寝ない娼婦
「おばさーん、林檎三十個お願い!!」
「あいよー。今日は少なめだねぇ」
「今日は人手が無くて、私一人だとこのぐらいしか持って帰れないから。多分すぐ明日にでも来ると思うわ」
「そうかい。んじゃ、待ってるよ」
一人街に出てきてみんなの分の林檎を買う。
馴染みの果実店の果物は大きめだから三十個でも運べるか微妙なところだけれど、まあ力を振り絞れば運べるはず!
林檎の前に野菜やらパンやらを買っていたためギュウギュウな台車に溜息をつく。
どうやら一度帰って食品を置いてから、もう一度来ないと全ての買い出しを終えれそうにない。
「足が限界なんだけどな……」
「また変な運動でもしたのか?そのうち腰が釣るんじゃないか?」
耳の傍で囁かれた低めの声にびくりと肩が跳ね上がる。
続いて肩に置かれた手を払いながら振り向けば見知った顔があった。
「〜〜ちょっと、失礼ね!私はまだ十七歳ですよ…!」
「知っている」
「……あ、あれ…今日はそっちなのね…」
勢いよく詰め寄っても一見冷たい印象を与えるその顔は全く表情を変えない。
更に普段からこの男は口数が少ないので話していてつまらなく、どちらかと言えばわいわい盛り上がっていたいタイプの私とはなかなか反りが合わないのだ。
ただ仕事上どうしても接しないと行けなくなるので、売る側なのに傲慢かなと思いながらも私と居る時は明るくしてと頼んだのだ。
了承して貰えた事に驚きながらも、でもつまらない人はどう曲がっても面白くはならないわよねと思っていたところ、この人の話は凄く面白かった。
私が仕事で会う人達の中には特殊な事情故に貴族の割合が高く、私とは無縁な社交界の話などをせがむと夢溢れる世界を面白く語ってくれるので、正直な所それを超えてくるとは思ってもいなかったのだ。
だから私は冷たいこの人と面白いこの人を知っているのだが、今日は冷たい方なんだ…と考えながらも、外で人も沢山いるしねと納得する。
そう、この人は外から見ると冷酷だけど、いざ話すと温かみがあって優しいのよね……といい感じに私が過去を回想していると、頭が揺れてガンガンと打ち付けられるような感覚がした。
「ちょっと、何で揺らすのよ」
「話していたんだが、聞いているのか?」
「えっ?えっと、……ごめんなさい。しばし夢を見ていたわ。それで、話って?」
「さっきの、足が限界とはどういう事だ」
目をぱちくり。
もう一度瞬きして。
「……心配してくれたの?」
「ああ」
「…ぅ、ぁえっ!?」
「…そんなに驚くか」
「ううん!ルーが優しいのは知ってるから!ちょっと戸惑っただけよ」
驚くも戸惑うもそんな変わらないかーと考えながらも、少ししょぼくれた顔をするこの人に否定の意を伝えておく。
すると打って変わって血の気が良くなる彼の様子についさっきの回想と共に、やっぱり優しい、と思う。
「その、今日は私一人での買い出しだから運べる量が少なくて、もう一度街に来るとなると足が痛いなっていう事で…。あ、でも別に全然大丈夫!気にしなくて大丈夫よ!」
「運ぶ」
「え?」
「運ぶの手伝うから全部買っていけばいい」
どこに行くんだ?と言いながら台車を押し始めたのでその腕を掴みながら留まらせる。
「あの、本当に大丈夫だよ?騎士服を来てるって事は勤務中なんでしょう?」
「アルマを送り届けてから戻っても大丈夫なくらいに時間はある」
「で、でも……」
「普段から元気の良いアルマが嘆く程痛いなら素直に頼っておけ」
そう言われて胸の鼓動が少しだけ早くなる。
答えを待つようにじっと見つめられて、そっとこの人の横に並ぶと彼は片手で軽く台車を押しながら歩き出す。
「……気づいてたの」
「ああ」
いつもと変わらないように意識してたんだけどな、と横顔を見れば視線に気付いたのか彼もまた此方を向いて視線が交じる。
目を逸らすのも変なのでそのまま見ていると、言葉遣いや表情の動かなさは外向きのものだけど、目元が少し下がっていて視線の柔らかさだけは私と話す時のだ、と気づく。
私を気遣ってくれるその透き通るような翡翠の目を見ていると余計な力が抜けてきて、気付いたら笑顔になって足はリズムを取るように動いていた。
綺麗なものは全てを救う!
