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終章聖天 聖女を襲う大洪水

 イルマが『書類上は』真っ当な手段で用意しておいた、こぢんまりとしたニ階建てのセーフハウス。


 壁の中や屋根の裏さえ覗かなければ外装も内装も極々普通の瀟洒な民家でしかないそれは、完全に王都の住宅街に溶け込む形で存在し、周囲に何の違和感も抱かせることなく『大聖女』と〈熾天〉の肩書を冠する二人の大量殺戮者をその身の内に匿うことに成功していた。


 その二階の窓から、閉められたカーテンをそっと手の甲で除け、人々の自粛ムードの解けゆく――安堵と歓喜に包まれつつある大通りを見下ろして。レティシアもまた、胸に手を当ててほっと安堵の吐息と微笑みを漏らした。


「……どうやら、イルマは本当に上手くやってくれたみたいですね。いったい何をどうやったら、魔女機関を自発的に動かして、私達の存在を世間に隠したまま、全てを無かったことになんてできるのやら……。

 不干渉の言いつけを破っていたことはまだちょっと根に持っていますが、これはさすがに、めいっぱい褒めないわけにはいきませんね?」


「…………そう、ですね」


 既にレティシアへの擬態を解き、素肌を包帯でぐるぐる巻きにして隠す卑猥な少女という本来の姿へと回帰した〈熾天〉のオルレイアは、自主的に床に正座したままで粛々と主人の言葉に相槌を打った。


 ――また愚妹ばっかり褒められてる……。あいつ、他にもいっぱいレティシア様の命令無視してるのに……。


 などと要らぬ口応えなどしない。たとえ《傀儡》の呪具を通して愚妹の犯した罪の悉くをまるっと見ていたのだとしても、より大きな罪科である『弑逆』を企てた身としては人の事言えないし、そもそも今愚妹が諸々の悪事に手を染めているのはオルレイアの尻拭いのためである。


 ゆえにオルレイアは多くを語らず、ただただ主君の言葉に首肯を返すだけのイエスウーマンとなるしかない。


 そんなうっかり粗相しちゃった忠犬の如き情けない姿を晒すオルレイアに、レティシアは優しい苦笑を浮かべながら静かに語りかけた。


「いいのですよ、オルレイア。そもそも、『大聖女』としてわたくしが負うべきだった政務の全てを貴女達に押し付けて、出奔同然におとうと様の元へとやって来ておきながら、ただ見守るだけで満足してしまっていたわたくしが悪いのです。

 ……最初からそのつもりで出て来ていたとはいえ、貴女からしたらそんなのはたまったものではないでしょう。今回の件は、全て主人として至らなかったわたくしの落ち度です。

 ――ごめんなさい、オルレイア」


「おやめください」


 心からの謝罪と共に深々と頭を下げようとしたレティシアは、けれど当のオルレイアに断固とした拒否の言葉を向けられて動きを止めた。


「違うのです。私は――私達【八翼】は、そもそも貴方に大聖女としての政務などこなせないことはわかっていました。だって、レティシア様ってあんまり頭良くないし……」


「うっ」


「だから、それはべつにいいのです。そんなどうでもいい仕事は、出来る者にやらせておけばいい。……だから、私達が――、いえ、私が貴方に求めていたのは、ただただ『大聖女レティシア』としての偶像を守り続け、美しく、気高く、誇り高い貴方で在り続けることだけだったのです。

 具体的に言うと、神にも等しきゼノディアス様に一途に盲目的な恋をし続ける貴方なら、進展がなくとも今はまだ許容範囲でした。でも、ろくでもないぽっと出のヤリチン貴族に気移りしてうっかり純潔まで捧げてたら、そんなのは完全アウトです。

 たとえこの身この命砕け散ることになろうとも、愚妹すら道連れにして確実に貴方を殺していました」


「待って、えっ、待って? わたくし、まだ処女だから命拾いしたの?? それに、ぽっと出の、やりっ、や、やりちっ、て、それ誰のこと――」


「無論、あのシュルナイゼとかいう仮初の婚約者のことです。レティシア様とて、あの『ろくでなし』の過去を魔眼でご覧になったのであればご存知のはずでしょう?

