六話 フリーダムおばあちゃん
「…………よし、っと。まあ、ざっとこんなもんかな?」
人類の秘宝である神秘の聖水を、そこそこの時間をかけて決して人目につかぬ地の奥深くへと入念に封印し。一仕事終えた俺は、放置していたブレザーを肩に引っ掛けて、あの少女が待っているであろう自室へ転移しようとする。
が、いまいち踏ん切りがつかない。あれから結構な時間が経っているはずだが、もしあの女の子――アリアがまだ入浴中だったら、たとえ鍵のかかる扉越しとはいえ、同じ部屋の中によく知らない男がいるというのは落ち着かないだろう。
かといって、いつまでも俺が帰って来ないと、それはそれであの子もどうしたらいいのかわからず困ってしまう。あそこが学園寮の一室だというのは間取りを見れば一目瞭然だが、よく考えてみればアリアがローブの下に纏っていたのは制服ではなくワンピース。
もしかしたら、用事があってたまたま来訪しただけの部外者で、自分が跳ばされた場所が寮の一室であるとわかっていない可能性がある。
……ていうかそもそも、いくら助けるためとはいえ、初対面の女の子をろくに説明もなしに自分の部屋に連れ込むのって、普通にアウトでは?
ないとは思うが、訴えられたら普通にブタ箱行きな案件だろう。
「……やべぇな。とりあえず、急いで弁解しに行かない、と……?」
言葉とは裏腹に、ついつい問題を先送りするための理由を探していた俺の耳に、その時どこからともなく奇妙な擦過音が聞こえてきた。
ずるり……ずるり……、と、地を這うように響いてくる、どこか水っぽい生々しさを含んだ、何かを引き摺るようなその音。
無人の校舎の方から反響してきた小さなそれは、ゆっくりと、しかし着実に、さながら原初の混沌の如き暗黒の空気を滲ませながらこちらへと這い寄って来ている……。
唐突にホラー映画でも始まったのかな? と呑気なことを思いつつ、しかし身体は未知との遭遇戦に備えてギアをひとつ――否、ふたつ程度上げておく。
そうして、我知らず嫌な汗を流しながら、本能的な恐怖に抗って、混沌の主を待つこと暫し。
よく考えたらべつに待つ必要ないしもう逃げちゃおと考えを改めた、まさにその瞬間。臆病風に吹かれた俺を嘲笑うかのように、無人の校舎の暗闇の中から、まるで早回しのような奇っ怪極まる動きでその女は躍り出てきた。
「――キシャアアアアアアアアアアアア!!!」
「ガチで貞○!!?」
○子も裸足で逃げ出すレベルで、深海の海藻のように濡れた長髪を振り乱しながら、女郎蜘蛛の如く関節のイカれた四つん這いで飛び掛かってくる謎の女。
そこそこ色んな怪物達と対峙してきたと自負する俺でさえ玉ひゅん不可避な、あまりにおぞましきそのゲテモノに伸し掛かられて、恐怖で動けなかった俺はまるで生娘のように「あひィ!?」という甲高い悲鳴を上げながらもんどり打って倒れ込む。
「おろろろろぉぉぉぉん………おろろろろぉぉォォォォォンンン……!!」
「怖っ!? なにその未だかつて聞いたことのない謎の鳴き声!! こ、こら、離せっ離せぇ――いやなに人のシャツで鼻かんでんのお前!!?」
「ぶびーっ!! じゅるるっじゅるるる……。…………おろろぉぉぉぉん、ひっく、おろろぉぉぉぉぉぉぉぉん……!!!」
マドモアゼルの尿に塗れていた俺のシャツに、更に未知の生物の体液が滝のように擦り付けられる。それは鼻水であったり、汗であったり、そして――滂沱と流れるとめどない涙であったり。
