四話 血筋ってあるよね
ふとした拍子に思春期少女達にうっかり去勢させられかねないので、人目の無い所へ連れ込まれる(※連れ込むではない)ことは断固として避けたい俺。
なのでさり気なくお嬢様方をお外へ誘ってみれば、イルマちゃんには「お外で公開露出ちょきちょきですか!? うひゃあー!」と速攻で蒸し返された上になんか悪化してるし、それを真に受けたアリアちゃんには「あらまあ! あらあらまあまあ……!!」という感嘆の声と真ん丸なお目々を向けられるしで心が折れました。
うひゃあーとかあらまあて何やねん、なにその底抜けに陽気な声とキラキラした瞳……。これ、単に俺のイチモツに興味津々なだけならまだいいけど、公開露出とかちょきちょきの部分にわりとガチで期待されてそうな気配有って怖い。
一人で行くからもういいですと即座に遁走を図ろうとした冷や汗まみれの俺だけど、にっこにこの最上級の笑顔で纏わりついてくる多感な年頃の少女達を手荒く振りほどくことなどできず、なし崩し的に栄えある王都の街中へと三人揃って繰り出して来ることと相成って今ココ。
道すがらそれぞれの要望を軽く擦り合わせた結果、とりあえず出物を扱ってそうな怪しげな魔導具屋とか闇市とか冷やかして、合間に目についた屋台でてきとーに腹満たすべーという感じで行動指針が固まりつつある頃。
人混みの流れからちょい離れて一息ついた俺は、ここまでの流れをまるっと振り返って確信した。
「うん。これ、間違ってもデートとかじゃねぇわ」
「おやぁ、どのへんがでふ?? もっちゃもっちゃ」
「まずその口や両手の指の間全部に挟んだ串焼きをどうにかしてから疑義を唱えろや。ていうか一気に買いすぎじゃない? どんだけ串焼き好きなの」
「いやぁ〜。こういうお肉お肉した食べ物を見ると、幼い頃に山で肉食魔獣の食べ残した屍肉漁って糊口をしのいでた頃を思い出して、懐かしさのあまりについつい買いすぎちゃうんですよねぇ……。失敗、しっぱい!」
「お、おう、さよか……。うっかりさんやね……」
急にディープな話題が来たせいで、思わずキョドってしまって気の利いたことも言えないヘタレな俺。
イルマちゃんは「ほんと、うっかりです」と笑いながらお裾分けを何本か渡してくると、更なるお裾分け先を求めて自らの後方を――というかほぼ背中を振り返る。
「はい、アリアさんには野菜混じりの女子力高めなやつをどーぞです。お野菜、好きですよね?」
「………お野菜は、好き。……でも、いるまちゃんなんか、きらい。止まってって、待ってって、何回も言ったのに全然聞いてくれなかった……」
「あっはっはっは! めんごめんご」
全く悪びれてない様子のイルマちゃんに猫じゃらしの如く串焼きを鼻先で振られて、人混みの中を無理矢理引き回された(というか勝手にくっついていった)アリアちゃんはむすっとほっぺたを膨らませながらも素直に野菜マシマシ串を受け取る。
イルマちゃんに笑顔で促されて躊躇いがちに一口齧ったアリアちゃんは、ちょっと意外そうに軽く目を見開いた。
「あ、美味しい。なんか、こう、食べやすい?」
「でしょう? 薄味好きなアリアさん用に、脂身が少なくてタレも上澄み部分がかかってるような所を厳選して買いましたからね。
あ、ちなみにおにーちゃんの分はてきとーです。この人、どうせ外で何食べても味とかどうでもいい人ですし」
「おう待てや愚妹、俺めっちゃグルメやぞ。今度イルマちゃんにも俺お手製のすき焼き鍋食わしたろか? お??」
「そんなおにーちゃん謹製の特上お鍋や、巷で評判のレストランのディナーとかより、女の子が作った手抜きスープとかの方が食べたいんですよね?」
「……………手抜きはやだ」
「じゃあ、がんばって愛情込めて作ったけど失敗しちゃった感じの、あちこち焦げててお世辞にも美味しいとは言えない、女の子の手料理なら?」
「……………………………」
一見完全に言い負かされたような感じで押し黙ってしまった俺だけど、実はなんか女の子の手料理と聞くと『即死』という不穏なワードと共に謎の吐き気が襲ってきて、なんとも言えない気持ちになってしまっただけです。
おかしい。俺はいったいどうしてしまったというのだ……。
「……ぜのせんぱい、マズい手料理がとっても好きな人なの?? なら、わたしがおもしろいのいっぱい作ってあげいひゃひゃひゃひゃー!?」
アリアちゃんがキラキラと瞳を輝かせながらひょっこりと顔を出して来たので、俺は無言で彼女の右ほっぺをむにゅりとつまんで涙目にしてやった。
手料理を振る舞ってくれると言ってくれる女の子にこの仕打ち、本当に俺はどうしてしまったのだ……!!
