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無用のいけにえ 壱

 緩やかに意識が浮かび上がって、目が醒める。

 夢を見ていたような気もするけれど、忘れてしまった。忘れてしまったのに、なぜかそれが少しだけひっかかる。


「……何だっけ……」


 しばらくぼんやりしながら考えてみたものの、全然思い出せない。

 このままだと二度寝してしまう。わたしはそう思って、おとなしく夢を思い出すことを諦めた。


 外は夜明けを迎え、新しい一日がはじまっている。

 じきに鳥たちが鳴き始め、おじいさまや兄さまも起きてくる。そうするとこの離れにも外を歩く人たちの足音やしゃべり声が聞こえてくるのだ。


 それに、もうすぐ——わたしが村の守り神様のもとへ嫁ぐ日がやってくる。


 婚礼の日取りが近づくほどに屋敷には多くの人が出入りするようになり、嫁入りの道具として持っていく荷物が増えていっていた。それを気配で感じるたび、わたしはこの屋敷で過ごす時間がもう残り少ないことを思い知らされる。


 幼いころから、わたしはいずれ村の守り神である巳鏡湖の神さまのもとへ迎えられるのだと教えられてきた。


 それは私を産んですぐに亡くなってしまったのだという母が、かの神さまから直接授かった約束なのだという。


「……湖の主さまは、何が好きかな」


 最近の趣味は、そんなことを考えながらわたしなりに嫁入り道具を考えることだ。

 わたしが自由に詰めていい身の回りの品物は籠ひとつぶんと定められているけれど、わたしはそれをなるべく夫のためのもので埋めようと考えていた。

 なんと言っても、これから長い時を一緒に過ごす相手だ。

 神さまのお屋敷に行ったら、そうそう里帰りはできないと覚悟している。それならば、新しい家族と仲良くやっていくために話題になるようなものが細々あった方がいいと思ったのだ。


 ちくちくと針仕事を始めると、ひょっこりと顔を出す影があった。


「また刺繍かい?」

「わっ……あ、兄さま! おはようございます!」


 慌てて道具を置いて挨拶をすると、二歳歳上の兄さまは穏やかに微笑んだ。


「おはよう、花嫁ちゃん。今日も精が出るね」

「ふふ……兄さまに繕い物を教えていただいたからです」


 兄さまは何でもできる器用なひとだった。わたしの着物がほつれていたときに、少し貸してみなさいと言ってあっという間に直してしまったのは今思い出してもすごかった。


 そんな兄さまは身の回りのことも人任せにせず、たいてい一人で何もかもやってしまう。

藤弥(とうや)さまにはお仕えしがいがない』と下女がつぶやいているのを聞いたこともあるくらいだ。

 だからわたしは、いつか兄さまが結婚することになったとき、兄さま自身が奥さまの仕事を奪ってしまうようなことにならないかひそかに心配していたりする。


「これは……睡蓮かな?」

「はいっ。むかし、湖に咲いているのを見たことがあって。手ぬぐいに刺繍をして湖の主さまに差し上げようかと……」


 まだほとんど輪郭しかできていないような刺繍の柄がなんであるか一瞬で見抜いた兄さまは、私の隣にどっかり腰を下ろすと縫いかけの布を手に取った。


「いい心がけじゃないか。かの黄金の大蛇殿も、けなげなお前を気にいることだろうよ」

「こがねの、おろちどの?」

「湖の主様の別の名のようなものだよ。そう言われることもある」

「……そうなのですね。覚えておきます」


 初めて聞いた。

 考えてみると、わたしは湖の主さまについてほとんど知らないのだ。


 この家を取り仕切る厳格なおじいさまとは滅多にお会いしないし、母はもうこの世にない。父の話も出てこない。

 わたしと話をしてくれるのは兄さまと下女たちぐらいだけれど、村の守り神さまを噂話に上らせるようなことはほとんどなかった。


 そうなると、わたしが婚約者である湖の主さまについて知っている知識は村に伝わる書物に書かれたことだけで——そこにはけしてお名前のことや、まして喜ばれる贈り物などについてなどは書かれていない。

