ、世界の記録を一冊に統合しよう」
黒幕は漆黒の長衣を翻し、背中に自ら刻んだ巨大な刻印を光らせる。
龍也が跳び上がり、斜面を駆けて刀を振るうが、黒幕のマントに弾かれる。
「速度が異常……!」
里帆が警告する暇もなく、黒幕は指先で圭太のメトロノームを砕いた。拍子が崩れ、ラプンツェルのハープ音が乱れる。
朋美はルビーリレーを最大解放。全身の血管が燃えるように熱くなり、視界が白に染まる。
「圭太、替えのテンポを口で刻んで!」
圭太は砕けたメトロノームの代わりに舌でリズムを打ち始める。
ダッ ダッ ダッ──
里帆が歌い、リズムと旋律が合流。空気が収束し、朋美の魔力が倍化して右腕に集まる。
「ライトニング・リコーダ──解放!」
白金の稲光が峡谷を裂き、黒幕の刻印を正面から貫いた。
爆発後、崖上には焦げ跡だけが残る。だが、谷底近くで岩に突き刺さった黒幕の影が嗤った。
「貴様らの力は見えた。次は完全な蔦で圧倒する」
影は岩と同化し、消える。
余震が止むと同時に、圭太が膝をつく。砕けたメトロノームの破片が足元に散り、右手には切り傷から血が滴る。
「圭太!」
里帆が駆け寄り止血するが、圭太は薄く笑う。
「俺は大丈夫……でも替えのテンポがもう保たない。姉貴、次は君がリズムを」
「わかった。でも無理はしないで」
午後六時三〇分。キャンプ地に戻り、崖下の夕陽を眺めながら、朋美は携帯コンロで餃子を焼いた。曇り始めた空に真昼の月はなく、代わりに赤金の夕月が浮かぶ。
「月が昼夜の境を示してる。たぶん蔦の覚醒まで猶予は一ヶ月」
龍也が餃子を頬張りながら答える。
「なら一ヶ月で黒幕を追い詰める。圭太の代わりになる拍子も探さないと」
里帆は静かに頷き、壊れたメトロノームをそっと抱き締めた。