第十二話 扉には異様を添えて
今まで居た部屋まで戻ったとして、ブランシュとアルセはフィリアより先に室外へ出たからもう居ない。
「ど、どうしよう」
ただ、この屋敷のどこかに、件の用具室はあるのは確実だ。
片っ端から扉を開いていけば、いずれ辿り着けるだろうと暴挙に出かけたとき、見知った姿が目の前を横切った。
「あ、あの」
「なんですか、フィリアさん」
腰まで伸びた黒髪を翻し、少女がこちらを振り向いた。その手には水桶と布が握られているから、掃除場所へ行く最中だったのだろう。
「掃除用具室の場所、知ってる?」
「ここの突き当たりです」
少女の視線の先には扉がひとつ。礼をしてから扉へ向かったフィリアは、それを開こうとして。
「開かない……!?」
この屋敷、さてはおんぼろだなと見当をつけながら、フィリアは思いきり押した。
びくともしない。もはや建て付けどころの話ではないなと結論付けたフィリアに、黒髪の少女が後ろから声をかけてきた。
「それ、外開きの扉です。引けば開きますよ」
「なんでここだけ……っ」
普通の扉は、押せば開くはずなのに。
今までの苦労は何だったのかと唖然とするフィリアに、黒髪の少女は淡々とした口調で語る。
「以前、この部屋で倒れた人がいたからだと、聞いたことがあります」
少女の声が、やけに鮮明に聞こえた。
「倒れた人が邪魔でドアが開かなくなるからか……その人、結局どうなったの?」
「扉を壊して助け出されたそうです。修理の際に、同じことがあったら大変だからと外開きの扉へ変更されたみたいです」
たしかに、人命救助を優先するなら、外側の人間が引いて開く扉にした方がすぐに助けられる。
「それで、この扉だけ外開きなんだ」
黒髪の少女はフィリアに背を向け、「ええ」と相づちを打ってから歩きだした。どうやら、自分の持ち場に向かうつもりらしい。
足を踏み入れたそこは、使用人部屋の一室と比べるとかなり狭い。
脇にある棚には、掃除用具や何に使うか分からない道具まで並んでいる。
目的の梯子は、奥の壁に掛かっていた。
取りに行こうと、フィリアが一歩進んだ瞬間。
微かな物音が、頭上から響いた。見上げると、すぐ横の棚に積み重なった木箱が目に入る。
古びた木箱は少しずつバランスを崩し、そして。
「……っ、フィリアさん!」
焦りを声に滲ませて、廊下の先で振り返った少女が跳躍。常軌を逸した速度で、フィリアとの距離を詰める。
そのまま、少女はフィリアの頭を抱え覆い被さり、地面に伏せた。
木箱が重い音を立てながら床に落ちたのは、その直後だった。
少女が床とフィリアの頭の間に手を差し入れたおかげで、頭は打たずに済んだ。
ただ、少女に木箱が当たった可能性は十分にある。
「……大丈夫?」
血の気の引く思いでたずねれば、目の前の少女は「平気です」と言ってから。
「それよりも、気をつけてください。私は、いつでもあなたを守れる訳ではないので」
少女が言い終えた直後、落下した木箱の煽りを受けて、花瓶がぐらりと揺れた。
フィリアが声をあげるより、戸棚から花瓶が落ちる方が早い。空中を舞うそれは、妙なほど緩やかに見えた。
少女に覆われる形で守られているから、花瓶が落ちてきたところで安全だろう。ただ、少女は無傷ではすまない。
「分かってる」
――燃え盛る村で、フィリアには誰一人救えなかった。自分が弱いことなんて、嫌と言うほど知っている。
けれどだからこそ、フィリアは必死に体内の霊素を動かして、右手に溜める。そして、劇的に向上した瞬発力で、落ちゆく花瓶に手を伸ばした。
自分の手でどこまで出来るかは分からない。けれどそれでも届けと、願って。
黒髪の少女の真上で、フィリアは花瓶を掴み取った。 ずしりと腕に伝わるのは、霊素で身体能力を底上げしていなければ受け止められない質量。
「……っ」
静寂に、ひとつ響いた音。それは、彼女が息を呑む声だった。どうやら、フィリアが掴んでいる花瓶に気づいたらしい。
「あ、えっと」
なにか話さなければと声をあげたが、言葉に詰まる。迷ったすえに、持ったままの花瓶を、そっと床に置いた。
「……ありがとうございます」
黒髪の少女が、ぽつりとそう言った。彼女の声色はいつもと変わらないはずなのに、確かに感情が込められていた。
「わたしの方こそ、助けてくれてありがとう」
その後。二人で分担して、散乱した木箱を片付けた。
ただそれでも、アルセたちに梯子を渡せたのは、すこし時間がたってからだった。