十三話閑 国にとっての大恩人
来た時と同じように空の彼方へと去っていく面妖な男女を見送って。
ウェインバーは腰に手を当てて姿勢を崩し、剣を肩に担ぐと軽く息を吐いた。
「……ふん。どうやら、奴の言っていたことは本当らしいな」
感謝する、と口にしておきながら、実のところウェインバーはゼノディアスの話を鵜呑みにしていたわけではない。だから、礼を口にしたことの狙いは、それを受けた恩人の反応によって事の確証を得ることにあった。
そうして無事、欲しかったものを――或いは欲しくなかったものをかもしれないが――得てしまったウェインバーは、国王ヨルムをじろりと睨み付ける。
つい先ほどまで近衛兵を弾き飛ばさんばかりの勢いで怒り狂っていたはずのヨルムは、しかし、今はむしろ近衛達の陰に隠れるようにして挙動不審に目線を彷徨わせていた。
――ああ。本当に、全てはあの小僧から始まったのか。
欲しくはなかった確証が意図せず二倍になってしまって、ウェインバーは頭に重しが乗っかるような思いを抱きながら深々と溜息を吐いた。
「……ヨルム」
「な、なんだ!? 言っておくが、余が掠め取ったのではないぞ!! 小僧が悪目立ちするのを心配した過保護な女共が、周囲の目を逸らすために王家を利用したのだ!! 余はそれに乗っかったに過ぎない!!」
完全なる自白であった。唯一の救いは、主語がぼかされていたり意味深な言葉が多かったりするせいで、周囲の貴族達にはまだ真相がバレていないことくらいか。
……否。バレていない、というのはあまり正確ではないようだ。
どうやら、『まさか』という疑念を抱いた様子の者は、それを口にする前に前後左右の同胞から睨み付けられ、自らの抱いた疑念を即座に捨て去るか、胸の内に押し込むかしている様子。
その他にも、ごくごく少数ながら、何やら陛下以上に気まずげな態度でびくびくしている者達がいるが……、それはおそらく、以前から事の真相を知っていた者達だろう。知っていたのみならず、或いは積極的に隠蔽に加担さえしていたのかもしれない。
然もあらん。『真龍討伐』と『鉄道開発』という、今日の栄華を極めしアースベルム王家を語る上で絶対に欠かすことのできない、歴史上の如何なる大国も成し得なかった二大偉業。
横並びだった列強各国からこの国を一歩も二歩も上へと押し上げ、他の国々を睥睨することを赦す根拠となっている、『武』と『知』の両面における絶大過ぎる功績。
それがまさか、王家の手柄ではなかった?
そんな荒唐無稽なことは、口にするだけでそれこそ不敬罪に処されてもおかしくはないし、そもそも疑念を抱くことさえ億劫になるほどに『賢王ヨルムと言えば、真龍討伐と鉄道開発』という図式は既に万民に遍く浸透している。
その他にも数々の輝かしい功績を残している今代王家だが、その中でもやはり群を抜いているのは、やはりこの二つなのだ。
◆◇◆◇◆
出現しただけで即ち国家の終焉を意味し、事実、隣国を壊滅同然まで追いやった真龍。
それに対し、寡兵と万策、そして宝剣【アースベルム】を以て挑み、大した損害も出さずにものの見事に討滅せしめた、覇王ヨルム。
万の距離を一へと変えて、兵も人も物も区別なく国土全域へ巡らせることが可能な、『鉄道』なる代物。
その基幹部分となる、人類には早すぎる技術の結晶たる『魔導機関』を自ら開発し、のみならず、未知の概念にはありえないほど現実的な都市構造改革案を提示してみせた、賢者ヨルム。
龍すら討ち取る将軍にして、未来すら見通す発明家にして、王。このアースベルムに賢王ヨルムが有る限り、他の国々からの羨望と畏怖と称賛の声が聞こえない日は無い――と、そんな具合だ。
だが。ウェインバーは時折、この『絵に描いたような』アースベルム栄光記が、ヨルム主演の喜劇めいたものに思えてならなかった。
ヨルムは王族でありながら、子供の頃から、忠義の断罪剣一族『ハートレイ』をも唸らせるだけの剣の才を見せてはいた。
だが根性が無いためにろくに鍛錬もせず、かといって政務に精を出すでもなく、では何をしているかといえば、各国から取り寄せた珍妙としか言えない魔導具を弄ってはケタケタ笑い転げるばかり。
当時のヨルムを知るウェインバーからしてみれば、ただのうつけ者としか思えないはずのそんなエピソード。
けれどそれは、そのうつけ者が後に賢王と呼ばれる偉人となったという前提があるだけで、余人にとっては『成り上がりモノの偉人伝によくある導入』へと早変わりしてしまう。
