七話 残酷な真実
備え付けのアンティーク調の壁時計が、極々わずかに、ちく、たく、と眠気を誘う心地良い音色を一定のリズムで奏で続ける室内。
その音の数倍近い速度で早鐘のようにどくどく脈打つ自らの心臓を、みーちゃんごと抱きしめるようにしながら、部屋の片隅にうずくまったアルアリアは必死に荒い息を押し殺す。
「はあ、はぁ、はっ、はぁ、はっ、はぁ、はあぁ…………」
お風呂上りでほかほかの身体が、それ以上に極度の精神的負荷によって鼻血を吹かんばかりにヒートアップしていた。
心労を溜め込んだ時は失神せんばかりに血の気が引くことの多いアルアリアは、今自らの身体を襲うこの逆転現象の理由がまるでわからず、お目々がぐるぐる回りそうになるのを堪えながら思考をぐるぐるぐるぐる回す。
「……室温良し、湿度良し、星辰配列想定内。……咳や悪心等の諸症状はなく、直近にキャリアとの濃厚接触や感染症罹患が疑われる問題行動も皆無なことから、諸々の外的要因による感冒その他病気の可能性はきわめて微小と言わざるをえない。……されど体温に有意な異常を認めるものであり、平常値を著しく超えて上昇中のそれは今尚勢いが衰えることはなく、上限値はまったくの不明……。
…………結論。わたし、たぶんもうすぐ――死ぬ」
「みゃあ(死なんわ、ばかたれ)」
抱き締めたみーちゃんに尻尾でぴしっとほっぺたを叩かれ、アルアリアは「ひぷっ」と間抜けな悲鳴を漏らした。
少し前になじるように指摘されたこともあって、今のアルアリアは身体強化魔術を暴発させることもなく、細っこい腕に見合ったしょっぱい腕力でみーちゃんを抱いている。
なので今回はみーちゃんの肉体強度が限界を迎えることはなかったのだが、湯上りぽかぽか良い気分だった自慢の肢体を灼熱のアルアリアに速攻汗まみれにされたことで、忍耐の緒はさすがに擦り切れた。
「うぅっ、みーちゃん、ひどい……」
「みゃう……。なぁーお? にゃあ(ひどいのはあんただっての……。てかさー、そんな熱いならその暑苦しいローブ脱げば? べつに裸ローブってわけでもないんだし。まあ、裸ローブじゃなくても既にちじょではあるけどね。ぷぷっ)」
「だからそれえんざい――で、は、…………ない、です、よ、ねぇ……」
おもらし少女アルアリア。自分の着ていたアンモニア臭香るワンピースや下着は風呂場で水洗いしてから洗濯籠に安置してしまったため、その代わりとして今は、ベッドに置いてあった男物の服を着替えとして一時的に拝借している。
当然、そこには女物の下着など無かった。あったら怖い。なので、下着だけでも濡れたままでもいいから自分のものを履き直そうかと一瞬思ったが、効率大好き少女アルアリアは水の滴る下着の上に乾いた服を着るという意味不明な行動を容認できなかった。
そこで目を付けたのが、この部屋に跳ばされた時に偶然手に取った、あの柔らかくて妙に触り心地の良い『短パン』である。あれなら良い感じに局部を隠せるし、ウエストをヒモで縛るタイプのそれは、アルアリアの不健康な細さを誇るウエストでも着用可能。素晴らしい。
一応、女性用下着と異なって、多少股がすーすーするという難点はある。だが、上に男物の大きなインナーとワイシャツをきっちりと着込めば、それだけでちょっとしたワンピースくらいの丈があるので、下半身に心許なさを感じることもない。大変すばらしい。
更にその上から、かろうじて水難を逃れた愛用のローブ(完全に無事とは言っていない)をばさりと被れば、もはや鉄壁と言っていいほどの安心感を誇るスタイルの出来上がりだ。あまりの素晴らしさに感動すら禁じ得ない。
けれど、そこで妙な違和感を感じて「……?」と疑問符を浮かべながらローブを着たり脱いだりばさりばさりを何度か繰り返した結果。アルアリアは、頭が真っ白のぱーになるほどのとんでもない衝撃を受けた。
これまでずっと、自分を外界のあらゆる脅威から守り続けてくれていた、【魔女】御用達の各種耐性てんこもりで、城壁にすら例えられることもある特級聖遺物級の特注ローブ。
――それによって得られるものよりも、あの男の子の服から与えられる安心感の方が……ずっと大きかったのだ。
かくしてアルアリアは完全に不意打ちで未知の世界との遭遇を果たしてしまい、過去に縋るように愛用のローブを着込むと、愛するみーちゃんをも全力で巻き込んで、部屋の片隅へ逃げ込んでひたすら戦慄に身を震わせるに至った。
「……わたし、今、あの男の子の服、着ちゃってる……」