ふと彼がすっと視線を迷わせながら前に戻したので私も前を向く。
台車を動かしてるのに余所見をさせるような真似をして…もし人にぶつかってたら大変だった。
心の隅で私が後悔していると、耳に途切れ途切れに彼の名前を呼ぶ誰かの声が雑音に混じって聞こえてきた。
「ルー」
「ちょっと止まってもいいか?」
「うん」
ルー、と一言話しかけただけで私の意図を理解したこの人は、私に確認を取るとそれから少しだけ歩いて道の端に台車を止める。
何これ、以心伝心ってやつ?
何だか面白い感覚に私がワクワクしていると、声の正体はバタバタと足音を立てて走りながらやってくる。
「ルアン!!」
「……っと、待てってば!!」
「…まれ!止まれー!」
「ねえ、やっぱ勤務中だったでしょ」
「だが時間はあると言ったのは嘘では無い」
「でも抜けてきて言い訳でも無かったようだけど」
そう指摘すると黙り込むこの人──ルアンに半分は嘘じゃない、と視線を送ると顔の向きを私とは反対に逸らされる。
結構分かり易いな…。
壁にもたれ掛かりながら二人して黙っていると、すぐそこまでルアンを呼ぶ人達が来た。
「おいルアン、勝手に行くな!」
「聞いてないぞ」
「ルアンが話しかけるなんてどんな子かと思ったら、予想以上にめっちゃ可愛い〜」
「「そうじゃない!!」」
三人の騎士は皆長身で顔も整っているので周りの女子がちらちらと視線を寄越しているのが分かる。
もちろん、それにはルアンも含まれていて。
皆カッコイイけどやっぱルアンは中でも綺麗な顔をしてる…なんて、またもや一人の世界に入りかけた所を慌てて留まる。
「ええと、ルアン、折角だから紹介してもらっても?」
「仲間の騎士だ」
「いっやいや、その説明はないでしょう!」
ルアンが答えた瞬間、間一髪も入れずに茶髪の騎士が突っ込みを入れていて、ルアンのしれっとした様子にいつもの事なのかなぁと考えてみたりみなかったり。
「俺はエリック・ルス…ああ、エリックだよ。それでこの眼鏡を付けた少しオタク感のある中身は女々しいのがアレスで、こっちの髪を切ってもらう時に動いたせいでダサ…微妙な髪型になっちゃった脳筋がデレクだ」
「は、はい」
何というか必要のない情報が無駄に詳しく説明された紹介をされ、頭の中が困惑で埋め尽くされながらも返事をする。
「にしても、うわぁ、ヤバいねコレは。ルアンも結局男なんだ!」
「アルマ気にするな。行こう」
「ちょっ、無視しないでってば!俺達も行く!」
「………は?」
あ、やばいよルアンの顔が本気だ。
元々冷たいその顔が更に険しくなって敵を射殺するような目になってる、ほら三人が後ずさりしてる。
「あの、ルアンをお返しした方が宜しいですか?」
「あっ、いや大丈夫!だけど、ルアンを放置する訳にも行かないんだよね…」
「ルアンに着いてくるって買い物するだけなんですけれど、そんな事に付き合わせてしまってもいいんですか?」
ルアンにももう一度仕事に戻った方がいいんじゃないか確認しようとしたけれど、ついには眉に皺が寄っているルアンを見てやめる事にした。
「全然いいよ!アルマちゃんって可愛い上に優しいんだね。俺惚れちゃったかも。ねえ、もし良ければ今度出かけない?」
「あはは、せっかくですが遠慮しておきます」
「そっかぁ、残念だな」
すらすらと紡がれた口説き文句の数々に戸惑いながらも断りをいれたが、まったく残念そうじゃない様子に元々こういう人なのかなと思う。
「……アルマ」
「あっ、せっかく手伝ってくれるのに立ち止まらせてごめんなさい!行こう!」
