九話 かわいいには勝てない
恋人ごっこというか親鳥と雛鳥ごっこに興じていた俺とアリアちゃんだけど、その様子に気付いた御母堂様に速攻で雛鳥アリアちゃんを奪われてしまったので、仕方なく普通にお食事開始である。
まるで俺に見せつけるように、御母堂様が自らの膝の上のアリアちゃんにでれっでれの笑顔でせっせとすき焼き食わせてる。しかし、肝心のアリアちゃんはちょっと不満げなお顔で御母堂様と――そして俺を見ていた。
うん。まあ、うん。さっきまであんなに可愛く笑っていてくれてたアリアちゃんがそんなお顔になっちゃった以上、思いの外俺のお膝の上を気に入ってくれてたんだろうな、というのは、ネガティバーな俺でも流石にちょこっとだけわかる。
けれど、すまぬ、アリア姫。いつの世も、婿というのは嫁の母には勝てぬサダメなのだ……。いやまだ婿でも嫁でもないけどね? でも気持ちの上では既にアリア姫は俺のお嫁さんですのでね、うふふっ♡
「…………ぜのせんぱいの、ばーか……」
アリアちゃんが鍋の具以外のものでほっぺたを膨らませながら何か仰ってるご様子でしたが、たまに鈍感系主人公になることができる俺は任意で難聴を発動して何も聞こえなかったことにして目を逸らしました。
そのついでに、空席となったお膝の上に乗せるのに実に丁度良いであろう愛しのお猫様の姿を探してみれば。
俺とは鍋を挟んで対面側の席で、焔髪さんのお膝の上ですっかり甲斐甲斐しくお世話されてるみーちゃんの姿があった。
「なぁふっ、なふ(熱っ、あふ、あちっ、はふ、はふ)」
「む……、すまん、まだ冷まし足りなかったか? ふーっ、ふーっ。………ほら、これでどうだ?」
一度はみーちゃんの口から器へと取り落とされてしまった肉のひときれを、焔髪さんは文句も言わず汚いとさえ思っている様子もなく、息を吹きかけて冷ましてあげてから、自分が食べるのに使っていたフォークでみーちゃんの口の前へと差し出し直す。
それに「みぃう!」ととっても素直に笑顔でお礼を言ったみーちゃんは、再度ぱくっと食らいついて、また熱い熱いとはふはふ言いつつも、今度こそきちんと嚥下して満足そうな吐息を漏らした。
「うみゃーぅ!! みゃおーう!!(美味ぁーい!! ありがとー、りんでっ!!)」
「ふふっ、どういたしまして。……ああ、しかし、中々塩気の強い料理だが大丈夫なのか? いくらアルアリアの従魔となったとはいえ、あくまできみの身体は子猫だろう?」
「みゃあう、みぃ。みぃー、みっ!(さすがにあんまり良くはないけど、死ぬほどのこっちゃないわよ。それに、身体に悪いものほどヤミツキになるってね!)」
「フッ。なるほど、道理だ」
ニヤリと笑って悪いこと言うみーちゃんに、焔髪さんもいつの間にか持ち込みで用意していたワイングラスを傾けつつニヤリと笑う。
キミ達、一体いつからそんなに仲良くなったの? いや、俺が知らないだけでべつに今日が初対面ってわけでもないのかもな。みーちゃん、一時的にアリアちゃんの元を離れて魔女機関とのメッセンジャーみたいなことやってたし。
で、御母堂様やみーちゃんを経由して、今日俺を呼び出した張本人――と同じ名前のエルエスタは今どうしているのかと思い、ほんのちょっとだけ離れたお誕生日席に目を向けてみる。
するとそこには、他の百合カップルの輪からあぶれ、一人寂しく書類片手に大盛りの小皿つついてはふはふ言ってるぼっち飯少女有り。
本人は全く気にしてなさそうなあたりが尚哀れを誘うその姿。もはや、完全に周囲や男の目を気にしなくなって久しい、仕事が恋人な独身女の様相である。
せっかく認識阻害の外套も脱いでくれて、予想以上よりさらに極上の可愛いすぎるお顔と、妙にエロいドレス風ローブに包まれた魅惑のおカラダを見せてくれているというのに、なんかもう俺の胸中に湧いてくる気持ちは『かわいい』よりも『かわいそう』の方が完璧に勝ってしまっていた。
「…………ん? なによ、しょーねん。あんまりお食事中のお姉様の口元をまじまじと見るものじゃないわよ。ま、私のあまりにかわいすぎるお顔に見とれちゃうのはわかるんだけどさぁ、それでも時と場合とマナーってものがあると思わない? まったく、これだから思春期の男子って節操無しでイヤよねぇ、まったく、まったく!」
「かわいい云々は俺の負け確定だから敢えてノーコメントにさせていただくとして、お前それ誰目線で思春期男子を語っとんねん。魔女は生まれながらにしてろくに男を男に見れない業の持ち主とかほざいてたくせして」
「私自身はそうでもないよ? 自慢じゃないけど、これでも歴代最弱の総帥代行様ですからねっ! まあさすがに『つがい』にしたいとも交わりたいとも微塵も思わないけど、男が喋る生肉にしか見えないってほどには極まってないかな」
極めると喋る生肉にしか見えないのかよ……。それ、だいぶホラーで末期な景色だよなぁ……。
生まれた時からそんな世界で生きてきたんなら、なんかちょっと可哀想すぎて、やっぱり多少倫理観に難が有るくらいは余裕で許せてしまう。
人間を魔力袋呼ばわりして無駄に惨殺して回って心臓抉り出して食うようなキ○ガイでないなら、まあ、やっぱ許容範囲だな。