服なんてただの布切れだ、と嘯いていたアルアリアはもういない。実際に異性の服を己の身に直で纏うことで、アルアリアの中にようやく年頃の少女らしい恥じらいが生まれ――しかしそれを自慢の頭脳で全く理解できずにエラーの嵐を吐き出し、同じことをぐるぐるぐるぐる延々と考え続ける。
――身に纏ったシャツの、自分とは全然違う肩幅の広さを確認しては、うわぁ、おっきいなぁ、男の子だなぁ、とか思ったり。
――洗剤や、自分の慣れ親しんだにおいとは違う、けれどなぜか心にすとんと落ちてこの上なく馴染む、自分とも祖母ともみーちゃんとも違う『誰か』の香りを嗅いでは、香りとか言っちゃってるわたし、それってどうなの? とセルフツッコミしたり。
――それってどうなの? なんて常識人ぶったこと言いつつも、その香りを頑として『香り』と呼称して譲ろうとしない自分に気付いて、うわああああああぁぁぁぁああぁぁぁあああぁああぁぁぁ、と心の中で部屋中をごろごろごろごろ転がりのたうち回ったり。
そんな感じで羞恥と知恵熱で脳味噌と身体がフットーしてしまったアルアリアは、とうとう涙を流しながら白旗を挙げた。
「わたしは、痴女のあるありあですぅ……。うぅ、ぐすっ、グスっ……」
「みゃあ~お(おっ、認めた)」
「だって、こんなの、へんたいだよぉ……。……お、おとこのこの服、着て、こんな、はぁはぁ言って、に、ににににっ、匂いとか、嗅いじゃって、はあ、はぁっ、からだ、あつくて、あふぅ、はぁうっ、…………おち、おちちつけ、おちつけわたし、おちつ、おちつくの、そう、おちつくには、そう、…………すぅ~~~~~~っ……、………………………………」
「………………に、にゃお(……あ、ありあ?)」
「………………………………死のう」
「ぎにゃああああああ!!? (ありあああぁああああ!!?」
自分のあまりの痴女っぷりに絶望したアリアは、鼻腔を抜け胸を満たすやわらかな香りに包まれながら、闇に満ちた茫洋たる瞳で虚空を見つめた。
恩知らずにも恩人に欲情し、恥知らずにも自分がヘンタイのくせに恩人を変態呼ばわりしていた自分。そんなもの、この世界から消えていなくなればいい。
「ごめんね、みーちゃん……。わたし、もう、生きていけない……。ううん、生きてちゃいけないの、わたしみたいな、いんらんな、めすぶた……」
「いや、何がどうしてそうなった……?」
「え」
明らかにみーちゃんではない、誰かの呆れたような声。
思わず間の抜けた声を上げながら、アルアリアは闇しか映らなかった瞳をベッドの上へと向けた。
窓から差し込む光に、思わず目を細める。急な刺激を受けて、もっと涙があふれてきてしまったけど、何度もまばたきして、ローブの袖でごしごしと目を乱暴にこすって、そうしてどうにか回復した視界に映ったのは――。
◆◇◆◇◆
一旦王都公爵邸に寄って、マドモアゼルの尿やらあの女性の鼻水やらでべっちょべちょだった服を着替えて洗濯係のメイドさんに嫌な顔をされ、傷ついた心の痛みを体の汚れごと熱めのシャワーでさっと洗い流し終わった後。
流石にそろそろアリアちゃんもお風呂終わってるだろーと若干気を抜きながら学園の自室に戻ってきたら、なんか事態が超展開を迎えていた。
「ごめんね、みーちゃん……。わたし、もう、生きていけない……。ううん、生きてちゃいけないの、わたしみたいな、いんらんな、めすぶた……」
可愛い女の子の待つ自室に帰ったと思ったら、なぜかその子が闇落ちした挙句に泣きながら死を切望してた件について。
ベッドも椅子もあるのに、わざわざ部屋の片隅で本棚と壁の間に挟まって体育座りしていたその子は、胸の中のみーちゃんが「ぎみゃー!! ふにゃ~!!!(はやまるなー!! 生きろ、生きるんだありあぁ~!!!)」と慰めながら叱咤するように猫パンチしてるのにも気づいていない様子で、ここではない彼方の世界へぼんやりとした瞳を向けている。
「いや、何がどうしてそうなった……?」
いったい、彼女がこの部屋に来てから今までの間に何が起きたというのか。まさか俺秘蔵のエロ本を見つけてしまって、そこに映るボン・キュッ・ボンな美女達と自分の貧相な体付きを比べた結果、ショックでこうなってしまった、というわけでもあるまい。
というか、もし秘蔵本を見つけられてしまったのなら、俺の方が死を決意してしまう事態になりかねない。なので頼む、どうかこの最悪の予想が外れていますように……!!
