第十話 屋敷任務
「お前、あいつと相部屋なのか!?」
使用人の部屋へ向かう道中。
黒髪の少女と同じ部屋で生活していると告げたら、アルセはあり得ないものをみたような顔でこちらを見てきた。
「え、そんなに驚く?」
「驚くもなにも、あいつはロルベーアですら部屋に入らせなかったんだぞ」
言ったあとで、アルセはその顔に焦りの表情を浮かべた。立ち止まった彼に、フィリアはたずねる。
「ロルベーアって誰?」
「あいつの相棒だったやつだ。……記憶を失う前の事は口外するなと言われているから、今のは聞かなかったことにしてくれ」
おそらく、シルヴァからの口止めだろう。ただ理由が気になって、フィリアは問いかけた。
「なんで、話したらいけないの?」
「あいつが、過去の記憶に関連するものを聞くと錯乱するからだ。唯一の例外は、相棒殺しという呼び名だけだった」
それきり。アルセは重く口を閉ざし、静かに廊下を歩きだした。
会話が途切れたので、体の中で、霊素を動かしてみる。落ち着かない気持ちを紛れさせるにはちょうど良い。
霊素を足に集めた時には痛い目を見たので、絶対やりたくない。だから、フィリアは霊素を耳へ集めてみた。
その瞬間、足音や衣服の微かな音までもが、はっきりと聞き取れた。
「わ……」
思わず発した声は、本来なら囁くほどの大きさだった。だが、フィリアの鋭敏になりすぎた耳には、ただの騒音でしかない。
悶絶しながら霊素の操作をやめて、ひとつ深呼吸。霊素を集めていない耳は、先程の名残か少しだけ鋭くなったままだった。
アルセが、外へ繋がる扉の前に向かった。
「そなた、フィリアと契約は結ばないのか?」
扉一枚を隔てた場所から聞こえたのは、ブランシュの声だ。
おそらく、会話の相手は同居人の黒髪の少女。話の中に自分の名前が出されて、フィリアは思わず息を詰めた。その間に、アルセが扉の前へ立った。
「ええ。……私には、異能が使えませんから」
少女の答えに、ブランシュは嘲笑の響きすら混ぜて。
「使えない? 冗談を抜かすでない。そなたは――」
直後。ブランシュの言葉が扉の音に遮られた。扉を開いたのはアルセで、中に居たのは、やはりブランシュと黒髪の少女だった。
「――戻ったぞ」
「遅いぞ。妾を待たせるとはうつけ者め」
笑みを浮かべたブランシュが、からかうような口調でそう言った。彼女の声に、黒髪の少女の前で見せた負の感情など微塵もない。
「あちらに食事を用意しています。席に着きましょう」
と言って、黒髪の少女が部屋の中心に配された机の前へ立った。
「妾も空腹じゃ!」
ブランシュが椅子に飛び付き、続いてアルセがその隣の椅子に腰かけた。
「フィリアさんも、早く来てください」
黒髪の少女に急かされて、フィリアは彼女の隣に座った。
茶色を基調にした長方形の机には、他の部屋の家具にあるような豪華さはない。
だが、配された皿に置かれているものに、フィリアは目を輝かせた。
「ぱ、パンっ」
しかも白いパン。村にあったのは茶色いパンばかりで、白いパンはめったに食べれない高級品だった。
手を合わせてから、黙々と食べていく。茶色いパンとは違って、今まで食べたことの無いほどふわふわだった。ひとしきり堪能したあとで、別皿に盛られているサラダを口に運んでいると、黒髪の少女がたずねてきた。
「そう言えばフィリアさん、異能は使えましたか?」
「使えたよ」
「ならよかったです。……アルセさん、ありがとうございました」
感謝を告げられたアルセは、黒髪の少女を鋭く見つめ返す。
「俺はフィリアをお前に頼まれた。だから、発動の基本を教えただけだ。……お前こそ、シルヴァさまのお食事はどうだったんだ?」
「滞りなく済ませましたよ」
アルセと黒髪の少女の会話には、どこか壁を挟んでいるような、隔絶がある。