「…………え、もしかして、あんた泣いてんの……?」
「ひっく、うぃっく……、ぐすっ、うぇぇぇぇえええええん……!!」
「ああもう、泣くなよ……。よくわからんけど、元気出せ?」
「っく、うぇぇ、うぇぇぇぇえぇぇぇ………」
落ち着いて見てみれば、ひどく取り乱して憔悴しきってるだけの普通の女性であることが判明したので、ひとまず軽く抱きしめるようにして優しく背中をさすってあげた。ちなみに、もったいないことではあるが、この状況ではさすがに性的な下心なんぞ欠片も湧いて来やしない。
「よーしよしよし、よしよし、おーよしよしよし……」
「……ひっく、…………ヒック……、………っ……」
在りし日のムツゴ○ウ先生をイメージしながら女性の背中と髪の毛をわしゃわしゃ優しくかき混ぜていると、やがて少しずつ彼女の嗚咽が小さくなっていく。
この手に抱いた彼女の、ごわごわしたローブ越しに感じる華奢な肩の震えが収まってきた頃。わしゃわしゃを徐々にフェードアウトさせた俺は、俺や彼女自身のせいで乱れた髪を手漉きで軽く整えてあげて、最後に彼女の背中をあやすようにぽんぽんと叩いてそっと身を離した。
「……どうです? 落ち着きましたか?」
うつむいてへたりこんでいる彼女の顔を軽く覗き込み、優しい響きになるよう努めながら問いかける。
――思ったよりも、ずっと若く、綺麗な女性だ。心神耗弱状態で髪の毛振り乱して泣き喚いてた頃にはまったく想像もできなかったほどの、わりと正統派の美女である。
年の頃は二十代前半か、それより若干幼い程度。毛先が軽くウェーブした桃色の髪は、まるで乙女ゲーの主人公のごとき非現実な特別感にあふれている。
本来、己の意思で未来を切り開く力強さを秘めていそうな吊り目がちの目元も、どことなくメインヒロインちゃんの風格だ。
けれど、もしこの女性が本当にメインヒロインちゃんだったのだとしたら、かつて繰り広げられた彼女の恋物語は、きっと、救いのないバッドエンドで終わってしまったのだろう。
激しい嗚咽から一転し、今はただ、焦点の合わない瞳を地面に落として。すぐ目の前にいる俺のことすら見えていない様子のまま、彼女はうわ言のように、もう届かない愛しい誰かの名を呼んだ。
「……………ありあぁ……。……どこ、いっちゃったのぉ………」
………? ん? え、アリア?
「………アリアって、もしかして、貴女と似たような魔女っぽいローブ着た、ちっちゃくて細っこくて気の弱そうな、従魔の黒猫連れてる女の子――」
「ありあ、知ってるの!!?」
まるで地獄の中で燦然と輝く蜘蛛の糸を見つけたかのように、彼女はがばっと顔を上げてキラキラした目で俺を見る。
「やっぱり、ありあここに居たんだ!! だって、このあたりからあの子の匂いするもん!!」
………。それはもしや、俺がこの地に封印した秘法のこと――じゃなくて、普通にアリアちゃんの残り香のことを言っているのだろう。
犬? この人、犬なの? いったいどんだけ鋭い嗅覚してんだよ。
「どこ!? ありあ、どこにいる!!?」
「ああ、えーと、今はちょっと……、…………じ、実は、俺の部屋にいたりなんかしちゃったり――」
「キシャアアアアアアアアアアアア!!!!」
弁解すら赦されずにおもっくそ飛び掛かられ、間一髪で傾けた首の頸動脈付近で彼女の牙が『ガチィン!!』と金属めいた音を鳴らす。躊躇なく速攻タマ取りに来たぞこの女、これじゃ乙女ゲーの主人公じゃなくて百合ゲーのヤンデレヒロインじゃねえか!!