つか、せめて見られるならアリアちゃん似の女の子が載ったエロ本の方とかの方がよかった! 誤解してほしくないんだよ、俺の性癖はそっちなんだよ、なのにこの世界の風俗の主流は恵体の女性ばっかなんだよ!! おのれ異世界ッ……!!!
「え……」
俺の唐突な出現に脳の処理が追い付かなかったのか、アリアちゃんは魂のこもらぬ緩慢とした仕草で俺の方を向くと、ぱちぱちとまばたきを繰り返す。
その拍子に涙がこぼれてしまって、俺は思わず舌で舐め取りたいと思ってしまったけど、それより先に彼女の細すぎる腕を覆うだぼだぼローブが彼女の涙を吸い取った。チッ!
「……つか、あんまり目擦らない方がいいよ? 何があったか知らんけど、目元腫れちゃってるし……」
「………………ぇぅ………」
「あん……?」
ローブへの嫉妬心から負け惜しみみたいに指摘した俺に、アリアちゃん――アルアリアさんは掠れた声を返す。それは、何かの反論や台詞というわけではなく、ただの音としか呼べない代物だった。
それを不思議に思いつつも、転移ポイントであるベッドの上から「よっこいせ」とのろくさした仕草で降り、アリアちゃんの目の前にゆ~っくりと歩いていって、のんびりとした動作でしゃがみこむ。
なぜいちいちこんなに動きが遅いのか? それは単純に、アリアちゃんの反応次第でいつでもストップできるようにである。もしちょっとでも怖がるような気配があれば、俺はその場で自分に【時空停止】を施し銅像と化す所存。
だったんだけど、アリアちゃんは俺を怖がる様子がない。というかそもそも俺が目の前にいるのがわかっていないかのように半ば放心してる。なんでや。
「…………アリアちゃん?」
「……………………ひぃ」
ようやっと我に返ったアリアちゃんは、お尻を床につけたまま、ろくに動かない脚を懸命に動かし、俺以上にのろくさとした仕草でずりずりと俺から距離を取る。
だが、彼女の背後は壁である。横もまた壁と本棚であり、完全に袋小路に追い詰められた彼女は、壁に背中を埋め込もうと無駄な努力をしながら「ひあぁ」と悲鳴を上げて、頭を覆うフードを両手でぐいぐいと引っ張り顔を必死に隠す。
「…………………………」
一瞬、あまりに嗜虐心をくすぐるその姿に、思いきり「わっ!」と大声を上げて驚かせたくなってしまったが、彼女の胸の中のみーちゃんにじ~っと見つめられてることに気付いて自重した。
紳士な外面を保つことに成功した俺は、フード越しに彼女の頭をぽんと叩き、瞬時に【完全治癒の奇跡】を送り込む。
「…………ぁ………」
「おっと」
びくりと跳ねるアリアちゃんから数歩距離を取り、空の両手を振って無害アピールをしながらその場に腰を下ろす。これ以上近付きませんし手も出しませんよってことだ。
アリアちゃんは俺に見られていることに気付いて速攻でうつむくと、腕の中のみーちゃんとにらめっこしながら、フードで隠れた自らの目元をそっと手でなぞる。
「………………ぁ、…………り、…………」
そこにあったはずの腫れが引いたことがわかったんだろう。彼女は『ありがとう』と確かに口にして、極々僅かではあれどしっかり頭を下げた。
……さっきまでみーちゃんとは普通に喋っていたようだが、あの女性の言う通り、中々に人見知りをこじらせているご様子。
多少なりともおしゃべりして、勝手に彼女のことを少しはわかったような気になっていたが、よくよく考えてみれば、それは彼女の肉声ではなく、彼女が飛ばしてきた思念との会話だった。
人見知り、か。でも、きちんとお礼が言える良い子だし、なんなら許可なく勝手に魔術かけられたり拉致されたりしても怒らないくらいのすごく良い子だし、それに思念であれば多少の会話もオッケーだし、子猫のみーちゃんとはふつーに会話もできている。
そう考えると、俺からしたら何も問題は無いどころか、むしろ極めてポイント高い子だし、まともに人と会話できないという欠点も含めて『だからこそ愛らしい』とさえ思ってしまう。
