終章 彼女の流儀
高揚した戦意の発露として高らかに吠えたナーヴェは、泣き叫びながらも権能をしっかりと発動してくれているアルアリアを《風牢》の中へ閉じ込めて宙へと浮かべ、自らも大空に堂々と舞ったままで、自由になった両の拳をがつんと突き合わせて鼻息荒く対戦者の登場を待ちわびる。
――あぁん? なんだい、この紙? え、王都で死者蘇生するからアリア出動? はーん。そんなん無視だ無視……あ、いや待て。死者蘇生ってことは、『アレ』と殺りあえるってことかい? おー、行く行く!! ほれ、あんたもそんな顔してないでさっさと行くよ、アリア!!
律儀なグリムリンデが不在のエルエスタの代わりに受け取った、遠隔筆記によるアルアリアへの出動要請。
その旨が書かれた大きめのメモを鼻先に突き付けられたナーヴェは、嫌そうな顔をしたアルアリアを庇って一度はふつーにスルーしようとしたものの、ふと『わっぱ』が黄泉路の番人を屠る際に見せた【破戒】の権能のことを思い出し、手のひらを返してノリノリでアルアリアを拉致って速攻王都へと繰り出してきたのだった。
死者も蘇生もどうでもいいナーヴェの中では、黄泉路の番人こと『守り人』は、自分がわっぱより強いということを証明するための手頃なパンチングマシーンでしかない。もし話の通じそうな温厚な守り人が来ても、そんなの関係無しに即殺RTAをキメる腹積もりであった。
とはいえ、はっきり言ってわっぱの見せた【破戒】の一撃は既にワールドレコードクラスであり、それを超えるのは相当に困難だ。なにせ、わっぱが破戒とたった一言呟いた次の瞬間には、アルアリアを嫁にせんと襲い掛かって来ていた身の程知らずな守り人が塵も残さず消し飛んでいた。
秒殺どころではなく、正に瞬殺。ゆえに、それを超える速度を叩き出すには、悠長に過ぎる一瞬という概念すらをも超えた『即殺』が絶対条件となる。
言葉を紡いでいては到底不可能。鼻息すらもこの場合は不適格。ならば魔眼ばりに視線を使えばどうかと考えたが、それでは昔わっぱが言っていた『光の速さ』とやらを追い越すことは叶わない。
ならば、どうすればいいのか? ――その答えは、つい数刻前に、他ならぬわっぱの口から語られていた。
『力有る魔女かどうか知らんが、この間ポルコッタで会ったそこそこ厄介そうな魔女っぽいイカレ女は、切り札一枚切った直後に俺がそこに居るだけで勝手に自害した』
そう。つまり、自分がそこにいるというその事実のみを以て、相手の息の根を止めてしまえばいい。無論、目指すのは自害に追い込むなどという呑気な結末ではなく、対象の即時の死滅、もしくは消滅である。
それを為すための鍵となるのは、全力全開の【権能】の発動によって副次的に撒き散らされる、『威圧感』。限界を突破して極まったそれを物理法則を超えし物理現象として顕現させ、それを以て守り人の存在を圧殺する。それがナーヴェの考えた『これが一番早い』と思われるRTA攻略法であった。
「来い、来い、来い、来い、来い来い来い来い―――!!!」
アルアリアの〈深淵〉の権能によって観測され、そこに在ることが確定された黄泉への門。ナーヴェはそれを視認することはできないが、しかし、その不可視のゲートの向こう側から急速に迫ってきている異次元の強者の気配を肌で如実に感じ取っていた。
――『アタリ』だ。温厚なんて言葉とは全くの無縁であるらしい明確なる『敵』が、それこそこちらを即殺せんと髪を逆立てながら怒り狂っている様がありありと目に浮かぶ。
「ひゃはっ……!!」
一瞬、そのあまりの凄まじい殺気にうっかり気圧されて一歩下がりかけるが、すぐさま顔に狂人の笑みを張り付け直したナーヴェは、自ら一歩前に出た。
さあ来い、守り人。
いつぞやの、『リベンジマッチ』といこうじゃないか――!