あまりの気迫と体躯に見合わぬ怪力に押し負け、地面に押し倒される俺。身体強化魔術まで使ってわりと本気で抵抗しているのに、目の前の彼女もそれは同様のようで、独特の陽炎めいた可視化された魔力が俺と彼女の身体から立ち上る。
唐突に始まった魔術勝負。その軍配が上がったのは、泣く子も黙る人類最高戦力の一角である【竜殺し】の方――ではなく、何の変哲もない一般人女性であるはずの、華奢で細腕な彼女の方だった。
そしてその矛盾した力関係は、人工チートの自覚のある俺がとうとう本腰入れて全力全開の魔力を開放しても、決して覆る気配がない。
――ありえない。
ありえない、が。このあらゆる人類の努力を嘲笑いながら飛び越えていくような理不尽さと、彼女が身に纏う『魔女っぽいローブ』への既視感から、すぐさまこのありえない存在の正体について思い当たる。
そしてだからこそ、俺は心底ありえないと驚愕した。
「くっ、そ……!? こいつ、まさか本物の【魔女】かよ……!!」
人間種族から稀に発生する、ただただひたすらに魔力の運用のみに特化した、突然変異の特殊個体――通称【魔女】。
元々魔力や魔術は男性よりも女性の方が扱いに優れているものだが、魔女の場合は『魔術の扱いに優れる』などというレベルではなく、『存在そのものが魔術』と言っていい域にある。
常人の数十倍、時には数百倍の量と密度を誇る反則としか呼べない理外の魔力にものを言わせて、身体や物理の壁を超越し己の意思や望みのままにあらゆる法則を捻じ曲げる。そんな異世界産チートと呼ぶべき存在が魔女である。
世が世なら、魔王とさえ呼ばれていた、全人類共通の敵であるラスボス的存在。
だが今では、超越者たる彼女『達』を統括・運用する【魔女機関】なるものが存在し、そこから魔女が各国へと派遣されることで国家間の軍事的抑止力としての機能を担い、この世の誰よりも世界平和に貢献するというおかしな話になっている。
つまりは、この世界における【核兵器】。
間違っても、血煙たなびく戦場でもない、こんな平和な学校の中庭なんかをほっつき歩いてていい存在ではない。
の、だが。理不尽の塊である魔女にそんな道理を説いても無駄なのだということは、ほかならぬ魔女である知り合いの婆さんに嫌と言うほど味わわされている。
転生後の人生で、野生のラスボスとエンカウントするのは、これで二度目。ともなれば、見た目による初見殺しで前回の二の舞を演じた後とはいえ、ここから劣勢を巻き返す手立てのいくつかには心当たりはある。
――が。彼女の見た目のせいで殺る気になれない俺と同様に、彼女の方もまた俺の見た目に何か感じるものがあった様子で、見つめ合う俺達の身体から徐々に魔術の光が収まっていく。
「………………おまえ……」
「な、なんだよ」
美女に伸し掛かられたまま間近でじ〜っと見つめられ、思わずキョドって目を逸らす童貞。
そんな俺の情けない姿を前に、彼女は嗤うことなく、少し驚いたような顔で詰め寄ってくる。
「……おまえ――、いや、あんた。名前は?」
「………ゼノ、ディアス、だけど――」
「やっぱり!!」
何がやっぱりなのかは知らないが、一人で勝手に納得して勝手に満面の笑みになった彼女は、俺の上から退くとぺたんと女の子座りして心底安堵したように長い溜息を漏らす。
「まあぁぁぁったくぅ………。なんだいなんだい、あんたも人が悪いねぇ。大概ふざけた存在のあんたのことだ、どーやってだか知らないけど、あの子があたしの関係者だって見抜いて保護してくれたんだろ? だったら最初っからそう言えってんだよ、紛らわしい!」
「………え? ……えっと、すみません、何の話です……?」
「……? あーん?」
当然すぎる疑問を口にする俺に、彼女はまるで『おまえこそ何言ってんの?』と言わんばかりの呆れ顔でメンチ切ってくる。イラッ。
「………なんだい、あんた、まさかあたしの顔を忘れちまったってのかい? はっっっっっくじょーな奴だねぇ………。じゃー、なーんであんたにとって縁もゆかりもないはずのアリアを保護なんてしてんのさ?」
「いや、保護とかじゃなくて、成り行きで部屋に上げることになっただけで……。ていうか、あんたもしかして、本当に俺の知り合い……だったり、するの? ……あんた、確実に【魔女】だよな? 悪いけど、魔女の知り合いなんて〈晴嵐の魔女〉ナーヴェってしわくちゃ婆さんくらいしか心当たりないんだけど……」
「………………はぁぁぁぁぁん??」
困惑しきりな俺ほどではないけれど、ここに至って彼女の顔にも疑問の色が浮かび上がる。ようやく人違いに気付いてくれたんだろうけど、反応がいちいちムカつくなおい。この、人を小馬鹿にしないと済まない感じ、あの婆さんにそっくりなんだけど、魔女ってみんなこうなの?
