九話 女の子って、世知辛い。
意地悪でお茶目なお姉様に優しく手を引かれて、みんなの元へ――ではなく、パーテーションに囲まれたちょっとした共用スペースに据えられているベンチへと誘われた俺。
促されるままに腰を下ろした俺の横、ママアリアさんが楚々とした仕草でお尻を落ち着けてたと思ったら、懐をもぞもぞと漁ってメモ帳とペンを取り出し、「はい、どうぞ?」と差し出してくる。
それを思わず「あ、ども」と受け取ってしまった俺は、その道具が何のためのものかに思い至ってちょっと慌てた。
「え、マジでお悩み相談通信やるんですか? あの、今更言うのもあれですけど、さっきお願いしゃすって言ったのはぶっちゃけただのノリっていうか……」
「ん、それは流石にわかってるわよ? でも私、この折角の機会にいっぱいあなたにご奉仕して、返せないほどの恩を無理矢理背負わせて首が回らないようにしてあげたいなって」
「いや何言ってんだあんた」
「だってそのくらいしないと、ゼノディアスくんは私の奴隷になんて絶対なってくれないでしょう? それとも、お悩み相談よりも普通に生足膝枕耳かきとかの方がお好みだったかしら?」
「だから何言ってんだあんた……」
生足膝枕耳かきっていうその時点でどう考えても普通じゃない交流方法、たぶんイルマちゃんの入れ知恵かなんかですよね。だって、あの生足丸出し着物娘が初対面の俺と仲良くなろうとして初っ端で提案してきたのが、そのアブノーマルな風俗店もかくやみたいないかがわしいサービスだもんね。
なぜ俺は、あの時素直に膝枕されておかなかったんだろう。馬鹿かよ。そして何故俺は今もまた、恥ずかしそうな上目遣いでスカートの裾をたくし上げようとしているママアリアさんへと殊更大人ぶって首を横に振ってみせているんだろう。大馬鹿かよ。
理性って、人類最大のバグじゃね? こんなもんがあるから少子高齢化なんて社会問題が生まれんだよ、畜生ッ……!!
「あの、とりあえず仲良くしたいという意思はきちんと伝わったんで、恩売るとか膝枕とかはべつにやらなくて大丈夫っすから」
「違うのよ。仲良くなりたいんじゃなくて、下僕にしたいの。私が御主人様となって、あなたを問答無用でいっぱい無理矢理こき使いたいのよ!」
「さっきからほんと何言ってんだあんた」
意味不明すぎるこだわりに呆れることしかできない俺に、ママアリアは『どうしてわかってくれないの! もうっ!』とばかりにほっぺを膨らませ、胸元で両の拳をぶんぶん振って猛抗議である。うむむ、超かわゆいですぞ――じゃなくって!
つまりママアリアさんは、とにかく俺に恩なり性的サービスなりを押し売りしまくって負債まみれにして、その返済を強制労働で返してもらいたがっている、と。そういうことだよな?
わざわざそんなまどろっこしいことしなくても、何か頼み事があるなら普通にお願いしてくれればいいのに……。もしくは、魔女なら魔女らしく、圧倒的な暴力を背景にして傍若無人に己の要求だけを突き付けてきて然るべきでは? by晴嵐。
しかも、奴隷になる対価としてなら結構アレなサービスまで含めてたっぷりご奉仕してくれるっぽいし、これもう悪徳商人やボッタクリなんぞとは完全に正反対のとんでもない超絶ハイパーウルトラスペシャル優良店でしょ。
――とはいえ。やはり、少々引っかかる点はあるけどさ。
「もしかして、その『俺にさせたい労働』ってやつが、知り合いでもない俺を身内経由でわざわざ呼び出した理由ですか?」
「………………………………………。ところでゼノディアスくん、あなた今なにか欲しい物とかないしら?? お姉さんがいくらでも買ってあげるしなんでもしてあげるわ、遠慮しないでなんでも言ってみて!! もうね、ほんとどんな無理難題だって構わないから!!!!」
「えっじゃあ是非ナマでえっちして中出しさせてほしいやごめん嘘です調子こきました速攻忘れてください超忘れてください、普通に事情の説明してもらえればもうそれでいいですからええ、あと今の失言聞かなかったことにしてくれればもうそれだけで言うことなしですから、ええ……」
「………………………………………えっち……」
「だから忘れておくれってばよ……」
だって、なんでもって、どんな無理難題でもって、好みの見た目したお茶目なお姉さんがそんな男のロマンくすぐりまくりなこと言うんだもん……。そりゃえっちなことで頭の中いっぱいになるわ、そんなの当たり前じゃん……。オラは悪くねぇ、悪くねぇだよ……。だからそんななじらないでおくれ――ん? あれ??
