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十一話 いと罪深き御飯様

 なぜか迷うことなく店の外に出ようとした自信満々の義姉様を、オルレイアが「貴女は早速どこへ向かってるんですか」と呆れながら引き留め、以降はちょっとしょんぼりしちゃった義姉様の背中をオルレイアと俺で押してあげながらパーテーション迷宮を攻略する。


 ちなみに俺は完全にエア張り手。女性の身体にみだりに触れてはなりませぬゆえ、手の表皮が義姉様の制服に触れるか触れないかの絶妙なラインを常にキープ。

 そんな俺を傍らのオルレイアが胡乱な目つきで見てくるけど、俺はそれをガン無視してただただ前だけを見つめ続けた。見るな。あまりに紳士的過ぎる美少年であるこのゼノディアスくんをそんな目で見るな。


「ゼノディアス様……」


「だからそんな目で見るなっつってんだろうがぁ!!」


「…………はぁ」


「溜め息つくなよぉ……! ちくしょうっ、チクショウ……ッ!!」


 俺だって触れるんなら触りたいわい、めちゃめちゃおさわりしたいわい。俺を多少なりとも敬ってくれていたはずの初対面の娘っこにこんな小馬鹿にしたような呆れたような溜め息吐かれるようになっちまうくらいなら、素直に義姉様に背後から抱きついてそのままおっぱいをもにゅもにゅ揉みしだいてやりたいわい!!


 でも、それができれば苦労はしない――なん、てのは、出来るようにきちんと努力してこなかった奴の、見苦しい言い訳、だよな……やっぱ……。


「……………」


 ……努力なら、結構色々してきたつもりだったけど。でも結局は、どれもこれも、『自分が本当に出来ないこと』から逃げるための代償行為でしかなかった。


 俺は――、女の子と深く関わるということから、ずっとずっと、逃げ続けたまんまだ。


 だって俺は、傷付きたくない。傷付けられたくない。女の子を傷つけたくないじゃなくて、とにかく自分が嫌な思いをしたくない。

 痛いのはいやだ。怖いのもいやだ。つらいのもいやだ。『だから』、俺は女の子と深く関わらない。なんなら、そもそも他人全般を忌避してる。


 それでもたまに、一念発起がんばったフリして誰かに近付いて。それで、勝手に仲良くなった気になって。やがて、うっかり本性を曝け出しちゃって。そんで、当たり前のように嫌われて、毎度のごとくいやな思いして。近付きたかったはずの誰かにまで嫌な思いをさせて、またいつものようにひとりぼっちになって、結局は傷と、痛みと、苦い血の味が残るだけ。


 ――――あほくさ。


 やってられるか、ばーか。


「…………俺――」


「『やっぱもう帰った方がいいかな』等、不要なワンクッションは入れないようお願い申し上げます。そういうすったもんだをやりたいなら、せめてイルマを救出してからにしてください。

 まあ、あなたもお察しの通り、べつに彼奴めの命の危機というわけでもありせんが……。それでも、彼奴は『貴男を』名指しで呼んでいるのです。それを無視して直帰されてしまっては、中立ちした私があの愚昧なる愚妹に理不尽に恨まれてしまうでしょう? ねえ、レティシア様?」


「………え……? オルレイア、今この明後日へ暴走する方向音痴の味噌っかす大聖女様(笑)に、何か意見を求めましたの……? あなたったら、意外とお茶目ねぇ……。うふふ、ふ……」


「こいつら、相当面倒くさい……!!? えぇい、いいから、行きます、よっ!!」


 いつの間にか孤軍となっていたオルレイアが、それでもなんとか左手で義姉様を押し、右手で俺の肩を掴んで、同盟軍全員で目的地へ向かわんと必死に奮闘する。


 この娘、めっちゃ付き合い良いな……。主人たる義姉様はともかく、俺のことなんかそのへんのゴミ箱にでもしれっと突っ込んどけばいいのに。



 ――優しい子だ。間違いなく損するタイプだな、うん。



「――――待て。今、何か途轍もなく事実に反したおぞましき誤認が生じた気配がします。ゼノディアス様、今すぐそのニヤニヤ笑いをおやめください。ブッ飛ばすぞ?」


「おやおや、はたしてキミにブッ飛ばせるのかね?? 義姉様におとうと様と可愛がられ、イルマちゃんに兄と慕われる、この愛され男子のイケメン貴族ゼノディアスくんをよォ!!!!」