 ――幼い頃からゼノディアス様に対して劣等感を燻らせ、そして同時に女体化した弟に懸想してしまったあの男が、その鬱屈した想いを長年に亘ってどうやって解消して来たのか……。

 同じヤリチンであるこの国の王太子と比較しても、あのろくでなしははっきり言って救いようのないクズです。近頃多少まともになったからと言って、アレのこれまでに犯してきた罪は、到底赦されるべきものではない」


「――――――――モチロン、シッテイマシタヨ」


 嘘である。出会って早々、シュルナイゼ最大の秘密である『女体化したゼノディアスに懸想した』という一件を握って以降、それを盾に取れば何でもほいほい言うこと聞いてくれたし、むしろ何も言わずとも勝手に寄り添っていてくれてたので、実の所シュルナイゼの過去についての深い部分など殆ど何も知らなかったりする。


 ――き、気になる……。ここまで一切の容赦なくこき下ろされなければならない『婚約者様』の過去が、はっきり言って超絶気になる……!!!


 だが、レティシアはその欲望を口に出すことはできない。折角イルマのおかげで全てを無かったことにできたというのに、下手に婚約者様に気が有る所を見せて、またもオルレイアに『このビッチめ!』と謀叛に走られてはたまらない。


 かといって、後で婚約者様に直接聞く勇気も無い。魔眼で真実を見通す勇気などもっと出ない。

 だって、だって、それでもし本当に、知りたくなかった彼の過去を知ることになりでもしたら――。


(し、死ぬ……、そんなの、胸が張り裂けて死ぬぅ!!!!)


 想像しただけで既に凄まじいほどのせつなさを伴う幻痛に襲われてしまったレティシアは、自らの美しい乳房を鷲掴みにするようにして胸を押さえ付け、思わず救いを求めて『ある少女』の姿を探した。


 こんな時は、そう。程良い感じにレティシアのキャパシティを見極め、必要な情報を必要な分だけ寄越してくれる――





「最近思うんですけど、我ってちょっとあなたに都合良く使われ過ぎじゃありません? ねえ、悪女でびっちなレティシア様」





 いつものように唐突なる帰還を果たした神出鬼没のイルマは、正座しているオルレイアの横で思いっきりあぐらかいて頬杖突きながら――完全にやさぐれていた。


 じろりと白い目で見られながら心当たりしか無いことを言われて思わず「うっ」とたじろいでしまうレティシアに代わり、オルレイアが咎めるように横目でイルマを睨む。


「おい、愚妹。悪女でビッチとはどういうことだ? いくら今回の件での借りがあるとは言え、敬愛すべき主君に対する謂れなき誹謗中傷は、流石に見過ごせん」


「むしろ謂れしか無いですよ? それは姉様だってわかってるでしょうに。あなた、ある意味我以上の情報通じゃないですか」


「貴様に言われると皮肉にしか聞こえんから本気でやめろ。……しかし、ふむ。それはつまり、やはりレティシア様は既に処女ではないと? よし、ならば殺そう」


「どんだけ処女にこだわってんですか、この処女厨……。いやまあ、その気持ちはとってもよくわかるんですけど、残念ながらレティシア様は一応まだ処女のようですね。――身体だけは」


「―――――ほう。それは、つまり」


「何気に知らなかった婚約者くんの女性遍歴を匂わされたのが逆にダメ押しとなって、ほぼ堕ちましたね。あれを聞いてレティシア様の胸中に浮かんだのは、クソ男に対する軽蔑ではなく、もっと彼のことを知りたい、でもやっぱり知るのが怖いという恋する乙女の甘くせつないお悩みでした。

 はっきり言って、もはや処置無しです。我らが大聖女レティシア様は、あれだけゼノおにーちゃんの出会いを邪魔し功績を剥ぎ取りして散々酷い目に遭わせてきた挙げ句に、うっかり他所のダメンズに引っかかってコロっと非業の堕天を遂げましたとさ。はーい、解散かいさん!」


 結論に達すると共に投げやりに手をぱんぱん叩いて議論終了を告げるイルマに、レティシアはもう何の言い訳も口にできずに顔を真っ赤にして唇を噛み締めるしかなかった。


 そんなレティシアを見て今の話が全て事実であることを悟ったオルレイアは、ふむと息を漏らしてしばし思考する。


 どうやら、レティシア様はもうゼノディアスを堕とすどころか、もうすっかりろくでなしに堕とされてしまった身らしい。

 しかし、身体は清いまま。


 清いままなのだ。



 清いまま、清いままなのだ……!! 膜は、難攻不落にして未だに敵軍の侵入を許したことのない神聖なる防護結界は、今尚健在なのだ……ッ!!!