不満げに声を発したルアンに慌ててそう言うとやや食い気味に頷いたので、少し変だなと感じながらメモに目を通し、全部買ってやる!と意気込む。
鼻息を荒くしていると私をじっと見ていたルアンがこんな事を口にした。
「せっかくだしもう一日分多めに買っていこうかな」
「いいよ。好きなだけ買って」
「ほ、本当にっ?」
「鍛えてるからいくらでも運べる。遠慮しないでいいから」
なんて事だ。冗談のつもりだったのにまさかいくらでもと言われるとは。
「私を侮らない方がいいわよ?」
「そう?でもアルマは謙虚だから沢山買うって言っても俺を困らせる事はしないでしょ」
あ、これ口調戻ってきてる。
ルアンが数少なく気を許していそうな人達がきたからかも。
にかっと笑ったルアンにここは言う通りにさせて貰う事にした。
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「うわー、結構買っちゃった!これなら、あとお菓子の材料買ってもさほど変わらなく無いっ?」
「楽しそうだな」
「うん、一度にこんなに買うの初めてよ!」
馴染みの八百屋のおじさんにもう一つ台車を借りて、押そうとした所エリックさんが代わってくれた。
雰囲気といい言葉の選び方といい、レディーファーストな人なんだろう。
お菓子の材料買う許可を貰えたので(?)小麦粉と砂糖を買って周りを見ると人が増えてきていて、台車が他の人の通行の邪魔になっていた。
そろそろ帰ろうとした時、突如今日の会話を思い出し少しばかりの焦燥感に駆られる。
「…ルアン。今更なんだけど、買い物終わったしここで帰られます?」
「阿呆か。こんな量アルマ一人で運べるわけないだろ。最後まで運び届けるって」
「非常に助かります。本当に有難うございます、恩に着ます」
ふざけて大袈裟に頭を下げると、頭に拳骨が降ってくる。
でも拳骨というには程遠い優しい拳だった。
それどころか、そのまま手を広げて頭を撫でられた時にルアンの体温を感じて頬が緩む。
きっと、凄くだらしない顔をしていると思う。
「ルアンがイチャイチャしてる!超貴重なんだけど?!」
一緒にいる内にエリックさんのテンションにも慣れてきた。
明るくて無愛想なルアンにも健気に話しかけてくれる良い人で、ルアンも結構好いていると思うんだけどなあ。
どうにも、ルアンはエリックさんに対しても無視をしたりして中々表情も変えないのだ。
「ちょっ、また無視?そんなんじゃアルマちゃんに嫌われるよー」
「………」
「え、エリックさんは楽しい方ですね」
ルアンが沈黙しながらエリックさんを睨みつけているので、流石に気まずいと感じて話しかける。
「本当?嬉しいな」
「ねえ、何のお菓子を作るの?」
エリックさんが答えてくれたのを遮るように、ルアンが間に割って入りながら尋ねてきた。
いくら親しくても失礼じゃないかと言おうとしてエリックさんの方を見ると、拗ねたように口を尖らせながら他の騎士さんと話し始めていたから、いいのかなぁと悩んだけれどルアンに向き合う。
「え?ああ、そうね…林檎も買ったからアップルパイでも作ろうかしら。アイスとクリームも添えて!」
「好評だったら今度作って欲しい」
「良いわよ、その時は甘さ控えめにしてみるね」
自家製ジャムを試してみるのもいいかもしれないと言えば目の色を変えて食いついてきた。
「自家製?ジャムを作ったの?…アルマの手作り?」
「う、うん。あ、でもどうしても甘いのが苦手だったら無理しないでいいから」
「食べるよ。」
甘いものは苦手なはずなのに、ジャムだけ特別好きだったりするのかな?
