第6話 正しさは刃で、心は透明な血を流す
「姉はお母さんの期待に全部応えた人だから」
まるで姉を褒めるような言葉だが、その声に羨望は感じられなかった。
むしろ、痛々しいモノを見た時のような、息苦しさすら覚える。
腕の長さ以上に離れ、影の中にいる少女の顔は伺いしれない。
けれど、笑顔ではないだろうなと思う。
「お母さんに学びなさいと言われれば勉強して。
美しくあれと告げられれば、美容に気遣う。
遊ぶなと注意されれば、粛々と従う。
言われた通りにして、期待通りの成果を出した。
でも、それだけ」
そこに自分なんてない、と泣くように零す。
「期待には応えられるけど、期待に応えることしかできない。
空っぽなんですよ、姉さんは」
「あれが……?」
セイカちゃん可愛いかわいいあいらぶゆー愛してるーと言って憚らないシスコンのどこが空っぽなのかと。思い出すだけで苦虫を噛み潰したようにうげーっとなる。
「あぁ、そう……。
やっぱり知ってるんですね。
珍しい。完璧な外面で接しない姉さんなんて」
見てない外面のことを珍しがられたところで、そうなのか? と首を傾げるしかない。
まぁ、年がら年中『私はシスコンでーす』とてへぺろしてピース決めるような変人だったら、ミスコンで優勝なんてできようはずもないか。
暗がりに俺の表情を読み取ったのか、それとも沈黙から察したのか。
話す声音には苦笑にも似た感情が含まれていた。
「私を守るって言ってるあれですよね?
多分、あれは姉さんにとって唯一自分で決めたことだから、拘っているんですよ。
昔は、私に対しても笑顔だけだったというか、もっと冷めてましたから」
「白いカラスが存在するって言われた気分」
信じられねーと、口の両端が後ろに引き攣る。
けれど、実際珍しくとも白いカラスもいるらしいし、シスコンじゃない窓際美人が存在しても不思議ではない……のか? いや、無理。不思議通り越して天変地異だわ。天地がひっくり返る。
「完璧を求めたお母さんに、求められる通りに完璧になった姉さん。
そんな2人を見てたら――あぁ、嫌だなって」
制服少女が空を扇ぐ。
夜闇にも似た彼女の瞳には、俺と同じように瞬く星や笑う月が見えているのだろうか。
どうかな、と。
たとえ、同じ光景を見ていたとしても、決して同じではないはずだ。
「私も姉さんのように、お母さんの言う通りに生きられたらよかったんでしょうけど、そういうの重いんですよね。
我慢してたけど、期待もなにもしてほしくないなって」
同じ母から生まれ、同じように育てられた姉妹が居たとして。
寸分違わず成長するかというと、誰だって否定する。そんなわけはないと。
どれだけ血が濃くとも、たとえ双子であっても、個性というものは生まれてくる。
「あの日……家出した日も、なにもなかった。ほんとうに。
普通に学校に出かけて行って、授業が終わって帰ろうとしただけ。
特別でもないありふれた日だったのに、帰りたくなくなって」
だからきっと、血を分けた姉妹であろうと見ている景色は異なり、
「気付いたら、知らない道を歩いてました」
歩く道も分かれる。
一通り話を聞き終えて、どうしようもないんじゃないかこれと思う。
衝動に走りたくなるような事件があったわけではなかった。
これまで我慢して抱えていたモノが、ついに許容量を超えただけ。
母親と喧嘩をしたからとか小さな騒動も、
虐待を受けたからという悲惨な事件もなにもない。
ただ日々の摩耗で耐えきれなくなったから、本能的に逃げ出しただけなのだろう。抱えた荷物で潰れる前に。
人によっては情けないとか、我慢しろとか。それこそ、こうなる前に話し合えとか言うのかもしれない。
けれど、それができないから家出なんて手段を取らざる終えなかったわけで、その点を無視して『こうすればよかったんだ』と正しさを押し付けるような真似を俺はしたくなかった。
正しさとは刃物だ。
容易に人を傷付ける。
傷跡が見えなくとも、切られた人は血を流している。
なのに、自分は正しいからと正論という名の刃物を突き立てる人間は、そのことに気が付かない。
人は脆いのに。
例え心の傷であろうと、幾重にも重ねて血を流せばいずれ死に至るというのを理解していない。
隣のブロックに膝を抱えて座る少女もそうで。
見えないだけで、心には傷を抱えているのだろう。
そう思うと、息を飲む。過呼吸のような息苦しさを覚える。
大丈夫だ、と脈打つ心臓を軽く叩く。
「……母親は嫌いか?」
「……?
別に」
普通。という制服少女に呆気に取られる。
危うくコミカルにコケそうになってしまった。吹き出した汗が一斉に引いていく。
えー、どういうことー?
目をしばたたかせて、隣の少女を見る。
「厳しい人だけど、私たちのことを大切にしてくれてるのは知ってるから」
「帰ってくるなとか、言ってるらしいけど?」
前に姉が言っていたことを伝えると、制服少女が目を丸くした。
けど、それでショックを受けたというわけでもないようで、どちらかと言えば物珍しがっているような反応だ。鼻をふんふん鳴らしている。
「ほんと、珍しいことが続くんですね。
感情的なお母さんなんて。
1の売り言葉には10の正論で言い負かすタイプなのに」
「口喧嘩強そうなお母様ですね」
絶対に関わりたくなかった。
ボロボロに言い負かされる未来しか見えない。
「本気だとは思わないのか?」
「お父さんから、お母さんも心配してるから早く帰ってきてって連絡は毎日のようにきてますから」
「連絡……取ってるの?」
「お父さんには」とこくりと頷く。
警察に捜索願い出されても困りますし、とさも当然のように言う制服少女。俺はガックリと肩を落とす。
通りで何日経っても捜索願いを出さないわけだよ。
いや、それでも心配なら出すかもしれないが、最低限安否の確認ができているならそこまで事を荒立てる必要もないか。
おいおいそもそもの認識が違うじゃねーかと、今は俺の自宅にいるだろう窓際美人に毒づく。
彼女にその情報が下りていたのかは知らないが、やたら母親とこじれているように話すから、もっと切羽詰まった剣呑さがあると思ってたぞ。
膝に肘を付いて顎を支える。
苛立ちのせいか、貧乏揺すりが止められない。
「どうかしましたか?」
「別にぃ?
ただのお前の姉は母親のことが嫌いそうだったなぁってだけ」
もうどうでもよくなってきたなーと思いつつ言うと、あぁ、と納得したような声を漏らす。
「姉さんとお母さんは、なんというか。
こじれてますからねぇ」
いがみ合ってるのはお前かよ、ともはや声も出ない。