「いえ、この件についておにーちゃんは悪くありません。むしろ、女の子の粗相は大抵笑って受け容れてくれはずのおにーちゃんをこんな凶行に走らせたアリアさんが全面的に悪いです」
「いひゃいひゃいひゃいひゃー!?!」
俺が抓ったのとは逆のほっぺをみょんみょん抓りながら冷たく言い放つイルマちゃんに、アリアちゃんは絶望の悲鳴を上げた。
「えんふぁい、えんふぁいへふ!! ふしゃー!!」
「何冤罪とか言って逆ギレしてんですかこのすかたん。女の子の手料理というものに並々ならぬ夢と憧れと行き過ぎた幻想を抱いていたこの非モテ男子なゼノおにーちゃんに、あなたよりによって何食わせました? 美味しいの作ろうとしてのことならまだしも、あれフツーに悪意入ってましたよね。そのせいで完全にトラウマになっちゃってるじゃないですか、これどーしてくれるんです?? 我ってばふつーに料理下手くそなので、おにーちゃんにちょくちょく味見と称してお弁当作ってあげながら好感度と料理の腕を上げていってみたいなプランも考えてたのに、完全にポシャりましたよ。ほんとどうしてくれんですか」
「……………ふ、ふしゃー……」
アリアちゃんが痛いところ突かれたように半笑いで目を逸らすけど、俺にはイルマちゃんの言ってることがさっぱりわからない。
俺、アリアちゃんに手料理振る舞ってもらったことなんてあったっけ――ウッ、即死の二文字が回顧を拒む。あまり深く考えるのはやめよう。
それより、あれだ。イルマちゃん今、俺からの好感度稼ぎたいとか言ってた? 聞き間違いかな、だって俺なんかに好かれなきゃいけないような切迫した合理的な理由なんて無いもんな。あっ、義姉様に言われて俺に近付いたとか言ってたから仕事上の都合で俺に好かれといた方がメリット有るとかそういういひゃいひゃいひゃい!?!
「またろくでもないこと考えてそうなおにーちゃんも私刑です。的外れではないしわりと図星な部分もありますが、そんなの関係なく我の繊細な乙女心がひどく傷付いたので私刑なのです!! 我がルールじゃい、文句ありますかこのやろー!!!」
『ええええええぇぇぇぇぇ!?!?』
横暴すぎる裁判長によって俺までほっぺ抓りの刑に処されて、アリアちゃんと一緒になって悲鳴を上げることしかできなかった。
ひとしきり痛めつけられた頃、ようやく釈放されて自由の身となった俺とアリアちゃんがほっぺを労っていると、イルマちゃんは腰に手を当ててぷんすか怒りながら口を開く。
――が。彼女が言葉を発するより先に、人のごった返す通りの向こう側から男の怒声と何らかの破壊音が響き渡ってきたので、俺たちのみならず周囲の人々まで何事かとそっちへ目を向ける。
「ヘラヘラしてんじゃねぇよ、糞共が!! テメェら脳味噌詰まってんのか、オォ!!?」
……ここからはそこそこ距離があるはずだが、買った串焼きを食うために少し落ち着ける所を探していたせいか、人垣という名の防壁が若干薄くて心許ない。こっちは女の子連れでもあることだし、ここは変に野次馬根性出して巻き込まれる前に、逃げの一手だな。
「離れるぞ」
「りょ」
「えっえっ」
当意即妙に声をかけあった俺とイルマちゃんは、何一つわかってない顔でキョドってるアリアちゃんをイルマちゃんの背中に無理矢理へばりつかせ、さっさと戦線離脱を画策。
だが、騒動に背中を向けたその瞬間、またしても俺達の機先を制するようなタイミングで二度目の怒鳴り声が飛んできた。
「何が『避難訓練』だ、そんなの嘘っぱちに決まってんだろうが!! いきなり問答無用で殺しに来といて、避難もクソもあるかよ!! あの魔女とかいう性悪女共はなぁ、俺達みたいな虫ケラなんざいつでも殺せるって、ナメくさって遊んでんだよ!!!」
……うーん。キレ散らかしてる奴の論理なんて聞く価値無いゴミカスだと思うけど、これもしかしなくても昨日の爆破事件のこと言ってる?