………………。
「……ちなみになんだけど、もしかしてアリアちゃんも魔女だったりする?」
そういやアリアちゃんの着ていたローブの意匠って……と唐突に思い当たってしまい、まさかなーと思いつつ口に出してみる。
そしたら、なんか自分の顔をぺたぺた触って得心顔になってた女性が、一瞬疑問符を浮かべながらもそのままうんうんと頷いた。
「あぁ? ああ、あの子もあたしと同じで、機関所属のれっきとした魔女だよ。〈深淵の魔女〉アルアリアだ。それがどうかしたかい? てかあんたの服、なんかションベン臭くない? うわぁ、おもいっきり鼻かんじまったじゃないか! 勘弁しておくれよ、ばっちぃねぇ!!」
「ばっちぃのは貴様じゃい。まず出会い頭にヒトの服で鼻かむなや――って、〈深淵の魔女〉……?」
ただの魔女というだけでも驚きなのに、二つ名持ち。ということは、アリアちゃんはラスボスひしめく魔女界隈の中でも特別な功績と名を上げた、いわゆる〈力有る魔女〉と呼ばれる存在ということになる。
本来抑止力でしかない魔女だが、その力を発揮する機会にひとたび恵まれてしまえば、それは確実に世界の歴史に名を刻む事態に発展する。
婆さんの〈晴嵐の魔女〉というのも、昔どこかの大国同士の戦争に一方の戦力として派遣された際、相手国に所属していた英雄諸共『両軍を』吹き飛ばして結果的に戦争を終わらせたという、まさに青天の嵐としか言いようがないデタラメすぎる戦果によって付けられたものだ。
その戦いは当然当時を新聞を大いに賑わせたことだろうし、今に残る歴史書や戦術書の中にも、扱いの差はあれど大抵記されている。
主に、『あらゆる戦術も希代の英雄も、ひとりの〈力有る魔女〉の前には鼻くそ同然』という教訓として。
十五歳にも満たないような年齢で、若くしてそんな力有る魔女の一人に数えられ、しかもあざなが〈深淵〉。アリアちゃんって、あんなあどけない顔して一体どんな物騒な過去をお持ちなんです……? 婆さんの例を鑑みると、ちょっと怖くてその深淵を覗く勇気が出てこない……。
「……あの、俺については結局あなたの勘違いか人違いだと思うんですけど、貴女一応アリアちゃんの知り合いなんですよね?」
本当に聞きたいこととは別の、とはいってもこれも一応聞きたかったことだけど、確認すべき事項について質問してみる。
「あー、んんー? あーうん、面白そうだから、あたしはあんたとは初対面ってことにするわ。あとアリアはあたしの……義理の、孫? いや義理の娘、いやいや、ここはせっかくだから実の娘って設定にしちまおうかねェ!! ひーっひっひっヒッヒ!!」
「しちまうんじゃねぇよ、設定とか言ってる時点で嘘確定じゃねえか」
「細っっっかい男だねぇ……。あんたみたいな器の小さい男は、どうせナニもお子様ウィンナーみたいに小さいんだろうね。哀れな男だよまったく」
「あんたいちいち人を小馬鹿にしないと会話できない星の人なの? 今確信したわ、あんた絶対あのババァの同類だわ。そして絶対アリアちゃんとは血繋がってねーわ」
「血の繋がりがなんぼのもんじゃい!! あの子はあたしのかわいい娘だよ!!!」
「え、ご、ごめん……」
思いの外ガチギレされてしまって、俺は素直に頭を下げた。どうやらこの人とアリアちゃんの間には複雑なご家庭事情がある模様。知らなかったとはいえ、人様のそういう柔らかい部分に無遠慮に突っ込んだのはさすがにまずかったな……。
更にまずいことに、この女性に血の繋がりすらものともしない深い愛情を注がれてる無垢なあの子は、今俺の部屋でシャワー浴びてるんだぜ……。フフフ、色んな意味で冷や汗吹き出てケツがふやけてきてくそヤバぁい……。
「で、あたしはあの子のおばあちゃんならぬお母さんなわけなんだけど、あんたはあの子の何なのさ? ……あたしの名前出してだまくらかしたんじゃないんなら、何がどーなって、人見知りこじらせてるあの子が初対面の男の部屋に上がりこむ展開になるんだい? 正直、とんと見当もつかないんだけど」
「い、いやぁ、そこはほらあれですよ、運命の出会いというか星の導きというか、まあぶっちゃけアリアちゃんが上がり込んだんじゃなくて俺がろくに説明もしないままにあの子を魔術で強制的に拉致――」
