深緋色のおきゃくさま 弐
「……ごほん。それで、まさかとは思うが本当に見物に来ただけなのか」
散々わたしが揉みくちゃにされたころ、湖鐘さまが咳払いをした。いつの間にか元の位置に座って矢に矢羽根をつける作業を再開している。
「多忙な黄泉の守がこちら側に来るからには、何か火急の用があったのかと思っていたが」
「いやいや、いつもそんなガッチガチの業務連絡のために来てるわけじゃないでしょ。オレだって知り合いの屋敷にふらりと遊びにくるぐらいするよ」
輝千さまはパッとわたしから手を離すと、ニコニコ笑みを湖鐘さまに向けた。人好きのしそうな、いかにも情というものに満ちた笑顔だ。――一方の湖鐘さまは、眉ひとつも動かさなかったのだけれど。
「では、見物に来ただけなんだな」
「待って待って、二割ぐらいは仕事で来てるって。今にも厄介払いそうな目するのはやめておくれよ」
「八割は好奇心なんだな」
あっさりしたものである。湖鐘さまはおそらく淡々と事実を確認しているだけなんだろうけれど、聞いていて段々輝千さまが哀れになってきた。あまりにも二人には温度差がある。
でも輝千さまはめげなかった。
「湖鐘ちゃんの様子見に来るのも兼ねてだよ。これまでだってそうして来たろ? ところ違えど同じ任務に当たる後輩が元気にやってるか見に行くのも、なんかあったら相談乗るよって言っとくのも、大事じゃないか」
そう言って一人でうん、うんと頷いたあと、わたしから手を離したときと同じくらいパッと唐突な動きでこちらを見た。
「翠蓮ちゃんもそう思うだろ?」
「えっ。わたし……?」
あくまで湖鐘さまと輝千さまのやり取りだと思ってのんびり傍観していたものだから、わたしは言葉に詰まった。対立している(というほどでもないかもしれないけど)二者の片方から意見を求められるというのは、けっこう難しい選択を迫られる。どちらかの肩を持つような発言を返せばどちらかを突き放すようにとられてしまうかもしれない。
どうしようか。正解がないように思われた問いかけへの答えをわたしが見つけ出すより前に、湖鐘さまがぴしゃりと言った。
「おい。無関係な者を巻き込むな」
それだけで、水を打ったように静まり返る。特別強い言い方じゃなかったはずなのに、輝千さまはしゅんとしぼんだような様子になって、次いでつまらなさそうに唇を結んでこちら側に上がってきた。
わたしにさらに意見を求めてくることはなかった。そうなると少し居心地が悪くなってしまうもので、わたしは苦し紛れにこの沈黙の中へ質問を投げ入れた。
「あの……おふたりは長い付き合いなんですか?」
「んー」
輝千さまが、その場に腰を下ろして伸びをする。
それから親指と人さし指でなにかをつまむような形を作ってわたしに見せ、にんまりと笑った。
「そうだねえ。ちなみにオレが先輩ね。湖鐘がまだこーんな小さかったころから知ってる」
「そこまで小さくはない」
すかさず湖鐘さまが否定した。わたしが、もしやそのつままれている空間が湖鐘さまのことかと気づく方が遅かった。視線は作業する手元から上げていないように見えたのに、湖鐘さまはちゃんとこちらにも注意を向けていたらしい。
「そうだっけ。丈はあっても細っこくて、うっかり踏まれちゃいそうな感じだったと思うけど」
「輝千」
「と、とにかく古くからのお知り合いなんですね」
ともすれば諍いに発展しそうな雰囲気を感じとって、わたしは何度も首を縦に振って納得したふりをした。この話題を長く続けるのはあまりいいことではなさそうだ。
何とか別の話題にすり替えようと次の質問を考えていると、ずいと輝千さまが近づいてきた。
「……似てるねえ」
「……はい?」
何故だかじっと見つめられて、わたしは固まった。
見つめられていると言っても浮いた意味ではけっしてない。ならば“観察されている”と言葉を直したほうがいいような、そんな視線だった。
彼の髪の色と同じ、いやもっと深い底知れない赤。見慣れない色の瞳。
体が勝手に、ぶるりと震えた。
「ううん、いや。こっちの話。不躾にジロジロ見てごめんね」
輝千さまが離れていく。わたしはしばらく、動けなかった。
いったい何の話だったんだろう。気になりはしても、ほじくり返す勇気は全然湧いてこなかった。
腕組みをした輝千さまが、大きく息を吐く。
「はあ、じゃあ憂鬱だけど持ってきた話でもしよう。話というか、注意喚起。警告って言おうか」
警告とは穏やかならない。輝千さまの様子も相まって、わたしは思わず身構えた。