「あんた自虐的なんだかナルシストなんだかどっちかにしてくださいよ!?! それもうただの情緒不安定か躁鬱の域ですよ!!? 貴男に必要なのは、努力や愛じゃなくて、腕の良いカウンセラーと病院だ!!!!!」


「……………………え、そう……?」


「わりと、ガチです」


 ガチらしい。あんまり冗談言いそうな感じのしない、しかも初対面の女の子に神妙な顔でこうも力強く断言されてしまうと、もしかして俺って本当に病気なんじゃ……と不安になってしまう。


 い、いや、でも、病気なんて甘えでしょ。俺のこれは、ただの純然たる性格と思想の結果だもの。俺が俺という魂を有している限り、生まれ変わっても逃れられない宿業だもの……。


「御納得いただけたようですね、精神病患者のゼノディアス様」


「いや、全く御納得してないんだけど」


「精神病んでるゼノディアスくん」


「いやそれはただの事実だけれども」


「病んでるというのは、即ち病気であるということでしょう? はい私の勝ち。敗者は黙って勝者の言うことに頷くがいい。あと私はお前よりだいぶ年上なので、姉と呼んで敬いへつらえ。反論は赦さん」


「えぇぇぇ…………」


 なにその横暴な最強お姉ちゃん理論……。神さえ畏れぬこのナチュラルな不遜っぷり、もう彼女の中でゼノディアス様はすっかり神の座から蹴り落とされてしまった気配である。


 なんか釈然としない――ということもないか。俺と直接接すれば、誰だって敬意なんてものは全力で投げ捨てるだろう。

 そのままダッシュで逃げられなかっただけでも御の字なのに、姉と呼び慕うことまで許可されたのだから、ここは素直に望外の僥倖と慈悲を甘受するとしよう。


 でもひとつ疑問がある。


「だいぶ年上って、それオルレイアは何歳――あっごめん今の無し!!!」


 学園の制服着てるし、見た目の上では精々俺とタメ程度だからうっかり訊こうとしちゃったけど、女性に年齢を訊ねるなんてのはどこの世界でも普通にマナー違反である。


 やっちまった、あわわ、あわわ……と慌て震えて挙動不審な俺に、オルレイアは白けたような溜め息と共に何の気無しに回答を寄越してきた。


「実年齢は、私自身わかりませんけどね。この身が思い出せる最古の記憶は、今から百年程度前でしょうか。なので、便宜的に百余歳としておきましょう。ほら、わかったら年上を崇めろ小童よ」


「便宜的に、百余歳……だと……!?!? え、じゃあやっぱり俺と実質タメくらいじゃん。慌てて損したわ、お前ふざけんなよマジで」


「いやあなたの言ってることは色々おかしい」


 何もおかしくはないので、ドン引き顔のオルレイアをさくっと無視した俺は、今度こそレティシア義姉様の背中にきちんと手を当てて先を急ごうとして――、しかし、もうその必要がないことに気付いた。


「イルマちゃん……『達』って、みんなこの中?」


 いつの間にか止まっていた俺達の歩み。その終着点たる、店内最奥の個室スペースの囲いを親指でくいっと指し示し、オルレイアへと問いかける。


 ドン引きを引きずって何事かを言いかけたオルレイアはしかし、数度頭を左右に振ると、気を取り直したように澄まし顔で答えてきた。


「……ええ。左様です」


「……なんか、やけに静かじゃね? ……いや、そういえばさっきから店の中全体わりと静かだな。普通に客もガキンチョもいるのに……」


「私とレティシア様がこの店に到着した時点で、私達の周囲にのみ簡単な人避けと消音の呪を展開してあります。それに、イルマや、総帥、それに総帥代行らも、それぞれに似たようなことをやっているようですからね。

