終章機関 世界をいじめる女達
まだまだ『末っ子』となりしゼノディアスと詰めるべき話がいっぱいあったのに、地上に降りてくるや否や何やら急に荒ぶり始めたナーヴェに半ば拉致される形でアルアリアと共に担がれ、【アリス世界】へと帰還というか強制連行されてしまったエルエスタ。
嵐に攫われて去り行く魔女達を呆然と見送っていたゼノディアスの、間抜けというかちょっとかわいそうな顔を思い出しながら、エルエスタは室長席に頬杖を突いて盛大に溜息を吐いた。
どこか批難と呆れの色の滲むその息は、エルエスタの座す椅子の真後ろに体育座りで縮こまっている小娘へと向けられたものである。
まるで人の群れの中に放り込まれたアルアリアばりに情けない姿を晒しているその娘は、けれどアルアリアではない。なにせ、アルアリアはナーヴェの唐突な暴走に付き合わされて疲弊しきった挙げ句に気絶してしまったため、今はみーちゃんやグリムリンデが別室で介抱している所だ。
ちなみにグリムリンデが看護を買って出た理由は、普通にアルアリアを心配したのが半分、後はみーちゃんに請うような眼で見つめられたのが半分かそれ以上といった塩梅。
ナーヴェを常日頃から殺したがっているという一点さえ除けば、グリムリンデは〈力有る魔女〉の中では比較的良識派にしてそこそこ常識人であり、情も有れば優しさも有って、子供とか猫とかをわりと可愛がっちゃう系の女子なのであった。
さておき。畢竟、この部屋にいるのは、魔女機関臨時総帥エルエスタの他には、件の情けない小娘――即ち、当世最強の〈晴嵐の魔女〉ナーヴェのみであった。
エルエスタは再度溜息を吐いてナーヴェをぴくんと震わせると、頭の痛みに耐えるように眉根を寄せながら愚痴のように言葉を垂れ流した。
「あんたさー……。勝手にアルアリアに付いて来て盛大に自爆カマそうとして、それで『わっぱ』くんに横入りされてご自慢の自爆技あっけなく破られるとか、なんかほんと自爆じゃん。徹頭徹尾自業自得の大自爆じゃん。そんなわがままに付き合わされて、ウチの誇る〈晴嵐〉さんの『最強』の看板に傷がついちゃったんですけど?? 泣きたいのはこっちだっつーの、どーしてくれんのよマジで」
「…………べつに、泣いては、いねーし……。大体あたしゃ、べつにまだ、負けたわけじゃねーし……」
「でも、他ならぬ自分自身が『負けた』って思ってるから、そんなふうに落ち込んじゃってるんでしょう? そうでしょう??」
「え、いや、これは――」
「そ・う・で・しょ・う!!!?」
「………………そーだけど」
全力全開の魔力(笑)を開放してのエルエスタの威圧により、ナーヴェから嘘の自白を引き出すことに成功。
なんとか急場を凌いだエルエスタは、しかしこんなことをしても何も問題は解決していないという事実に頭を抱えて、ぐでーんと机に突っ伏した。
◆◇◆◇◆
エルエスタは別に、ナーヴェの独断専行や敗北に怒っているわけではない。この晴嵐さんが制御不能の天災であることはわかりきってるし、それに何より、ナーヴェが負けただなんて思ってはいないから。
秘奥義を破られた――とはいえ、ゼノディアスのあれは一種の手品みたいなものだ。真っ向から相殺なり干渉なりしたわけではなく、『エルエスタが想定していた〈晴嵐〉破り』の有効性を期せずして実証した形と言える。
ある意味、反則行為。そんなもので多少のケチを付けられたからといって、三百年全戦圧勝の晴嵐伝説は小揺るぎもしないし、そもそもナーヴェが最強なのはあくまで純粋な『火力』面での話だ。性格的にも能力的にも搦め手に弱いナーヴェは、はっきり言って、エルエスタという頭脳が無ければ既に歴史の何処かで普通にくたばって過去の人となっている。
そしてそれは、古参の〈力有る魔女〉達の間では概ね共通認識。だから、今更ナーヴェが独断専行で自爆したからとて、それで何かの不利益を被るわけでもない。有るとすれば、若輩の魔女どもが多少騒ぐであろうことだが、そんなものはそれこそナーヴェの最強を以て黙らせればいい。
だから、『ナーヴェが反則使われて負けた』というこの状況は、本来であればむしろ『この高慢ちきの鼻を良い感じにへし折ってくれてありがとう』とゼノディアスに感謝すらして然るべき場面なのである。
――そう。『本来であれば』、なのだ。
そう注釈をつけたことからわかるように、エルエスタの胸中にはゼノディアスに対する感謝の念など欠片もない。有るのは只々、『どうして自分はあの少年をさっさと殺しておかなかったのか』という深い、あまりにも深すぎる後悔の念だけだった。
お鍋を囲む前にグリムリンデからの報告を受けた時には、ありえないと思って完全にスルーしてしまっていた。むしろ、グリムリンデをぽんこつ扱いして小馬鹿にさえしていた。
けれど、真のポンコツはエルエスタの方であったのだ。しかも、事前に最悪の事態を想定出来ておきながら、ナーヴェは言うに及ばず、エルエスタ自身すらもすっかり『最悪の事態』の巻き添え――というか中心人物となってしまっているのだから、最早弁明のしようもない。
『女だらけの無人島に、男がひとり』。――そんな末期過ぎる状況での、たったひとりのオトコを巡って繰り広げられるであろう血で血を洗うバトルロイヤルに、この日、世界の支配者たる【魔女機関】臨時総帥エルエスタと、世界最強たる〈晴嵐の魔女〉ナーヴェは、堂々のエントリーを果たしたのであった!