……けれど、それはあくまで俺だからそう感じるってだけだ。
おそらく、この子くらいの極まった陰キャっぷりだと、俺以外の大抵の人にとっては眉を顰められるレベルだろう。あの女性もそう思ったからこそ、『騙し討ち』とやらに手を染めて、愛する娘に嫌われるリスクを負ってまで、人との関わり方を学ばせるためにこの学校へとやって来たんに違いない。
とはいえ、これでは人との関わり方云々どころか、早々に虐めのターゲットにされて逆効果に終わりそうだな……。
「…………あの、さ」
ふと。『頼んだよ』という、あの女性の去り際の一言を思い出す。
それを免罪符にする気はない。けれど、多少の勇気をもらって、俺は『恋が知りたいゼノディアス』らしく、極めて自分好みでお近づきになりたいこの少女に一歩踏み込むことを選んだ。
「……アリアちゃん――じゃなくって、アルアリアさんは、お母さんと一緒に、この学校来たんだって?」
「………………???」
そんな風に、会話のジャブとしてわかりきった確認事項について訊いてみたら、なんかおもっくそ不思議そうな顔をされて首を小さく横に振られた。え、嘘。
じゃあ、あの女と繰り広げたすったもんだは一体なんだったんだよ……と肩透かしされたような気になりながら、それでも全くの無関係ってことはないだろうと信じて言葉を重ねる。
「でも、きみの名前はアルアリアさんでいいんだよね? ………〈深淵の魔女〉の」
何を以てその二つ名を与えられたのかを知らない以上、あまり迂闊に口に出すと余計な騒動が起こる可能性が否定できない。魔女については婆さんからの聞きかじり以上の知識を持たない俺であっても、〈力有る魔女〉というのが普通の魔女以上にアンタッチャブルな存在であるというのは常識として知っている。
そう思って一際トーンを落として訊ねたのだが、アリアちゃん――アルアリアさんは、何の懸念も疑いもなさそうなあどけない仕草でこくこくと首を縦に振った。
けれど、すぐさまきょとんと首を傾げられてしまう。
「…………な、んで、…………わた、っ、こと……?」
「ああ、いや。だから、その情報を、きみのお母さんと名乗る人物から聞いたんだよ」
「…………?????」
うっわぁ、とんでもなく不思議そうな顔をなさっておられる……。フードに隠れていまいち表情は読み取れないものの、全身から全霊を以て疑問符の嵐を溢れ出させていらっしゃる……。
俺も少なからず疑問と、不安を抱いてしまったので、思わずみーちゃんに視線で助けを求めてしまう――が、なぜかみーちゃんは「うにゃっ!」と俺から顔を背けてわざとらしく知らんぷり。なぜだ。キミその反応、絶対なにか知ってるだろ。
助け舟も期待できない様子なので、事態が飲み込めていない二人で答えの分からない問答を続けるしかない。
「で、そのお母さん? ――あ、いやお母さんっていうのは自称で、最初はおばあちゃんとか名乗ってたんだっけかな……」
「………!!」
お、手応えあり? アルアリアさんの目がちょっと輝いたように見える。
「その人も、きみと同じく魔女で。あと、髪は白に近い桃色で……」
「………!」
「きみのことが大好きって口でも態度でも公言してて、反面、きみに近付くヤツにはほんともうマジで容赦しねぇって感じで聞く耳持たなくて……」
「………!!」
「あ。あと泣き声が『おろろろぉぉぉぉぉぉん』」
「そ、それ、おばあちゃん、です!!!」
めちゃめちゃ力強く断言されてしまった。え、判断基準そこなの? 初めて真っ当にアルアリアさんの可愛い肉声が聞けたというのに、なんか腑に落ちなくて素直に喜べないぞ……。
で、あの人結局お母さんじゃなくておばあちゃんなのか。これあれか、働き盛りの男が『俺なんてもうおじさんだから』って謙遜するようなものなのか?