 呪術に魔術、異能に権能。それらの頂点を極めし人外共によって現し世から隔絶されているこの個室内は、現在、最早完全なる異界と呼んでいい状態にあるでしょう」


「…………なんか、軽い気持ちでとんでもない魔境に来ちゃったなぁ……」


「帰らないでくださいね?」


「帰らないよ、ここまで来て。――ほら、義姉様。起きて、起きて。もう朝だってさ。みんなでご飯にしよう?」


 自信と共に自我すら喪失中だった哀れな大聖女様の肩をぽんぽんと叩き、優しく語りかけて覚醒を促す俺。


 オルレイアが何故かまたドン引きしてたけど、義姉様は寝ぼけ眼なものの「ごはんですのぉ?」と寝起きっぽい蕩けたお声で反応してくれた。やべぇ、俺の耳とか自制心までトロトロに蕩け落ちそう。


 それでもなんとか紳士スマイルを取り繕うことに成功した俺は、義姉様の斜め前へと回って、彼女の手を取り、優しく引く。


「そうだよー、ご飯だよー。みんなで楽しくご飯だよー」


「……イルマは、いっしょですの? あのこ、だいじょうぶですの? あのこ、きちんと、ごはんが噛める状態ですの……?」


 義姉様の想定する危機がマジで危機すぎてガチ恐怖。


「だ、大丈夫だよ、バリバリ噛めるよ。バリバリっていうか、もう骨とか殻までゴリゴリいけちゃうくらい元気いっぱいさ!」


「……あの子、木の実とか好物でしたものねぇ……。でも、さすがに殻までゴリゴリは無理じゃないかしら? ちょっと硬い肉でさえ噛み切るのを面倒くさがって、スジっぽい部分は全部私やオルレイアに押し付けるような困った子でしたのよ?」


「めっちゃほのぼのするエピソードですねぇ〜。そういう公式の供給、実に良きです!! 是非もっとプリーズ!!!」


「ほのぼの……? いえ、あれは確かわたくし達が出逢って間もない頃、追っ手の始末と食事を兼ね」


「待つんだ義姉様。それ以上はいけない」


 兼ねてはいけない二者がタッグを組んでいたのを見た瞬間、俺は真顔でぴしゃりと言い放つ。ちなみにこれはタイムの要請ではなく、レフェリーストップである。俺くんのライフはもうゼロよ、お願いだからこれ以上はやめてあげて。


 軽口を叩くことすらできず只々血の気をさぁっと引かせてるだけの俺に、オルレイアが頼れる姉御のように鷹揚な仕草で頷きながら「案ずるな、愚弟よ――」とフォローを入れてくれた。





「追っ手は、若い女だった」





「………………………………………。それ、とくに安心できる要素が見当たらないんですけれど……? あっ、もしかして食事って、何かこう女の子同士で性欲を解消しあったことの隠喩――」


「いや? 普通に、殺して、捌いて、食って胃に収めた」


「………………………………………」


「………そんな顔をしてくれるな。私はともかく、レティシア様やイルマが生き延びるには、それしか手が無かったのだ。……まあ、当時の我らの状況を知らない貴男に、言葉だけで理解してくれというのも酷な話だろうが……」


「あ、いや……」


 ――無理な話ではなく、『酷な話』。


 その微妙な言い回しの違いに、彼女達を理解したくてもできない俺への確かな気遣いを感じて、俺は一瞬でも眉をひそめてしまった数秒前の自分を心の底から恥じた。


 大聖女一派として立つ以前の彼女達の過程を、俺はほとんど何も知らない。けれども俺は、聖戦を終えた後のレティシア義姉様が『どんな結末を迎えるはずだったのか』ということのは、この眼で確かに見たことがある。




 いったい何が起きたら、人は、あんな状態になるまで己を酷使できるのだろう。




 あの結果に至らねばならなかった、その理由や発端がどこかには有るはずだ。義姉様を衝き動かした想いが、信念が、ああなるまでの彼女の人生のどこかで確かに芽生えたはずなのだ。


 もしそれが、殺した追っ手の肉を喰らって命を繋ぐという、幼少期の過酷すぎる日々に有ったなら――。


「…………オルレイア」


「何か?」


「………悪かった。さっき俺、すごく嫌そうな顔したよな」


「……すごくでもない。ちょこっとだ」


「でも、悪かった。――ごめん」


「………ああ。うむ。……赦す。赦しますよ。遥か年上の姉らしく、愚弟には寛容且つ鷹揚に接するとしましょう」


「いや年齢はタメ(仮)だけどな?」


「だから何なんですかその謎のこだわり……。まったく、貴男だけは本当によくわからない」


 愚痴るように漏らすオルレイアだが、その表情は、すっかり角が取れた半笑いといったところ。


 ……そんな気の抜けた顔を見せられた今だからこそ思うことだけど、先程までの彼女は、俺を敬ったり馴れ馴れしくしたりすることで、敢えて距離感を掴ませないようにしていたのかもしれない。