「………………えっち……」
再度その単語を反芻するママアリアの顔や声にあるのは、えっちな俺を批難する初心な娘さんというより、えっちに毛ほども興味の無さそうな研究者みたいな真面目と真剣そのものの色合い。
あ、これまずい。
「あの、ですからさっきのはほんと魔が差したっていうか、普通にただの下劣なセクハラなのでこの性犯罪者を官憲に突き出してくださって構わな」
「わかったわ」
「……あ、俺マジで今日から前科一犯なんすね……。いえ、慎んで了解です。早速自首してきま」
「えっち、しましょう」
「うるっっっっせぇこのアルアリアがッ!!!! お前達母子はいっつもそうだ、思わせぶりなことばっか言って男心を惑わして結局生おぱんつのひとつすら見せちゃくれないんでしょハイハイわかってますよォそれがアルアリア一族のお家芸なんですよね全部まるっとわかり切ってんだよオラァああああアアアアアア!!!!!」
「あなた、そんなに拗らせちゃうほど、ずっとえっちがしたくてたまらなかったのね……」
「うん……」
吐き出すものを吐き出して項垂れた俺を、なまあたたかい目したママアリアさんが優しく頭撫でて慰めてくれた。
えっちしたいよぉ……。もう女の子と心通わせて仲睦まじくラブラブえっちなんて正真正銘の無理難題な悲願なんて全部忘れて、そこらのいかがわしい店で金と権力に物言わせてそこそこ可愛い商売娘にお願いして童貞捨てさせてもらいたい……。でもどうせいくら金積もうが権力振り回そうが、商売女でさえ俺の相手なんか願い下げっつって誰一人股を開いてくれないんだろうなぁ……ふぇぇ……。
「…………死にたい」
「だ、だめよ。生きて? お願い」
「生きてたってどーせ誰も俺を愛してくれないもん。エッチだって死んでもさせてくれないもん。じゃあもういいもん。お望み通り死んでやるもん……」
「だから、えっちさせてあげるってば。なんなら、奉仕とか奴隷とか関係なしでやってあげるから。やってあげるっていうか、正直私もちょっとそういうの興味あったりするし、だからお互いwinーwinっていうか?」
「どどどどどど同情や損得勘定でそういうデリケートでプライベートな行為するの良くないと思うな僕ぁ!! 女の子なんだから、もっと自分を大切にしなさい、ばかっ!!!」
「……………。あなた、実は結構なチキン?」
「うん」
迷うことなく澄み切った所作で頷く俺に、ママアリアは心底呆れ返ったように表情を歪めて絶句した。
うん、ごめんね、ママアリア……。あなたが普通にそこそこ乗り気でヤらせてくれるであろうことはわかったけど、ダメなのよ、二度の人生をかけて熟成発酵された呪われし【童貞】の称号が、この身に凝りし怨念の浄化を全力で拒んじゃうのよ……。
俺、もうほんとどうしたらいいんだろう。やっぱり理性なんて絶対要らないよ、こんなの自分を苦しめて生きにくくするばっかりの代物じゃねぇか。
本能のままに、大好きな女の子達に『愛してる!!』って想いを伝えて、その勢いのまま何も考えずに押し倒して強姦できたら、どれほどよかっただろうか。
相手の気持ちを慮って、嫌われたくないっていう自分の気持ちにも斟酌して、今の心地良い関係性が変わらないように気を遣って、そんなふうに色んなことに頭をぐるぐるぐるぐる悩ませた結果、チキンなこの身はいつもあの手この手で逃げを打つ。
………俺、やっぱ人付き合いとか向いてないわ。好きな子に対する最良のアプローチを尋ねられて、『想いを押し付けて強姦する』か『そもそも近付かないのが一番相手のため』なんて壊滅的な二択しか浮かばないような人格破綻者、誰ともうまくなんかやっていけるはずがない。
「…………………」
――ふと。力無く半開きになっていた手の中から何かが落ちかけて、反射的にそれを持ち直す。
メモ帳と、ペンだ。お悩み相談通信のために、さっきママアリアさんから手渡されたやつ。
「…………………」
……なんとなく。本当に、なんとなく。なぜかやたらめったらじーっと観察してくるママアリアさんからさりげなく手元を隠しつつ、紙面にちょろっとペンを滑らせてみた。