イルマちゃんが属するグループからの反逆者が引き起こした、ガチなテロ行為。
その後諸々あった結果、皆の死から蘇生まで一連の出来事は『魔女機関協賛による避難訓練でした☆ 全部幻術だったので許してね、めんごめんご♪』って感じで処理されたようだ。ソースはそこらへんの人々の噂話。
魔女機関というイカサマカードが場に出てきた時点で、事実がどうであれ、大抵の人間は彼女達の言い分を黙って受け入れるしかない。誰も好き好んで、大国同士の戦争を暴力ひとつで潰せる超戦力にケンカを売りたくはないだろう。
そもそも、魔女機関は世界平和を理念に掲げる正義の味方である。彼女達のやり方に問題があろうと、それに異を唱えることは、即ち悪。
だから、キレ散らかし男の叫びを受けた周囲の人々の反応は総じて微妙だった。だが、芳しくないというよりは、若干同情的な生ぬるい雰囲気。
「なぁ、坊ちゃん。悪いことは言わねえからもうその辺で……」といった歯切れの悪い感じで宥めにかかる声がいくつかあって、それを見た他の人達はこれで一件落着だろうとばかりに歩みを再開する。
俺達もその流れに乗って離脱を図ろうとしたけれど、流れ始めた人々の隙間から件のキレ散らかしあんちゃんと目があって『あっ』とお互い声を漏らした。
見たことある顔だ。ていうか、学園の同級生である。ついでに言うなら、俺のことを『王家の功績を盗もうとする大法螺吹き』呼ばわりしてしつこく絡んで来てた、高位貴族子弟の一人でもある。
義姉様が編入してきてからはとんと顔を見なかったけど、まだ生きてたのか。怒れる義姉様によって闇に葬られなくてよかったなお前……あ、いや、むしろ義姉様が俺の評判を程良く貶めるために敢えて放置していた可能性もあるのか?
「……確かにあれは、敢えて泳がせていた個体ですね。以前、おにーちゃんが我々の情報操作に勘付いてしまった時用として、真犯人役を演じてもらおうと思ってわざと生かしておいたのですが……。なんかこっち見ててキモいですし、この際消しますか? 激キモです」
イルマちゃんの台詞が徹頭徹尾色々酷すぎて、おにーちゃんはいもーとの倫理観がとっても心配です。
不穏な単語の数々に興味が唆られたのか、アリアちゃんまで激キモ氏をこそこそと盗み見て、不思議そうに小首を傾げる。
「……キモさん、消すの?」
のっけからキモ呼ばわりな上、こちらの少女もまた人一人抹殺することに何の感慨も抱いていらっしゃらないご様子。おにーちゃんは、この常識知らずな娘達の将来がほんと心配です……。
もっと命をだいじにしよう? みみずだってオケラだって、どんだけキモかろうがみんなみんながんばって生きているんだよ?