かつてはヨルムをうつけ者と断じていたはずの他ならぬウェインバーでさえ、昨今では世間の皆と同じ感想を共有して、なんだかんだで苦笑いと共に密かに憧憬や称賛の念を抱いているフシが有った。
だが、やはりおかしい。あまりにも出来過ぎている気がしてならない。
幼い頃から剣の才を見せていれば、真龍を倒せるのか? 答えは否である。
いかな遺失秘跡の宝剣【アースベルム】を用いたとて、歴史上あらゆる攻城兵器や戦略級魔術、そして遺失秘跡を用いても傷一つ付けられなかったと言われる異次元の怪物相手に、どうこうできるとは思えない。
それこそ、この王城の堅牢強固な対物・対魔防壁を紙切れ扱いできるほどの人知を超えた圧倒的な力量が無ければ、勝利の糸口さえ見えては来ないだろう。
幼い頃から魔導具が好きだったら、魔導機関を作れるのか? 答えは否である。
その道の専門家である各分野の高名な学者や、やはりその道の専門家であるドワーフの職人連合が総力を挙げても、未だに『試験機』としてヨルムから提供されたサンプルの劣化コピーしか作れないほどなのだ。そんな存在する時代か世界を間違えたようなブラックボックスが、ただの魔道具愛好家の手によって作られたとは到底思えない。
最近では、用いられた理論の実演をしてくれないヨルムに見切りを付けて、巷で噂のなんとかという学者だか発明家だかを抱き込もうとしているらしい。……もしかしたら、専門家なだけあって、ヨルムが試験機の製作者ではないことに勘付いていたのだろうか?
◆◇◆◇◆
一つに気付けば、二つに気付く。二つに気付けば、三つに思い当たる。三つ思い当たれば、これまでの賢王ヨルムの功績の何もかもに疑念の種が芽生えてしまって、ウェインバーは思わずその問いを発しかけ――、けれどすんでのところで飲み込んだ。
自分は今、開けてはいけない扉の前に立っている気がする。
陛下はおろか、その裏にいるらしい女共や、あの小僧でさえも、それに民衆の悉くもおそらくは望んでいないであろう、その扉の開放。
それによって得られるのは、自己満足と、『絶望』の二文字、ただそれのみ。
――誰かの手柄を横取りすることは、きっと悪で。その事実を白日の下に晒すことは、きっと正義だろう。
だが、世の中そんなに綺麗に白黒はっきり分かれるものではない。自身は不正や謀略を嫌う気質のウェインバーだが、他者が行うグレーゾーンの存在を容認できる程度には、望むと望まざるとに関わらず酸い甘いをかみ分けて来ていた。
「…………ふん」
俺も堕ちたものだな、と自嘲の鼻息を漏らしながら、ウェインバーはずっと抜き身だった剣をようやく鞘へと納めた。
ちん、と軽やかに鳴り響いた金属音。それを合図としたかのように、ヨルムと、そしてヨルムに加担していたらしい一部の貴族たちが一様に『ニヤリ……』と悪い笑みを浮かべて、揉み手擦り手しながら擦り寄ってきた。
――どうやら、王家の恥部を知る仲間として認定されたらしい。
そう気付いたウェインバーは、嫌な顔をして若干身体を引きつつも、思わず苦笑めいたものが口の端に浮かぶのを抑えることができなかった。
以前まで抱いていた懸念とはまた別の頭痛の種が突拍子も無い所から出て来てしまったようだが、少なくとも、それを理由に古い友をこの手で斬るといったことはせずに済みそうだ。それに加えて、今回の議題であったヴォルグの死も、無事に無かったことにしてもらえるという。
結果として今の気分は、トータルでそこそこプラスと言ったところか。あくまでトータルで、あくまでそこそこ。ゆえに苦笑。
……だったのだが。次の瞬間、突如入り口の大扉を『ちょばーん!』と開けて堂々と入来してきた若者を見て、ウェインバーは思いっきり顔がシワシワになるほどくしゃっと渋面を作った。
「はっはっは!! 頭が高いぞ愚民ども!!! 次期国王陛下であらせられる、このリオルド王太子様の御成りであーるっ!!! ひかえおろー、ひかえおろぉー!!!!」
まだ呼んでもいないというのに勝手に乗り込んできた第一王子リオルドは、ウェインバーの『身支度しておけ』という指示をどう受け取ったのか、何やらキンキラキンに輝き散らす黄金の衣服とアクセサリーをじゃらじゃら言わせる出で立ちをこれ見よがしに披露しながら、盛大すぎるドヤ顔をキメていた。
思わずリオルド以外の全員が顔をくしゃっとさせる中、ウェインバーは心底思った。
――ありがとう、魔女機関。ありがとう、小僧。ヴォルグ殿下の事、何卒よろしく頼むぞ……!!