口にはできない繊細な想いを、文へとしたため……、あ、いきなりミスった。修正液なんぞ無いから、仕方なく二重線を引いて消し消し。
……さて、では改めて『肉欲と愛情の違いが知りた……』いや、ママアリアさんも処女だって話だから、こんなアウトくさい質問されても困るだけ……再び二重線をシャッシャッ。
……『恋愛的な意味で気になってる女の子達がいるんですけど、ひとりに絞りきれない上にそもそも自分が選ぶ側であるなどと傲慢なカンチガイしてる俺は、死ねばいいです』……いや最後断定すんなよ、疑問形にしないと相談にならないだろ……じゃあ最後だけ二重線シャッシャ。………いや、よく考えるとこの質問自体、見るだけで気分を害するくらいのクズだな。全文二重線シャッシャッ。
む、女の子らしいちっちゃなメモ帳だからもう長文書けそうな余白がないですぞ。文字デカすぎたか、失敗したな。他人のメモ帳を書き損じで何枚も浪費するわけにもいかんから、まだ書けそうな所になんとか絶対これだけは……、『さっき貴女なんでもするって言いましたよねでゅふふ♡』待てなぜデュフフまで書いた、それ表に出しちゃいけない奴ぅ!! ここはあくまで彼女の発言の再確認でしかなく他意なんて微塵も有りませんよの体を取らねば……、じゃあでゅふふはシャッシャッ。………あとやっぱりこの念押し自体下心気取られかねないので全文シャッシ――あ、ちょ!!?
「か、返してくださいっ!!」
「返すも何も、これは元々私のよ? それをさっきから何回も書いて消して書いて消して、紙とインクの無駄じゃない。これ以上はお金取るわよ」
なんでも買ってくれるとか言ってたわりに思いの外みみっちいぞ、この総帥閣下……。 まあそんな感想は口に出しませんけどね? だって全面的に俺が悪いし。
俺から奪った――ではなく取り返したペンを懐にしまったママアリアさんは、同じく俺の魔の手から救出したメモ帳に目を落とすと、折角の処女雪が土足で踏み荒らされた現場を見るかのように眉をひそめた。
「………チキンで、自己評価が低くて、優柔不断。複数の女の子に手を出していて、また別の女性の弱みを見つけてはここぞとばかりにつけ込んで肉体関係を強要――」
「意図的に物事を悪い方に悪い方にって捉えるのやめないかい? それはきっと、誰も幸せになれない哀しい行為さ……。
大体、弱みにつけ込んでとか言うけど、先に生足膝枕耳かきとか卑猥なこと自主的に言い出したのそっちやろがい」
「その提案を蹴って、『ナマでえっちして中出しさせて!』なんて行き着くとこまでエスカレートしきった要求を繰り出してきたのは、さていったい誰でしょう?」
「ぼくだね。それはぼくだね。言い訳はしないよ、だってぼくは女の子の弱みにつけ込んで肉体関係強要してナマで中出しという滾るシチェーションでの強姦プレイへの希望を一ミリたりとも諦めきれていないからね」
「そ、そう……。ならやっぱり、する? そういう、よくわからないプレイとかじゃなくて、普通に和姦になっちゃうけれど――」
「だから自分を大事にしろっつってんだろこの生粋のアルアリアがッ!!!!! お前らはほんと絵に描いたようなアルアリアでびっくりだわ!!!」
「由緒有るアルアリアの名を痴女の代名詞みたいに使うのやめてくれないかしら!!? もおっ、あなたってほんとめんどくさぁい!!! ヤりたいのかヤりたくないのか、いい加減はっきりしなさいよ、もうっ!!!!」
のらりくらりと堂々巡りの韜晦を続ける俺に、とうとうママアリアがブチ切れて襟首掴んできました。代々受け継がれてきた名を二度もコケにされたこともあってか、今回はきちんと答えを返すまで簡単に引き下がってくれそうにありません。
あわわ、あわわわ。た、たしゅけてぇ、たしゅけひぇぇぇぇ……! ぼくもうらめなのぉ、いざマジでエッチできると思うともうほんと脚ガックガクの冷や汗ダッラダラで心臓はバクバク早鐘打ってるのに顔は死人みたいに冷たくなって、もう俺だめ、謎のショック症状でもう死んじゃうよぉ……!!