とは言わない。だって俺、キモい虫無理だし。ついでに言うなら、俺自身がそもそも身内以外の人間の生死とかどうでもいいって思ってるので、偉そうに説教垂れられる立場に無いのです、はい。
そうして、人付き合いに難の有る俺達が対応を決めかねている(というか『消す』以外の選択肢が誰からも出て来てこなくて俺だけ困っている)うちに、激キモ氏は何やらこちらをロックオンして人混みを肩で弾き飛ばしながらズンズンと大股で歩み寄ってきている。完全に厄介事ご入来の気配である。
うーん。
「しゃーない。消すか」
「お? 渋ってたっぽいのに、結局いいのです?」
「アレには前からわりと喧嘩売られてたし、しかもあいつ魔女さん達にまでケンカ売ってるみたいだし、その上俺らのデート(仮)の邪魔しにくるみたいだし。よく考えたら擁護する理由が一個も無かったわ」
「ほう」
謎の感嘆を漏らすイルマちゃんの後ろでは、アリアちゃんがちょっと焦った感じで俺やイルマちゃんの脇腹をぱしぱしと叩いてくる。
「ねえ、こっち来たよ、あれ消していいんだよね? ねっ?? やるよ? もうやるよ??」
言うが早いか、アリアちゃんは速攻で体内の魔力を【権能】へと昇華させながら、お手々をピースサインにして何かをちょきちょきとちょん切るようなジェスチャーを見せてくる。
まさかやっこさんのおちんぐむを切ろうというわけではないだろうから、もしかしたら命脈や存在といった概念に干渉して直接『断ち切る』つもりなのかもしれない。
折角なのでこのまま積極的なアリアちゃんに任せてしまおうかなと思ったけど、でもやっぱ男が前に出なくちゃなと思い直して、俺は女の子達を庇うように一歩踏み出す。
これでも龍すら殺せる身であるので、ろくに鍛錬も積んでない一般人など、殺気ひとつで生かすも殺すも自由自在である。だからといって無差別に人を殺して回るような趣味は無いが、俺のみならずウチの女の子達にまで悪意を撒き散らすような輩が相手であれば是非もない。
なんか顔を真っ赤にして怒っていらっしゃる様子の彼には、ヒートアップした挙げ句の心不全による自業自得な突然死という最期を演じてもらうとしよう。
じゃあな、名もなき激キモ氏。
「待て待て待て待て!!? そう簡単に前途有る王国民を処そうとするな、この馬鹿共がっ!!!」
目を細めながら処断のタイミングを見計らってたら、あと一歩というタイミングでそんな横槍が身体ごと割り込んできたので、思わず眉をひそめながら闖入者を見やる。
今、馬鹿『共』って言った? ウチの女の子達を貶すとか、お前も死にたがりのクチか? お??
「え、なんで俺までそんな目で見られんの……?」と戦々恐々な感じで冷や汗流しているそいつは、なんかどっかで見たことあるような雰囲気の青年だった。
――最初に脳裏を過ぎったのは、シュルナイゼ兄様のぎこちない笑み。だが目の前の男は、どこか親しみを感じる雰囲気の高身長イケメンではあれど、けっして兄様ではない。
誰だこいつ? と思いながら「はーん……?」と意味の無い声を漏らして観察を続ける俺を前にして、イケメン青年の口がひくりと引き攣る。
「……おい、まさかとは思うが、俺が誰なのかわかってないとか言わないよな? 髪こそ染めて一応の変装はしているが、顔は一切いじってないぞ」
「はぁ」そすか。そんなこと言われたって、知らんものは知らん。でも確かに見覚えあるような気はするし、公爵家次男の俺と顔見知りで尚且つ変装の必要があるご身分ってことは、こいつもお貴族様か何かか?