 そしてオルレイアはキリッと表情を引き締めて判定を下した。


「ギリギリ、セーフです!!! 膜が有るなら、それでヨシ!!!!」


『えぇぇぇぇ…………』


 オルレイアの中であまりに処女膜が最強すぎて、イルマもレティシアも心底ドン引きであった。


 しかし、レティシアはハッとあることに気付いて思わず慌てて声を上げる。


「お、お待ちなさい、オルレイア!! やっぱり、膜が有るからセーフなの?? じゃあ、わたくし、一生処女じゃないとダメなの!?!?」


「そうは申しておりません。いいですかレティシア様、これは魂の高潔性と神聖性の問題なのです」


「高潔と、神聖」


 間抜けな声でオウム返しすることしかできないレティシアに、オルレイアはうむりと厳かに頷いてみせる。ちなみにイルマは『処女厨がなんかめんどくさいこと言い出したぞ』と思いっきり嫌そうな顔で二人を横目に眺めていた。


「そうです。美女にして処女にして聖女である貴方は、現在の魂の性質としては、およそ人間が獲得し得る高潔性と神聖性においては既に最高を極めていると言っていい。そこに更に童貞神ゼノディアスとの性的な交わりが加われば、貴方は人としての処女性と引き換えに神としての神性までをも獲得し、人の矩を超えて半人半神へと至れるでしょう。

 しかし、もし相手が神ではなく、あの数多の乙女達の膜をちょっと面白い玩具程度の扱いして破り捨ててきたクズ野郎であったらどうなるか? それは、貴方の膜にもまたクズ男の玩具程度の価値しかなかったことの確固たる証左となり、そんな貴方に傅いていた我々八翼の品位さえもあのクズの玩具以下へと貶められること意味します」


「……………………」


 レティシアは賢明であった。うっかり『数多の乙女達の膜ってどういうことですの』と聞きたくて聞きたくて聞きたくてたまらなかったが、その問いを口にすればあらゆる意味で絶対に良くない未来が待ち受けているであろうことを察して、どうにか頑張って神妙な面持ちを装いながら押し黙る。


 そんなレティシアをより一層白けた眼で見て溜息を吐いたイルマは、自分もふと今の話に気になる所が有ったのでなんとなく訊いてみた。


「それって、ゼノおにーちゃんが複数の女とヤっちゃった場合はどーなるのです? 童貞でもなくなり一種ヤリチンとなったおにーちゃんは、魂穢れて神の座から堕ちて、婚約者くんみたいな人間の中でもいっとークズな野郎共の仲間入りですか?」


 いっとークズ……とレティシアが密かに流れ弾でダメージを食らっているのを他所に、持論を流水のように滑らかに語っていたはずのオルレイアが興醒めしたように面白くなさそうな顔をする。


「貴様、わかってて言ってるだろう?」


「はてはて? と、おっしゃいますと??」


「白々しい……。今ゼノディアス様と交わる可能性がある女共はと言えば、世界の真理にさえ干渉する〈深淵の魔女〉に、人類史を見渡しても確実に最強クラスの〈晴嵐の魔女〉。そして、世界の破壊と再生を司る魔女機関を完全掌握している、貴様が言う所の〈月雫の魔女〉だ。

 はっきり言って、どいつもこいつも神さえ凌駕し得る一芸を持った女ばかりな上に、しかも全員当然のように処女ときている。もし奴らがゼノディアス様と交わったとて、互いに高め合う結果にはなっても、貶め合うことにはなるまい」