「う、うぅ、ハァ、は、はっ、は、は、は、は、っ、かひゅっ、かひゅぅっ……」
「え…………、ちょ、あ、あなた……!?!
あかん、なんか過呼吸発症した。そして吐き気クソやば。もう吐く。
あ、この感覚マジでショック症状のアレだわ。グロに免疫の無かった前世で、採血の時看護婦さんにいいとこ見せ良ようと強がって自らの血液が抜かれていく様を直視してたら、その後立ち上がってしばらくして今のこれと同じ感覚に見舞われ、情けなくゲーしながらブッ倒れたことがある。
うん、もうこれダメだわ。ごめんね、ママアリア。ちょっとゲーかかっちゃう上に、後片付けと俺の介抱お願いすることになっちゃうかも。
ごめんなさい。本当に、ごめん。でも、ああもうグッバイ、俺の意識――。
「はーい、一名様夢の国へご招待入りまーす!! うぇ〜い、かしこまりィー!!!」
ママアリアの拘束が驚きと戸惑いによって緩まり、そのまま取り落とされて床へと滑り落ちゆく運命だったはずの俺の頭の、その行き先。
なんか見覚えのある生足が一瞬見えたと思ったら、これまた見覚えのある黒い着物に視界が覆われ――、硬い床にぶつけつはずだった顔面は、あたたかくて柔らかな丘陵へぽふりと軽い音を立てて軟着陸した。
突然の闖入者によって、ママアリアがまた驚かされて身を固くした様子だけれど、俺は逆に身も心も何もかもを溶かされ尽くすような安堵と安寧に満たされ弛緩する。
ああ――。
「――――イルマちゃん」
「はいはい、なんでげす?」
「………………。ん……」
俺の頭を両の腕で抱きしめ、己の慎ましやかなお胸にしっかりと押し付けるイルマちゃん。
なんでもないようにおどけて振る舞っている彼女だけれど、俺の無駄に良い耳と触覚は、イルマちゃんの心音がトクトクと駆け足ペースで拍動していることを感知している。
血の気を失って氷のように冷たかったはずの俺の顔面が、イルマちゃんからもらった熱で、優しく、どこまでも優しく、ぬるめの温泉に浸かったみたいにじんわりと温められていく。
――――ああ、もう。ほんと、この娘は。
「……………ばかイルマ」
「お? 脈絡なくいきなり女の子を罵倒するおにーちゃん、中々レアです。いったいどーしました?」
「………知らん。全部、きみのせいだ」
もう、駄目だ。俺はもう、この娘から離れることができない。離れるなんて、そんなのもう考えることさえできない。
だって。俺は、この娘のことが――、
「我、こんなにグッドなたいみんぐで奇跡のようにおにーちゃんを颯爽お助けしたのに、ひどくないです?」
「どーせまた、俺の好感度稼ぎのために、どっかで盗み見しながら『ここぞ!』ってタイミングを測ってたんだろ? デキるおにーちゃんは、そんなんまるっとお見通しなんだよ」
「バレちった☆ てへぺろ♪ 怒った?? ねえ、怒った???」
「……ああ、もう。ほんと、この娘は、もう……」
――――そんなきみが、俺は、
「……………ッ」
何度も、
何度も、決定的なその言葉を脳裏に描こうとしているのに、
たった二文字程度のその言葉が、まるで世界を崩壊させる禁忌の呪文であるかのように、幾度となくモザイクとエラーに塗れて掻き消えてしまう。
……いや。持って回った言い方したけど、べつに禁呪や世界の法則がどうたらみたいな壮大な話じゃない。
単に俺が、とんでもない骨無しチキンなのだ。
女の子のおっぱいに顔面ダイブしたまま抱きしめられているという、最早言い逃れのできない『――――』な体勢なのに、俺はまたイルマちゃんの心遣いに甘えて、愚にもつかない兄妹ごっこという虚構に縋る。
俺は、どうして、こんなにも……。
「泣かないで、『おにーちゃん』」
「…………泣いて、ねぇし」
「え、じゃあ我自慢の一張羅の胸元を濡らすこの液体、もしかしてヨダレだっ」「涙です」
言葉を被せて速攻軌道修正しました。どさくさ紛れにいもーとのお胸をぺろぺろ舐め回してヨダレまみれにする、妖怪か性犯罪者みたいな生態したおにーちゃんなんてここには存在しなかったんや。ホンマやで?
