九話(後) 笑顔のマホウは自爆魔法
打ち拉がれてうなだれたような様子を見せながら、やけに前屈みでトイレへと逃げていくゼノディアス。
その情けない背中を見送り終わると、イルマは冷たい目を『装う』ことをやめて、にまにまと緩みそうになる頬へ即座にぐっと力を入れ、今度は無表情を取り繕う。
何の意図も読み取らせないぞ、という強い意思がモロバレすぎるその澄まし顔を横目に見やって。ママアリアこと魔女シャノンは、辟易の溜め息を深々と吐いた。
「ほんっと、あなたもぶきっちょな子ねぇ……。仕事はそつなくこなすくせして、プライベートだとアリア並みに天然入ってるなーとは思ってたけど、まさか恋愛ごときでここまで悪化するとは……」
「だからうるさい。誰がアリアさん並みのポンコツだと言うのです。あんな前代未聞のへっぽこさんは、一人いればもうお腹いっぱいなのです!!」
「結構ひどいこと言うわね……。いえ、見方を変えれば『アリア一人だけなら一応許容してる』ってことだから、むしろ優しいのかしら?
――恋敵と笑顔で馴れ合うだなんて、〈智天〉さんったらいったいどれだけ舐めプするつもりなのやら……。いつか、その傲慢に足元すくわれないといいわね?」
「あなた、実は我とアリアさんを殺し合わせたいのです?」
「やるなら本気でやれって言ってるだけよ。でもお願いだからウチの子殺さないであげて、ほんとお願い、絶対お願いよ……?」
煽るだけ煽っておいて勝手に娘の命乞いを始めるシャノンに、イルマは『へっ』と小馬鹿にしきった鼻息を吐いた。
「誰も、殺すだなんて最初から一言も言ってないでしょーに。そんなことしてもおにーちゃんに嫌われるだけですし、大体、折角運良く手に入れられた『切り札』を自らダメにしてどうするのですか。馬鹿馬鹿しい」
「………切、り、……札……? あの、前代未聞のへっぽこポンコツ娘が??? え、それ何のジョークなの……? 怖い……」
「あなたさっきから自分の娘をいったいどうしたいんですか、シャノンさん……」
言ってることが滅茶苦茶すぎるシャノンに呆れるものの、それでもイルマは見放すことはせず、シャノンの隣に腰を落ち着けてから己の論を丁寧に語ってあげた。
「まずですね。前提として、これから本格化していくであろう『おにーちゃん争奪戦』は、単なる恋の鞘当てではありません。オトコと刺激に飢えた魔女達や、レティシア様から離反した聖天八翼、そしてそれらの人外達と手を結んだ国や組織や個人まで参戦しての闇黒バトルロイヤルとなります。
やたら非モテ男子ムーブをカマすうちのおにーちゃんですが、実際はひとたび存在を知られれば老若男女問わずに引っ張りだこになってしまうという、超モテモテ男子なのです」
「………………。あっ、今度こそじょーくね!!?」
「ついさっきあらゆる対価を差し出してまでおにーちゃんを抱き込もうとした貴女が、何すっとぼけたこと言ってんですか」
「………ぐ、……だ、だってぇ……!!」
一瞬バツが悪そうな顔をしたものの、シャノンは尚も納得できずに食い下がろうとする。
そんな彼女の気持ちは、イルマにもよくわかる。なにせ、ゼノディアスは性格がアレだ。直に彼と接したことがあるものならば、あのぼっち気質で陰キャで死にたがりで女の子に免疫ないくせに性欲大魔神という哀れで悲惨な童貞少年が、よもや世界の命運まで左右しかねない程のキーパーソンだなどとは夢にも思うまい。
だが逆に言えば、あの性格を抜きにして考えさえすれば、ゼノディアスという人間は、ありとあらゆる勢力に狙われて当然のあまりに有益すぎる能力ばかりを数多持ち合わせているのだ。
それこそ、本当に人間なのかすら疑わしく、実は神だと言われても驚かない程に。
そして、そんな神の為した『御業』のひとつが、今のシャノンにとっては自分の貞操と引き換えにしてでも手に入れたい代物であった。
「――【魔導機関】」
イルマが口にしたその単語が、シャノンの顔に人形めいた無表情を齎し、口を閉じさせる。
「貴女が『次の大戦』を終わらせるための鍵になると睨み、解明すべく血道を上げていたこの技術。さて、進捗の程は如何です?」