 ひとつひとつ、聞いたことやわかったことはちゃんと覚えておくようにしなければ。


「そうだ。お祖父様がお前を呼んでいたよ。嫁入り前の衣裳合わせだ。半刻後に母屋に来なさい」

「衣裳合わせ……いよいよなんですね」


 兄さまが視線を母屋のほうに遣る。

 離れで暮らすよう言いつけられているわたしが母屋に招かれるのは、大切な行事のときだけだ。


「ああ、天気を見て問題がなければ、無事に明日みょうにち輿入れになるだろうね」

「明日!? ですか!?」


 あまりにも急なことではと信じられない気持ちで兄さまを見ると、兄さまは呆れたお顔になった。


「……お前……自分の誕生日も覚えていないの?」

「ごめんなさい、実はあまり暦の感覚もなくて……最近は離れから動かないものですから」


 むしろ兄さまの方が私のことを信じられないという目だ。なんだか気恥ずかしくなって、私は膝の上に置いた自分の手を見つめた。


「明日、お前は十六になる。湖に捧げるにふさわしいと村で定められた年齢だ。今神事を執り行う者たちが占いでこの婚礼の日取りに障りがないか確かめているが……元より吉日。あとは天候次第と言ってもいいだろう」


 天気の心配はあまりしていなかった。

 湖の主さまには天気を操る力があると、書物に書いてあったからだ。

 わざわざ、婚礼が困難になるような天気にするはずがない。


 ただ……。


「ふふ、兄さまったら。湖に捧げるって……わたしをですか?」


 まるで祭りの供物のような言い回しがおかしかった。

 わたしは物じゃないのに。

 くすくす笑うと、兄さまははっと気がついたようで口を押さえた。


「あ、ああ……悪い、悪い」

「さては、わたしの婚礼のためにお供えするものの整理を毎日していらっしゃるから……こんがらがったんでしょう。ふふ」

「や、そうかもしれない。本当に大変なんだよ、この数日」


 二人で笑い合う。

 兄さまはむかしから、ちょっとお仕事を怠けたいときやおじいさまのお説教から逃れたいときにこの離れを訪れることがあるのだ。

 今も半分、そんな理由があるのかもしれない。聞いて少しからかってみようかな、なんて考えて少し身を兄さまの方に乗り出す。


「もしかして、兄さま——」

「――藤弥殿は居られるか!!」


 言いかけた言葉は、物々しい男の人の足音と大声にかき消された。

 白い神事の時に使う衣を纏った者。おそらく、さっき兄さまの話に出てきた村の神事を執り行う役割の若者だろう。


 彼は一瞬わたしを見て、眉を下げた。

 一瞬だけ。

 それが何故か引っかかった。虫の知らせ、だったのかもしれない。


「どうした。何があった?」


 兄さまは立ち上がらずに顎をしゃくって報告を促した。

 若者はもう私を見ず、兄さまに告げる。


「先ほど湖の主様からご神勅があり……皆混乱に陥っております。急ぎ藤弥殿と話がしたいと、ご当主が」

「ご神勅だと?一体どんな」

「それが……」


 少し、言うのを躊躇ったように見えた。けれど彼はそれを振り切るように顔を上げ、はっきりと続けた。


「『明日の婚礼は取りやめよ。花嫁は受け入れない』との由……!」

「なっ……!?」


 兄さまが驚愕の声を上げる。

 わたしは……わたしも、言葉をなくしていた。


「……え……?」


 花嫁は受け入れない。

 ……湖の主さまが滅多にないご神勅として、そう仰られた?


「我々も困惑しておるのです。とにかく、藤弥殿におかれましては、急ぎ母屋に戻られるよう」

「わかった。すぐに行く」

「あっ、兄さま……」


 兄さまが立ち上がる。行ってしまう。

 わたしはどうすればいいのかと聞こうとして手を伸ばした。兄さまは止まってくれなかった。


 その代わり、ちらと私を振り返った。

 けれど、その瞳は——わたしの知っている優しい兄さまのものではなく。

 冷たく無機質な目に睨まれたような感じがして、私は立ち上がれずその場で去りゆく二人を見送るしかできなかった。


「……兄、さま……?」


 これからわたしはどうなるのだろう。

 それを考えると体が震え出した。恐ろしく見えた兄さまのあの表情も、その前にあの白衣の若者が見せた哀れむような表情も気になる。


 湖の主さまが婚約を拒まれたのが本当なら、わたしの立場はどうなるのか。

 わたしはずっと、湖の主さまの花嫁になるものとして育ってきたのに。



 花嫁になることだけが、わたしの存在意義だったのに。




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