そんな他愛ない話をしていると、街からそう遠くない建物が直ぐに見えてきた。
調理場に直接繋がっている裏口まで来ると、荷物を中まで運び込んでくれた。
「皆さん、本当に助かりました。なんとお礼申し上げたらよいのか…」
「気にしなくていいよ。女性が困っていたら助けるのが、礼儀だから……うん、」
ふと、エリックさんを含む三人の様子が可笑しい事に気づき首を傾げる。
「どうかなさいましたか?」
「いや…アルマちゃんって此処に住んでるの?」
「はい」
「えっと、りょ、料理人とか?」
「料理を担当しているのは確かに私ですが、料理人という訳ではありません」
すると次は分かりやすく狼狽えて、何やら小声で話し始めてしまった。
何か変な事でも言ってしまっただろうか。
気になって耳をそばだてていた所。
ルアンが私を建物に押し込むように連れ込んだ。
「ちょっ、ルアン。あの人達どうしたのよ?様子が変で…」
「アルマーニは気にしなくていいよ。」
何やら気が立っているルアンを問い詰めようと口を開きかけた時、階段の上からお姉さんの声がした。
「あー、アルマやっと帰ってきた!ってあら、お得意様も一緒じゃないの。何?今からやるの?」
「違うよ、買ったものを運ぶの手伝ってくれたの。仕事中だからもう帰るって」
「あらまあ!貴方の騎士様は仕事放ったらかして来たの?なら、ささお見送りしなさい」
「はぁーい!」
さっきとは逆に私がルアンを押し出すようにして出入口まで移動する。
エリックさん達の事はまた今度ルアンが来た時に聞けばいいよね。
「ルアンまたね」
「……ああ」
いつもより少し小さくて低めの声でルアンが答える。
どこか思い詰めたような表情が見えて一瞬硬直したけれど、直ぐにルアンがマントを翻して出ていったのでわざわざ呼び止めて確認するほどじゃないだろう。
こんな小さな表情の変化、多分私ぐらいしか気づかないんじゃないだろうか。
なんて自惚れかけて、思いとどまる。
「騎士様は相変わらずクールねぇ」
「リリーお姉さん。あのさ…騎士様って何?」
「え?いやそれはさ、アルマのお客さんは騎士様みたいな事情の場合もあるけど、髭のおじ様みたいに奥様LOVE!って人が多いじゃない。わざわざ名前呼びにする必要ないかなぁって。でも騎士様みたいにイケメンならむしろ呼びたいんだけど、あの方の場合は呼んだら睨みきかされそうだから」
「…そう?ルアンは優しいからそんな事しないと思うけど」
「あー!それよ、それ!貴方の目に騎士様がどう写ってんのか知らないけどさ、私の目から見るに絶対あれは優しいとは言えないよ?ルアン呼び出来るのってこの館でも貴方しかいないじゃない」
「えっ?そうなの…?」
「………え?本気で言ってる?待ってよ、ええええ?」
目を見開きて早口で言い始めた言葉に耳を傾けていると、態度が、無自覚、可哀想、明らかに、とかどういう文章なのか検討がつかないけれども言葉が聞き取れる。
「もういいわ、若い者は勝手にしてなさい!アルマも、うじうじしてるとそのうち騎士様を取られちゃうわよ?」
「あれをする人はあまりいないと思うんだけど?」
「そうじゃなくて、騎士様に恋人が出来るかもってことよ」
「…それがなんで私に関係あるの?」
「んなっ…」
お姉さんが得体の知れないものを見るかのような目で私を見て、私は何故?で埋め尽くされた頭のままお姉さんを見つめ返す。
話が途切れてどうしようかと思い始めた時、この空間とひとつのドアで繋がった本館の方からお姉さんを呼ぶ声がした。
「ここにいたのか。リリー、指名だ」
「え!まだ時間早いじゃん!ああーせっかくの休憩が...」
美人で豊満な肢体を持っていて、この道が長く太客が何人もいるリリーお姉さんには毎日仕事が入ってくる。