「キシャアアアアアアアァァァァ!!!!!」
「でっでででででもそれはちゃんとやむを得ないした事情があってのことだし!? それにあの子を先に転送した後は俺だけ諸事情でここに残ってたので、まだあの子の待つ俺の部屋には一度も帰れてねえので当然手出しなんてできてねえんすよ!! なのでセーフ! 余裕でセーフっ!!」
「……キシャアアァァァ……? …………それ、本当だろうね? もし嘘だったら、おまえから抉り出した脳髄を薬漬けにしてあたしの気の済むまで痛みと苦しみだけを魂に刻み込んでやるからね、永遠に」
「せめてもうちょっとマイルドな脅しでよくない…? 俺、なんで親切心で女の子助けただけで、そんな目を覆わずにはいられない悲惨な生き地獄に落とされるんです……?」
「む……」
牙を剥かれてビクビクしながらも言葉を重ねた甲斐有って、過保護すぎる御母堂様をどうにか押し黙らせることに成功。ただ心から納得したわけでもないようで、睨めつけてくる彼女の瞳から猜疑の色が消えることはない。
……いや、そりゃあ、かわいい愛娘をよく知らない男に拉致られたとあっては、御母堂様も気が気でないというのは理解できるんだけどさぁ……。俺も、よくよく考えればもっといくらでもやりようあったなって思うし。
「………………」
――ぶっちゃけ。この手の、親切だと思って行ったことに対して、思ったように報いてはもらえなかった、っていう事態は、さほど珍しいことでもない。
前世でも、そしてそれ以上に、今世でも。
この世界に生まれてこの方、自分磨きと称して各地で善行や独善を強引に押し付けてきた俺だ。おまけに、本当に良かれと思ってやっているならまだいいが、俺の根底にあるのはいつだって、女の子にモテたいだとか、そのために評判を上げようとかだとか、そんな不純度100%の浅くてあさましい行動理念。やり方と地頭の拙さもあって、むしろ善意を素直に受け止められたことの方が少ない。
盗賊から助けた女性に、暴漢と一緒くたにされて罵られながらビンタ喰らい、彼女に味方した村人達になぜか賠償金をせびられるだどか。迷宮の奥地で遭難してた女の子を助けたら、彼女に懸想してた男にありもしないゴシップを流されて、気づけばなぜか俺を当て馬にしてその二人がくっついていただとか。
転生してからこの方、柄にもなく他者と積極的に関わろうとしてきた代償として、そういうやることなすこと裏目みたいな失敗は腐るほど積み上げてきている。
……そして。救いのないことに。そういう経験が豊富だからといって、俺のやり方がうまくなることはいつまで経ってもなかったし、心が打たれ強くなるということも、ついぞなかった。
「……いっそ……」
――いっそ。今回も、こんなふうに疑われて嫌な思いをするくらいなら、最初からあの子を助けなければよかったのか。
「いっそ、あんたも俺の部屋に来るか? 無事なアリアちゃんの姿を見れば、俺の身の潔白は一目瞭然だろうし。そんで、それが確認できたら、改めて俺があの子とお近づきになるのを許しておくれ」
そう軽薄に笑いながら吐いてみせた言葉が、心と乖離して上滑りするのを感じる。それでも俺は、これまで血反吐を吐きながら築き上げてきた『ゼノディアス』を貫き続けることしかできない。
かわいい女の子と、仲良くなりたい。そしていつかは、その子と恋仲になってみたい。
たとえ、それが叶わぬ願いであると既に諦めていたとしても、ほんの少しでも物理的に可能性がある限り、俺は今後もありもしない幻想を夢見て無駄な努力を続けていくのだ。
死ぬまで、ずっと。
「…………あんた、……なんで……」
「うん?」
猜疑から神妙へと顔色を変えて何事かを訊こうとしてくる彼女に、俺は口元を笑みの形に歪めながら首を軽く傾けてみせる。
彼女は暫し、どこか義姉様を思わせるような不思議な色合いの双眸で俺をまじまじと見つめると、やがて白けたとばかりに投げやりな溜息を吐いて盛大に脱力した。
「……はぁん。ま、あんたがそこまで言うんなら、ここは寛大な心で信じてあげようかねぇ。……わざわざあんたの部屋行くのもめんどくさいし、暗くなる前にあの子を返してくれるって約束するんなら、後はあんたの好きにするがいいさ」
