お預かりしてマス
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんは、自分の家の様子がおかしくなったとして、それに気づける自信はある?
なくなる場合なら一大事だね。財布にせよカードにせよ、ポケットに入るサイズなら簡単にかどわかせてしまう。とはいえ、ブツがブツだからいくら小さくても気づく人は多いだろう。他の小物だったら一概にいえないけど。
これが大きいものなら、「何かあったのか?」と首をかしげたくなる。他に家族が住んでいるなら、持ち出しの可能性はある。でも、無断で生まれたそのぽっかり感は何とも気味の悪さをかもしだすな。
だが、もし逆にものが増えたらどうだろう。
買い物袋とか、ひと目でその所在と原因が分かる姿に包まれていればいい。しかし、そうではないものがむき身で置いてあったとすれば、君はどう対処する?
僕の実家で起きた昔話なんだけどね、聞いてみないかい?
こどもSOSの家、というのは君の地域にはあっただろうか。
ある意味、駆け込み寺の現在派生形ともいえる。下校中などで不審者に狙われることなどがあったとき、子供が安全に逃げ込める場所としてのアピールだ。
でも、僕の地元だとこの標識類に並んで、よく各家で見かけるものがある。
「落とし物、お預かりしてマス」というものだ。
マスの部分は、四角の記号の中に射線が入ったもので代用する。いわゆる「枡記号」というやつだ。
こいつは江戸時代によく使われた例があるらしい。現代で目にする機会は減っていると思うけど、僕たちの実家周りではときおり見かける。それどころか、僕んち自身も何度か掲げたことがあるんだよ。
そして、このマスを使うときは、道で拾ったような単なる落とし物でないケースも存在するんだ。
その日の僕は、学校の休み時間にたそがれていた。
ふと、みんなから離れてひとりでぼーっとしていたい時間、急にほしくなったりしたこと、ない? その時の僕は、まさにそんな心持ちだった。
いったん、誰とも距離を置きたくて、特殊教室が並ぶ棟の端あたりで、窓から外を眺めていたんだ。
少し顔をそらすと、僕たち生徒のいる教室棟。特に外側へ備え付けられた非常階段が見える。避難訓練以外で使った記憶はなく、一階からでも途中階からでも、普段から簡単に入ることができる――そりゃ、いつ万一のことが起こるか分からないし、当たり前のことだけれど――から、生徒の姿を見かけることもある。
その日は、たまたま同じクラスの顔見知りがいた。
僕の見ている3階と同じ高さの階段。そこの手すりに寄りかかるようにして、空をあおいでいた。口には何か白い棒のようなものをくわえていたが、やや距離があってそれが何なのかの判別ができない。
――アメか? だったらまだいいけど、タバコとかあるいはもっとまずいものだったりしないか?
からりと、そばの窓をそっと開けて、よく見てやろうと顔をのぞかせたところで。
非常階段の下の方から、そのクラスメートの名を呼ぶ声がした。
クラスメートが口に入れたものを雑にポケットへしまい、階下へ降りかける姿勢を見せる。
その時、僕は目を見張ってしまったんだ。
クラスメートが階段を駆け下りていくのだけど、ある段を通り過ぎた直後。
天から二つ、光が降り落ちた。階段の段ひとつをはさめるほどの短い間隔で、垂直に並んで落ちるそれは、ギロチンのきらめきかとも思った。
そのわずか後で、二つの閃きにはさまれた段の部分が、すとんと下へ落ちる。万力できっちり絞められていた物体が、ゆるみと同時に落下してしまったかのよう。
つい、身を乗り出したよ。一連の正体はともかく、階段があんな壊れ方をしたら、階下に被害が出てしまうと。
そんなことはなかった。階下に、崩れ去った階段のがれきなどは、みじんも落ちていなかったのさ。
それに乗り出した瞬間に、新しく見えた。
あの光が落ちてきた方向、空の上からまったく同じ格好の階段……いや「景色」の断片が降ってくるのをさ。勢いよく回るスロットの目のように、寸分乱れず、かちりと一瞬だけ会開いた空隙を埋めたんだ。
もうそこには、先ほどと変わらない階段の姿がたたずんでいる。僕の横にいたか、まったく同じタイミングであそこを見たわけじゃない限り、誰も信じないに違いない。
やがて昼休みが終わり、彼も教室へ戻ってきたが、少し自分の服のポケットを探るような仕草が目立つ。
あの口にくわえていたキャンディ? だかを探しているようではなさそうだ。顔に少々、切羽詰まっている感が見える。
予想通り、帰りの会の途中で彼の落とし物について、話が出た。どうやら家の鍵を落としてしまったらしいとのこと。特徴が伝えられ、会が終わるまでの短い間だけ教室中が探されたけれど出てはこなかった。
「まあ、そうだろうな」と僕は思う。
あのとき、ポケット類を探っていたときから、すでに鍵はなくなっていたんだろう。だったら教室を探しても、まず出てくることはない。
あり得るとしたら、あの休み時間の階段。
彼もそれを悟っているらしく、会が終わるや非常階段へ足を向けていたよ。
僕の家は学校から徒歩3分の位置。
門扉の前まで来て、はじめて自分の家に「お預かりしてマス」の標識が出ていて、足を止めちゃったよ。
落としたものの詳細は、この文言の続きに書かれるんだけど、今回はその逐一があのクラスメートの鍵に合致する。いざ家の中へ入って母親に声をかけると、台所のテーブルの上に鍵が置いてあった。
が、僕はそれを最初、直視できなかった。アンモニアに似た刺激臭がして、つい鼻をつまんでしまったからだ。
母親が話してくれたことには、昼ごろにこの鍵が台所の椅子のひとつの上に、落ちてきたらしいんだ。この、強烈な臭いをともなって。でも説明してくれる表情に、驚きの色は浮かんでいない。
このあたりにも、昔から神隠しに似た話はあったが、さほど騒ぎになっていない。こうして見つかり続けてきたからだ。誰か、どこかの家屋の中で。
僕が昼間に見た光景を話すと、母としてはますます得心がいったような様子を見せる。
母も昔から、同じようなことを見る機会が何度かあったらしい。それはまるでケーキやステーキに入れるナイフのようなきらめき、そして残り、落とされる断面。
まるで家が景色を切って、食べちゃっているかのような気がしたんだって。
この後、臭いが弱まるのを待って、僕が鍵を例のクラスメートへ渡しにいった。クラスメートも「預かりしてマス」の話を聞いて、「ああ」と腑に落ちた顔を見せる。
それから母の話を聞いたけれど、まだ働いていた昔。飲み会でみんなして駅のホームを下ったときに、その途中の階段が、同じように刻まれたらしくてさ。ちょうどその段を下っていた男性社員が、ぱっと姿を消しちゃったんだ。
その後、母が自分の家に帰ると、その社員が件のどぎつい臭いをまといながら部屋にぶっ倒れていたんだってさ。
それがのちに、母の旦那となる父の兄さんだったらしいのさ。