「……………うるさい」
「……すみません、今のは嫌味でしたね。貴女にとって、この例が一番おにーちゃんの価値を説明しやすかったものですから……。他意はありません。――ごめんなさい」
やたら素直に頭を下げるイルマに調子を狂わされながら、シャノンは口をもごもごさせて「別に、いいわよ」と赦しを与える。
『既に出奔した身とはいえ、かつて世界の頂に立っていた者として、私には友や人々を護る義務が有る』――といった弁舌でイルマを丸め込んでゼノディアスとの橋渡しをさせたシャノンだが、実際は戦争にかこつけて自分の知識欲と探究心のために動いているだけである。
なので、建前を多少なりとも信じてしまっている様子のイルマにあんまり殊勝な態度を取られると、ちょっと据わりが悪くてお尻の穴がむずむずしちゃうのだ。
……ちなみに、イルマは端っからそんなクソみたいな建前なんぞまるで信じていないので、今のは『やっべガチで怒らせちった』と察したために即座にシャノンのお尻をむずむずさせることで失言を有耶無耶にしただけだったりするのだが。完全に余談であろう。
「……とりあえず、話はわかったわ。
ゼノディアスくんは実は色んな子にモテモテ必至のハイスペック男子であり、彼の情報を隠匿してきたはずの八翼が分裂した今、彼を巡って骨肉の争いが繰り広げられるのは確定事項。
だとすると、あなたがアリアに望んでいるのは、馴れ合いではなく――」
『共闘』
回答者と採点者、双方の声が物の見事に重なったことで、認識の擦り合わせを無事に終えられた安堵感が二人を包んだ。
気を楽にして背もたれに寄りかかったシャノンは、なるほどねーと納得の溜め息を漏らす。
「そういうことなら、確かにアリアは切り札といえば切り札よねぇ。
なにせ、あの子のバックには常に世界最強の〈晴嵐の魔女〉がべったり張り付いている。それだけで木っ端連中は震え上がって絶対に手なんか出してこないし、出してきた奴はナーヴェママの鉄拳制裁であえなく爆散。
そんな暴威を自分に向けられないようにする意味でも、アリアは絶対に仲間にしておきたい存在よね」
「……それ、アリアさん本人のことはまるで評価してなくないです……?」
「してないもの」
「ええぇぇ………」
おそるおそる訊ねてみたらあまりにも無慈悲な台詞がズバッと飛んできてしまい、イルマは驚きと戸惑いの呻きを漏らす。
そんなイルマの反応こそが意外だとばかりに、シャノンはちょっと間の抜けた顔で首を傾げた。
「なによ、しばらく会わない間に博愛精神にでも目覚めたの? あなたらしくもない」
「らしくない、はこっちのセリフですよ。いくらアリアさんが『あなた自身にも等しい存在』だからといって、あまり無闇に『卑下』するのは、探求者にあるまじきバイアスがかかっていると言わざるを得ませんね」
「……言ってくれるじゃない。そこまであの子を評価するからには、それなりの根拠があるのでしょうね?」
「それです」
「…………? え、どれ……??」
いきなりビシッと指差されて、思わず自分の周囲をきょろきょろ見回しちゃうシャノン。
こんなベタなリアクションを素でやってしまうあたりにアリアと同じ血筋を感じてほっこりしつつ、イルマは困ったような微笑みと共に語った。
「他人と付き合うのに、根拠や理由、損得勘定といった合理的な思考を挟まずにはいられないのが、我や貴女です。
――そうやって、理屈と打算で繋がった関係は、より好条件を提示してくる相手へと簡単に靡く」
「………私が、あなたを裏切るって言いたいの?」
「アリアさんが裏切らないって話ですよ。
あの子、とってもおばかな上に、対人能力が壊滅的ですからね。人間関係に理屈や利益を持ち込むなんて高度なことは到底できないので、『好き!!』』って感情だけで繋がる相手を判断します。
そういう、感情でしか動かない人間というのは、敵としても交渉相手としても厄介で面倒極まりない」
「『けれど、味方にするならば……』ってことかしら?」