◆◇◆◇◆
いやダメでしょ……。世界が先史文明の仲間入りどころか、下手すれば星ごと滅びかねないぞ……。ほんっと、どーすんのよこれ……。
「うぅぅ〜〜〜ん…………うぅぅぅぅ〜〜〜あぁぁぁぁぁぁぁ〜…………」
「エスタ……そんなに本気で悩むほどかい……? ……その、悪かったね、ほんと……。次は、ちゃんと真っ向からあのわっぱ細切れにして、ヤツの肉と血でキレイな赤絨毯こしらえてやるから、それで許せ? あんた無駄に綺麗な家具とか好きだろ??」
「ナーヴェって常にひとのこと嬲るか煽るかしてないと死ぬ珍種の生き物なの? もういいわよやめてよ、今日のことは全部不問にしたげるから、ゼノくんに無駄にひどいことしないで」
「……………『ゼノくん』? ……ほぉ〜ん??? ほへぇ〜ん????」
「な、なによ……」
「べぇっつにぃぃぃぃぃ〜?????」
先程までの殊勝な態度が嘘のようにくっそムカつく顔ですっとぼけながら顔を覗き込んでくるナーヴェに、今こそエルエスタはこの手で綺麗な赤絨毯を拵える時だと決意してガタンと立ち上がる。
そのせいで弾き飛ばされた椅子が背後に座り込んでいたナーヴェを直撃して「ぶふっっ!!?」とくぐもった悲鳴を上げさせてしまい、エルエスタは思わず謝ろうとして――しかし、それより先に立ち上がったナーヴェに自慢の顔をガシッと掴まれてしまい「ひぇっ」と竦み上がった。
「ほぉぉぉぉぉん?? エスタぁ、あんたイイ度胸してんじゃないかぁぁ、ええ,おい??? あんたもグリグリちゃんみたいに、最強の看板に挑みに来たクチかい?? いいよ、お望み通り殺ってやんよぉ!!!!」
「や、ややややらないってば……。ゼノくんに小娘扱いされていいようにあしらわれた恥ずかしさを、私で体良く発散しようとしないでよ……。そっちがそう来るなら、私だって、もうそうそう簡単に殺られるつもりはないからね?
禁じ手の、アルアリアにだって手を出しちゃうんだからね。嫌がるあの子に、キャパシティオーバーのおしごと、い〜っぱい押し付けちゃうんだからね!! 自分の八つ当たりのせいでかわいい孫娘苦しめて、『おばあちゃんなんかだいっきらい!!』とかわんわん泣かれちゃってもいいのか、おぉん!!?!」
「えぇぇぇ……、お前、それは、ちょっと……ズルくない……?」
「ズルでもなんでも、最後に立ってたやつが勝者なのだぁ!!! ナーヴェだってグリムリンデだって、なんかそんなこと言ってたもん!!!! 私にバレなきゃいいとかめちゃめちゃバカにしてさあ!!!!! バッッッカにしてさぁあ!!!!!!」
「え、ご、ごめん……」
なんか変な所で導火線に火が付いてしまい、ナーヴェは思わずエルエスタの顔を解放して素直に謝った。
そんなナーヴェのお株を奪うレベルで稲妻のように「チッ!!!!!」とやさぐれきった舌打ちをカマしたエスタは、椅子にどすんと座り直して腕を組み足を組む。
「どいつもこいつも、ひとの気も知らないで……! なんでみんな好き勝手やってるのに、私だけ我慢して火種潰しや尻拭いに駆けずり回らなきゃいけないの!? 私がどれだけみんなや世界のために心砕いてると思ってんの?? そもそも、なんで私ってこんな素直に臨時総帥とかやってんの? おだてられててっぺんに座って、良い気になって策士とか気取ってみれば、全部他人の手のひらの上だし。そもそも、自分を担ぎ上げた連中が、どうせ代行のお飾りで生贄だしプゲラwwwwとか嗤って全然敬意のカケラも無い子ばっかだし……。
…………あれ、なんで私、こんなとこに居んだろ……」
「………エス、タ……? その、ごめん、ほんとにごめんって、な? ほんと、謝るから……」
「うっさい。一番私に敬意無い上に迷惑かけっぱなしなくせして全力で笑い者にしてた筆頭が、今更筋肉しか詰まってない頭下げたって意味なんか無いのよ。あんた、絶対本心で悪いだなんて思ってないもん。『酒も飲んでないのになんかめんどくさいことこと言い出してるからひとまず謝っとこ』ってだけでしょう? そんな上っ面の謝罪にいったい何の価値が有んのよ、むしろ余計に腹立つだけだわ。ひとのことバカにするのもいい加減にして」