さっきまでのはほんの戯れ、おふざけだった。そうはっきりとわかるぐらい今の彼の雰囲気は重々しい。
湖鐘さまも、ちょうど手に取りかけていた新しい矢を置いて聞き入った。
「別にこの地域に限った話じゃないんだがね、門を超えようとする動きが活発になってきた。連中の挑戦意欲が旺盛っていうのもあるが、たぶんそれだけじゃないんだなあ。守りが薄いのを勘づかれてる」
「……そうか」
門を超えようとする動き――昨日のように湖から出てこようとするもののお話。
あの見るもおそろしい光景を思い出して、わたしは親指を握りこんだ。
「梛ちゃんにもそのうち会いに行こうと思ってるが、あの子はそろそろ駄目だろうなあ。すっかり引きこもりがちになっちゃって、この頃は連絡もしてこない」
「梛のことなら時々僕が様子を見に行っている。長話ができる元気はありそうだが」
「あれえ。じゃあオレが嫌われてんのかな。何かしたっけなあ。何でだと思う?」
「知るか」
湖鐘さまはまたにべもなくばっさりと問いかけを切り捨てた。
梛、というひとは湖鐘さまと輝千さまの共通の知り合いなのだろう。そしておそらく、湖鐘さまの方が親しい。そのぐらいは会話を聞いていてわかったけれど、逆に言えばそこまでだ。わたしの知らないひと。
「ま……梛ちゃんの現状は一旦置いといて。そういう状況だから、湖鐘ちゃんにはなんとか頑張って貰いたいわけだよ。巳鏡湖の門はこの国有数の規模なんだから」
「言われずとも務めは果たす。……が、警告と言うからには疑いがあるのだろうな。僕の能力に」
湖鐘さまが目を伏せる。その力が衰えているという話は衝撃とともにわたしの記憶によく刻まれていたから、ついハッと輝千さまの顔色を窺ってしまった。
今のいままで湖鐘さまに向けられていた深緋色の瞳が、ちらりとわたしを見た。
「万に一つがあったらいけないのでね、こっちとしては。特に湖鐘ちゃんは最近、何やら妙な信条で人里からの寄進を断ったようだし」
「不要なものを不要と断ったまで。自然なことだろう」
「……ふぅん」
輝千さまはわたしには何も言わなかった。
“断った”。 “不要なものを不要と”。身に覚えのある話だった。たぶん、わたしの話だ。
花嫁は不要だと、そう言って湖鐘さまはわたしを一度は拒んだ。結果としてわたしは幼いころから聞かされてきたように湖の主たる湖鐘さまの屋敷にいるけれど、それは事故のようなもので湖鐘さまの本意ではない。
わかってはいたものの、改めて思うと胸の中に罪悪感に似た心地悪さが渦巻いた。
「そうだ」
湖鐘さまの声が妙にはっきりと響いて、わたしは無意識に垂れていた頭を上げた。
「おまえがそんなに疑うのなら、ちょうどいい。見せてやろう。不調を補ってあまりあるほど、最近の僕は知恵を絞ってよりよい手を考えている。万事問題はない。心配もいらない」
輝千さまに対して言ったに違いない言葉が、不思議とわたしにも向けられていたように感じた。
そんなはずはないのに、そんな気がした。
「おお、何? 秘密の奥の手を見せてくれるの?」
「まずは、清めの弓矢を改良した。おまえの腰のそれよりも効率的かもしれないぞ」
「言うねえ」
湖鐘さまは作りかけの矢の矢じりの部分をぴんと軽く指ではじいて、不敵に笑った。
やっぱり、さっきのは輝千さまに言ったのだ。当然そうに決まっている。
これは湖鐘さまと輝千さま、おふたりの会話なのだ。
「元々矢は遠くまで飛ぶものだからな。このまま改良を重ねていけばそのうちに、ここから僅か数度射るだけでこの湖全体の守りをこなせるようになるはずだ」
「へええ。オレが来るたびに何か工作してるとは思ってたけど、じゃあ何、矢の構造とか素材とかちょこちょこ変えては試してたの? 確かに湖鐘ちゃんの言うことが可能なら体力をかなり温存したままでいられる。面白いこと考えるねえ」
輝千さまは身を乗り出すようにして話に食いついた。
湖鐘さまも淡々と話しているけれど、ほんの少し口の端が上がっている。
そこで気がついた。
……ああ、わたし、全然しゃべってない。と。
湖鐘さまの話相手になるなんて言ってはみたけれど、どうやらそれを実現するのにはまだまだかかりそうだった。
彼らの話すことはわたしには難しすぎて、わたしは色んなことを知らなさすぎた。
まだここに来て数日。数日なのだ。無理もない、そう思おうとする。
だけど広い屋敷の中、わたしのすぐ傍におふたりはいるのに。わたしはなんだか、独りぽつんと取り残されたような気分になってしまった。