つーかそもそも、許せるとか許容範囲とか上から目線で言えるほど、俺自身上等な倫理観してねーし。でもひとつだけ、ごはん係のしょーねんとしてのプライドにかけて言っておきたいことはある。
「………じゃあもう俺はマナーのなってないいやらしい男子ってことでいいけど、マナーって言うなら、そっちこそ飯食いながら仕事すんなよ。俺が丹精込めて作った料理だぞ、もっと真剣に味わっておくれ。あと人と話す時は、書類じゃなくてきちんと相手の顔を見なさい」
「とか言って、実際私がそっち見ると速攻顔赤くして目逸らしちゃうくせに。やーい、どーてー」
「………………………」
一瞬にして『女の子にどーてーってなじられるの凄く興奮しますね』『じゃあそういうお前は経験あるのかよ』『お前の顔がマジでありえないほどに可愛かったのが悪い、俺は悪くない』等の台詞が俺の脳内を埋め尽くしたけど、どれを選択しても盛大に自傷ダメージくらうので敢えて無言を選択しました。
代わりに、ひたすら恨めしい目で睨みつけてやろうとしたんだけど、ものの十秒もしないうちにやっぱりエルエスタの素顔の可愛さにやられて、熱くなってしまった顔を結局逸らすしかなかった。
こっちが何やっても自爆する道しかねぇよ、なんだこの最強の生き物。さすが魔女機関のアタマ張ってるだけのことはある。
「…………ま、あなたの言うことにも一理あるかな。じゃあ、今からはご飯タイムにしーよおっと!!」
これまで俺みたいな敗北者を腐るほど生み出してきたであろうエルエスタが、またひとつ勝ち星を稼いでめちゃめちゃ勝ち誇った笑みで書類をばさりとほっぽりだして宣言した。
彼女のその言葉は、勝者にのみ許された、敗者への慈悲。せっかく俺の望み通りに飯に専念してくれることになったというのに、俺のプライドはすっかりズタズタのボロボロであった。
けれどその時、雛達の餌やり中だった焔髪さんと御母堂様が、手は止めないままで意外そうに言ってくる。
「ふむ? お前が人に言われたからといって、一度手を付けた仕事を中断するのは珍しいな。
『仕事は始めるまでがいちばん面倒』と、『でも一回始めたらやれるところまでやっちゃうのが一番楽』の二つが、今の立場に就いたことで見つけたとかいうこの世の真理ではなかったのか?」
「だぁぁよねぇぇぇぇ?? 酒飲むと絶対毎回それ言ってるもんねぇ、この子。あたしゃ何回も『仕事なんて、それを持ってきた奴ごと拳でブッ飛ばすか、めんどい日は端っからブッチするのが一番楽』っつってんのに、まーるで聞きゃしないクソ真面目ちゃんだもんねぇ」
それ絶対聞いちゃダメなアドバイスだと思う。魔女機関のトップがそのスタンスだったら、既に世界は何度滅んでるかわからんぞ。
つか、関係ないけど、魔女ってほんと実年齢不詳だな。
女子大生っぽい御母堂様と焔髪さんはともかく、そこにせいぜい女子高生くらいのエルエスタが混じって、三人対等の関係で仲良く飲み会して仕事観を語り合うって、見た目年齢だけで考えるとあまりに不思議すぎな絵面なんだけど。
「……べつに、私がどんな働き方しようが、そんなの私の勝手だもん……。いーじゃん、べつに……」
拗ねたように言い訳じみた台詞を口にしたエルエスタは、一瞬俺を見て――、けれどすぐさまふいっと顔を背けて、いっそう唇を尖らせる。
そんな彼女のほんのり朱に染まるほっぺたを見て、俺は急激に猛り狂うリビドーのままに『かばう』コマンドを全力で選択した。
「まあ、それだけ俺特製のすき焼き鍋が美味かったってことだろ? それに、同じく俺が天塩にかけて育てたゼノディアス号というわりと便利な自覚のある馬車馬も手に入れたんだし、せっかくのみんなで食う美味しいご飯の間くらいは、さしもの臨時総帥様だってほんのちょこ〜っとくらい気を緩めても、バチは当たらないんじゃないかなぁ?」
「………私、臨時総帥様じゃねーし……」
その他人設定まだ続けるのかよ。御母堂様が「はあああぁぁぁ???」ってめちゃくそムカつく顔で首傾げてるし、焔髪さんも「そうだな、臨時総帥様」とかデキる秘書風の首肯と共に盛大にうっかり暴露してるし、アリアちゃんに至っては「え、お姉ちゃん、そーすいさん辞めたの?」とか普通に無垢なお目々で訊ねてるし。
唯一みーちゃんだけが「なぁう(そーね。えるえすた様は、ただのざんねん魔女さんだものね)」というフォローを、いやそれ全然フォローじゃなくない? 一応エルエスタに敬意のようなものを見せていたはずのみーちゃんにさえ今はもうこんな扱いされちゃってるとか、あまりにかわいそすぎて涙ちょちょ切れちゃうんですけど……。
「なんだいなんだい、みんなして私のことイジメてさぁ!! それの何が楽しいんだよ!!!」
「え、いや、俺だけはちゃんとフォロー入れようと」
「黙れぇ、諸悪の根源めっ!!! おまえなんかきらいだぁぁああああ!!!!」
「――――――――――――」
キレながら猛烈な勢いでヤケ食いに走り出したエルエスタは、自分の放った最後の一言が童貞の繊細すぎるガラスのハートを木っ端微塵に粉砕したことにも気付かぬ様子で、死せる童貞とその場のみんなに見守られながら美味しいすき焼きをみるみるたいらげていった。