そういえば休日なのにお姉さんがここで油を売っている時間なんてある訳なく、とぼとぼと残念そうに歩いていくお姉さんを見送る。
「お、アルマも戻ってきてたのか。丁度今金払いの良い客が来ててね、つまみでもいいから味に自信のある物を作ってくれるか」
「分かりました」
アルマはお姉さん達の仲間ながらもあまり表に出る事が無い。
何故ならアルマが『寝ない娼婦』だからだ。
王都でも五本の指に入る高級娼館の一つ『蝶の花酔ひ』には寝ずに男性の昂りを収める事を生業とする娼婦がいるというのは、娼館に通う騎士や貴族男性の中では有名な話だ。
例えば領地を持つような貴族で、普通領地の館で過ごす妻に操を立てる者、単純に娼婦と寝る事を拒む者、その他の特殊な事情を抱える者を客とする。
この場合の寝ないというのはそれに準ずる行為も一切行わない事を指す。
ではどのようにして昂りを収めるのか。
苦痛を与える訳でも快楽を与える訳でもない。
この世界の人間ならば誰もが生まれ持っている祝福。
それの種類は果てがなく、時に鬼才な祝福を持つものもいるがアルマは特別な祝福を貰ったわけでは無かった。
高揚した精神を落ち着かせるだけでなく、時に生命体の持つ本能までを無に返し抑え込む程の威力を持つ''安定''。
基本的な九種類の祝福ではないがかといって祝福者が少ないわけでもない中堅の祝福だったが、それを自らが編み出した感覚で繊細にコントロールする事で多方面への効果を生み出し、その頃娼館の店主に拾われたアルマは少し特殊な娼婦となったのだ。
───という事情のため、アルマは自由にできる時間が凄く多かった。
仕事も通常の娼婦が夜通し行うのに対し大体十分程度で終わるので、暇を持て余したアルマは料理を手伝うようになり、みるみる上達したその腕を見た熟練の料理人ことあーちゃんからお墨付きを貰い、あーちゃんが歳で仕事を引退すると同時にアルマはこの館の娼婦兼料理人もどきとなったのだ。
毎日娼婦達の朝昼夜のご飯を作って、たまにお客さんの分や三時のお菓子を作ったりする。
暇が出来たら掃除をしたり、逃げ出す可能性がほぼない私だからこその特権で街に出かけたり。
お姉さん達は一人前の娼婦とも言えないような私の事も可愛がってくれるから私は此処が大好きで、お客さん達も皆優しくて恵まれているなと感じながら充実した日々を送っていた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「きゃー!こっちを見たわ!」
「万歳、勇者様!!」
時に黄色い声、時に張り裂けるような大声が飛び交う人混みの中、アルマは流されないように踏ん張りながら立っていた。
二年前もこの民衆に見送られて旅立った勇者達の帰還を皆がいまかいまかと待ち構えているのだ。
規制された道の両側に溢れんばかりの人が押し寄せた中を乗馬した騎士達が凱旋する様子は圧巻だった。
そしてついに勇者一行の姿を目にした民衆はこれでもかと声を張り上げ、魔王討伐の先を行った彼らを歓迎した。
晴れ晴れとした顔だわ…
勇者様の存在を確認して、遠目でわかる限りに怪我をしていないのを見て安心して、相変わらずな無表情の中にどこか誇らしげな面影を見つけて自分の事のように嬉しくなって。
アルマは二年来の心懸かりにけりを付けた。
今度アップルパイを作ると約束したあの日から三日後、街に降りたアルマの耳に入ってきたのは『騎士団第一部隊による精鋭部隊及び勇者候補が魔王討伐のため王都を出発』というものだった。
それは凄い、と林檎にしゃぶりつきながら新聞を手に取ったアルマの目に入ってきた『精鋭部隊隊員一覧』の文字。
騎士達が何よりの客である娼館に身を置いているアルマが知っている名前があるかも知れないと、興味本位に覗いただけ。
その一番上に彼の名前を発見するとは露も思っていなく。
