こどものアルバム
朝起きてリビングに行くとソファに腰掛け大きな本のようなものを広げるお母さんの姿があった。
頬は緩みいつもより柔らかな表情をしている。
「お母さん、何見てるの? ……アルバム?」
気付かれないように静かにお母さんの背後に近付き驚かせようと声をかけたのにお母さんはとっくに気付いていたようでゆっくりと私を振り返って「おはよう」と笑った。挨拶を返してお母さんの隣に座りアルバムを覗き込む。
アルバムには写真が一ページに数枚ずつきれいに並べられていて、その横か下には写真に写る人物の年齢、名前、場所または状況を書いた添え書きが一緒に挟まれていた。保育園や小学校の時の思い出アルバムもこんな感じに作られていたが、このアルバムはお母さんが作っていたもののようだ。添え書きの文字は母さんの字そのものだし、写真は公園や自宅で撮られた物が多かった。
「この写真覚えてる?」
お母さんの指さしたの先にあった写真には顔いっぱいで笑う幼い私とお兄ちゃんの姿が写っていた。きっとお兄ちゃんの真似をしたのだろう、写真の中の二人は大股を開いて立ち右手は腰に添え左手はピースを前に突き出すという全く同じポーズをしていた。添え書きには『六才由樹・三才綾香 ○×広場にて』と書いてあった。
まじまじとその写真と睨めっこをしながら首を捻っていると可笑しそうにお母さんが笑う。思い出そうとしても当時の記憶なんて全く沸いてこなかった。
「覚えてない? 綾香、この写真を撮った後こっちに走ってきたんだけど途中にあった石に躓いて転んで大泣きするのよ」
「何でそんなこと覚えてるの!? 恥ずかしいから忘れてよ」
隠そうともしないで楽しそうに笑うお母さんの言葉に少し体温が上がった。
ネタばらしされてから改めて写真を見直してもやっぱり当時の記憶は甦ってこない。
まだその話を続けようとするお母さんを遮って「これは?」とお兄ちゃんが半べそをかいている写真を指さした。添え書きには『五才由樹 リスと一緒に』と書かれている。よく見るとお兄ちゃんの肩にリスが乗っている。
「ああ、この時綾香はいきなり熱出しちゃったから連れて行けなかったのよね。リスを見に行ったんだけど、リスが手の上から腕を伝ってトトトって登ってきたのにお兄ちゃんがビックリしちゃって大変だったのよ。綾香はおばあちゃんの家にあずけてたんだけど迎えに行った途端、綾香も行きたかったのにーって大泣きしてて」
困ったような表情をしながらもお母さんは嬉しそうだ。
それにしてもこのアルバムは不思議だった。勝手にページをめくって見ていみたが、両親は勿論、祖父母も一緒に写っている写真が無い。必ず私とお兄ちゃんもしくはそのどちらかだけが写っている写真しかないのだ。決して両親も祖父母とも仲が悪いわけではない。このアルバムは家族写真のアルバムというには不自然なものだった。
「ねえ、お母さん。このアルバムって何でお母さん達は写ってないの?」
思い切って聞いてみたらお母さんは先ほどまでとは少し違ういたずらっ子のような表情で笑った。
「家族写真のアルバムにしては変だって思ったでしょう? 家族写真のアルバムはこれじゃないのよ。これはね、子供たちの成長アルバムなの」
「成長アルバム?」
言葉をおうむ返しにしたらやっぱりまた笑った。
お母さん曰く、これはおばあちゃんのやっていたことの真似らしい。おばあちゃんも同じようにお母さんの写真ばかりを集めた成長アルバムを作っていたそうだ。最初聞いたときは照れ臭くてやめてほしいと言ったが、いざ自分にも子どもができるとおばあちゃんと同じことをやりたくなったと少し照れながら話してくれた。
なんだか不思議な話だ。自分が嫌だったことをいざ親になったお母さんは自分の子どもにしている。お母さんは照れ臭かったと言っていたがそれだけではなかったと思うけど。今の私がそうであるように、恥ずかしいと同時に母の愛や嬉しさを感じていたんじゃないかと思う。それを伝えるのは「成長アルバム」の存在よりももっと恥ずかしかった。
だから私も当時のお母さんと同じように「恥ずかしいからやめてよ」と言った。
「ねえ、お母さんの成長アルバムはおばあちゃんが持ってるの?」
「そうよ。嫁入り道具に持って行きたいって言ったら、老後の楽しみなんだから駄目って断られちゃった」
わざとらしい大きな溜息を吐いてから、気持ちは分かったけどと付け足した。
今度おばあちゃんの家に行ったときにそのアルバムをお母さんには内緒で見せてもらおうと決めた。多分、お母さんはそんな私の考えには気付いていると思う。もしも、家にあると言われたらお母さんがいない時に家捜しをしていたところだった。
あ、と思わず声が出た。めくったページの一枚の写真―少し不機嫌な私とトレーナーにジャージズボンで眠そうな顔をしたお兄ちゃんが写っている―に釘付けになる。年齢が上がる毎に何となくでも記憶に残っている写真が多くなっていたがこの写真のことはよく憶えていた。
添え書きには『二十一才由樹・十八才綾香 元旦の朝』と書いてある。
その日、私は友達と一緒に初詣に行く約束をしていて早く待ち合わせ場所に行きたくて焦っていた。家を出ようとしたらお母さんが徹夜明けのお兄ちゃんを連れて写真を撮ろうとやってきた。約束の時間が迫っていた訳ではないけど、とにかくお母さんを急かしてなげやりに一枚だけ写って家を出た。
結局待ち合わせ場所にはまだ誰も来ていなくて三〇分近く一人で暇を持て余していた。そのときになってしっかり写っておけばよかったと後悔した。
その写真がこうやってきれいに整理してあるのを見てしまうと余計にそう思う。うかれるのはいいけどその写真は残っていくんだよってそのときの自分に教えてあげたいくらいだ。
顔を上げるとお母さんの頭が目の前にあって、私の視線から気付いたのだろう同じ写真を見ていた。
あのときのお母さんは不満そうだったけど、今写真を見ているお母さんはとても満足そうだ。これはこれで思い出があっていいのかもしれない。
「ねえお母さん、家族アルバムってどこにあるの?」
無性に見たくなって聞いたらお母さんは立ち上がって親子ねえ、と呟いた。どうやらお母さんも私と同じ気持ちみたいで少しくすぐったかった。