でもあの女、謙遜なんて概念は宇宙の果てにブッ飛ばしてるような、傍若無人を金科玉条とするゴーイングマイウェイ星人ってイメージだったんだけど。
「…………っ、ぁ、ご、……め、さぃ……」
身を乗り出して常になく大声を出してしまったアルアリアさんは、それに気づいた様子でいそいそと戻っていって、しきりにフードの位置を気にしながら恥ずかしそうにしていた。
ちなみに、位置を直そうとするフリをしながら、ちろちろと俺の顔色を上目遣いで控えめに盗み見ている。
やがて、その様を眺めていた俺と、当然のごとく目が合って。
「…………ぇ、ぁ、……へへ」
それは、取り繕うような、ぎこちない愛想笑いだったけど。あまりにぎこちなくて、どことなく卑屈っぽくて、ちょっと引きつった笑い声だったけど。けれども確かに、彼女は俺に向かって笑いかけてくれた。
うむ。…………うむ。
「…………(アリアちゃん、やっぱり超かわゆぃ……)」
「え?」
「ん?」
口に出しかけた蕩けるほどの熱い思いを必死に押し留めていたら、なんか変な顔された。その姿に既視感を感じると思ったら、転移魔術で飛ばす直前もなんかこんな顔されたな。なんだろ、また虫でもいたの?
そういうのに敏感そうなみーちゃんに目を向けてみると、彼女はまた悪い虫を見るような目で俺を見て――はおらず、なんだかものすんごく疲弊しきった様子でぐんにゃりとしていた。
……もしかして、ずっとアリアちゃんに抱き締められっぱなしなせいでひどくお疲れなのだろうか?
………………。
「(そんなにお疲れなら、俺と場所代わってくれないかなぁ……。猫缶、めっちゃあげるぜ? 俺様権限でお猫様用のハイパーウルトラ高級猫まんまとかご提供しちゃうぜ?)」
「――うにゃっ!!? にゃおにゃおうにゃんにゃにゃ!!!(まじか!? それまじなのか!!? く、くくくく、くれっ!! いや、くださいなのよ!! それ、今日一日頑張ったあたしにごほうびとして高級ですーぱーでうるとらなそれちょうだいなのよ!!! ひゃっはー、きょうはおまつりなのよさー!!)」
「はっはっは!! そんな喜ばれると用意のし甲斐があるってもの――んんっ???」
「みにゃ? (ん? どしたの、しょーねん?)」
狂喜乱舞から一転してくりくりお目々で見つめてくるみーちゃんに、俺はまたしても思わず首を捻る。今のやりとりになんか違和感有った気がするんだけど、その違和感の正体がわからない。
なーんかこの感じ、義姉様と会話してるとちょいちょい感じるやつなんだけど、当たり前すぎて最近は九割方スルーしてたからなぁ……。いまいち正体が曖昧だ。
えーと。みーちゃんがあまりに喜んでくれるもんだから一瞬忘れたけど、
「(俺、そもそもなんでみーちゃんに猫缶あげようとしてたんだっけ……? 確かそれ、アリアちゃんに抱き締められたくて、場所を代わってもらう対価ってことで――え、それ流石に口に出してないよな?? いやそんなん当たり前だろ、もし口に出してたらただの変態じゃねぇか、俺にだってそれくらいの分別あるわ、当然だろい。大体、ただでさえ人見知りで苦労してそうなこの子にそんなオスの下劣極まる欲望直に吐き出して追い打ちかけるとかそんなんできるわけないし、もしうっかりそんな鬼畜外道な真似してたら俺もう自殺す)」
「っっっ、あっああああ、あああああ、あのっっっあのあのあのあのあのあのぉっっ!!!」
「お、おおう、おおぅ!?」
いきなりアリアちゃんがみーちゃんを放り出してがばっと飛び跳ねたと思ったら、彼女はベッドに落ちたみーちゃんが「にゃぷっ」と悲鳴を上げてるのも、勢い余ってフードがはずれちゃってるのも気付かず、全力で俺の両肩に手を置いて必死の形相でがっくんがっくん揺さぶってくる。
いや、体重差と腕力差ありすぎて全然揺さぶれてないんだけど、思わず呆気にとられちゃってアリアちゃんの望みのままに自ら揺れてる俺です。
「わっ、わた、し! おな、かっ、おなか、すいちゃったなぁ、ねこ、かん、たべたいな、って、そういうはなしを、ちょっと、みーちゃんと、ねっ、してて、だから、あの、ね!?」
「ん、あ、あぁ? あー、そうなの?」
「そう! だ、よ!! わたし、すごく、猫缶、食べ、ますっ!!!」
いや食うなよ。人間は人間用のご飯食べなよ。そんな腹減ってたのか……?