「【天崩】っ!!!」
島すら瞬時に消し飛ばす二つの【晴嵐】を両の拳に乗せ、打ち合わせたそれを力尽くで無理矢理ひとつに束ねることで、解き放てば蒼穹をも消滅させる破天の爆弾と化す『自爆技』。
三百年近い時を生きて来たナーヴェにとって、かつて一度しか振るったことのない大技中の大技であり、放てば自分はおろかこの国までもが跡形も無く吹き飛ぶことが確実という、あまりに凶悪すぎて使い所が限られ過ぎている死蔵されし不遇の秘奥義。
だが、それゆえに、たとえブッ放さずにこうして待機させているだけの状態であっても、そこから放たれる威圧感はまさに圧倒的の一言。
その圧を押さえつけている両拳がじわじわと崩壊していくが、そんなの知ったこっちゃない。今のナーヴェにとって最も重要なのは、とにかく自分があのわっぱよりも強いと証明すること、ただそれのみだった。
だって、ナーヴェには、誇れるものが『最強』しか無いから。最強を取り上げられてしまった自分には、価値有るものなど何も残されていない。
自分が壊滅的な人格破綻者であるという自覚のあるナーヴェは、多少の美貌や知識などいくら誇ってみたところで、性格面での大きすぎるマイナス分の穴埋めになど到底なりはしないということはわかりきっていた。
最強だから、赦されていた。最強だから、ありのままの自分でいられた。
――最強でなくなって、ありのままの自分でいることが赦されなくなった人生など、そんなの今すぐ死んじまった方がマシだ!!!!
……だと、いうのに。
「【破戒】」
風の檻の中に閉じ込めたアルアリアが何事かを泣き叫んでいるのを無視して、今まさに守り人を迎え撃とうとした、その瞬間。
どこからともなく間の抜けた声が聞こえてきたと思ったら、天すら崩落させるはずの自爆の秘奥義が、まるで導火線を斬られたかのようにフッと消滅させられて。
思わず頭を真っ白にして呆然とするナーヴェの、半ばまで溶け落ちていた拳には、自分の物ではない『男』の手がそっと添えられていた。
「……………………。はぁん????」
「いや、『はぁん』じゃなしに。あんた一体何してんだよ……。アリアちゃんめっちゃ泣いちゃってんじゃん、意味も無くわけわからん無茶すんなよな……」
いつの間にやらナーヴェやアルアリア同様に宙にぷかぷかと浮かんでいた少年――『わっぱ』が、思いっきりドン引きした様子でなじるように呟きながら【完全治癒の奇跡】を発動させる。
瞬く間に再生された綺麗なお手々を呆然と見つめるナーヴェを他所に、またもわっぱの気の抜けた声が聞こえたと思ったら、今度は【天崩】ではなく『守り人』が発していたはずの圧が綺麗さっぱり消え失せていた。
「……………………。はぁぁぁぁぁん??????」
わけがわからなかった。
いや、わけはわかる。そもそも、エルエスタとわっぱが連れ立って向かった先がこの王都だという情報は、聞いてもいないのにエルエスタが出立前に言い残していった。
そこに来てアルアリアを呼んでの死者蘇生とくれば、元々はアルアリアとわっぱのコンビでそれをする予定だったのだろうというのは、それはわかる。ならば、黄泉の門が開くであろうお空にわっぱがやって来たことにも大して不思議は無い。だから、それはいい。
それはいいんだけど、今こいつさらっと何やった?
「……………おい、わっぱ」
「なんだ、『ナーヴェ』」
――不意に名前を呼ばれて、うっかりナーヴェの心臓がどきりと跳ねる。
無駄についていた嘘がとうとうバレたから? それとも、今まで婆さんだのごぼどーさまだのとしか呼んでこなかったから、いきなりすぎて単に驚いて?