「…………む、むぅ……」
流石にこの言いようには一瞬むっとしてしまったナーヴェだが、はっきり言ってエルエスタの言ったことは百パーセント大当たりであったため、今度こそ本当に罪悪感に苛まれて呻きながら俯いてしまう。
そんな珍しく反省してる様子のナーヴェを横目に見て、『流石にちょっと言い過ぎたかな……?』とこちらも俄に罪悪感を抱いてしまうエルエスタだが、反射的に謝りかけた口を閉じて一旦押し黙った。
まだ、ここで攻めの手を緩めるわけにはいかない。
完全に偶然とはいえ、精神的優位に立っているこの状態をもうちょっと堪能したいから――ではなく。良い機会だから、大して意味が無いこととはわかっていても、今一度この狂犬に首輪と鎖を繋ぎ直し、ついでにゼノディアス争奪戦から自分共々なんとか離脱させてやるべく思考を巡らせ――。
そして。そんな色気を出してしまったエルエスタは、心の一瞬の間隙を突かれ、闖入者によって場の主導権を奪われた。
「……あら? あらあら?? ごめんなさい、お取り込み中だったかしら……。どうしよ、私、出直した方が良い?」
傍目には、魔女機関代表者とその右腕が仲違いしているようにしか見えない、あまりにギスギスした空気。
そんな世界の存亡直結しかねない光景を自らの両の『義眼』で目の当たりにしておきながら、その招かれざる客は、場にそぐわぬおっとりした口調と、そして台詞にそぐわぬ実に愉しげな笑みで語りかけてきた。
――招かれざる『客』? 否。彼女こそは――
『…………っ!!!』
一瞬呆けてしまったものの、先程までのやり取りが嘘のように息の合った動きで闖入者から距離を取るエルエスタとナーヴェ。
そんな親友同士の絆を意図せず見せつける二人を前にして、かつて自らもその輪に加わっていたはずの元・親友の『彼女』は、笑みは絶やさぬままながらもどこかさみしげに軽く溜め息を吐いた。
「あら、残念。あんなに本気で怒ってるエスタも、あんなにしょんぼりしちゃってるナーヴェも、とってもレアで――おもしろかったのに」
「相変わらず、悪趣味なヤツだねぇ、まったく……」
思わず苦々しげに感想を漏らすナーヴェは、けれどそれ以上の直接的な接触を拒むかのように、そっとエルエスタの陰に隠れる。
ぐいぐい背中を押してくる薄情過ぎる親友に『このヤロウ……』とイラっとしながらも、エルエスタは改めてその女と向き合った。
きちんと整えられた、緩やかに波打つ栗色の髪。義眼でありながらも確かな視力を持つ、サファイアのように蒼く煌めく双眸。
機関支給のものではないローブに覆われた肢体は、見た目の上では二十歳程度には見えるというのに、大人の色香の萌芽がまったくといっていいほど感じられないくらいに、起伏に乏しい未熟な少女そのもの。
そんな彼女に、とある引きこもり魔女娘の数年後の姿を幻視しながら、エルエスタはつい脳裏に浮かんだその名を呼んでしまった。
「今更何しに来たの、『アルアリア』? それとも、『当代総帥』って呼んだ方がいいのかな?」
棘だらけの口調での、そんな問いを投げかけられて。その女は、ただこう答えた。
――【魔女機関】臨時総帥であるエルエスタと、〈深淵の魔女〉の祖母を自称する、そんな二人を前にして。
「或るべきものを、或るべきところへ。――そのために、私は今日ここへ来たのよ」
◆◇◆◇◆
そして、世界はどこまでもひっそりと変革の時を迎える。
世界最大宗教の総本山たるかの聖国で起きた、前触れの無いクーデター。それと時を同じくして、【魔女機関】の本拠地で突如為される、支配者の『代替わり』。
その交わらない二つの一大事を繋ぐ存在は、やはり、たったひとりの少年であった。
先に言っておくと、露悪的な彼女はミスリード大好きのイタズラっ子。そしてゼノなんとかは相変わらず喜劇の代名詞である。