けれど一ヶ月経っても此処に来ないのでそろそろ現実を受け止めようとしていた時、またも新聞で『魔王城一歩手前で勇者覚醒』の文言と共にその名前を目にした。
流石にそこまで諦めの悪い人間でないので、ふぅんと、何でもない振りを装いながらも彼の口から行ってくるの言葉を聞けなかったことに残念がっている自分がいた。
所詮娼婦と客の関係に過ぎないことは覚悟していたしそう言い聞かせたけど、他にも懇意にしてくれていた騎士が勇者の援護に行くと教えてくれても何も感じなかったから、結局いつのまにか彼は私の中で特別な存在になっていたのだろう。
それからの私のあまりの落ち込みように耐えかねたらしいお姉さん達が教えてくれた。
『ほら、貴方ってばやっぱり騎士様の事が好きだったんじゃないの!居なくなるまで恋心に気付かないなんて、成人してもまだまだ恋愛では子供ね』
恋。不思議な事にその言葉は心の中にすっと入ってきた。
そうして彼の事を思い出してみれば、そういえば彼が来る日は決して忘れず化粧をしていたなとか、彼がくれたクッキーはいつも食べているお店のもののはずなのにいつもより美味しかったなとか、誕生日プレゼントの髪飾りは触ったら壊れちゃいそうで大雑把な性格なのに中々着けれなかったなとか。
ああ、そうか、私彼の事が好きだったんだ。
だから会えれば嬉しかったし、笑いかけてくれた時にはにやけが止まらなかったし。
娼婦と客の関係ではなく友達になろうと言われた時、泣いてしまったのだと。
そうして彼との思い出を温めているとあっという間に夏が終わって秋がきて冬になって、彼が居ない二度目の春がきて。
彼が居ない日々は何ともまあ虚無感ばかりの生活だと知った。
でも彼の姿を一目見れたから、諦めを付けられる。
これでもう彼に囚われなくていい。
頬を伝う涙には気付かないふりをして、まだ凱旋の途中ながら皆の居る館へと歩みを進めた。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
「え、えっ?」
「ピン、ピンが足りない!アンナ、そこの取ってちょうだい!」
「それよりもイヤリングが無くなったんだけど!絶対高いじゃない!」
「ヤバい、もうあの方が来ちゃったって。ああああ、アルマ化粧のノリは大丈夫?!自分で直して!」
一体何がどうなっているのか分からない。
「お、良いじゃない!まさに理想の花嫁って感じね!」
「みっ、ミレイさん、何でこんな事になってるんですか…?!」
私の雇用主でありながら母のように慕っているミレイさんの姿を見て、裏返った声で叫ぶように言う。
「ここ、マリドーレホテルですよね?!」
「聞いておきながら、知ってるんじゃない」
「えっ、あの、何でこんなホテルに案内されてるんですか?入ることすら出来ないはず…」
「何言ってるの、マリドーレホテルは貴族の新郎新婦御用達のホテルじゃないの」
「え、ええ。……ですから!!」
凱旋から帰ってきてベッドで泣き腫らした翌日の朝、興奮しているお姉さん達に王都最高級のラグジュアリーホテル『マリドーレ』に引きずられてきた。
王都で『マリドーレ』と言えば、ミレイさんの言った通り、貴族階級の方々が結婚式を挙げる際に貸し切って披露宴を開くことで有名だ。
いくら私達が最上級クラスの娼館の娼婦でも貴族の集まりに参加するなんて事有り得ないし、強いて言うならお姉さんの中の誰かが貴族に見初められたとか、なんて考えたけれど見回してもお姉さん達の格好はいつもより少し豪華なだけだった。
そして混乱したままぼうっとしていたら何やら時間に追われている様子のお姉さん達に熟練の手つきで飾り立てられ、何故か高そうな純白のウェディングドレスまで着せられていた。
こんな状況で察しないほど私は鈍感では無かった。
「みっ、ミレイさん!まさか…私を売ったんですか?!」