「……いいのか?」
「それを訊く相手は、あたしじゃなくてあの子だよ。……ああ、あたしが許可出したとか、そういう話はするんじゃないよ? この件について、あたしは基本的にノータッチでいかせてもらおうか」
それはつまり、余計な茶々は入れないが当然手助けなんてする気もないので、当人同士の判断で勝手に関係を育めということ。
それは普通のことと言えば普通のことだが、先程までの過保護っぷりから考えるととんでもない譲歩だ。一体何が彼女の心変わりを促したのか――
「――さって。そんじゃ、あたしはそろそろ行くとするかねぇ」
俺同様に長いこと地べたに座り込んでいた彼女が、ローブや服についた土や草をぱんぱんと払って立ち上がる。その拍子に、俺の服から伝染したおしっこ臭がふわりと舞って、彼女の顔を顰めさせた。
「そういやあんた、なんでこんな臭いんだい? まさか、ヘソからしっこ吐き出したのかえ?? うっわ、怖ぁ……」
「なわけあるかい!! ……これはなんていうか、まあ色々あって、黒猫のマドモアゼルを抱いてた時に、ちょこっと、ね?」
「じゃあ、アリアのしっこの匂いまで染み付いてるのはどういうわけさ?」
「……………。乙女の尊厳のために黙秘します」
なぜしっこバレた。完全にしらを切ろうかとも考えたけど、犬顔負けの嗅覚とかヤンデレの勘で既にある程度の確信を得ている様子なので、肝心要の『おもらしした』という部分だけでも隠匿すべく黙秘権を行使する。
でも、うまく誤魔化せた気がしない。わざわざ乙女の尊厳とか付けたのは悪手だったかな……?
「ん」
「え?」
立った彼女に手を差し出され、思わず疑問符を浮かべる。だが、すぐに意図を察して俺は彼女の手を握り返した。
気遣いすぎて力を込められない俺の手を、気遣いの感じられない彼女の無遠慮な手がぐいっと引っ張り上げ、一本釣りされるマグロのように無理矢理立ち上がらされる。
自分から求めてきたくせに投げ捨てるように握手を解消した彼女は、ぶすっとむくれた顔で拗ねるように唇を尖らせた。
「やっぱり、あんたはあの子を助けてくれたんじゃないか……。最初っから素直にあたしの言ったことに同意しとけば、面倒な勘違いもしないで済んだってのに……」
「……いや、俺があんたと前からの知り合いっぽいっていう部分は、未だに同意できないぞ? ……てか、なんでいきなり俺がアリアちゃんを助けたと信じる?」
「これだけ散々ヒント出されりゃ、流石に何があったのか丸わかりだっての。………使い魔との行き過ぎた同調がもたらす悲劇ってのは、まぁ、魔女なら誰もが通る道だしねぇ……」
「え? じゃああんたも人前でおもらしゴベフッ!!?」
「答え言っちまってるじゃないか、バカタレ!! どうせ庇うなら最後まで貫きな!! まったく、まったくッ!」
いやそれ口で注意すればよくない? 無駄に震脚の利いた外門頂肘でヒトの肋骨を貫く必要がどこにあったの? 今の絶対、自分の恥ずかしい過去を抉られた恨みも乗ってたでしょ……。
恨みがましい目で睨め付ける俺から目を逸らし、ついでにくるりと背を向けた彼女は、そのまゆっくりと何処かへ歩を進める。
「とにかく。事情はわかったから、あの子には『女子寮の、あんたの部屋で待ってる』とだけ伝えておくれ」
「ああ、やっぱりアリアちゃんもここの生徒ってことでよかったの? ……もしかして、新入生?」
「……そうなればいいと、あたしは思ってたんだけどねぇ……。……人間嫌いなあの子を騙し討ちでここまで連れて来て、そんで結局泣いて逃げられちまったからさ。もし本当にこれ以上嫌がるようだったら、大人しく一緒にクニに帰るとするよ」
「…………ん……、そうか」
アリアちゃんと、この女性の置かれた状況をすっかり理解してしまって、俺はなんとも言えず曖昧に頷いた。これも家庭の事情ってやつの領分だろう。少なくとも、赤の他人が知ったかぶって口出ししていい話じゃない。
――それなのに。
「だから、頼んだよ」
彼女はなぜか、小憎らしい苦笑を浮かべながら、最後にそんな言葉を残していった。