 警戒か――或いは、敵愾か。ともかく、彼女が俺に抱いていたであろう隔意は多少なりとも氷解してくれたようだ。


 ところで。それはそれとして、ひとつ疑問に思うことがある。


「さっきの、追っ手が若い女だと俺が安心するみたいなのは、いったいどういう理屈だ?」


「ん……? いえ、もしあのまま話を終わらせてしまった場合、童貞神ゼノディアス様は今晩あたりにふと『もしかして義姉様やイルマちゃんって、男のナニとかタマタマを口にしたことあるのかな……』などと気になりだし、以降連日眠れなくなってしまうだろうかと愚考しましたので。貴男の眷属や姉を自称する身として、先手を打って要らぬ懸念を晴らして差し上げた次第です」


 ……………………………………。


「マジでありがとう。俺、今のでキミのこと一発で好きになったわ」


「安い好意ですね。しかしまあ、私もありがとうと言っておきましょうか」


 主と眷属なんだか姉と弟なんだかわからん関係性なれど、長年の友人のように屈託のない笑みを交換しあう俺とオルレイア。


 そんな感じでにわかに仲良くなった俺らの間に挟まれて、すっかり蚊帳の外になりかけていた義姉様が俺の手をぶんぶん振りながらぷぅっと頬を膨らませる。


「おとうとさまっ!! そんなことより、イルマの救出とごはんです!! こんな所で悠長にオルレイアといちゃこらしてる場合ではないのです!!!」


「あはは、ごめんごめん。……ところで義姉様、昔追っ手殺したとか人肉食ったとかの話って、俺に知られていいことだったの?

 たぶん知ってると思うけど、俺、人の心臓食い散らかしてた名無しの魔女とか自殺に追い込んだ前科有るし……。それに、義姉様って自分のイメージダウンになりそうな話、絶対俺に聞かせたがらないよね?」


「……………………」


 びしり、と全身を硬直させて石像と化す義姉様。え、今更? ……まさか、イルマちゃんやご飯のこととか、俺とオルレイアが義姉様そっちのけで仲良くしてることへの不満とかで頭いっぱいすぎて、ろくに話聞いてなかったとかは、流石にないよね……?


 不動のまま見つめあうことしかできない俺と義姉様の間に、見かねた様子のオルレイアが控えめにスッと入ってきた。


「……ゼノディアス様。そんなことより、今はご飯です。なんでも、ゼノディアス様は大変料理がお上手だとか。店の者には後程チップを握らせますので、是非一度、この機会にゼノディアス様の料理の腕を拝見させて頂ければと思います」


「いや、そんなことより、まずはイルマちゃんの救出だよね?」


「そんなことより、ご飯です」


 一切の迷いなく断言されてしまい、ぼくの背中を一筋の冷や汗が伝う。なんだかちょこちょこ感じてはいたけど、もしかしてオルレイアとイルマちゃんって仲悪い……? イルマちゃんの側も、兄様にオルレイアの動向を説明した時にかまってちゃんだの何だのと散々な言い様だったしな……。


 聞きたいことも、言いたいことも、なんだか色々あるけれど。義姉様がオルレイアの顔見たり俺の顔見たり俺と繋いだままの手を見て赤面したりと大忙しすぎてたいへん可愛い――じゃなくてかわいそうなので、ここはさくっと結論しよう。



「よし。じゃあ間を取って、飯でイルマちゃんを救おう!!!」



 ぶっちゃけ、イルマちゃんがどういった窮地に陥ってるのかというのは、なんとなく察しが付いている。そんな俺の想像が正しければ、俺のこの案は一見ふざけているようでいて、実はとっても理にかなっている冴えたやり方であるはずなのだが。


「………なるほど、どこまでも貴男らしい」


「おとうと様らしくて、微笑ましいですわ」


 溜め息交じりで諦めたように呟くオルレイアと、看護婦さんのような慈愛に満ちた笑顔を向けてくる義姉様。


 なんか俺の思ってた反応と違ぁう!!

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