「売った…まあ、そうとも言えるねぇ。でもね、アルマ。私達は本心から貴方の結婚を祝って…」
「わ、私は、ずっとあそこがいいんです!私を身請けさせる事はしないって、言ったじゃないですか!!」
「身請けだって?アルマは結婚するんだろう?」
「要は身請けじゃないですか!」
まさかミレイさんがとぼけるなんて、私を身請けした貴族はどれだけの大金を支払ったのだろうか。
だが普通に考えて私を落籍したのは私のお客さんでは無いはずで、でも名の知れている娼婦でもない私を確認もせず買う人がいるだろうか。
ミレイさんに裏切られたような悲しさはあったが、孤児だった私を拾い育ててくれたミレイさんがそう望んだなら仕方ない…と覚悟を決め俯いた時、耳が聞き慣れた低い声を捉えた。
「アルマ」
その一言を聞いた瞬間、胸がどくりと跳ね上がり口からは音にならない声が漏れた。
コツコツと革靴の音を立てながら背後から人が一歩ずつ近付いてくる度に、張り詰めた緊張が更に高まる。
遂に私の真後ろに人がきた気配がし振り向こうとそおっと顔を上げると、満面の笑みを浮かべる彼が居た。
「ルアン」
「何、アルマ」
機嫌の良さそうな声音で話す彼に、堪えきれない思いが体の底から込み上げてくる。
「っ、何じゃない…っ!何で、何も言わないで、居なくなったのっ!勝手に、消えるなんて…っ、どこに、行ってたのよっ!」
「怖い魔王を倒しに」
「そ、うじゃないっ……、そんな事が、聞きたいんじゃないの…!ルアンの、馬鹿……ばかルアンっ…」
自分でも何に対して怒っているのか分からなかったけれど、言葉は止まらなかった。
「わた、し…心配っ、したんだから…っ!ルアンが、全然来ないから、寂しかった……っ、そしたら、まっ、魔王城に行ってるし、っ…!何も、聞いてないっ……!!死んでたら、ほんとっ、許さなかったんだからっ…!気付いたら、遠くにいて……っ二年も、帰らないなんて……!」
近くでルアンの姿を見たら耐えれなくなって、私はルアンの何でもないのに文句を言っていた。
辛うじて涙を堪えながらもひどく歪んだ私の顔を鏡越しに見ながら、ルアンはじっと黙っていた。
胸元に付いたこの国の紋章が描かれた立派なブローチ。
勇者の象徴であるそれを見た途端、ルアンが遠い遠い人のように感じられた。
鏡の中のルアンと目が合いはっと我に返る。
絶対、私の気持ちバレたよねっ…もう、嫌になる……
独りでに落ち着きを取り戻した私は胸元の布をくしゃくしゃに握りながら、声を絞り出した。
「………勇者様に、失礼を、しました。申し訳、ありませ…」
「アルマ」
バサッと重厚なマントが翻る音がしたかと思うと、次の瞬間私の体は人の体温に包まれていた。
「ごめん。急に決まった事だったから、伝えようとは思ったんだけど会いに行けなかったんだ」
「……」
「本当に悪かったと思っている。アルマがそんなに寂しがるとは思ってもいなかった」
「……っ、ちがっ」
「違うの?俺は嬉しかったんだけど」
照れてしまうような言葉をすらすら述べてみせるルアンに、何を考えているのと両手でドレスを握りしめる。
ルアンが何を言っているのか、さっぱり分からなかった。
「二年は流石に待たせすぎたな。早く迎えに行きたかったけど、魔王に結構手こずっちゃって」
「……え、」
「ようやくアルマを抱き締められる。二年間、どんな思いでアルマが居ない日々を過ごしたことか」
「何、…言って、」
「よく聞いて。アルマ、好きだ。愛している。…ようやく、君にプロポーズする資格が取れた。…………ずっと、好きだったんだ」
雑音一つない静まり返った部屋の中で、ルアンの声が響き渡る。
私を背後抱き締める力がぐっと強くなって、今まで聞いた事がないくらい真剣な声で、ルアンがそう言った。
「……うそ、」
「嘘じゃないよ。ずっと、初めて会った時から……アルマだけが好きだったんだ」
