うたかたの夢
『——、——!』
名を呼ぶ声がする。
わたしの名前だ。たぶん。その声で何度も聞いた音だから、なんとなくそれはわかる。
わかるけど、よく聞こえない。
すごくたくさん、呼んでくれているのはわかるけれど。聞こえない。
『……ろ、いくな……』
行くな?
ぼんやりと白む世界を背にして、わたしを見下ろすその人は泣きそうな顔をしていて。
わたし、どこかに行こうなんて思ってないのに。
『…いかないで、くれ』
そんなに必死に言わないでも。
わたしの帰る場所は他にないし、他にできる予定もない。
だから大丈夫ですよって言おうとして、口をぱくぱくと動かした。
でも、ぱくぱくした口から、言葉は上手く紡がれなかった。
まるで酸素を求める死にかけの魚みたい。
ううん…死にかけ…なのか。
『頼む』
ぽつり、雨が降る。
綺麗な顔をくしゃくしゃに歪めて、逝くなと縋るひとがいる。
『僕には』
わたしのちっぽけなからだを抱いて、黄金の瞳を揺らす人がいる。
貴方にとってはきっと、何の他愛もないことのはずなのに。
『おまえが、必要、だったんだ……』
それがおかしくて、わたしは笑った。
だって信じられなかったのだ。それはすべての始まりの日、そのひとがわたしに言ったこととまったくの真逆だったから。
—―帰れ。おまえは、いらない――と。
ゆっくりと目を閉じて、そんな過去に想いを馳せる。
そう突っぱねようとしたくせに、最期にはこんなにも嬉しいことを言ってくださるなんて。
わたしはとても幸せ者だ。
……これは残酷で優しい一柱のかみさまと、わたしのお話。