「他にも、理由は多々有りますけどね。でも、我がアリアさんを高く評価している一番の理由は、やっぱりそれです」
「…………ふぅん……」
納得して――ではなく、鼻白んだような思いで鼻息を漏らしたシャノンは、それ以上の反論は無益だと悟り、余計な台詞を紡ぐことを放棄した。
確かに、感情で動く人間というのは敵に回すと厄介だ。だがそういう手合いは、味方にした所でやはり厄介だと、シャノンは自らの実体験から思う。
なにせ。かつての【聖戦】というやつは、シャノンの狂信者連中が『総帥様の御威光を世に知らしめるため』という理由によって、あろうことか崇拝対象のシャノンの研究所を襲撃して研究成果を強奪し、それをよりにもよってミリス教教皇派なんぞに持ち込んでしまったがために勃発したものだ。
理屈の通じない輩というのは、敵味方の区別さえ無く、道理に沿わない滅茶苦茶を平気でやらかすし、混ぜるな危険を嬉々として混ぜる。
聖天八翼という無法者集団の中に今尚在席しているイルマであれば、それがわからないはずがないのだが……。
(……貴女もまた、感情で動いている一人ということなのね)
アリアへの友情ゆえに、庇い立てしている……というわけではあるまい。二人の関係を盗み見た限りでは、まずアリアを庇うという目的が先にあって、その理由付けのために現在友情構築中といった状況に思える。
では、何故イルマは、わざわざそんなことをしているのか? ――その答えは、既にイルマ自身の口から語られている。
もし、邪魔な恋敵であるアリアを殺してしまったら。イルマはその瞬間、大好きな『おにーちゃん』に嫌われてしまうのだ。
だから、イルマはアリアを殺せない。殺すどころか、ゼノディアスの性格を考えると、アリアを疎ましく思う程度のことでさえ不興の種になりかねない。
殺せず、邪険に扱えず、むしろ仲良しアピールしていないと駄目で、そしてそれがアピールであると見抜かれては全てがご破算。
そんな状況にあるイルマが取れる、アリアに対する最善のアプローチは――。
「やめてください」
「あら。私の心をあっさり読み取れるなんて、中々腕を上げたわね?」
「やめてください」
「あ、あら? えっと、今のべつに嫌味とかじゃなくて、普通に褒めてあげたのよ?」
「やめてください」
「あの、だから……」
「…………やめてください」
「…………わかったわよ、もう……」
装いきれていない無表情での情けない懇願を受けて、シャノンは溜め息を吐きながら仕方なく折れてあげた。
べつに、アリアに対するイルマのスタンスは、シャノンにとって不都合なものではない。むしろ、意図していなかった方向から娘の身の安全が保証されたようでラッキーといった具合である。
だから、これ以上この件について深掘りする気はない。変に発破をかけてしまって、ヤブヘビになってもつまらないだろう。
――けれど、まあ。
これくらいの『サービス』はいっかなー? と、シャノンもまた感情に衝き動かされてちょろっと暴挙に出てみた。
「ほら」
「………え、………ぁ……」
自失しかけていたイルマの肩を、ぐいっと抱き寄せて。戸惑いの声と共に倒れ込んできたイルマを、シャノンは両腕でしっかりと抱き締め、ぎゅ〜っと力をこめる。
見た目年齢的にはシャノンの方が数歳年上だが、背丈や体格はどっこいどっこいといった所。なので、幼子を包み込むような体勢というのは不可能だったが、シャノンの脳内では幼女イルマを抱擁するダイナマイトバディなシャノンの図が描かれていた。
ふはは、私の豊満なるカラダに溺れるがよいわ!!
「ぶフっ!?!? だ、だいなま、ばでぃ……ほ、ま、ぶ、ふふっ、くフフフ……!!」
「オゥ、笑うんじゃねぇぞ小娘。あんたブッ飛ばすわよ?」
「ご、め、ごめなっ、ぶ、………ぷーっ!!! ふっふふふっ、ふひ、ひひ!!!」
「………まったく、もう……」
こいつ後で絶対泣かす。
そう固く誓ったシャノンだったが、今この時だけは、泣いた子が笑ってくれたことを祝して、苦笑いしながら抱擁を続けてあげた。
――後で絶対また泣かしちゃるけどね!!