「……そ、そんな訳、」
「本当だよ。君しか見えていなかった。告白も出来ないまま派遣される事になってしまったけど、その前も途中も今も、アルマが好きなんだ。信じてくれ」
つぅーっと一筋の涙が頬を伝い、私の顔を両手で振り向かせたルアンがその骨ばった手で涙を拭う。
「………………私も」
「……うん」
「私も、ルアンが好き」
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
沿道の全ての建物に色とりどりの布が掛かり、建物の窓やバルコニーから住民が道を覗き、道の両端には小さく切った紙を入れたバスケットを持つ人が集まる光景は、言葉では表せないほど壮観だった。
伯爵家の令息と平民の娘の結婚はあっという間に王都中に広がり、皆がこぞって二人の結婚を祝福した。
二人の馴れ初めから結婚に辿り着くまでの話は尾ひれを付けて語られたが、一部に目を瞑ればそれはあながち間違いではなかった。
両親を失い頼る親戚も居なかったまだ幼い娘は懐の広い娼館の女主人に拾われる。時が経ち美しい少女に成長した娘は、自分を育ててくれた女主人に恩を返そうと娼婦になるために見習いをはじめ、その時に面白がった仲間の騎士に連れてこられた伯爵家の令息と出会う。二人は何度も逢瀬を重ねる内にお互いへの恋心を募らせたが、身分が違うので気持ちを告げる事が出来ずにいた。そんな中騎士が魔王討伐の隊員に選ばれ、その事を伝えに行けないまま王都を旅立ってしまう。傷心した娘だったが騎士への慕情を断ち切る事は出来ず密かに騎士の生還を待っていた。二年の年月が経ち騎士が勇者となって無事に帰還した事を知った娘は、街を凱旋する煌びやかな騎士を見て自分の住む世界とは違うのだと再認識し騎士への気持ちをその胸に封印した。丁度その頃十八になり成人する娘に身請けの話が出、騎士を諦めるために身請け話を受け入れた娘の元へ騎士が訪れる。騎士は父親である伯爵と国王に、勇者になって魔王を討伐したら娘との結婚を認めてもらうよう約束をしていたのだった。
一世一代のプロポーズを成功させ結ばれた騎士と娘のシンデレラストーリー。身分差を乗り越えた大恋愛に国民は大いに盛り上がった。
「…本当、信じられないわ」
ぽつりと漏らした独り言にルアンが私の腰を引き寄せる。
「俺もだ。アルマがプロポーズを受けてくれたのは都合のいい夢なんじゃないかと思う」
恍惚とした表情で話すルアンを見ると、ああこの人は本当に私を愛しているんだと感じる。
「もう、私だってほんっとうの本当にルアンの事が好きだったんだからね」
「ああ、もう十分分かっている」
未だに私の気持ちを疑っているような言葉に少しムッとしてそう言うと、ルアンは嬉しそうに破顔する。
「わぁっ、ルアン見て、取れたわ…!」
宙を舞う無数の白色の一つを手を伸ばして掴むと、ルアンの方を向いて腕を差し出す。
「それは確か祝福が込められているんだったな」
「そうよ!誰の何の祝福かは分からないけれど、るっ、ルアンとの、結婚を祝ってくれているんだもの。凄く、嬉しい」
「……俺もだ」
恥ずかしがりながら頑張って言うと、ルアンが顔を真っ赤に染めていたからつい笑ってしまった。
馬車に揺られながら幸せな気分で佇んでいると、不定期にがばりと大きく広げられる腕の中に迷わず飛び込む。
障害を無に返して結ばれた美しい新郎新婦が微笑み合う様子は輝かしく、二人を目にした民は思わず息を呑んだ。
「ルアン、私とても幸せよ」
ルアンがアルマの元に通う事情が何なのか明かされていませんが、単なる“女嫌い”ってやつです。
上手く描写する事が出来ず…、他にもいきなり新しい設定を突然登場させてしまいました。例.孤児など
辿々しい文章ですが、最後まで閲覧ありがとうございました。