「じゃあやっぱりここにいたのは、いもーとの豊満なお胸に抱きしめられて泣きじゃくる、とってもよわよわなダメダメおにーちゃんだけだったんですね」
「…………つ、ツッコまないぞ……絶対ツッコまないからな……」
「豊満」
「世界一悲しい嘘をセルフ申告するやついる!?!?」
「だって、おにーちゃんは巨乳より美乳派ですよね? 許容できるMAXサイズは、レティシア様や二代目ナーヴェさんレベル。そして、おにーちゃん的にベストな大きさは――」
「待つんだ、いもーとよ。今それを口にしてはいけない。絶対にだ。いいか、絶対にだぞ?」
「………。そんなに言い当てられたくないなら、『好きになった女の子のお胸が、自分にとって最もベストな大きさです』とでも逃げを打っておけばいいのでは?」
「それ結局どっちも同じ意味になっちゃうじゃ―――――――げっ」
「……………………………………………」
い、イルマちゃんの沈黙が怖い……。俺今完全に無意識で答えちゃったけど、誰のこと想像してた?
顔で感じるイルマちゃんの鼓動がトクトクからトクトクトクトクトクトクへと完全に息継ぎ無しで突っ走り始めたのが、もう答えな気はする。
でも、決定的な言葉は俺も、それにイルマちゃんも避けてくれている様子なので、真相はギリギリ闇の中。
『………………………』
イルマちゃんが、何かを堪えるように時々僅かに身じろぎしては、決して離そうとしない俺の頭を抱き直す――フリをしてちょこっと撫でてきたり。
その度に俺が、意図のこもらぬ両腕を無駄に空中に彷徨わせては、回したい場所へ回すこともできずに、そのまま宙ぶらりんにしたり。
無言で謎の攻防を繰り広げ、千日手の様相を見せ始めた俺とイルマちゃんへ、おそるおそるママアリアさんが声をかけてくる。
「…………あなた達って、……ばかっぷる、ってやつなのかしら?」
『いいえ、兄妹です』
声と心をひとつにして返答する俺&イルマちゃんに、ママアリアさんは毒気を抜かれたような、ともすれば白けたような雰囲気で鼻息を吐き出した。
「………あ、そ。………ゼノディアスくんもめんどくさい子だけど、智の小鳥さんも相当アレよねぇ……。
そうやって現状に甘えて、いつでも詰みにできるからって舐めプしてると、ルール違反上等な『わる〜い魔女さん達』にうっかり足元すくわれかねないわよ? そういう横紙破りって、私達の十八番で、しかもとっても大好物だから」
「………うるさいですね」
痛い所を突かれたように逆ギレっぽく悪態をつくイルマちゃんが、俺を抱擁する手にいっそう力を込めてくる。
それはまるで、拾った子犬を親に取り上げられまいと足掻く非力な幼子のように、全身全霊そのもので。
だから、哀れな捨て犬に扮していた齢十五を超えし成人済みの益荒男は、耐え難き熱い衝動に駆られてたまらず声を上げた。
「――ごめん。マジでのっぴきらない男性特有の生理現象により、とりあえずトイレ行かせてもらっていい……?」
『………………………………』
まるで拾った子犬が実は小汚いホームレスだったことに気付いたかのように、険悪だったはずのおかあさんと幼子が揃って冷ややかな目でこの下郎を刺し貫いてきた。
そして解かれる、幼女の抱擁。やめろ、無言で距離取るのやめろ。二人して、腐臭を放つ生ゴミを見るような目で俺を見るな。我こそはキラキラの公爵家次男、正真正銘お貴族様のやんごとなきご身分であらせられるぞ?
「…………………くっ」
少女が拾ったホームレスが実は貴族でイケメンでした……などという非現実的な乙女小説的展開を許さぬあまりにもシビアすぎな視線に押し負けて、俺は結局冗談のひとつも口にできないまま、悔しさと唇を噛み締めてそっと席を立った。
泣いてなんかないやい!