答えを求めて周囲を見てみれば、俺と同じように『あの人、見たことあるような……?』って感じで青年を見てる視線がちらほら。そして何人かは『あっ! あの人ってもしかして』って感じでハッとした顔付きになっては、青年に笑顔で軽く手を振られて慌てて頭を下げる。
ちなみに、お辞儀勢の筆頭は激キモ氏であった。ていうか土下座してた。一度は『邪魔しやがって、誰じゃお前ゴルァ!!?』みたいな感じでイキりかけたはずの激キモ氏であったが、「ん?」と柔和な笑みで小首を傾げてみせる青年の圧を受けて、いきなり何かに気づいた様子でびっくら仰天からのジャンピング土下座である。
小兎のようにガクブル震えて地に付してる激キモ氏と、彼をそうさせた謎のイケメン青年が野次馬の視線を二分する中。好奇の目の流れ弾からイルマちゃんとアリアちゃんを庇いながら、俺はくるりと身を翻した。
「行くぞ」
「りょ」
「うん」
話の流れをぶった切る俺の号令に、今度はイルマちゃんだけではなくアリアちゃんも素直にお返事。
そのまま、アリアちゃんを背中にへばりつかせたイルマちゃんを俺が後ろから押す、というスタイルで電車ごっこに興じようとしたら、さらに背後から俺の肩にぽんと手が置かれた。
「こらこら、お前等この状況でなんで普通に離脱しようとしとるんだ――いや止まれよ!!? どんだけ逃げたいんだよお前!! おい、このっ、ゼノディアス!!」
有り余る身体能力に物を言わせて無視して歩き始めたものの、なんか身バレしてたので仕方なく足を止めて振り返る。
「無賃乗車はご遠慮ください、Mr.キセル氏」
「言うに事欠いてそれか……? あのシュルナイゼでさえ、流石に俺の肩書きに配慮してもうちょい気を遣った態度を取るぞ? まあ、野郎も野郎で実際は全くこっちを敬ってないことは丸分かりだが……」
高位貴族の子弟に血相変えて額づかれ、公爵家嫡男たるシュルナイゼ兄様に曲がりなりにも敬われる、そんな肩書き。
ああ、もしかしてこの人って……とようやく答えに思い至り、疑問が溶けてスッキリした俺は、再度身を翻して電車ごっこを再開「だから待てよぉぉおおオオオオオ!!!! 俺、王子ッッ!!! やんごとなき王太子殿下様!!! ひかえおろぉ、控えおろぉおおおおおお!!!!!」うるせぇ、揺さぶるな!
つか、王太子? 確かそれって、イルマちゃんに爆殺された生贄くんじゃなかったっけ?
イルマちゃんに目をやってみれば、彼女は話に絡もうとせずに微妙に目を伏せておとなしくしている。なんだか、らしくない反応だ。
これはどういう内心の現れだろうと思考を巡らせる俺を他所に、王太子はイルマちゃんにも訴えるように声をかける。
「おい、お前からも言ってやってくれよ……。お前が例の『声』の正体なんだろう? なら、昨日の件で俺に借りがあるはずだ。この不遜な臣下をゲザらせるのに協力しやがれ」
「………………」
脅迫っぽく要求を突き付けてくる王太子に対し、イルマちゃんは完全に無反応であった。ただひたすらにしおらしい態度を貫き、顔を僅かに俯かせ続ける。
「お、おい? なんだよ、なんで黙ってんだよ……。お前、例のあいつなんだろ? なあ、おい」
「…………………」
王太子がみっともなく狼狽し始めるも、やはりイルマちゃんは応答無しだ。
嫌がっているとか避けたがっているとか、そういう強いマイナスの感情を滲ませているわけではない。イルマちゃんがその身に纏っているのは、凪いだ湖面を思わせるような、冷たくて静かな空気。
まるで写実的過ぎる静止画や精巧なだけの人形のように、心が感じられない佇まい。
まさか、変わり身の術か何かでいつの間にか人形と入れ替わったのでは――などとアホな妄想を始めた俺に、イルマちゃんはちょっとだけ目線を送ってきて小さく首を傾けながら呟いた。
「行こ?」
「…………え、あ、うん……」
やんごとなき王太子殿下をガン無視、というかナチュラルに意識の外に追いやりながらの、あまりにも端的でどこまでも明白過ぎる意思表示。
流石にここまでやられては王太子も食い下がる気力を失ってしまったようで、なんか泣きそうな顔で無賃乗車を諦めた彼は、無礼極まるイルマちゃんに憤ることもせず、むしろイルマちゃんを咎めようとしてきた周囲の人々を宥める側に周ってくれた。
ゲザラーから正義マンへと変貌して食って掛かってきた件の貴族子弟を制しながら、『早よ行け』と顎先で命じてくる、超涙目な王太子。
なんか申し訳ない気分になってきた俺がまごまごしてるうちに、息を潜めていたアリアちゃんが「んー、んー!」と必死にイルマちゃんの背中を押し始めたので、非力な彼女に力を貸す形で俺もイルマちゃんの肩を押し、電車ごっこを再開した。
唯々諾々と押される先頭車両のイルマちゃんは、相変わらず反応が鈍くて俯きがちのまま。
イルマちゃん、ほんとどうしたんだろ……?
答えは次回かも。