アルセは表情が硬くなるし、黒髪の少女はそれを察してか、彼に対しての言葉はより慎重に選んで伝えているのだ。
「無論、滞らずに済んだのは、妾の協力があっての事じゃがな」
ブランシュが会話へ入り込んだ。「二人とも、陰鬱とした顔をするでない」と続けた彼女は、全員の皿が空になっているのを確認してから。
「食べ終わったなら、屋敷の任務をはじめるのじゃ!」
と、声高に宣言した。
「アルセはあの者と組み屋敷の清掃をするのじゃ」
役割を割り振っていくブランシュに、二人が頷く。
アルセは顔をひきつらせていたが、黒髪の少女は無表情で、感情は読めない。
「では、昼にまた集合しようぞ。……フィリア、そなたは妾と寝具を洗うのじゃよ」
扉の前に立ったブランシュが、かごを片手にそう言った。そのまま廊下へ出たので、どうやら着いて来いという事らしい。
見慣れてきた廊下を歩く。廊下に敷かれたエンジ色のカーペットを踏むのはもう何度目だろうか。
そう考えている間に、外へ繋がる扉の前で、ブランシュが立ち止まった。
「これから、そなたの部屋のシーツを持ってきてもらうのじゃ」
ブランシュに、植物で編まれたかごを渡された。大きさはフィリアの片腕ほどでかなり大きい。編まれているので、適度なしなりと硬さがあった。
「この中にシーツを入れたら、ここに戻ってきて欲しいのじゃ」
「了解!」
何度か通った道をたどり、フィリアは黒髪の少女と自分の部屋へたどり着く。
「よいしょ」
フィリアの寝具からシーツを剥いで、畳んでからかごに入れる。
「あの人のベッドも、やらないと……」
一緒に寝ているとはいえ、黒髪の少女が使っているベッドに勝手に触れるのはすこし迷う。
「……うーん」
深呼吸してから、フィリアはひとおもいにベッドからシーツを剥ぎ取った。
※※
「戻って来たようじゃな」
待ち合わせの場所には、既にブランシュが立っていた。
彼女の持つかごには、几帳面に畳まれたシーツが入っている。
この屋敷は広いが、寝具が使われている部屋は少ないので、集まったのは数枚だった。
「扉を開くぞ。水場は、外にあるゆえ」
朝日が眩しい。太陽から隠れるようにして、屋敷の裏手へ向かう。ちょうど日陰になる位置にあったのは井戸だった。
滑車は古びていて、もう使われていないようだが、その代わりに井戸からは赤い宝珠の付いた管が出ている。
「滑車がないのに、どうやって井戸から水を汲むの?」
「まあ見ておれ」
ブランシュが赤い宝珠へ手をかざした途端、管から水が流れ出してきた。
「霊素を流し込むと、霊素を動力源にして汲み上げられた水が出る」
「べ、便利だ。なんで村には無かったんだ……っ」
村では毎朝、地下水を汲みに行っていたのに。
「霊鉱石は高価じゃからの。時世にもよるが、これひとつで屋敷が買える」
「た……っ」
高い。予想をはるかに越えた値打ちに絶句したフィリアを尻目に、ブランシュは話を続けて。
「まず産地が限られておるし、その中でも異能を刻めるほど品質の良い鉱石は、ごくわずかじゃ」
たしかに、そこまでの制限があるなら値段は吊り上げるだろう。
洗った後。濡れたシーツを持ちながら、フィリアは途方に暮れていた。
「ど、どうしよう」
シーツを竿に掛けていくのだが、フィリアの身長が低いせいで、手が届かないのだ。
「案ずるでない。大抵のことはこの妾がしてやるのじゃ」
ブランシュがシーツを持ち上げて、竿に掛けた。
「あ、ありがとう、ブランシュ」
「当然じゃ。妾はそなたよりもずっとお姉さんじゃからな」
「さすがにそれは無いって」
ブランシュの年齢は、たぶんフィリアとさして変わらない。笑いながらフィリアが返すと、ブランシュは頬を膨らませて。
「大真面目じゃ」
不満げな表情を浮かべつつも、ブランシュの声はどこか楽しんでいるようだった。