「あとあと、おにーちゃんのハーレムメンバーに、黒猫のみーちゃんと、あといちばんだいじなこの我が抜けてますよ?」


「『神の手づから創造した神薬と惜しみない愛によって「少女」となりし元野良の仔猫』など、それこそ最早神話に出てきてもおかしくない程の神性の塊だろう。あとは、貴様についてだが……。………………うん、まあ、好きにすれば? 私は知らん」


「雑です!!? もっと、もっと我のこともいっぱいいっぱい褒めちぎってくださいよぅ!! ほらほら早くはやくぅ!!!」


「ええい、うるさい!!! 好きにしろと言っているのだから、勝手によろしくヤればいいだろうが!! そもそも、現状最もゼノディアス様と結ばれる可能性が高いのは貴様だろうに!!!」


「あっはっは〜、やっぱしそう思います?? 我ってば、ちょっと思った以上にゼノおにーちゃんからの好感度高すぎっていうか、相性良すぎってゆーか??? でもここで気を抜くと、いきなりくるっと手のひら返されて速攻突き放されちゃうのがゼノおにーちゃんの難儀なとこなんですよねぇ〜……。でもでも、その中々懐かない猫みたいなじれったくてもどかしくって『次はどう攻めようかな、次はどんな反応を見せてくれるのかな』ってわくわくと妄想が止まらなくなっちゃうとこが逆に可愛」


「死ね」


「なにゆえ!?!?!」


 聞きたくもないノロケを聞かされてグロッキーとなるオルレイアに唐突に死を請われ、身をくねくねさせながら照れ照れ悶えていたはずのイルマが素っ頓狂な悲鳴を上げガチ驚愕。


 もっともっとのろけたくてたまらないイルマが死んだ目のオルレイアをがくがくと揺さぶる姿を前に、ゼノディアスに襲いかかる恋愛模様と忠実な配下のノロケ話をうっかりまるっと聞いてしまっていたレティシアはもう今日何度目になるのかわからない「お待ちなさい」の言葉を発した。


「待って。今度こそほんとに待って」


「レティシア様、世界は愚鈍なる者に残酷です」と何かの格言のように語るオルレイア。


「レティシア様、姉様がレティシア様のことウスノロって言ってました」と即座にイルマ。


 唐突にキャットファイトへ移ろうと火花を散らし始める配下二人を「だから待ってぇ!!」と最早主人の威厳もくそもない情けない声でなんとか抑え込み、レティシアはもう混沌極まる現況に涙目となりながら、それでもなんとかおとうと様を取り巻く恋愛事情の詳しい所を聞き出そうと――




「む」




 しかしその時。オルレイアが、まるで心臓に氷柱でも突き刺されたかのような苦悶の呻きを漏らし、唐突に自らの胸に手を当てながら何かに耐えるように軽く背を丸める。


 そんな彼女の口の端から流れる一筋の赤き水滴を見て、イルマは大した感慨もなく「おや」と呟き、逆にレティシアは「今度は何ですの!!??」と大混乱。


 それからほんの数秒後。何事もなかったかのように凛と居住まいを正したオルレイアは、吐血の跡を腕に巻かれた包帯でぐいっと拭い、口を開く。


「さて、それではゼノディアス様の嬉し恥ずかし恋愛模様についてですが――」


「待って!?!? 貴女、明らかにおかしい今の苦しみ方と血は何でしたの!!? なんでそんなさらっと流してますの、いったい何があったんですのぉ!!!?」


「御心配無く。ちょっと本国でクーデターが起きて、身代わりに置いてきたレティシア様型の《分身体》が絶命しただけですので。そんなことより、それではゼノディアス様の恋愛模様について」


「だ・か・らッッッッ!!!! そういう重要っぽいことをさらっと流さないでぇぇぇぇぇえええええええええええぇぇぇぇ――――――!!!!!! もぉぉぉおおおっ!!!! もおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉおおおぉおおおl!!!!!」


 髪をばっさばっさ振り乱して魂のシャウトを上げる主人を眺めて、犬猿の仲なはずの配下二人は仲良く『もーもー牛さんかな?』と呑気に笑いながら軽く肩を竦めるのだった。

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