どきどきどきどき早鐘を打つ心臓を抑えながら顔を熱くさせていくナーヴェを尻目に、わっぱは王都中に【完全治癒の奇跡】の光を惜しみなくばら撒いてさくっと仕事を完了させると、いつの間にか気絶していたらしいアルアリアを正面から抱き締めて「おーよしよし」とあやすように背中を撫でさする。
歓喜と驚愕に湧く眼下の連中など、まるで意識の外であるかのように。……そして、アルアリアを戦闘の余波から護るべく展開していたはずの《風牢》をも、まるっと無視して。
「………いや、あんた、ちょっと――」
「ナーヴェ」
「……っ、な、なんだよ……」
またしてもいとも容易く行われた理不尽現象に耐えかねて思わず声をかけてしまったナーヴェだが、アルアリアをあやす手を止めないわっぱにじろりと横目で睨まれて、思わず疑問も文句も飲み込み挙動不審におどおどしてしまう。
――『怖い』、と。今自分が感じているその感情の名を久方ぶりに思い出したナーヴェは、自分にそんな思いを抱かせている小癪なわっぱを睨み返そうとして、けれど静かな怒りの眼差しに迎え撃たれてしまって思わず泣きそうになってしまう。
そんなナーヴェの情けない姿を見かねてか、わっぱは軽い溜息を吐くと怒気を和らげ、ちょっと呆れたような様子で滔々と語った。
「あんたがどういう経緯でその名を与えられて、どんな思いであの婆さんと似たような技を使うのかは知らんけどな。でも、あんたはどこまで行ったってあの理不尽婆さんじゃないんだ。無理して分不相応な大技なんて使おうとしても、不発どころか暴発がオチだろうに」
「……………………あぁ????」
こいつ、何言ってんだ?? ……もしかして、『婆さん』と『御母堂様』が同一人物だって、この期に及んでまだ気付いてない??? いやそんなバカな。
「……一応言っとくけど、私は正真正銘の〈晴嵐〉だぞ? 私こそが、この世でただ一人の、〈晴嵐の魔女〉ナーヴェだ」
「ああ、やっぱあの婆さん隠居したのか……。まあ、あの時点で結構な歳だったしな」
やはりわっぱが致命的に何かを勘違いしたままであるらしいことを確信し、そして同時に、ナーヴェはようやく彼の勘違いの大本の原因に思い至った。
そして、それを解消するために口を開こうとして――。
「しっかし、こんな未熟な二代目に後を託すことになろうとは、あの婆さんもさぞ不本意だったろうな」
「………あ? 未熟?? この私が、未熟だって、そう言ったのかい!!!?」
「どっからどう見ても未熟だろ。初代〈晴嵐〉は、どんな強敵を前にしたってあんな決死の覚悟なんて見せないし、自分の技で傷を負うなんて無様も晒さない。そもそも月で俺と殺りあった時だって、あの婆さんだったら俺のことなんて鼻クソ扱いして軽く抹殺してたはずなんだ。
まだ様子見段階だったとはいえ、『俺と対等にやり合う』なんて無様を晒した時点で、あの婆さんだったらプライドずたずたに引き裂かれて速攻自害してるわ」
「…………………え、ちょ、それはさすがに」
「『最強』の名に賭けるプライドが、圧倒的に足りてない。だからまだまだ未熟だってんだよ、ナーヴェお嬢ちゃん?」
小娘扱いしてきてへらへらとせせら笑う不遜にして傲慢にして身の程知らずなわっぱに、ナーヴェは今こそプライドをずたずたに引き裂かれて速攻自害したい気持ちでいっぱいであった。
――殺す。こいつ、本気で殺す……!!!!
と、そう思ってはいるのだが、唇を噛み締めて涙を堪えながら握り拳をぷるぷる震えさせることしかできない。
だって、今殺しにかかっても、先ほど【天崩】や『守り人』や《風牢》をどうやって消し飛ばしたのかのカラクリが何一つわかっていない以上、どんな権能を自信満々に繰り出したところで、やっぱり鼻で嗤われて『まだまだ未熟だぞ、ナーヴェお嬢ちゃん』とかまたバカにされちゃうかもしれない。
……………………。
ナーヴェ、お嬢ちゃん……か。
「…………ひとつ、聞きたい」
「あん? なんだよ、青くてかわいいお尻をした、かわいいかわいいナーヴェお嬢ちゃん?」
「…………………やっぱ、いい」
かわいい。
私のおしり、かわいい。
なんだか唐突にお尻や全身がむずむずしてきちゃったナーヴェは、髪の毛の先とか無駄に指先でくるくる丸めて弄ったりしながら、言おうとしていたはずの言葉を見失って視線をふらふらと彷徨わせる。
そうして黙り込んでしまったのを敗北宣言と受け取ったのか、わっぱは満足そうな溜め息と笑みを零してさくっと告げた。
「じゃあ、そういうことだから。鍛錬するならいつでも付き合ってあげるから、もう二度と、不完全な技使って自分を傷つけて、アリアちゃんを泣かせたりなんかしちゃダメだぞ?」
「…………………わかった」
――いつでも、付き合ってあげる。
そのワードになんだか妙に甘美なモノを感じたナーヴェは、何故かほっぺたがむにむにと緩んでしまうのをどうにか堪えながら、不承不承を装って頷いたのだった。