なんか知らんけどものすごく必至だし、みーちゃんもなんだかすごくはらはらした様子で見てくるし、じゃあ女の子にモテたくてたまらないゼノディアス君の取る道はひとつだね!!
「あー……、そういや、もう昼も結構過ぎてるもんな。そりゃ腹も減るか。いや、俺も食ってないからすごく腹減ったわ。腹ペコでおへそが背中に突き抜けたまであるね、このままだと致命傷だわ」
「……………………ぇっ、しぬ、の?」
「死にたくないの。だから、さ。とりあえず、一緒に飯でもどうよ? 俺を助けると思ってさ。な、アルアリアさん、みーちゃん」
デートじゃないよ? うん、デートじゃない。女の子と一緒にご飯食べにいくけれど、お腹が減ったから行くだけであって、それにみーちゃんだって一緒なのでこれは決してデートではない。
そう自分に必死に言い聞かせた童貞は、いきなりこんなこと言って断られるかもという恐怖を笑顔の裏にひた隠して、クールを装いながら彼女達の返答を待つ。
「……み、みゃぁ……? うなっふ(あ、ありあ、どうするぅ……? あたしぃ、しょーねんの熱いお誘い、こころよく受けてもいいと思うのぉ……)」
「………………。みーちゃんは、ご飯抜きね」
「みゃぁああ!!? (ありあぁあああああ!!?)」
なぜそんなことになったのか。お腹減ったと主張してたはずのみーちゃんに無慈悲な宣告を授けたアリアちゃんは、のたうつみーちゃんを無視して実に良い笑顔を俺に向けてきた。
が、そんな笑顔はすぐさまハッとした表情に塗りつぶされ、そんな顔すらも次の瞬間には被り直したフードの中へ押し込められてしまう。
ただ現状、座ってる俺と膝立ちのアリアちゃんという位置関係なので、アリアちゃんが隠したがっているかわいらしいご尊顔が下からちょっと覗けて眼福。それに顔だけじゃなくて、蠱惑的なおカラダもさっきまでより物理的に近い、し……、…………?
「………………え」
あることに気付いて、俺は絶句した。
この部屋に来た時からわかってたけど、アリアちゃんは今俺の服を着ている。元々そのつもりで『部屋のものは好きにしていい』と言ったのだから、そのことについて何か文句を言うつもりなどあるはずもないし、わざわざそこを深堀りするようなデリカシーの無いことも言うつもりもない。
でも。取り乱した彼女の、はだけたローブや、うっかり少しまくれたシャツの隙間から、垣間見えてしまった『それ』。
「………………………」
「…………ぁ、の……?」
「ああ、いや……」
黙り込んでしまった俺に、アリアちゃん……じゃなくてアルアリアさんが、躊躇いがちに不安そうな瞳を向けてくる。
この子――じゃなくって、彼女は、今年新入生予定だったってことは、十五歳、でいいんだよな……? つまり、この世界的に言うと、ちょうど成人は迎えてるわけだ。
そんなおとなの女性が、
「(いくら着替えがないからって、普通の顔して、『男の下着』なんて履けるものなのか……?)」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぃ、た、ぎ?」
「うん? どした、アリアちゃ――じゃなくって、アルアリアさん?」
急に固まって呆然と何事かを呟いた彼女は、ぎ、ぎ、ぎ、と油の切れたブリキ人形の如く軋みを挙げながらみーちゃんを見る。
そんな異様な雰囲気で唐突に見つめられて、みーちゃんはというと。
「………………みゃーう(やーい、ちじょ)」
「………………………………きゅう」
まるで世界の謎を偶然解き明かしてしまった探求者のような顔をしたアルアリアさんは、そのあまりにも予想外の真実に耐えかねたように、ふっと意識を失って倒れ込んだ。